恋シリーズ Novels 〜瑠璃編〜


『想うが故に、それは蜃気楼 四』

 

「はぁ〜疲れた…」
一つ大きな溜息を吐いて、自分の局へと戻って来た瑠璃は座り込んだ。
でも、やっと鷹男の役に立てた。
「へへ…」
嬉しくて顔が緩む。
今日も一日何もないのかと鷹男の事をつらつらと考えていたら、客人が来て、一気に話が進んだ。
入道の客であった左馬頭はべたべたとしてきて、本当に腹が立ったが、耐えた甲斐はあった、と思う。
着物はあちこち焦げたり、煤で汚れているし、瑠璃自身あちこち軽く火傷をしていた。
盥の水を絞った手ぬぐいで顔や手を拭う。先程、古参の女房より渡された軟膏を火傷に塗り込む。
疲れたし、痛いし、怖かった。
後もう少し、侍達が消火活動に来るのが遅れたら、自分で付けた火に巻かれて死んでいたかも知れなかった。火は何もかもを燃やし尽くしてしまう。恐ろしいものだ。
それでも。
にへら、と崩れた表情を瑠璃は意識して引き締めた。
手に入れた。入道達の陰謀の証拠となりそうなものを。
苦労に見合うだけのものだと思える。
大切に懐から取り出して、広げてみる。
春を待ち望んだ歌の連書。歌自体がどうと言うよりも、その裏にある意図が恐ろしくて、瑠璃は少しだけ肌寒く感じたが、やはりそれ以上に達成感や充実感と言ったものが瑠璃を満たしていた。
ふふ…と笑みを浮かべた時、背後に人の気配がした。
「誰っ!」
まさか左馬頭がここまでやって来たのか?!と焦ったが、「俺だよ」と姿を現したのは鷹男で、瑠璃は安堵にガクリと床に手をついた。
「お、驚かさないでよ…」
咄嗟に隠そうとした連書が少しくしゃっとしてしまったが、問題はないだろう。
そう思って大切そうに皺を伸ばしていると、鷹男が傍に座り込んだ。
「すまん。そんなに驚かせるつもりはなかったんだが……。しかし、一体何を嬉しそうに見ていたんだ?まさか、恋文…とか?」
「はぁ?」
一体何を言うのか、と鷹男を見遣れば、予想に反して酷く真剣で、不機嫌そうな表情で呆気に取られた。
「何言ってるのよ。そんなものこの五条邸で貰う訳ないじゃない」
不思議そうに言えば、そうだな、と鷹男は苦笑を浮かべて、態とらしくコホンと咳払いをした。
「じゃ、何を見てたんだ?」
言われて、きっと鷹男に喜んで貰えると、満面の笑みを浮かべた。
すると鷹男が少し俯いて、前髪に鷹男の目が隠されてしまった。折角喜んでくれる鷹男が見れると思ったのにと不満だった。
「鷹男?」
呼び掛ければ、数瞬の後、鷹男が瑠璃を真っ直ぐに見た。
と、眉根を寄せて、瑠璃が思わず怯む位に見つめてきた。
「なぁ、さっきから邸の様子が騒がしかったんだが、何かあったのか?近くで見れば、あちこち衣が焦げてるし、大分煤けてる」
「ああ、うん。実はね、入道が歌の連書を見せてくれたの。春を待ち望むお歌の」
「春…」
「で、如何にも連判状っぽいから、入道や左馬頭に酒を沢山飲ませて酔わせたの」
鷹男が表情をハッとさせた。
「左馬頭、が…いるのか……?」
「うん。鷹男も知ってるの?」
「あぁ…高彬殿と同じく東宮様に忠義を尽くしてくれている仲間と……」
苦しげな表情の鷹男に瑠璃は何と言っていいのか、分からなかった。
「右大弁、も知ってる?」
「!あいつも……?」
鷹男の手がギュッと握りしめられて、思わず瑠璃はその手を握りしめた。
「そんな奴ばかりじゃないわ。私だっているし。これから幾らでも仲間を増やす事なんて出来るじゃない。高彬なんて東宮様と結婚すればいいのにって思う位だし」
言えば、鷹男に縋る様にギュッと手を握り返された。
この手を離さないでいられたらいいのに。私ならずっと鷹男の仲間なのに。
「流石に東宮様も高彬殿との結婚には逃げ出されるんじゃないかな」
クスリと笑った鷹男に、瑠璃も笑った。
「そして、鷹男も私も、そんな東宮様の後を追っかけるんだわ」
切なげに鷹男が目を細めた。
「一人じゃないわ」
瑠璃の言葉に、鷹男は握る手に力を込めた後、「すまない」と言って手を離した。
遠ざかっていく温もりが寂しくて、名残惜しかった。
「左馬頭は本当に最悪。酔わなくてもべたべたしてきて、腹が立ったわ。あんな奴仲間じゃなくて良かったって事よ」
「あいつお前にそんな事をしたのか?」
ムスッとした風情の鷹男がさっきまでの傷心を感じさせなくて瑠璃を安心させた。
「そうよ。酔っぱらって正体無くした時に、叩いてやれば良かった。…って、そうそう。だから、酔いつぶれた所で火を付けたの」
「………叩いてやるのはいい。後で俺もしておこう。が、その後…何をしたって?」
ピクッと鷹男の眉が器用に片方だけつり上がった。
あれ?なんか今までとは違った感じに不機嫌になってしまった?
「えーと…火を付けたの。で、火事で入道達が避難した後、この連書を手に入れたの」
「………」
長い。長い事、鷹男は無言だった。だた、その目が怒りや焦燥や恐怖。諸々の負の感情を湛えて、瑠璃をただただ、凝視してきた。
揺れる眼差し。
だが、ぶれる事のない眼差しが瑠璃を見つめた。
そうっと鷹男が手を伸ばし、瑠璃の髪を撫で梳いた。
鷹男に触れられて、毛先も所々焦げている事に気が付いた。
「あ、髪まで……」
かつて、衝動に任せて、自ら髪を切った瑠璃だが髪は女の命だとは思っていた。流石に、ただでさえ短いと言うのに、こんな風に焦げてしまったのは悲しかった。
でも、今は髪に触れた鷹男の手が気になって仕方がなかった。熱も感触も何も感じないはずなのに、体の内側から痺れる様な感じがした。
鷹男はそのまま無言で、瑠璃の女房装束にも流れる様に指先を滑らして触れた。黒く煤けた部分。焦げて穴の開いた部分。衣越しに感じる鷹男の指先の愛撫にも似た柔らかい感触に、ゾワリとして、一体自分がどうしたのか分からなかった。
「鷹、男…?」
髪から肩、腕と来て、手を取られた。
触れた指先が酷く熱い。
鷹男は瑠璃の事を男と思っているからだと思うが、何の断りもなく、そのまま袖を軽くめくり上げ、肘辺りまでが鷹男の目に晒された。
「た、鷹男っ」
肌を晒さないのが一般常識でもあるし、さすがの瑠璃でも恥ずかしい。
それに、酷く白い肌は女のそれだ。鷹男が不審に思うんじゃないかと気が気じゃない。
だが、瑠璃がどんなに鷹男から己の手を取り戻そうとしても叶わない位、強く掴まれていた。
そうして、赤く火傷になっている箇所を見られた。
そのまま、鷹男の眼差しが雄弁に瑠璃に告げる。
何故?と。
「あ、あの…軽いものだし、もう薬も塗ったから……大丈夫よ」
言い訳の様に言うが、鷹男の視線が和らぐ事はなく、鋭く睨み付けられた。
漸く発した鷹男の声はとても低かった。
「約束したはずだ。無茶な事はしない、と。危険な事はしない、と」
何故、約束を破ったのかと。
「だ、だってこの連書…」
瑠璃は予想外の鷹男に驚きと戸惑いで混乱していた。
「この連書じゃ、役に立たなかった?」
悲しげな瑠璃に鷹男は首を振った。
「いいや、十分な証拠となる。これを突きつけられれば、何も言い返せないだろう。でも、だからと言って、そこまで無理をする事はなかった。そう言うものがあると言う事を教えてくれるだけで良かったんだっ!」
それは血を吐く様な掠れた声で、瑠璃の胸を突いた。
瑠璃の手を掴んでいる鷹男の手が微かに震えていた。
「お前に何かあったら、俺はどうすればいい?!」
とても、とても心配を掛けたのだと悟り、瑠璃は項垂れた。
「ごめん、なさい…。でも、これは私が選んだ事。決めた事。鷹男が責任を感じたりしないで。だから。でも…」
鷹男に関係ないから、とは言えなくて、そして、何かを言えば言う程、鷹男を傷つけそうで瑠璃は言い倦ねた。
「…ごめんなさい。心配してくれて有り難う」
結局、そんな事しか言えなかった。
と、捕まれていた手が持ち上げられて、何?と思った次の瞬間。
触れた柔らかい感触に目を見開いた。
余りの光景に何もかもが吹き飛んでいた。
目の前で火傷の痕に鷹男が唇を触れさせていた。
視線を逸らす事など出来ずに鷹男を見ていれば、伏せられていた鷹男の長い睫毛がゆっくりと動き、徐々に現れた漆黒の鷹男の目と視線がぶつかった。
鷹男の唇が触れた所が今にも火ぶくれを起こしそうな程に熱くて熱くて堪らなかった。
焼き鏝だ。
本当に。
軽い火傷の痕。さっき迄はただ、それだけのものだったのに、今ではそれはもう違うものになってしまった。
直ぐに消えてしまう火傷の痕は、一生消えない、見る事の出来ない鷹男の焼き印。
「お仕置きだ。男にこんな事されて気色悪いと思うなら、二度とするな」
それはまるで瑠璃に対するお仕置きと言うよりは、鷹男自身への罰の様に瑠璃には感じられた。
それ程苦しげな表情の鷹男に、瑠璃は顔を赤らめたまま、ただ黙ってコクコクと頷いた。
「他にはないだろうな?」
鷹男の言葉に、勢いよく首を縦に振った。火傷が他にあっても言えるはずがない。
すると、この話はこれまでと言わんばかりに鷹男は連書をじっくりと見始めていた。
その横顔はさっきの事などまるで何もなかったかの様に落ち着いたものだった。
きっと知った名前ばかりなのだろう。徐々に驚愕に青ざめていく顔が瑠璃には辛かった。
さっきみたいに、鷹男に心配を掛けたのも辛かった。
好きだからこそ、あんな仕置きも辛かった。
役に立ちたかった。
笑って欲しかった。
褒めて欲しかった。
認めて欲しかった。
でも、結局は鷹男の悲しげな苦しげな辛そうな顔を引き出しただけ。
こんな筈じゃなかったのにな、と思えば切なかった。
「後もう一通大切そうにしまっていた書状があったわ。僧侶の観如が来てて、観照がどうとか言ってた。流石にそっちは見せてくれなかったけれど」
「その書状も気にはなるが…いいか?もうこんな無茶は駄目だからな?」
瑠璃が何かを言う前に、しっかりと鷹男が釘を刺してきた。
「うっ…分かってるわよ」
「全く。このまま連れて帰りたい位だ………こっちの寿命が縮む…」
最後の一言は小さくて、瑠璃には聞こえなかった。
「しかし、観如に観照か」
「やっぱり鷹男も知っているの?」
「観照は東宮様の信任も篤く、神通力があると有名な祈祷僧で、観如はその弟子。一応、何度か会ったこともある」
「祈祷?それだったら毒じゃなくて呪いって事もあるんじゃない?」
「!!」
潜入する際に、出入りする人間や物に注意してくれ、と言われた。毒もあり得ると言われていた事を思い出して、言ってみた。
でも、何か違和感があって、喉に小骨が刺さった様な気分の悪さがあった。何かを見落としている様な。
何だろう?
顔を青ざめさせていた鷹男が一つ大きく息を吐くと、気持ちを切り替えた様で瑠璃の方を向いた。
「呪い殺す…か…。あの観照が……。分かった。至急、調べてみよう。だから、約束通り、無理や危険な事は…」
「分かってる。約束するわ。今度こそ大人しくしてる」
「よし。今度こそ破るなよ。こちらから文を送るから、それで事情があって国に帰るとでも言って、ここから出るんだ。いいな?」
「うん」
神妙な顔で頷いたけれど、信じてなさそうな顔の鷹男に、重ねて言った。
「分かったってば、もうっ」
ムスッと拗ねた。
そんな瑠璃を見て、鷹男がフッと柔らかい笑みを浮かべて見せた。ここ最近では見なくなった表情だった。
「今更だけど、言葉遣いまですっかり女で、驚いた」
「…ふふん。凄いでしょ」
女房として女の姿になった途端、普段の口調に戻っていた。鷹男の前でも自然とそのままで喋っていた事に気が付いて慌てたのだが、鷹男が上手く演技していると思っているらしいので、そのまま誤解して貰う事にした。
ニッと唇の端を上げて、得意げな顔を作れば、鷹男は「全く、お前って奴は大した奴だよ」そう言って、瑠璃の頭を撫でた。それは葵が今までされてきたのと同じ、ちょっと乱暴だけれど優しい手で、大好きだった。
だからこそ、そんな鷹男に、今度こそ約束は守るからと心の中で思っていたのに。
まさか次の日には、その約束を破る結果になろうとは思いもしなかった。

 

@12.02.22>

最後の辺りを読み返して、あぁ、一番最初書いていた時は瑠璃は本当に男の子っぽい口調だったんだよなぁーと思い出しました。
高彬や融もそうですが、基本お坊ちゃんなので、言葉遣い丁寧だし、これはちょっとなぁ…と途中から修正を入れたんです。そこまで完璧に男の子口調を瑠璃が出来るとも思えなかったし。
したら、瑠璃も葵も口調は殆ど変わらなくなっちゃったんで、最後の部分は違和感出ちゃいますね〜(^^ゞ
さて、大分鷹男が…タラシに………(笑)
恋シリーズ Novels 〜瑠璃編〜