恋シリーズ Novels 〜瑠璃編〜


『想うが故に、それは蜃気楼 三』

 

それから、が大変だった……と瑠璃は思い出して溜息をついた。
既に入道の五条邸に女房として潜入している瑠璃は勤め始めて数日経った所だった。
少しばかり気持ちに余裕が出始めた事や入道一派に何の動きもない事から、色々と思い出していたのだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

瑠璃からの鷹男の手伝いをしたいとの申し出に、鷹男は首を横に振り続けた。
「なんで駄目?大納言家縁の者として、ううん、貴族の一人として、東宮様をお守りするのは当然の事だよね?」
高彬の受け売りだが、言えば、鷹男はグッと唇を噛み締めて見せた。
「駄目だ。危険すぎる」
「頼りないから?子供だから?」
「そうじゃない。いや、子供だから、と言うのは当然だが」
駄目だと首を振る。
「やだ。絶対手伝う。駄目って言っても、無理矢理後を付けていくから」
「坊主っ!」
鷹男が本気で怒っていた。
それでも、瑠璃も引けなかった。
「鷹男が一人で頑張ってるのに、何もしないなんてやだ!」
「……頼むから、大人しくしててくれ」
宥める様に鷹男が言う。
「じゃぁ、高彬と一緒ならいい?」
絶対ひくもんか、と何か鷹男を頷かせるものが無いかと色々考え、東宮様の信頼が篤い高彬が一緒なら首を縦に振ってくれるんじゃないかと言ってみた。
が、ギラリと睨み付けられ、余計に酷くなった鷹男の眼差しに、瑠璃は首を竦めた。
「なんで?だって、東宮様に信頼されているから桐壺の警護を任されているんでしょ?」
「彼は右大臣の息子だ。入道にとって最大の敵。で、右大臣にとっても入道は最大の敵。分かるか?」
「……大事(おおごと)になっちゃ不味い、から?」
「そうだ。東宮様は弟宮である正良親王他、入道の息子でありながら、野心のほとんど無い現在の左大臣等、無関係な人間にまで類が及ぶのを望んでおられないんだ」
「それは……」
「高彬殿は真面目で、信用も出来るが、融通が利かない所がある。極秘で、と言った所でもしも右大臣に情報が抜けてしまえば、終わりだ」
鷹男の言はもっともだと思ったから、何も言えなかった。
融はあっさりと鷹男に気絶させられていたし、論外だろう。
「遊びじゃないんだ…」
「!遊びのつもりなんか無いっっ!」
鷹男の言葉にキッと睨み付けた。
実際、怖いと思う。首なんか突っ込みたいなんて思わない。それでも、そこに鷹男がいるなら、一緒に行きたい。役に立ちたい。迷惑ばかり掛けているけれど、何か出来るかも知れない。
そして、傍にいたい。
危険でもいいと、一応は覚悟を決めているつもりだ。まだまだ覚悟が甘いのかも知れないけれど、何かあったとしても、絶対鷹男を恨んだり、鷹男の責任にしたりなんかしない。
これは自分で選んで、自分で願った事だ。
「何かあっても、文句言わない。責任取れだなんて言わない!お願いっ!」
「…何故?何故そこまで必死になる?出世にも興味ないんだろ?」
不思議そうに聞いてくる鷹男に瑠璃はどうしようかと慌てた。鷹男が好きだからなんて、流石に今この場面で言えやしない。言うなら、せめて、きちんと女だと、瑠璃だと真実を告げた後で、言いたい。
どうしよう…どうしよう…。
「る、瑠璃が!」
「瑠璃姫?」
突然出てきた瑠璃の名に鷹男の表情が一瞬、揺らいだ。
鷹男が動揺している?
「瑠璃が東宮様に憧れているんだ!だから…」
「………」
「あの…そ、の……」
途中から勢いが無くなり、言葉が途切れてしまった。
不味い事を言ったか、と瑠璃は後悔した。
先の台詞を言った瞬間、鷹男が驚き、その面に何とも言えない苦しげな表情を浮かべたからだ。
何?
私は東宮様と面識なんてないけど、東宮様に憧れる姫君、なんてありきたりな事だし、そんなに驚く事じゃないよね?
戸惑う瑠璃に気づく余裕もなく、鷹男は手をギュッと握りしめて、床の一点を睨み付けていた。
「瑠璃の為にも、東宮様を助けたい…んだけど……鷹男?」
何時だって余裕をうしなわない鷹男の常にない様子に、遠慮しつつも声を掛けた。すると、瑠璃の声に我に返ったかの様に、瞬きを繰り返し、瑠璃の方をジッと見つめてきた。
そして、ゆっくりと。
目を、伏せた。
場違いにも、睫毛長いなーなんて思っていると、鷹男が静かに首を振った。
「やっぱり、駄目だ」
「なら、一人で調べる。東宮様を助ける」
「頼むから……お前を監禁したくはない」
「っっ!」
余りの事に瑠璃は言葉を失った。
それは流石に黙って状況を見守っていた藤の宮も同様だったらしい。
「鷹男。もう、大分時間が経ちました。ここは葵様にも手伝って頂いては如何?確か五条邸に潜入する女房を探しているのでしょう?」
「宮っ…」
具体的な事を、瑠璃の前で言う藤の宮に鷹男は鋭い視線を向けたが、彼女は少し首を竦めたものの、引かなかった。藤の宮にとっても、最終的な護るべきものは東宮なのだろう。
「時間がかかりすぎました。いい加減、大納言家が動き始めてしまうかも知れません。葵様はとても利発で聡明でいらっしゃいますし、その…お体も小さいですし、女房に扮しても問題ないでしょう」
「女房に?うんうん、女房になればいいんだね!やるよ!」
思いもがけない援軍に喜び勇んだ瑠璃の様子に、鷹男はガックリと肩を落とした。
長い長い沈黙の後。何度も瑠璃を見ながら、鷹男は何かを言いかけては首を振った。
「本当に無茶な事はしないか?危険な事をしないか?」
潜入自体が危険な事なのに、と瑠璃は思う。でも、取り敢えず大人しく頷いておく事にした。
「しない!」
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………」
本当に、深い溜息を吐いた鷹男に、流石に瑠璃も心苦しかった。
だって、これは鷹男の傍にいたいと言うただの我が儘、なのだから。
そして、悲しかった。
「…そんなに無理だって思う?信用、出来ない?」
首を傾げれば、短くなった髪が背中で揺れた。
この、髪のせい…なのかな?上手く行かないのは。
「そう言う…訳じゃない……。心配なだけだ…」
小さくポツリと言った鷹男に瑠璃ははにかむ様に微笑んだ。
「有り難う…」
暫し瑠璃を見つめていた鷹男は、視線を逸らすと、暫くは何も語ろうとはしなかった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

結局、あの後、時間がないと藤の宮に急かされて、取り敢えず瑠璃は一旦三条邸へと帰る事になった。
融を気絶させた男を見失った瑠璃を保護してくれた家人が二条堀川邸の人間で、何か外で騒ぎでもあったのかと不安がられた藤の宮様に事情を聞かれて、話をした。
そのまま、酷く気に入ってもらい、お菓子なんかを貰い、又遊びに来てね、と言われた。
―――そんな設定になった。
その後は、藤の宮様からの文と称して、色々と今後の予定やら何やらの連絡をし、そして、後日再び二条堀川邸へと行き、打ち合わせ通り、入道の五条邸に潜入する事となったのだ。

 

潜入するその時、鷹男が絶対見送ると言って、二条堀川邸に来ていた。
ドキドキした。
始めて女の姿で鷹男に会うのだ。
別に藤の宮みたいに美人でもなんでもないし、期待なんてしていないけれど、やはり好きな男の前では着飾った姿でいたいと言う願望位は瑠璃だって持っていた。
女房の装束。大して豪華でもなく、華やかでもない。だが、いつもの男の子の水干姿よりはずっといい。
「用意は出来たか?」
「あ、うん。」
「入るぞ」
女房姿になって準備を終えた瑠璃の所に鷹男がやって来た。
鷹男は瑠璃を見て、瞬間ぴたりと動きを止めた。そのままジッと凝視してきた。
何かおかしな所でもあっただろうか、と不安になった。
「あの…鷹男?そ、そんなに変?」
女房の女姿。変なはずはないのに、そう言ってしまう。
短くなった髪はかもじを付けて、長くしてある。どこからどう見ても今は女人のはずだった。
「あ、あぁ…すまん。変じゃない。変じゃないから、驚いた」
「変じゃないから?」
鸚鵡返しに返して、嬉しくなった。
「以前から華奢だ華奢だ、小さい奴だとは思っていたが、どこからどう見ても女人にしか見えない。うん。可愛らしい女房殿だ」
そう言う鷹男の目が酷く真剣で、何か揺らめいている気がしたが、瑠璃にはそれがなんだか分からなかった。
ただ、何時もと違う、壊れ物でも触れるかの様に優しく頭を撫でられて、こそばゆくなった。
女扱いしてくれていると思うと余計に嬉しかった。
「なら、良かった。一目で女房に見えないとか言われたらどうしようかと思った」
安心したと、微笑む瑠璃に、視線を逸らした鷹男は眉根を寄せた。
「…最悪……」
「え?」
小さく鷹男が何かを呟いたが、良く聞こえなくて瑠璃は首を傾げた。
「なぁ…今からでも遅くはない。潜入なんて…」
「くどいっ!やるったらやる!」
「はぁ…」
誤魔化された様な気もするが、諦めた様に溜息を吐く鷹男にしつこいと、べーと舌を出して見せた。
そして、そのままツーンと鷹男に背を向けた。
と、ほんの僅かな髪の違和感に、なんだろう?と後ろを窺った。
すると、鷹男が瑠璃の髪を手に搦めていた。
ドキン、と鼓動が跳ねて、思わず前を向いた。
何も見ていないふりをしたつもりだが、もう顔は真っ赤なんじゃないかと思った。
ギュッと目を瞑っても、瞼には、鷹男の大きな手に艶々とした黒髪が大切そうに搦められているのが焼き付いていた。
ただ、髪に触れていただけだ。
勝手に瑠璃の恋心がそこに意味を持たせようとしているだけだ。
そう、言い聞かせた。
今までに触れた事だってあった。頭なんてしょっちゅう撫でられていたのに。
ドキドキと心臓が鷹男への恋心を高らかに歌い上げる。
切なさに体が震えてしまいそうだった。
「女物の衣を身に纏い、髪が長くなっただけなのに……不思議なものだな」
小さな呟きは、ただの独り言なのか、話しかけてきているのか瑠璃には判断が付かなかった。また、なんて答えていいのかも分からなかった。
ただ、静かに時が過ぎる。
どれ程時間が経ったのか、クイッとあからさまに髪を引かれた。
「ほら、こっち向け。最後の打ち合わせだ」
そう言って鷹男は、目を細めて、笑みを浮かべたが、何処か悲しげに見えた。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

あれから数日。
入道の五条邸に入って2〜3日は毎日の様に鷹男から文が届いた。
三条邸には、葵が気に入ったから数日お預かりしたいと藤の宮がちょっとした我が儘を言った事になっており、なおかつその上で病気になって高熱を発して寝込んだ事になっていた。藤の宮が自分が我が儘を言ったせいだから、と葵を迎えに行った父の大納言にすら、涙ながらに「私に最後まで面倒を見させて欲しい」と頼み込んだと言うのだ。
皇女、八の宮にそこまで言われれば、大納言忠宗でも、引き下がらざるを得なかった様だ。
そんな諸々を伝えてくれると同時に、やれ何か困った事はないか、危険な目に遭っていないか、変な事されていないかと、過保護では?と思える程に心配してくれていた。
でも、本当は嬉しかった。
文面からは何となく、子供だと心配されているよりは、女人として心配されている気がして。
くすぐったい程に嬉しくて。
この潜入の女房役を無理矢理だったけれど、やれて良かった、と思った。
なんだか気まずいままだったあの時の事はそのままに、一緒にいられた。話が出来た。短い間でも、傍に……いられた。
そして、女人姿を鷹男に見て貰えた。お世辞だろうがなんだろうが、可愛らしい女房殿だ、なんて言ってくれた。そして、こんなにも心配してくれている。
嬉しくて、想いが溢れて。
事件が解決したら会えなくなるだろう。そうなってから後悔する前に。
後悔はしたくないから。
だから。
瑠璃は決めた。
最後の時には鷹男に真実を告げようと。実は女で大納言の娘、瑠璃なのだと。想いを、鷹男が好きなのだ、と。
例え、受け入れて貰えなくて、騙したと詰られ、軽蔑されようとも。女の癖に男の格好で、洛中を彷徨(うろつ)いているだなんてと呆れられても。
覚えていて欲しい。私がいたという事を。
“葵”ではなく、“瑠璃”として。
もし、その時に鷹男に何か入道の陰謀の証拠を渡す事が出来たなら、役に立てたなら、最高だな、と瑠璃は思った。
そんな事を考えていた時、ザワザワとした周囲の気配に客が来たのだと悟った。

 

@12.02.21>

鷹男を説得、了承させるのに偉い苦労しました。そして、やっと潜入。
ストーリー的には陰謀事件がどうとか余り関係が無いので、さらっとするつもりが、結構長くなってます。
しかし、ここら辺、やっぱり鷹男視点のお話し入れたくなりますねー…☆
恋シリーズ Novels 〜瑠璃編〜