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『櫻回廊 14 〜一華〜』

ひらひら・・・
ひらひら・・・
風に舞う薄紅色の欠片が美しい。

ひらひら、ひらひら
ふわり・・・・・・

「ここは・・・・・・?」
龍麻は周囲を見回した。
視界を覆い尽くすような櫻の華、華、華・・・
美しく心を惑わせる程に舞い散る花弁が龍麻の視界を埋め尽くす。
思い当たる場所は龍麻の記憶には無い。

何処だろう?

と首を傾げる。だと言うのにやけに懐かしい・・・そう感じて。妙な既視感に目を細めて周囲の様子を窺う。
確か自分は壬生の部屋で壬生の治療をしていたはずなのに・・・
では自分は寝てしまったのか?これは夢??

ひらり、ひらり・・・

「そう。これは夢・・・と言うことにした方がいいと思うわ?」
にっこりと微笑んで突然自分の側に現れたのは自分にそっくりな一人の少女。
「っっ!!」
目を見開くようにして相手を凝視する。
まさか・・・
「初めまして?もう一人の私・・・」
櫻の華が彼女の廻りをふわりふわりと舞い続ける。淡い櫻色に彩られた彼女は龍麻の目から見ても美しく魅力的な女性だった。
「なんで・・・」
クスクスクス・・・
悪戯っぽく微笑む彼女に龍麻は少しむっとした表情をする。
只でさえ元から恋敵として敵視し続けてきた存在である。気に入るわけもない。
「分かって居るみたいだけど、一応・・・自己紹介するわね。私は桜。そんなに怒らないでよ。貴方は私で、私は貴方なんだから。」
だからこそ気に入らない・・・そう思いつつ龍麻は黙ったまま桜を睨み付けた。

こんな滑稽なことはないだろう。
自分で。自分に。嫉妬するなんて。
自分こそが。

―――恋敵だなんて。

「少しだけ・・・相談があるんだけど。きっとこれが最初で最後の・・・チャンス。話を聞いてくれる?どうする?」
真剣な瞳が龍麻を射抜く。真っ直ぐな強い意志を秘めた瞳。
恐らくは壬生が惹かれた・・・その眼差し。
ギリッと拳に力を込めて龍麻は桜を見つめ返した。

負けたくはない。

「・・・何?」
本当は話を聞くのすら嫌だった。とっくに消えたはずの自分。過去の自分との対峙。こんな異常な事は無い。でも、此処で相手を拒絶するのはまるで逃げるようで嫌だった。
「・・・・・・話す気ないのかっ?!」
龍麻をみて楽しげに艶やかな笑みを口元に浮かべてすぐに話そうとしない桜に「笑ってんじゃねぇーよ!」とばかりに苛々とした言葉を投げつけて睨み付ける。
桜にしてみれば、意味のない敵意を向けてくる龍麻がおかしくてしょうがない。もうそんな必要ないのに・・・と思う。

既に壬生は選んでいる。知っている。
でも・・・教えてあげない。これぐらいは・・・赦されるでしょう?どうせすぐ分かるんだし・・・

「ふふ。ごめん、ごめんっ。話は簡単よ。」
桜は楽しげな笑みを浮かべた後、その表情を改めた。
「龍麻、貴方・・・記憶を・・・取り戻したい?」
「な、に・・・?」
言われた意味がすぐに理解できず龍麻は桜の顔を見つめた。
「記憶よ、記憶。つまりは私【桜】の記憶。」
「・・・・・・」

龍麻は即答できなかった。
【桜】の記憶。
それは鍵。

壬生と初めて出会った時への。
壬生と共に語った時への。
壬生と最初に別れた時への。

自分の知らない壬生へと続く扉を開く、鍵。

そんなものいらない、と即答したかった。欲しいのは【桜】の記憶ではなく、壬生自身。でも・・・【龍麻】には手に入らない。だから・・・。だから・・・
「俺は・・・どうなる?」
龍麻は慎重に目を細めて警戒しながら桜に問いかける。
【桜】の記憶・・・それは【桜】の意識に飲み込まれると言うことか。
元々は【桜】が記憶を失って【龍麻】となった。ならば・・・【桜】の記憶を取り戻すと言うことは・・・自分を失う・・・と言うことか。
それは足下が急に無くなって何処までも沈み込んでいくような恐怖。

「大丈夫よ。別に貴方がどうなると言うことはないわ。」
「・・・信じらん無いな。」
きっぱりと断言する龍麻に桜は苦笑する。
それはそうだろう。出来ることなら桜自身、自分が元に戻りたいと思う。自分こそが壬生に愛されたいと願う。側にいたいと。そんな桜の言葉を信じられるはずがない。
自分が龍麻の立場なら信じないだろう・・・そう思う。
「でしょうね。でも・・・信じる、信じないは貴方の自由。私はもう既に<意識体>として存在しているわけじゃない。ただ・・・壬生君のことを・・・忘れたくなくて記憶にしがみついているだけの・・・念、みたいなもの?まぁ、どっちにしたって・・・貴方に取って代わろうにも代われないのよ。私自身は【記憶】の集合体みたいなものでしかないのだから。」
桜自身は壬生との邂逅で既に想いを昇華してしまっていた。
再び壬生に会いたいという想いを遂げた桜の意識は大分弱いものとなっていた。更に壬生から貰った“言葉”が、“想い”が桜を満たす。今の桜は真実人間としての人格すらも殆どないに等しい程だった。

随分と軽い調子で言われて龍麻はそれが本当かどうか計りかねた。
確かに・・・記憶を。全てを思い出せるというなら・・・嬉しいのだ。
しかも、それが自分のままでなら。

どうするの?とまるで自分を試すかのように見つめて来る桜に龍麻はその視線を揺らした。

ひらひら、ひらひら
ひらり

 

ひらり・・・

二人の間を横切って舞う美しき櫻。

龍麻はやはりその既視感に捕らわれて不思議に思う。
特にこの・・・櫻の花弁舞う中に佇む目の前の少女の姿に・・・何処かで・・・?

―――ソナタナバラ ソノネガイ カナウヤモ シレヌ―――

唐突に頭の中に響くその声。
低く重厚にして感情の全くない人外のモノの声。いや、声ですら無いだろう。それは意志。思惟。その響き。
かつて黄龍に告げられし言葉(ことのは)。

何故今思い出したのか。
何故今頭の中で響くのか。

それが・・・【今】だと言うのか。

風の無いはずの夢の中で、櫻の花弁がザァッと流されるように強く舞い視線を遮る。
「くっ・・・」
突然の変化に龍麻は驚きながらも櫻の花弁に隠されそうになる桜の姿を見失うまいと必死で見つめた。

それは。
薄紅色の視界を遮るほどの櫻の花弁・・・・・・
その向こうに人影がうっすらと見える。
誰と分からない程に覆い隠された人の姿・・・

何時?
いつか・・・これと同じように人影を・・・見た?

龍麻はどうしても思い出せないもどかしさに掌を強く握りしめた。
全ては・・・きっと喪われた記憶の中に・・・在るのかも知れない。
きっとあの人影が誰だか知っているに違いない。
たとえ忘れたとしても心の奥底に想いが残る程、自分にとって大切なその人影・・・

唐突に舞い上がるのと同じように、櫻の花弁は何事も無かったかのように穏やかになる。
ひらり、ひらりと散り行く櫻の花弁が一瞬前と何も変わらずに龍麻と桜の間を静かに零れる。
言葉もなくただ、桜を見つめていた龍麻を、桜も同じようにただ黙って見つめていた。
その眼差しは。
深く。
深く。
決して知り得る事の出来るものではなく。
じっと自分を見つめる桜の目を見返しながら、ぎゅっと唇をきつくかみ締めた。

黄龍よ。
このことをお前は知っていたのか?
そして、どうなるのかを?
ならば・・・

龍麻はその瞳を伏せて、ふわりと穏やかな笑みを浮かべてみせた。静かな笑みの中に確かに心に何かを決めた強い光が宿る。
再び開かれた瞳。
すぅっと向けられた視線を受けて。
桜は艶やかに微笑んだ。

「決まったみたいね。」
「・・・ああ。悩む、迄もないことだったのにな。俺は逃げない。逃げたくないし、後悔は・・・」
そこで龍麻は一つ区切ると不敵な笑みを浮かべる。
「後悔はしたくない。」
「・・・だと思ったわ。」
漆黒の瞳に強い光が宿る。自分自身を見つめて。その全てを掛けて。それでも取り戻したいと言う願い。<取り戻したい>のは記憶ではなく【自分】。今の自分は酷く不自然で不安定だと分かっているから。元に戻ろう。還、ろう。そして<取り戻す>のは―――壬生。
その想い故に。何かを乗り越えたような龍麻の瞳は今目の前に立つ桜と同じ眼差しをしている。

自分の意志でもって、自分を捨て去ることすら出来る・・・つよさ・・・

桜は満足げに微笑む。
自分と同じ事を考え、決意を秘める龍麻にやはり嬉しかった。
自分は確かに【龍麻】と同じなのだと、最後にその証を・・・見た気がした。

「・・・ねぇ・・・後は・・・頼んだわよ?」
―――壬生君を・・・
「・・・・・・・・・、・・言われるまでもないな。」
言葉に出さなくても、お互いの想いは何故か通じ合っていた。

桜は一つ頷くとそっと龍麻に手を差し出した。その華奢で白い掌に小さな光る珠がある。
ふわりとそれは浮かび上がると、応えるように手を差し出した龍麻の方へと移動した。
そのままその光は龍麻の掌の中に吸い込まれるようにして消えた。

「じゃぁね。」
にこやかに微笑んだ桜はそのまま龍麻の掌を掴んでぐいと自分の方へと引き寄せた。

躯がぶつかる―――

その瞬間、龍麻に触れた処から桜の躯が一瞬光るとふわりと消えていく。
驚きながらも龍麻は桜に引かれて前のめりになる自分の躯を急に止めることも出来ず、そのまま・・・まるで桜の躯を通り抜けるような格好になった。
慌てて後を振り返ってもすでに桜の姿は何処にもなかった。
「・・・桜・・・」

ひらひら
ひらひらひら

ひらり、ひらり

ただ静かに櫻の花弁がまるで桜の涙のように零れ落ち続けていた。
「お前は俺で、俺はお前・・・そう、だよな?」
龍麻は幾ばくかの寂しさをかみ締めつつ、そう呟いてそうっと上を見上げた。
初めてみる上は・・・澄み切った青空が広がっていた。

―――ポツリ。

意図しない涙が。
一滴零れて消えた。

龍麻の躯がふぅっと淡く光り輝き始める。
そして櫻の花弁舞い散るこの世界に溶け込むかのように淡く消えていった。