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『櫻回廊 13 〜邂逅〜』

ひらひら、ひらひら

ひらひら、ひらひら

薄紅色の花弁が舞う。
美しく咲き乱れる櫻の華。狂おしい程の櫻の乱舞。

ひらひら、ひらひら

櫻の霞の向こう側でふわりと佇むのは―――

「桜!」
思わず叫んで壬生は彼女へと走り寄る。
間違うはずもない。アレは彼女。龍麻ではない。
一番最初に壬生の心を奪い縛り付けた愛しい人。
いつもなら動かない体が何故か動く。
走り寄って、初めて・・・その腕に抱き寄せる・・・

「壬生君・・・」
「桜・・・やっと・・・やっと君に逢えた。」
「ごめんね・・・壬生君をいっぱい・・・いっぱい苦しめちゃったね・・・」
泣きそうな顔をする桜を壬生は見つめて静かに頭を振った。
「やっと逢えた。だから・・・笑ってほしい。」
「・・・ふふ・・・そうね。」
桜は少しだけ・・・笑った。
「約束通りに・・・・・・ずっと一緒だ・・・」
少し目を見張るようにして桜は壬生の顔を見上げた。
もう一度、出逢えたならば。又逢えたならば・・・あの時の約束―――
桜は嬉しそうに頬を染めて。櫻色に染まる・・・
「ありがとう・・・でも・・・それは私じゃない・・・・・・でしょう?」
でも、何処か哀しげに。
「桜?」
「貴方と・・・先に再会したのは・・・私じゃない、私。・・・・・・嫌い?」
龍麻のことが嫌い?そう問いかける。
「そんなことはない。でも・・・」
クスクスクス・・・
「私のことを気にしてるの?大丈夫。私は何時だって貴方の中に。そして【龍麻】の中にいるんだもの。たとえ躯が違っていても、記憶が無くても【龍麻】は私だもの。」
少し目を細めた壬生は・・・緩く・・・かぶりを振った・・・
「でも、君じゃない。僕が・・・好きになったのは君だ。」
そのハッキリとした迷いのない言葉が。
桜の心を包み込んで。だから、嬉しくて、幸せで。桜はうっすらと涙を浮かべた。
「―――君・・・なんだよ・・・」
そっと、自分の腕の中にある愛しい存在をもう二度と離さないと言う風にきつく抱きしめた。
同じように自分の背中に桜の手が回されて。抱きしめ返されて。
壬生は抑えきれないように桜の唇に自分のそれを重ね合わせる。
初めての・・・桜とのキス。
軽く触れて。何度も触れて。味わうように軽く舌先で嘗めたり、下唇を軽く噛んでみたり。角度を変えるように何度も何度も・・・
次第に深くなるキスに・・・頭の中が真っ白になる。
感じるのは・・・桜の存在。

それだけ―――

堪えきれないようにうっすらと開いた桜の口内に舌をするりと差し入れて壬生は舌を絡め取るようにして吸い上げる。
目を閉じて。
感じるのは

桜の唇
桜の吐息
桜の・・・

・・・・・・

喜びと悦びに溺れそうな中で。
壬生はふと違和感を感じて。
一度唇を離した。

目の前にあるのは無防備に目を閉じる桜。
上気した頬に、うっすらと見開かれる瞳は欲に濡れたかのように壬生を誘う。

・・・・・・さ・く・ら・・・・・・?

再びその違和感を振り払うように荒々しく口づける。
乱れた二人の息が更に煽るように・・・耳を犯す。

・・・・・・でも・・・・・・

「壬生君?」
キスを止めて・・・じぃっと桜の顔を見ながら微動だにしない壬生に桜は首を傾げるようにして問いかける。
その眼差しは・・・全てを知り、悟っているかのように優しく壬生を包み込む。
「・・・・・・」
「分かる?」
「・・・そんな筈はない・・・」
壬生の力無く弱々しい声に桜は目を細めるように微笑むと壬生を柔らかく抱きしめた。
「それで・・・いいのよ。だって・・・私は龍麻なんだもの。ただ・・・記憶をなくして壬生君とのことを覚えていないだけ。そりゃ、躯も・・・変わっちゃったけど・・・」
再び壬生は首を振った。ただ桜の最後の言葉に反応したそれは弱々しい物ではなくハッキリとしたものであった。
「躯なんて・・・関係ないよ。君が【君】であるならば・・・」
「なら・・・全然問題ないじゃない?」
至極当然と言うように桜は明るく言い放つ。
まるで全ての哀しみや苦しみ。辛さ等を吹き飛ばすように。そんなもの最初から有りはしないのだという風に。
三度壬生は首を振った。弱々しく―――
「問題あるよ・・・」
「ないわ。だって・・・壬生君、躯は関係ないと言ってくれるんでしょう?そして、私の中に【龍麻】を感じたんでしょう?」
不思議そうに首を傾げる桜に壬生は顔を顰めた。
「君と龍麻は・・・違う・・・」
「違わないわ。だって同じ一人の人間なんだもの。一つの魂だもの。今こうしている私は【龍麻】でもあるわ。」
「・・・・・・・でも、君は桜だ・・・」
壬生は頑固なほどに桜と龍麻に固執する。
「君と龍麻の氣は・・・違う。確かに似ているけど・・・殆ど一緒だけれど。でも、別だ。僕には君たちは別人としか認識できない。」
「氣?・・・それを気にしていたの?確かに【桜】と【龍麻】の氣は違うわ。それは質が変化したから、仕方のないこと。今まで菩薩眼としての氣しか持っていなかった私が黄龍の器としての氣を持つようになったから。だから微妙に変化した。でも、大したことじゃないわ?」
桜にあっさりと言われて、壬生は瞠目した。
今まで【桜】と【龍麻】を区別させていた氣の違い。それは黄龍の器として新しく増えた属性・・・とても言うのか。それだけの違い。それ以外に・・・違うことなど何もないのだと・・・言われて驚いた。
それと同時に、妙に納得してしまえる自分に笑えた。
【桜】の言葉だからこそ多分自分は信じることが出来る。きっと自分では考えもつかないし、気付いたとしてもそれを認められず否定し続けただろう。【桜】の存在にこだわる余りに・・・

桜は言葉もなく自分を見つめてくる壬生ににっこりと微笑む。
「【桜】は【龍麻】。【龍麻】は【桜】。別に私たちは別の人格とか魂とかじゃない。ただ・・・記憶を失っただけ。昔の幼なじみに十年ぶりに会った時に大分変わってしまっても、それでも友人は友人。その人自身は確かに変わったかも知れないけれど、おなじ人間。決して別な人間じゃない。それと一緒。ただ・・・私の記憶がないだけ。そして成長して新しい部分が増えたように、黄龍の器としての新しい壬生君の知らない部分が出来ただけ。その今現在の【桜】が【龍麻】なの。」
壬生は一度苦々しいほどの笑みを浮かべて眼を閉じた後、再び眼を開くとふわりと微笑んだ。
その顔は酷く爽やかにスッキリとしている。
「今まで・・・たとえどんなに同じ人間だと言っても氣が違うからどうしても・・・別の人間として認識することしかできなかった。僕の知らない黄龍の器としての部分が・・・僕の知っている【桜】の範疇から飛び出していたから。だから、【龍麻】を【桜】と思うことが出来なかったんだ。・・・そうか。僕の知っている【桜】に黄龍の器としての新しいものを抱えたのが【龍麻】か。」
同じように桜も壬生の目を見て嬉しそうにいう。
「わかった?私は過去の残滓みたいな物。私の人生の中で、貴方と出会った<あの時>の私。その後の成長も進歩も何もない・・・ただ、貴方を想う・・・その想念・・・とでも言うべき物かな?忘れたくなくて。覚えていたくて。残った。そりゃ、【私】が消えるのは嫌だった。寂しかったし辛かったし哀しかった。でもね。それでも私なの。決して別人と言う訳じゃない。ねぇ・・・壬生君。私ごと・・・龍麻を受け入れて・・・【私】の全てを受け入れてくれる?」
壬生は少しだけ寂しげに首を傾げる桜を抱きしめる。
その首筋に顔を埋めて。愛しい人を確かめるように・・・。

感じるのは
桜と龍麻
双方。

だから、桜の耳元で囁く。

「君が君である限り・・・君を愛してる・・・・・・」

それは桜も龍麻も全てを内包した・・・自分が愛する人への言葉。全てを受け入れて・・・
ふと視線を交わして。お互いの瞳を見つめ合う。
にっこりと・・・本当に嬉しそうに微笑む桜に壬生は軽く触れるだけのキスをする。

ひらひら、ひらひら

ひらり

薄紅色の櫻の欠片が舞い落ちる。
二人の姿を包むように、掻き消すように。

「もう・・・此処には来れないだろうな・・・・・・」
「多分・・・」
はらり、はらりと零れ落ちる桜の花弁を見つめる。
何処までも続く櫻の舞い散る世界。閉じられた・・・出口の見えないこの世界。今、櫻の花弁の向こう側に扉が出来た。きっと・・・一度くぐれば二度とその扉を見つけることは出来ないだろう。
桜を抱きしめる腕に力を込める。
「君にも・・・逢えない」
「逢えないけど・・・いつでも一緒に居る・・・でしょう?」
悪戯っぽく目を細める桜に下から見上げられて苦笑する。
「確かに君に逢える。でも・・・昔の桜には・・・逢えないね・・・」
「寂しい?」
クスリと桜が微笑む。
「そうだね。もう、想い出の中でしか【君】に逢えないからね。でも・・・哀しくはないよ。」
「私もね。哀しくないの。貴方の中で、私は私として。そして龍麻として。両方の意味でしっかりと覚えていて貰えるから。だから、辛くはないの。」
「何時までも・・・少女であった頃の君を忘れたりしない。」
「ありがとう。」

二人惹かれ合うように・・・キスをする。抱きしめていた桜の躯をそっと押し倒すようにして上に覆い被さる。
何度も何度も啄むようなキスを繰り返して。
「君の全てを・・・覚えていたい・・・」
「壬生・・・君・・・・・・」
「紅葉・・・・だよ、桜・・・」
「・・・っ、・・・」
桜が何かを言おうとしたその言葉を奪うように壬生はキスをして。「紅葉」と言う音は壬生の口の中で溶けて消えた。
ハラハラと・・・二人の上に舞い落ちる欠片。
桜の艶やかに広がる黒髪の上に。壬生の髪に、背中に。

ひら、ひら
ひらり

はらはら、はらはらと
降り積もる。

櫻の花弁舞い散る中で触れた桜。最初で最後の・・・一期一会。
決して忘れない。

「君を、忘れない―――」

ひらひら
ひらひら

世界が薄紅色に染まる・・・