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『櫻回廊 12 〜贖罪〜』

―――帰らなければ・・・

―――帰らなければ・・・

―――きっと・・・

暗闇の中寂しげに瞳を揺らして立っている龍麻の姿が見える。上から降り注ぐ淡い櫻色の欠片は・・・彼の姿を覆い隠そうとするかのようで・・・
必死に腕を前に伸ばすのに。
必死に足を前へ進めるのに。

届かない―――

己のような罪を犯した罪人が・・・彼に触れるなど許されないのだろう。
だから・・・

それでも。
たとえ彼に許しを請う資格すらなくても。謝罪する資格すらなくても。この身を引き裂いてでも。
彼に謝らなければならない。
赦して貰おう何て思わない。

「龍麻・・・」

壬生は一人暗闇の中ひっそりと月を見上げて重い足を進める。
壬生のいなくなったソコには血溜まりにその身を染め上げた一人の男の姿があった。もう二度と動くことのない・・・かつて「ヒト」であったそれは・・・その手に暗闇でも白く光るサバイバルナイフを握りしめていた。
そのナイフは・・・紅く染まって月光を鈍く反射していた。

―・◆・―

ガチャリ・・・・・・

静かな家の中に小さな扉の開いた音が響く。
龍麻はハッとなって音のした方をとっさに振り向いた。
ソコに立っていたのは暗闇を背負ったかのように気配を押し殺した壬生の姿。
まるで手追いの獣・・・
煌々とした照明の下で眩しそうに。自分の居場所がないとでも言うように。落ち着かなく視線を彷徨わせた後、龍麻を真っ直ぐに見つめた。

「壬生・・・」
傷を持ったその眼差しに。
それが自分のセイだと思えば余計に胸が苦しい・・・

そんなに苦しまないで。
壬生のセイではないのだから。壬生に甘えてきた自分が悪いのだから。
そう言って抱きしめたいと思えるほど。
―――弱々しく見えた―――

「済まない・・・遅くなった・・ね・・・・・・」
「そんなことは・・・それより怪我とか大丈夫?」
「・・・ああ。」
壬生が苦しげにその目を伏せて静かに部屋の中央へ向かうとソファーに腰を降ろした。
「君は・・・本当に・・・・・・お人好しだね・・・・・・」
こんな僕の心配をしてくれるんだね・・・
そう自嘲的に薄い笑みを浮かべる壬生を見ながら龍麻は同じように向かいに座った。
「そんなこと無い。俺も・・・随分と自分勝手な人間だ・・・」
壬生が苦しんでいたことも気づかず、傷つけた。
「違う。自分勝手で・・・愚かなのは僕の方だ。」
膝の上に肘を立てるようにして手を組んだ壬生はその上に顎を乗せるようにして前屈みになった。
「自分勝手な想いを君に押しつけて。それを求めた。あげくに何も知らない君を傷つけて・・・赦して欲しいとは言わない。でも・・・」
そこで一旦言葉を句切った壬生は龍麻の目を見つめてくる。真っ直ぐな・・・瞳。
「謝らせて欲しい・・・済まなかった・・・・・・」
魂の奥底から吐き出されるようなその言葉に。
龍麻はただ首を振ることしかできなくて。そんな自分が不甲斐なく感じて涙が零れた。
いくら許すと言っても。許す許さないも無いのだと言っても。きっと壬生はそれを受け入れてはくれない。
そして自分には壬生をその【罪】から開放させてやる事の出来る言葉も勇気も持っていない。

愚か者で、卑怯者だ―――

心の中で小さく呟かれたのは。
これできっと壬生は一生自分の事を忘れない。
一生【罪】に縛られて苦しむのが分かっていながら・・・だからこそ。壬生が【罪】に苦しむ姿こそ・・・自分と壬生を繋ぐ唯一の絆の様に思えて。
自分は壬生の【罪】などと思っても居ない癖に。それを否定できない。
否定する、壬生を手放す・・・強さも無ければその気すらない。

そんな自分がどうしようもなく嫌で。でもそれは正直な気持ち。
彼が欲しい―――
それが・・・全て・・・

「去年の春。副館長の命令で館長に書類を渡しに・・・出かけて君に・・・いや、桜に・・・逢った。何故か惹かれた。でも自分は・・・所詮人殺しに過ぎない。だから・・・彼女の幸せを願いながら別れた。何もなく。」
「・・・壬生・・・」
徐に語り始めた壬生は再び視線を落として手の上に顎を載せるようにした。
「彼女は・・・逃げるのは嫌だから、戦うのだと言っていた。彼女が強い意志を持って・・・それを決めているのを知った。だからこそ・・・彼女の戦いがうまくいくように。そして幸せであるようにと願った。だが・・・それは叶うはずの無かった願い。」
淡々と・・・・・・呟くように感情の無い声が静かな部屋の中に響く。
それは・・・壬生の懺悔。
神の前に己の全てを曝すように。龍麻にその全てを・・・吐露する。
だからこそ龍麻は黙ってそれを聞き続ける。
「再会した時。龍麻が彼女だと・・・すぐに分かった。そして館長から全てを・・・聞いた。桜が・・・覚悟して【今】を選択したのだと・・・言うことを。」
「・・・・・・」
「自分に出来ることは・・・君を見守ることだけだと・・・思っていた。【龍麻】は蓬莱寺を・・・好きだったのだろう?」
「・・・知って、いたんだ??」
「君を・・・何時も見ていたからね。」
驚く龍麻に壬生は薄く笑って見せた。
「でも・・・君は少しずつ変わり始めた。まるで・・・桜の様に・・・変わっていった。龍麻が選んだのは蓬莱寺。僕じゃない。分かっているのに・・・自分は既に桜を失っている。自分から手を離した。たとえそうでなくてももう君は既に僕の【桜】ではないのに。それが分かっているのに・・・君を。桜の影を・・・求めた・・・・・・だから、距離を置こうとして失敗した。昨日は・・・君の、言葉が許せなくて。桜の全てを掛けた決断を否定された気がして。・・・怒りにまかせて君を抱いた。」
「壬生・・・」
「僕は桜を愛していた。そう、どうしようもないほどに。だから・・・君の後ろに桜を見ながら・・・怒りを利用して君を抱いたんだ。怒っているから・・・と言う愚かしい理由を付けて。【桜】を・・・抱いたんだ・・・・・・最低、だな。・・・済まない・・・」
そう言って壬生は深く頭を垂れた後、自嘲的な笑みを浮かべながらやっと龍麻の方を見た。
「・・・・・・」
壬生の口から身代わりに抱いたと言われて当然ショックで。でも・・・そうではないかと考えていたから。思っていたから。だから、覚悟は出来ていた。
当然身代わりでは嫌だと思うほどに、壬生が好きだった。
それでも構わないと思ってしまえる程に、壬生が好きだった。
ただ。そんな自分の覚悟を上手く伝えられる筈もなく、ただ一生懸命首を振ることしかできない。
本当の自分の気持ちは違うのだと、伝えたいことがあるんだと、つげようとして、先程からあまり動かず、青ざめたような壬生の様子がおかしい事に気付いて、首を少しだけ傾げる。今まではきっと抱え込んだ罪の意識から・・・だと思っていたのだが、その浅く乱れた呼吸は・・・?
「壬生?」
名前を呼ばれて、虚ろに眼差しを向けてきた壬生が儚げに微笑んだ。
「君に・・・謝れて・・・良かった・・・・・・」
「み、壬生ッ!!」
「・・・・・・」
そのままうっとりと眠るように静かにまぶたを閉じた壬生はなんの反応も見せない。
ソファーに体重を預けたまま微動だにしない壬生にすうっと血の気が下がる。
とっさに壬生に近づいて呼吸を確かめる。
弱々しいでも乱れた吐息が微かに触れる。

まさかっ・・・

そう思って服を脱がせようとして・・・目を見開いた。内に着た黒いハイネックの服がポタリと滴がしたたり落ちそうな程濡れている。震える指でそっとそれに触れて。その指先が深紅に濡れる・・・・・・
「な、何で!!この・・馬鹿ッッッッ!!!」

―・◆・―

治療を施す間。何度か壬生は意識を浮上させては曖昧に言葉を投げかけてくる。
「これで・・・いい。全てが・・・終わ・・れる」
「桜・・・君、は・・・怒る・・・・・・かい・・」

ふざけるなっ!!

そう思った。壬生をこんな事で喪いたくはなかった。何よりも・・・このままでは壬生を桜にとられる気がした。
桜は自分であるけれど。でも、違う。
壬生にとって・・・桜は桜で、龍麻は龍麻なのだ。

「桜・・・すま、ない・・・」

出血のせいで白くなった手が微かに宙に伸ばされる。

謝るなよ!

嫌なのに。その頼りなく差し出された手を強く握り返した。
戻ってきてよ。行くなよ!
桜じゃなく俺を・・・見て!!!!

「・・・龍麻・・・?泣か、ないで・・・・・・笑って・・る方が・・似合う、よ・・・」

確かに龍麻を見て壬生はそう言った。
桜への言葉じゃない。
嬉しくて・・・涙が出て。でも、哀しくて。
ぐちゃぐちゃになった顔で・・・笑った。

「・・・う、ん・・・笑う・・から。だから・・・俺の泣き顔じゃなくて。笑ってる顔を見て。」

行かないで・・・

そっと想いを込めて意識の混濁した壬生に口づける。
触れた唇は熱を持っていて熱い・・・

「壬生・・・」
「龍、麻・・・君が・・・望・・むなら・・・・・・」

柔らかく瞳が見つめてくるから。
確かに【桜】ではなく【龍麻】をみて微笑んでくれるから。嬉しくて。手を握りしめて・・・何度もキスを落とした。

お願いだから・・・生きて・・・側にいて―――

「桜を・・・想っていてもいいから。見ててもいいから!だからっ行かないでっっ!」

壬生は何も応えずにそっと目を閉じて再び意識を失った。
静かな部屋の中。
一人壬生に自分の氣を送り込みながら・・・治療しながら・・・願う。

たとえどんなに卑怯だと言われても。どんなに愚かだと嗤われても。
壬生が欲しい。
そのためならば・・・

「壬生・・・愛して・・る・・・」

大分呼吸の落ち着いてきた壬生にそっと・・・触れるだけのキスをして。
囁いた。
「愛してるよ。」
何度も何度も。教え込むように。元から真実はそれ一つだけのように。
囁き続ける。

「―――愛してる―――」