『櫻回廊 11 〜知暁〜』
ふと目が覚めると辺りはカーテン越しの太陽の陽射しで少し暗くはあるモノの明るかった。
周囲を見渡して、ソコが見慣れた自室でないことに気付くとハッとなって龍麻は自分の寝ていたベッドを見た。
自分からベッドに入った記憶など無い。
ならば・・・。
なのに、他に誰もいない・・・
隣りに人の眠っていたそんな形跡もない。そもそもシングルベッドであり、二人など無理なことではあるのだが・・・
壬生が・・・いない―――
起きあがって上半身を支えていた手でシーツをキュッと握りしめた。
涙が出そうになって俯いた龍麻は自分がやはり見たこともないシャツを着ているのに気付いた。
胸元を自分で引っ張って。
確認する。
自分のじゃない・・・
ポトリと・・・堪えきれなかった涙が一粒だけ零れ落ちてシャツに染みを作る。
「・・・っぅ・・・・・・」
シャツを持ち上げたセイで・・・ふわりと自分の躯を包み込んだのは・・・壬生の匂い。
此処にはいない・・・彼の・・・匂い。
切なくなってそのままベッドに倒れ込みぎゅっと布団を握りしめる。更に強くハッキリとなった壬生の匂いに抱かれて・・・龍麻は昨夜のことを・・・思い出した。
彼の髪。
彼の指。
彼の唇。
彼の肌。
彼の・・・
躯が一瞬にして熱くなって慌てて頭を振った。
それでも尚・・・
彼の吐息。
彼の視線。
彼の言葉。
彼の表情。
彼の・・・
勝手に頭に溢れる想いは尽きることなく全てを思い出させて。
でも。
なんでこんなに胸が痛いのだろう。
悲鳴を・・・上げ続けている。
龍麻は未だに混乱したまま布団に潜り込んで考え込んでいた。取りあえず最初から順を追って思い出そうと試みる。
自分は・・・ただ今の己の躯のことを話していたはずだ。話して・・・それで想いを・・・告げようと思っていた。
でも?
『お前は・・・人間じゃないって!!!化け物なんだって!!そう言えばいい!!!!』
自分が壬生に投げかけた言葉。あの後?
壬生が大きく目を見開いた後、酷く・・・冷めた眼差しで見つめられた。今まで一度としてあんな目で見られたことはなかった。初めて会った・・・あの時でさえ・・・何処か優しい瞳を・・・感じたのに。
冷たく残酷なほどの視線。
あれは?
―――ニクシミ?
でもどうして?
壬生が自分に向けて放ったその眼差しが脳裏に焼き付いて離れない。
理由が分からなくて龍麻は一生懸命考える。
もう二度と。あんな目を向けられるのは、耐えられないから。嫌だから。
だからこそ。
理由が知りたい・・・
『僕が?僕が君をなんだって?嫌い?・・・はは・・・僕が君を嫌えるわけがない。嫌える位ならっ!』
何故あれ程までに動揺していたのに壬生の一言一言を覚えているのだろう。まるで大切な宝物のように。壬生の言葉を・・・覚えている。多分それは他の誰でもない壬生の言葉だから・・・
そしてもし・・・自分の聞き間違いや覚え間違いでなければ―――
壬生は俺のことを嫌っているわけではない?
いっそのこと嫌えたら。憎めたら。そう吐き出されるような壬生の声が龍麻をせめる。
どうして壬生はそんなに苦しんでいるんだ?
たとえ。あんな目に遭わされても。やっぱり龍麻は壬生が好きだった。逆に触れられた肌が・・・切ない・・・
『僕は知っていたよ。』
『君が女だったことも。両性具有も・・・何もかも・・・』
それは行為の間に零された壬生の言葉。
知っていた。知っていて、壬生は普通に接してくれていた。優しい眼差しで自分を今まで見てくれていた。
そう。思い返せば何時だって優しい光を隠した様な壬生の視線を・・・自分は知っていた。
なのに。あの時壬生に投げつけた言葉。
怒って当然か・・・そう、自嘲的な笑みを浮かべた。
『君が化け物?人間じゃない?良くそんなことをっっ!!!』
『君は君だ・・・どんなにしても彼女が戻らないように・・・君は普通の人間でしかあり得ないっっ!それ以外など・・・』
壬生は・・・怒ってくれた。そんなことを言うんじゃないと。
でも?
彼女??それは・・・だれ?
―――それは・・・かつての【女】だった・・・俺?怒ったのは彼女のため?
余りにも暗く冷たい闇が心の中にずっしりと横たわったまま・・・消すことが出来ない。
そのまま心全てが冷たい闇の中に引きずり込まれそうで・・・龍麻は自分の躯を抱きしめた。
暖めるように。
堕ちないように。
どうして俺を抱いた?
何故?
怒りなら。憎しみなら。方法は他にいくらでもあるのに。
なぜ?
『知っていた。そして・・・愛していた・・・彼女を・・・』
薄れ掛けた意識の中で、最後に聞いた壬生の泣くような声。
胸が・・・痛い・・・
愛して・・・いた?・・・・・・彼女を?
―――じゃぁ。自分を抱いたのは・・・それは・・・・・・・・・身代わり・・・・・・?
もどかしくて。痛みを増し続ける胸は哀しみに塗りつぶされて。大声を上げてしまいたい。
哀しげな壬生の貌。絶望に塗り固められたような壬生の瞳。掠れて扇情的な声。
―――アイシテイタ カノジョヲ―――
止めろ・・・
―――アイシテイタ カノジョヲ―――
もう、言うな!
―――アイシテイタ カノジョヲ―――
これ以上自分でない【彼女】の為にそんな風にっ!
―――アイシテイタ カノジョヲ―――
壬生!!
―――アイシテイタ カノジョヲ―――
俺だって・・・愛してるのに・・・壬生だけを・・・
―――アイシテイタ カノジョヲ―――
壬生は俺を憎んでる?
―――アイシテイタ カノジョヲ―――
【彼女】を・・・俺が奪ったから?
壬生の声がぴたりと止まる。それはまるでその通りだよ、と言われたような気がして。
「・・ぐっっ・・・」
嗚咽を堪えてグッと唇をかみ締める。ジクリと滲んだ赤い血が・・・口の中で苦く広がる。
覚えていない過去の自分。
もう一人の【自分】は壬生と出会っていたのだ。そして・・・壬生はもう一人の【私】を・・・愛した。愛している。
だから憎んでいる?
彼女を奪った俺を?彼女を消して存在する俺を?
でも、彼女自身が“こうなることを知っていて選んだ”それを知っているから。だからその結果である【俺】を憎めずに?【龍麻】を否定できなくて?
壬生を苦しめているのは・・・【龍麻】の存在そのもの―――
クラリと・・・目の前が真っ暗になる。ベッドの上に寝ているというのにぐらぐらと躯が揺れて上下の感覚が喪われる。
どうして良いのかも分からず・・・闇の中に飲み込まれるようにして龍麻の意識は闇の中へと沈み込んでいった。
―・◆・―
再び目が覚めた時、周囲は大分暗くなっていた。側に置いてあって小さくかちかちと秒針の音をさせている時計は夕方7時を表示していた。
「・・・俺?」
腫れぼったく感じる目を擦りながら上体を起こして周囲を見回す。昼間と同じ。何一つ変わりのない部屋。誰もいない・・・部屋。
此処は壬生の部屋だというのに。主はどうしたというのか。
やっと・・・落ち着いたわけでは無いが壬生が何処へ行ったのかということに頭が回り、龍麻は壬生の姿を探してふらりとベッドから抜け出した。
動いた拍子に躯の中心が鈍く痛んで龍麻は貌を顰めた。一日休んでいたせいかそれ程痛くはない。だが・・・それこそが証。
夕べの出来事が夢でないことの。
夕べ語った壬生の言葉が現実であることの。
そうして色々とやっと気付く。
自分が着ている服。きっと壬生が着せたに違いない。そして躯も・・・清められている。
壬生が・・・やってくれたのだろう。そんなことを考えて赤面する。
頭を振って部屋を出るとあちらこちらの電気のスイッチを入れながら壬生の姿を探し続ける。結局・・・何処にも見つけることが出来ずに・・・龍麻は項垂れるようにして先程まで眠っていた部屋へと戻ってきた。
初めて・・・その部屋の照明のスイッチを入れて。ベッドの端に腰掛ける。
「・・・・・・壬生・・・」
帰ってこない壬生を思って龍麻はポツリと呟いた。
「俺はお前に・・・どうすれば良いんだろうな。」
未だにこの部屋を出ることも出来ずに龍麻は自嘲的な笑みを浮かべた。
それでも。例え壬生にどう思われていても、自分は壬生が好きで。
どうしようもなくて。
なかなか、部屋を出ることが出来ない・・・
龍麻はカーテンの掛かった窓の外を見ようとしてふと・・・頭横にあるサイドテーブルの上に置いてあったメモを見つけた。
それは壬生からの・・・メッセージ。
「壬生・・・」
書かれていたのは。
『仕事があるので出かけるが、必ず・・・戻ってくるから・・・・・・待っていて欲しい』
ふと。少しだけ心が軽くなる。
置いて行かれたと思っていたから。
もう自分がいる限り帰ってこないと思っていたから。
二度と逢えないと・・・思っていたから。
―――自分は此処で。壬生を待っていても良いんだと。
白く小さなメモを愛おしげにそっと見つめた。
聞きたいことが沢山ある。壬生の気持ち。壬生の願い。
ずっと・・・後ろ向きな考えをしていた龍麻はメモを片手に顔を上げた。
知りたいのは。
聞かなければならないのは。
本当の壬生の想い・・・
言いたいことが沢山ある。自分の気持ち。自分の願い。
ずっと・・・言えずに、壬生に甘え続けていた自分を振りきるように顔を上げる。
言いたかったのは。
伝えなければならないのは。
本当の【自分】の想い・・・
仕事・・・と言うなら遅くなるかもしない。龍麻は取りあえず壬生の帰りを待つことに決めた。
カーテンを開けて窓の外を見る。
暗くなった夜空は曇っているのか星一つ見えない。月のない暗い夜が・・・ただ静かに広がっていた。
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