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『櫻回廊 9 〜予兆〜』

龍麻は壬生のマンションの扉の前で佇んでいた。
どうしてもチャイムを鳴らすことが出来ずに・・・

どれ程の間そうしていたのだろう。春とは言え夜も遅くなってくれば風も冷たくなってくる。冷え切った躯を自分自身で抱き締めながらも龍麻はソコを立ち去ることも、そしてチャイムを押すことも出来ずにいた。

京一と約束したから。
先日中国へと旅立っていった親友。今でも大好きで大切な相棒。だから・・・逃げるなんて事出来なくて。

でも、怖いから。
自分自身の中途半端で情けない躯を思えば、壬生に想いを告げるなんてそんな資格がないような気がして。変な目で見られるのが・・・嫌で。

後ろにも前にも動けずにひたすら龍麻は立ちつくした。
風が吹いて龍麻の大分長くなった髪を揺らす。
「情け・・・ない・・・よな。」
ぽつりと呟いて龍麻は自嘲的な笑みを浮かべた。

カツン・・・

小さな音が後方で響いて、とっさに振り向けば・・・驚いた表情の壬生が居た。
「・・・・・・・・・・・・・・・龍・・麻・・・どうしてここに?いや、そんなことよりいつからここに居たんだい?」
長い沈黙の後、いつも通りの冷静な表情に戻った壬生は龍麻の方に近寄りながら鍵を取り出して扉を開けると龍麻に視線で中にはいるように促した。
「・・・壬生・・・出かけて・・たんだ。ごめん。帰るよ。」
「龍麻。」
はっきりと名前を呼ばれて・・・龍麻はきびすを返そうとしていた動きを止めた。
「や、やっぱりいいよ。また・・・今度来るから。」
震えそうになる声を必死に堪えて龍麻は壬生の方を見ることも出来ずにそれだけを告げた。
久しぶりに―と言っても一週間ほどしか経っていないのだが―逢う壬生。

逢いたかった。
顔を見たかった。
声を聞きたかった。
彼の氣を身近に感じて・・・その冷たくて優しい彼独特の気配に・・・包まれたくて。
―――今側に居る。
それだけで嬉しくて・・・
滲む涙に龍麻は顔を上げることもできない。

もっと・・・顔も見たいのになぁ・・・

「龍麻、駄目だよ。さぁ・・・」
その優しい声に何とか顔を上げて壬生の方を見れば、少し心配そうな彼の眼差しが向けられていた。

胸が・・・痛い―――

「でも・・・」
「いいから、入って。」
有無を言わせない壬生の目が龍麻に命じる。

逆らえない・・・

元々もっと側にいたかった。一緒にいたかった。帰りたくなかった。
「うん・・・・・・」
断り切れる筈もなく、龍麻は中へと入った。

―・◆・―

玄関の前で人影を見つけて・・・ソレが龍麻だと気がついて一瞬息が止まった。
僅かな外灯の光に浮かび上がった彼は・・・儚げで・・・どこか壬生の心を刺激した。
様子の少しおかしい龍麻を・・・流石に追い返すわけには行かなくて。危険だと思いつつも・・・家の中へと彼を誘った。

触れることだけは・・・決して出来なかったけれど・・・

ソファーの所で落ち尽きなく座っている龍麻に声を掛ける。
「龍麻、何か飲むかい?コーヒーに紅茶に・・・烏龍茶ならあるけど?」
「あ、ありがとう。じゃぁ、烏龍茶・・・貰えるかな。」
「わかったよ。」

烏龍茶を二つのグラスに入れて持っていく。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう。」
龍麻の前に差し出せば龍麻がぺこりと頭を下げた。

「ソレで今日はどうしたの?」
「えっ?きょ、今日は・・・その・・・・・・」
モゴモゴと口ごもって下を向いてしまった龍麻に壬生はチラリと視線を投げた後、目を細めた。
酷く・・・苛ついていた。何でだろう。何故苛つくんだろう。
「俺・・・。俺、さ。変・・・なんだ。」
何かを決心したのだろうか。ぐっと一度唇を噛み締めた後、龍麻はその顔を真っ直ぐに壬生に向けた。その迷いのない漆黒の瞳が壬生の心を揺さぶってさらに壬生は焦りにも似た自分の気持ちを持てあましていた。
「俺・・・元々女・・・だったんだ。」
「ああ・・・・・・らしい、ね・・・・・・」
龍麻の言葉に壬生は目を伏せて、グラスを取ると琥珀色に揺れる烏龍茶を一口含んだ。
龍麻から・・・その話題に触れてくるとは・・・思っていなかった。
それでも・・・無性に腹立たしく感じた。

知っていたよ。
そんなこと。
知っていたよ。
彼女を。
―――愛して、いたよ・・・

今更言われたくない・・・そんな気がした。
そんな壬生の素っ気ない言葉に・・・龍麻は瞳を大きく見開いた。
「壬生?・・・もしかして・・・知ってる?・・・・・・・・・鳴・・瀧さん?」
「・・・・・・」
答えないことで肯定の意味を伝えていた。壬生はただゆらりゆらりとグラスを揺らして、時折光の加減で黄金色に輝く液体を見つめていた。

苛つく・・・

「じゃぁ・・・もしかして・・・俺の、からだ・・・の事も知ってる・・のか?」
「・・・・・・躯?」
意味が分からなくて壬生はチラリとだけ龍麻の方に視線を流した。
どこか哀しげに瞳を曇らせる龍麻の姿を目にしてとっさに視線を外した。
ザワリと自分の中で何かが生まれる。

苛つく・・・

「・・・そ・・う・・・・・・・・・先日京一に言われたんだ。最近女っぽいって。でも・・・俺は男で。男なんだけど・・・お・・んな、でも・・・あって・・・・・・」
最後の方はかなり小さくなってしまった龍麻の声。だと言うのにどうしてこうもしっかりと聞くことが出来てしまうのだろう。壬生は・・・苦笑を浮かべてもう一口飲んだ。
「・・・ああ、聞いて・・・いるよ。」
「・・・そっか。知ってるんだ。・・・・・・なぁ、やっぱり変だよな。こんなの・・・気持ち・・・悪いよな・・・」
知っていると分かったからか、少しばかり口調がなめらかになった龍麻は壬生の方を真っ直ぐに見つめながら自嘲的な笑みを浮かべた。

苛つく

「別にそんなことはないけど。」
「本当に?」
「ああ。」
「ならどうしてさっきから俺の方を見ない?俺を見たくないんだろう??」
とても龍麻の声とは思えない程・・冷たい声。
感情を全く失ってしまったかのようなその声に驚いて壬生は龍麻の方をやっと向いた。

いけ・・・ない・・・・・・

ドクンと一瞬張り裂けるほどに心が・・・軋んだ。
龍麻がまるで感情を失ったかのように無表情になって。なのに、その瞳からは涙が零れ落ちていたから。
ぽたり、と零れ落ちた滴。
言葉なんか出るはずもなく・・・ただ必死に突き上げるような獰猛な衝動に耐えるだけ。

・・・駄目・・・だっっ!!

「気持ち悪いんだろう?嫌なんだろう??なら、そう言ってくれればいい!!」
「ちが・・・」
「お前は・・・人間じゃないって!!!化け物なんだって!!そう言えばいい!!!!」
激高した龍麻の言葉に・・・壬生の軋み続けていた心が弾けた。

カシャン!!!

壬生の持っていたグラスが落ちて砕けた。
中の琥珀色に輝く液体がフローリングの床にじわりと広がっていく。

砕けたのは・・・
―――壬生の心?

零れたのは・・・
―――壬生の涙?

広がっていくのは・・・
―――壬生の心が流した、血?

 

君は僕の心を知らない・・・

壬生は無言のまま龍麻の側に行ってぎゅっと彼の躯をソファーに強く押しつけた。
「み、壬生?」
唐突な壬生の変化に龍麻は狼狽えるばかりでどうすることも出来ずに壬生の下から揺れる眼差しで見上げた。
その瞳は涙にうっすらと濡れて・・・
「君は・・・」
そんな龍麻に壬生はもう抑えることなどできはしなかった。

―――罪を・・・犯す―――