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『櫻回廊 8 〜狭間〜』

シャワーを浴びながら鏡に映る自分の姿を龍麻は見つめた。

『そ。自分で鏡の前とかに立って・・・気付かないか?』

京一の言葉が蘇る。
最近・・・少しずつふくらみ始めた胸が気にはなっていた。でも、大したことはないし、服を着れば全く解らないから・・・気にも留めなかった。
だから・・・みんなに【女らしい】と思われているとは気づきもしなかった。
元々自分は女性体であったことは知っている。だから余計に違和感がなかったのかも知れない。
でも、今現在鏡に映るその体はあくまでも男のモノで、女ではない。

―――両性具有―――

鏡を前に龍麻は一人どうしようもなく恥ずかしい想いに視線を逸らした。今まで・・・気にもしなかった。どうとも思わなかった。それは黄龍の器としての戦いの中で仕方のないことだと・・・割り切れていた。
なのに、今全てが終わって。
その中途半端な自分の姿に涙が零れた。

「ふふ・・・京一の時には・・・気にもしなかったのにな。なんで・・・なんだろうなぁ・・・」

シャワーの音に掻き消されそうなほど小さな龍麻の声が漏れた。
無性に壬生のことを思うと自分の躯のことが恥ずかしくて居たたまれなかった。

何で女じゃないんだろう。
ううん。女だったのに。

それが自分の選択だった。

後悔はしていないけど。それでも鏡を前にして寂しくなる。もし、女のままだったら・・・自分と壬生は何か違っていただろうか?

もし・・・何て事を考えている自分に気付いて龍麻はため息を吐いた。
「もし」なんて今更考えてどうなるんだろう。「もし」なんて無いのだ。無いモノを考えたとて仕方のないこと。
前を見よう・・・
それでも・・・全てが終わった今・・・無性に<女>に戻りたい・・・そう思う気持ちが・・・何処かにあった。

きっと身体の変化は桜の想い。全てが終わって再び壬生と会いたいという・・・約束を果たしたいという最後の願い。その想いが・・・龍麻の躯に異変を引き起こした。
いくら両性具有とは言え、いったん男として覚醒したならば、後はそれが一生のベースとなる筈で、再び女性体に近づく・・・と言うことは無いはずだった。
それが今覆されようとしている。女性体が基本になりつつあるのだ。
そして、桜と同じように壬生を思う龍麻の<キモチ>が更に不安定にさせていた。

―――<女>で在れば側にいることが出来る。
その考えは女性体への促進剤として。

―――好きなのは俺。自分の選んだ道を後悔したくないから。俺は俺のままで壬生と共にいたい。
その想いが女性体への抑制剤として。

龍麻は自分の躯に起こっている事を知らない。ただ・・・自分の身体の変化に戸惑うばかりだった。

―・◆・―

壬生は窓の外を見ていた。空は晴れ渡り、多くの星が見える。
部屋の明かりを消して一人。まるで闇に溶け込むかのようにそっと・・・息を潜めて窓辺に座り込む。

「桜・・・」
心の奥底から絞り出すように呟いた言葉が静かな部屋に響く。
昼間の龍麻の様子が頭から離れることなく壬生の心を揺らし続ける・・・
櫻の花弁舞う真神学園で、まるで龍麻は桜のように見えた。
初めて龍麻の写真を見た時、似てはいてもキチンと<男>と判断出来た。それが・・・今日はまるで男装した<桜>にしか見えなかった。

今年に入って一度。手合わせをいつかしよう、と言っていた約束通り拳武館を訪ねてきてくれた龍麻を見た時にも思った。最近・・・桜に似てきている、と。
似てきている・・・と言うのはおかしいだろう。実際には元に戻り始めている・・・が正しいのだろうから。
それは表面的なモノであって、記憶などが戻っていると言うわけではない。
でも、壬生の心を動揺させるには十分すぎるモノであったから・・・
だから壬生は・・・今日がきっと中国へ行ってしまう龍麻と逢う最後だからと・・・会いに行った。逢えば辛いのが分かっていながら。足は自然と真神学園へと向かっていた。
龍麻の姿を見つけても。そう、後ろ姿だけでそれとすぐ分かる癖に。顔を見れずにずっと視線を逸らしていた。風に舞う櫻の花を見た。校庭を見た。神経全てが龍麻に向かっていながら、視線だけは・・・龍麻以外のモノを虚ろに見ていた。
だからこそ様子のおかしい龍麻に気づいて・・・つい、見てしまった。
龍麻を。その顔を。その眼差しを!!!

何に驚いたのか、その瞳は大きく見開かれて、哀しげに自分だけを真っ直ぐに射抜く。
その眼差しが・・・自分だけをしっかりと見つめていて。
まるで初めてあった時の桜そのもの・・・

一瞬そのまま抱き締めそうになる腕を必死で押さえた。言葉など口に出せない。そんなことをしようモノならきっと抱き締めてしまう。
今までは。
<桜>ではなかった。だから抑えられた。
瞳が違うから。
躯が違うから。
心が違うから。

分かっていたから。
なのに・・・突然現れた<桜>の姿をした<龍麻>。
自分のモノのように一瞬感じてしまうから。触れたいと思うから。自分だけのモノにしてしまいたいと思うから。

・・・龍麻は気づいただろうか。震える自分の声に。

そして龍麻の哀しそうな貌。きっと中国へ行けない事を思い出してしまったのだろう。
蓬莱寺は何を言ったと言うのか。
なんにせよあんなに哀しげに瞳を曇らせる龍麻を見るのはごめんだった。
蓬莱寺と話をする必要があるかもしれない・・・そう考えて、自嘲的な笑みを浮かべた。
幾ら龍麻のためとは言え、そこまでしようとする自分に自分で嫌悪を感じた。
それでも。自分にとっては龍麻の幸せ以外にはなくて。
だからこそ。

もう・・・二度と逢えない―――

もう一度逢ってしまえば・・・

「桜・・・」

もう一度小さく呟く。

「龍麻・・・」

暗い部屋の中に月の光が柔らかく差し込んで、淡い陰影を作り出す。
他に誰もいない部屋に・・・長い陰をつくって月は静かに輝き続ける。

―・◆・―

「やぁ、いらっ・・・・・・なんだ、君か。何しに来たんだい?」
店の扉を開けて入ってきた京一に最初店主らしい挨拶をしようとした如月は京一の顔を見ると態度を豹変させた。
「よぉ・・・・・・って言うか、なんだはねぇーだろ?なんだは!・・・相変わらずだな、てめぇ・・・」
フルフルと握り拳を造りながら口元を引きつらせる。
「ふん。君じゃーまともなお客にはならないからね。悔しかったら何か高価なモノを買って欲しいモノだね。」
「強欲亀!!」

シュトン―――

京一の先程まで頭のあった位置に小刀が突き刺さっていた。
「あぶねぇーじゃねぇか!!相変わらず切れやすい奴だな!!」
「君には言われたくないよ。」
その冷静な口調とは裏腹に不機嫌オーラ丸出しの如月に京一は苦笑を浮かべた。
「・・・全く。今日はお前と喧嘩しに来たんじゃねぇーんだ。話があるんだよ。ちょっと・・・いいか?」
チラリと如月はその視線を流していつになくまじめな表情の京一を見遣るとクイっと顎で座敷奥に行くようにと示した。
「すまねぇ。」
ポツリと京一がしおらしく呟いた。
「・・・又随分とらしくない。一体何があったんだ?」
部屋の奥へと入っていく京一の背中を見ながら如月はため息を一つ吐いた。
京一があんな真剣な貌を見せるのは・・・大抵が彼がらみだと・・・解っていたから。

お茶を差し出されて京一はそれに手を伸ばしたモノのすぐに離して黙り込んだままだった。
一つため息を吐くとお茶を一口飲み、湯飲みを机においた如月が切り出した。
「・・・・・そう言えば君は中国へ行くんだったね。もしかして今日は大量に買いだめでもしてくれるのかい?それなら嬉しいんだが。回復薬は今沢山在るんだ。・・・ああ、一粒で数日もお腹が減らずに済むなんて言うのはないよ。」
「・・・ちげぇーよ!・・・いや、それもその内買いにくっけどよ・・・そうじゃなくて!!」
如月の言葉にパッと顔を上げた京一はそのまま脱力したように息をついた。
一つ大きく息を吸って。
「・・・そうじゃなくてよ。ひー・・・龍麻のことなんだけどさ。」
真剣な声が響く。
「確か龍麻も君と一緒に・・・中国へ行くんだったね。」
「だったんだけどな。・・・・・・中国へ行くのは俺だけだ。」
「・・・・・・・・・・・・そうか。」
「なんだよ。相変わらずつまんねぇー奴だな。もっと反応しろよ。」
「ふん。君を喜ばしても得なことは何一つ無いんでね。」
「ほんっとに。相変わらずだな。」
「誉めて貰えたようで嬉しいよ。それでどうしたんだい?」
「・・・・・・。ああ、俺はもうアイツの側にいて・・・何もしてやれないから・・・よ。如月。龍麻の事を頼む。」
「・・・・・・君に心配される程彼は弱くないよ。当然僕が面倒を見る程にも・・・ね。」
―――残念なことに。
その一言を如月は心の中でだけ呟いた。
自分は玄武として彼を守護する立場にある。でも。彼は強くて。自分の力など必要ないほどに。肉体的にも精神的にも。逆に自分が彼に支えられる程。
それが頼もしくもあり、寂しくもあった。
「そんなこたぁー分かってるよ。でもよ・・・今までとは違う。きっと・・・アイツ・・・すんなり行くとは思えねぇ・・・」
「・・・?」
「アレは龍麻の<戦い>で俺が口出しするようなモンじゃない。分かってる。分かってるんだ。でもきっとアイツが相手ならば・・・苦労するはずだから。」
「<戦い>?アイツ?」
「まぁ、既に落ちてるとは・・・思うんだけどな。きっとアイツはすんなりと龍麻を受け入れないだろうから。あんなひねくれた奴の何処が良いんだか。」
ふてくされたように言う京一に如月はやっと得心がいったのか、ああ、と頷いた。
「・・・なるほどね。」

龍麻に何時も距離を置いていた壬生の様子を見れば。想像がつく。
龍麻が好きであっても、簡単には龍麻の想いに応えないだろう。
だから。
きっと龍麻は苦しむ。泣くかも知れない。
その時自分はいないのだ。歯がゆいけれど。
だから。

「ちぃーとばかり・・・アイツを・・・支えてやってくれ。」
龍麻を支えて欲しい。
そう頭を下げる京一に如月は艶やかな笑みを浮かべた。
「君に言われるまでもなく・・・ね。」
「如月。」
「彼は僕たちにとって大切な友人だ。違うかい?」
「ああ。信じてるぜ。」
ニヤリと何時もの京一が浮かべる不敵な笑み。
如月も同様ににっこりと穏やかな笑みを浮かべて応えた。

―――お前の代わりは出来ないだろうが。出来るだけのことはやってみるさ。
決して口には出さないけれど。京一の存在が龍麻にとって大きいのは知っていたから。
如月も又京一のことを認めていたのだ。龍麻の相棒として。
「中国で頑張ってこい。」
「ああ、サンキュっ」

爽やかな風が部屋の中に吹き込む。
櫻の花弁が・・・此処にも一欠片流れてきて飲み残した京一の湯飲みの中に入った。

―・◆・―

京一が如月の店を出ると声を掛けられた。
「蓬莱寺。」
「・・・・・・・壬生・・・か。」
突然気配もなく話しかけられて一瞬身構えた京一は声でそれと分かって声のした方を見る。
壁にもたれかかるようにして壬生がソコに立っていた。
「龍麻が中国へ行かないそうだ。」
「ああ・・・」
瞳を伏せて京一は静かに頷いた。
「何故だ?」
「あ?」
「何を龍麻に言った?何故龍麻は行くのをやめた?」
「何のことだ?」
壬生の言う意味が今一分からなくて京一は眉を顰めた。
「龍麻は“京一に言われちゃったからね”と言っていた。だから中国へ行くのをやめたのだと。」
しらばっくれているようにしか見えない京一の態度に壬生の冷たい氣がふわりとその躯から放射される。
「何故だ?」
「・・・そう言う・・・事か。」
ぽりぽりと頭をかくようにして苦笑を浮かべる京一に壬生は益々その視線を鋭くした。
「俺が言ったのは、龍麻のことが好きだから、俺と一緒に中国へ行くならそれを考えてくれって言ったのさ。」
「・・・それでどうして龍麻が行かなくなる?何故あんな哀しい貌を・・・」
「簡単なことだろ?ひーちゃんには俺の気持ちを受け入れることが出来なかったからじゃねーか。嫌な奴だな、本当に。メチャクチャむかつくぞ?」
それでもきちんと応える辺りに・・・人の良さというか、お人好しというか・・・にじみ出ている京一だった。
「え?しかし・・・?」
一方京一の答えに異常な程壬生は狼狽えて混乱していた。
「だから哀しい貌・・・してたって言うんなら・・・・・・それは俺のせいじゃない。それこそお前に言われたくねぇーな。何で龍麻は哀しい貌をしなくちゃいけなかったんだ?」
京一はその原因が壬生だろうと踏んでいた。だからこそ。逆に聞き返す。
「・・・・・・・・・・・・」
「やっぱり、むかつくよなー・・・」
そう言って口をへの時に曲げた。
何が何やらすっかり分からなくなった壬生は何も答えることなど出来ない。
「なーんでこんな奴がいいかな〜?俺の方がいい男だと思うんだけどよぉ・・・」
小さく呟いた京一の声も聞こえていないのか壬生はじっと考え込んでいる。
「ったくよー。大丈夫かよ・・・。しっかりしろよ、壬生!じゃぁーなっ」

全てはお前に掛かってるんだからよ・・・

相変わらず、固まったまま、動かない壬生にさっさと手を挙げて背を向けると京一はその場所を後にした。

まぁ〜ったく・・・世話の焼ける二人だぜ・・・

京一は苦笑を浮かべた。
見上げた空はそろそろオレンジ色に染まり始めていた。