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『櫻回廊 伍話 〜愛日〜』

ふと人の気配を感じて目を覚ました。
「・・・・・・?」
暗闇の中で何度目を凝らしても周囲の様子はよく見えない。暫くして漸く目が暗闇になれてくると大分見やすくなった。

薄ぼんやりと浮かび上がる病室・・・

今は先日突然現れた柳生という男に切られて入院している。
深夜、周囲には誰もいない。居ないはずなのに・・・・・・

「・・・誰?」
声を掛けると、コツっと足音がした。
「・・・起こしてしまったかい?すまない・・・」
小さな声のした方を見ると自分の頭元にある壁に寄りかかっている男の陰が見えた。
「壬・・・生?」
人影としてしか認識できないが知っている声と気配にそう呼べば、壬生はすぐ横にある窓のカーテンを開けた。
冴え冴えとした月光が室内に差し込み、淡い光が室内を明るくし、冷たく壬生の姿を浮かび上がらせる。
「今日は月が明るいね・・・」
闇になれた瞳を少しばかり細めるが、そう言う壬生の表情は逆光になってよく見えない。
「う、ん・・・綺麗な月だね。・・・・・・・・そんなことよりこんな時間にどうしんだ?」
月光に浮かび上がる長身のスラリとした壬生が綺麗で・・・少しばかり見取れた後、はっとなって言葉を紡ぐ。
「いや、ちょうど家に帰るところだったんだ。近くを通ったんで・・・様子を見に来たんだよ。」
「来たんだって・・・良く入れたな・・・流石だ・・・・・・」
「妙なことで感心しないで欲しいな。」
「それは無理ってもん。」
くすくすとやけに機嫌良く龍麻は笑った。
「大分調子はいいみたいだね。安心したよ。」
「ああ、もう殆ど痛みとか無いんだ。明日退院だってさ。」
「明日?早いね。」
「だろ?」
そう言うと壬生はホッとしたような嬉しそうな笑みをチラリと浮かべて、それが月光に映し出されて心に残った。

夜中だというのに何故か壬生の存在をあっさりと受け入れている自分に龍麻は気がついた。普通なら・・・こんな時間、見舞いに来たの一言で納得できるはずもない。なのに、どうしてだろう?壬生なら・・・ああ、そうなんだ・・・と頷いてしまう。
嫌だとは思わない。

何故か・・・嬉しい??
たとえこんな時間であっても会いに来てくれた・・・それが・・・嬉しくて・・・

自分の釈然としない気持ちに龍麻は首を微かに傾げた。
「龍麻?どうかしたのかい?」
「・・・あっ、や。何でもない。」
「そう?でも、こんな時間に起こして悪かったね。ちょっと・・・様子を見に寄っただけだったから。もう帰るよ。」
「え?帰っちゃうのか?」
寂しい・・・そう思った。
「ああ。ちゃんと寝るんだよ。・・・・・・では、また。」
どこか苦しげに表情をゆがめた壬生が帰り際に月光に照らし出された。
「・・・ああ、またな。」
長身の躯が月光にふわりと浮かび上がり、長く延びた影が病室を横切る。
龍麻は静かに部屋を出て行く壬生から視線を逸らすことが出来ずにいた。

パタンと静かにしまった扉の音だけが響く。誰もいなくなった病室に窓から冷たい光が射し込み続ける。
「壬生・・・」
どうにも彼のことはよく分からなかった。敵として出逢い、仲間となり、実は兄弟弟子と分かって。さらには表裏の関係であったりもする。とても彼と一緒に居ると心落ち着くのは確かなのだ。側にいてそれがやけに自然だと感じられる。
でも・・・
分からないのだ。彼が何を考えているのか。
そして自分が何を思っているのか。
「あーもうっっなんだってんだ?」
混乱する頭をふって窓辺にカーテンを閉めるために移動する。
ふと窓の外を見れば一人去っていく影が一つ。きっと壬生だろう。まるで闇にとけ込むようにその姿を消した。
「・・・・・・・・・・・・」
シャッッ
その影をいつまでも見つめていた龍麻はカーテンを閉めて布団の中へと潜り込んで目をつぶる。

なんで・・・こんなに気になるんだ?
なんで・・・壬生は・・・・・・

グルグルと同じ事ばかりを考えているウチに龍麻は眠りの淵に落ちていった。

 

―・◆・―

「ひーちゃんっ!見ろよっっ雪だぜ、雪!新宿の雪なんて珍しいよなっっ♪」
雪を見上げて京一が嬉しそうに言う。
「本当だ。綺麗だな・・・」
昼間退院する龍麻を京一が訪ねてきて、誰か会いたい奴を連れてきてやると言ってくれた。とっさに思い浮かんだのは・・・昨夜の月光に照らされた壬生の顔。
女の子の名前を次々と言う京一に、首を振り続けて結局京一と一緒にラーメンを食べた。
店の外に出て。
気がつけば雪が降っている。
「こんな街にも雪が降るんだよなぁ・・・なーんか似合わない気もすっけどよ。」
「そうかな?」
まるで街を白く染めるように降る雪は他のどんなところよりもこの街にふさわしいような気がして呟いた。
「・・・ひーちゃんさ。なんか・・・・・・悩みとかあんのか?」
京一がいつもの柔らかい笑みを浮かべている。
「え?別に・・・」
「そうか?まぁ、無理に聞かねぇーけどよ。なんかあったら・・・話を聞くぐらい俺にだって出来るんだぜ?」
「・・・ありがとう、京一。」
「へへへ。っと。大分寒くなって来やがったな。ひーちゃん家に送ってくよ。」
「え!いいよ。一人でも大丈夫だから。」
「本当かよ。」
「本当だって。心配性だなぁ。」
クスクスクスと龍麻が笑うと京一も笑った。

―・◆・―

『あんま・・・抱え込むなよ。俺達が・・・いるんだから・・・』
最後にそう言って別れた京一の言葉が胸によみがえる。
やっぱり京一のことは大好きだった。最初初めてあった時から。暖かい笑みで話しかけてくれた親友。今まで一緒に戦い続けてきた親友。自分の背中を預けることの出来る親友。他の誰とも違う、かけがえのない親友。
「いいヤツ・・・だよな。」
何故か家に帰る気になれずに、近所の公園へと立ち寄って、誰もいない夜の公園のベンチに座り込んだ。

おっちょこちょいで明るくて、気さくで。馬鹿ばっかりしてなのにいつも鋭くて、気がつくと京一の優しさに包まれている自分に気づく。
そんな時には本当に切なくなる程、嬉しくて。
京一の暖かい氣を愛しく思う。側にいて欲しいと。共にありたいと・・・望んでしまう。
一緒に中国へ行こうかと言ってくれた。
嬉しかった。共にあることを京一も望んでくれているのだと・・・そう思えて嬉しかった。一緒に行きたい・・・そう願った。そう思った。
今でもその思いに変わりはないのに・・・
何故だろう・・・
気になるのは。

あの視線が。
あの気配が。
あの存在が。
彼の全てが・・・気になるのは・・・・・・

―――壬生紅葉。

結局昨日の夜と同じ悩みにぶち当たって龍麻は自動販売機でコーヒーを買ってぐいっと呑んだ。コーヒーの温もりが躯のウチからじんわりと龍麻を暖める。
澄み切った冬空には星が煌びやかに輝く。
だと言うのに、自分の心の中にあるこれは何だろう。隠されて真実が見えない。

いつもいつも。彼は自分と一定の距離を保っている。すぐ側にいるわけではない。自分から一歩引いたように、少し離れている。だが、いざと言った時は直ぐさま反応できる程の微妙な距離。

戦闘中彼の存在をいつも近くに感じる。すぐ隣にいるはずの京一よりも近くに。

なぜ?

壬生の視線をいつも感じる。自分の事を見ていてくれている・・・

なぜ?

あれ程視線を感じたら逆に普通は訝しむものだろう。でも、すんなりと受け入れてしまえる。

なぜ?

彼に庇われたときに眼前の彼の背中が大きくて。縋り付きたくなる。

なぜ?

自分にだけ見せてくれる柔らかい微笑み。一瞬胸が締め付けられるように苦しくなる。

なぜ?

他の誰とも同じように距離を置かれていると感じた時にどうしようもなく寂しくなる。

なぜ?

分からないことだらけ。
どうして壬生は自分の事をこんなに見ていてくれるのに距離を置くのか。微笑み掛けてくれると同時に誰よりも冷たくある線を引いてそれ以上には近寄ってこない。

壬生は何を考えているのか―――

そして自分はどうしてこんなにも彼の事が気になるのか―――

分からない、分からない、分からない。

混乱した頭で幾ら考えても答えなど出るはずもなく。ただ静かに降り続ける雪を見つめた。

ひらり、ひらり

ひらり、ひらり

淡く白く輝く雪は音もなく降り積もって。うっすらと化粧を施したようにこの街を染める。

ひらひら、ひらひら

ひらひら、ひらひら

あれ?

一瞬・・・白い雪が薄紅色に染まって周囲を淡く染め上げる。
龍麻は目を見開いて驚く。

ひらひら、ひらひら

やっぱり・・・櫻??

どんどん白い雪が櫻の花弁へとその姿を変える。
気づけば辺り一面見事な薄紅色。
その美しさに魅せられるように心奪われた。

綺麗・・・だ・・・
あれ?
・・・・・・誰?

舞い散る櫻吹雪の中に誰かの影が見える。
薄紅色のその空間で一人佇むその影は・・・

無性にその影が愛おしく感じて。
涙が零れ落ちた。

誰、誰、誰??

龍麻は自分が涙を零していることにも気づかず声にならない声で叫び続ける。
その姿が櫻の花弁に掻き消される。

あ!まって!!嫌だっ行くな!!!お願いだから待ってくれ!!
――――――壬生ッッ!!
無意識のうちに心の中で呼んだその名前はまるで砂のように零れ落ちて記憶に残らない。
確かに今誰かの名前を呼んだ筈なのに。
知っている筈なのに。
もう・・・思い出せない・・・

『君に泣いて欲しい訳じゃない。それこそ君には笑っている方が似合うから・・・』

!!!

声が聞こえる。それは彼の声。かつて・・・どこかで聞いたことのある誰かの・・・・・・

思い出せない―――

ぎゅっと拳を握りしめる。

――君のことが・・・好きだよ。だから・・・泣かないで・・・・・・――

心に響いてくる彼の<キモチ>。
言葉にならない程の彼の想いが切なくて心が引きちぎられそうになる。
なに?これは一体何??
彼は誰?
俺は知っている筈なのに。思い出せない。
嬉しくて。彼の言葉が、<キモチ>が嬉しくて、涙が零れる。

愛しい―――

君は誰?

薄紅色の櫻の花弁が舞い散る中・・・彼の姿は完全に消えた。
龍麻はそれでもいつまでもいつまでも彼のいた方を見つめ続けていた。

ひらり、ひらり

薄紅色をした櫻が・・・白い雪に変わる。音もなく降り続ける冷たい雪に・・・
気づけば、公園で一人立ちすくんでいた。
そっと手をやれば頬は涙で濡れていた。

「な・・に・・・・・・?今の・・・一体・・・・・・」
龍麻は一人呆然と呟いた。

冬の夜の冷たい風に乗って雪が舞い続ける。
誰も応えない。
龍麻はただひたすらに立ちつくすことしか出来なかった。

いつの間にか落とした缶コーヒーが風にコロコロと転がっていった。
そのカラン、カランとした寂しげな音だけが周囲に響いて消えていく。

 

――君のことが・・・好きだよ。だから・・・泣かないで・・・・・・――

胸の中で彼の想いが、何度も何度も木霊していた。