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『櫻回廊 四話 〜迷夢〜』

夢を見る。

ひらひら、ひらひら・・・

夢を・・・見る・・・

―・◆・―

ああ、又・・・同じ夢だ・・・
あれから何度も何度も繰り返し見た夢。
何度も何度も違う最後を願いながら、いつも同じ。

視界を覆うほどの櫻の花弁が舞い散る中、一人の少女が立っている。
哀しげな顔をして自分を見つめている。

そんな顔をして欲しくなくて。
側に行って抱きしめたくて。

でも、躯は動かない・・・・・・

舞い散る櫻の花弁が。彼女を包み込む。
彼女の頬を伝う涙が胸に痛くて、動かない体に歯ぎしりする。

――桜!――

声を出すことも出来ずに、心の中で叫ぶ。

何時も彼女は。
一人泣きながら櫻の花弁の中に姿を消していく。
何度も見た夢。
何時も変わらない・・・夢。

いつものように動かない拳をぎゅっと握りしめると、ふわりと櫻の花弁が再び舞い踊る。
いつもはそのまま淡い薄紅色に包まれた世界に一人取り残されるというのに。
未だにひらり、ひらりと櫻が舞う。

ふと何か見えた気がして目を凝らす。
櫻の花弁が邪魔をしてハッキリと見えない。でも・・・・・・

ひらり・・・ひらり・・・

まるで計ったかのように櫻の花弁がその数を減らして。
ソコに一人の少年が立っているのが見えた。
まるで彼女にそっくりな少年。
兄妹か何かだろうか?
とっさにそう思う。
にしては似すぎている。その身に纏う気配まで。
忘れようもない愛しいその気配に壬生は混乱した。

―――なに?

ふわりと。
視線が重なって。
彼は微笑んだ。

―――ドクンッッ

まるで桜と初めて会ったときのように。
櫻舞い散るその中で。
彼に出逢う。

誰・・・だ?彼は一体・・・・・・

やはりどうしても動かない体に苛立ちながらじっと見つめる。
彼はそんな壬生を不思議そうに見つめるときびすを返して薄紅色の霞の向こうに姿を消した。

再び一人。
薄紅色の・・・まるで迷宮のようなこの空間に。
たった一人。
訳も分からずに一人立ちつくした。

―・◆・―

今日に限っていつもと違う夢を見て、壬生はどうにも躯がだるく、気分が悪かった。いわゆる寝覚めが悪い・・・と言う奴なのだろう。
一体・・・あの夢は?
答えのでない疑問をぐるぐると考えてしまう。
そんなときに副館長に呼ばれて、<仕事>を命じられた。
標的の写真を見て一瞬躯が強ばる。
「・・・こ・・れは・・・・・・」
深い緑色の学ランを着込んだ少年。前髪が長くその顔は見えにくい。でも。ソレであっても。

―――似ている

資料を見れば名前は緋勇龍麻となっていた。
緋勇・・・同じ名字。

緋勇龍麻。彼は余りにも今朝見た夢に出てきた少年にそっくりだった。
その風貌も服も何もかも。そして<緋勇>。桜と同じ名字。これは一体どう言うことだ?
壬生の動揺をよそに<仕事>の話は進んでいく。
ソレが何でアレ

・・・彼に会える。

その事実は酷く壬生の心にさざ波のような波紋を投げかけた。

―・◆・―

深夜の暗い地下鉄のプラットホームで彼と出会う。初冬だと言うのに、何故か櫻の花弁が舞うのが見えた気がして壬生は狼狽えた。

その姿は違っていても。
その声は違っていても。
その目は違っていても。

彼は彼女だと・・・何故か直感した。

戦いになって。彼の動きから同じ古武術を治めていることが解った。交えた拳から、直接触れた所から・・・桜と同じ氣を感じて。その思いは強くなる。
だが、目の前にいるのは確かに男なのだ。
何かが違う。
何処かが・・・おかしい・・・・・・

―・◆・―

副館長派のクーデターは失敗に終わった。
ソレは館長のワナであったらしい。自ら拳武館を離れ隙を与えて泳がせて、そこで行動した副館長を捕らえる・・・その計画に見事にはまった副館長は既にその姿を消していた。恐らくもうこの地上に存在しないであろう。
「壬生・・・済まなかったな。お前であっても教えるわけにはいかなかったからな。」
「いえ、当然の事でしょうから。」
「そうか。」
最終的な報告に来た壬生に鳴瀧は穏やかな笑みを見せた。
「そんなことよりも・・・館長にお聞きしたいことがあります。」
副館長のクーデターを“そんなこと”と一刀両断して切り捨てた壬生に鳴瀧は苦笑すると同時にその思い詰めた瞳に宿る光に小さく息を吐いて呼気を整える。彼らは再び出逢ったのだから。ならば・・・きっと・・・・・・

―――落ち着かなければ・・・

「・・・なんだ。」
鳴瀧は椅子に深く座ると壬生にも椅子に座るようにと手で指示をした。
礼儀よく頭を下げて椅子に座った壬生は鳴瀧の顔を見ることなく切り出した。
「・・・緋勇・・・桜・・・サンのことなのですが。」
「ああ、彼女の・・・一体何が聞きたい?」
「今回の副館長の事件で巻き込まれた真神学園の5人。その中に緋勇龍麻と言う男子学生がいました。彼は・・・余りにも桜に似ていた。どうしてです?兄妹なんかじゃない。アレは・・・何ですか?」
「・・・・・・解る、のか・・・やはり・・・」
「館長?」
自嘲的な笑みを浮かべた鳴瀧に壬生は眉根を寄せる。
「彼は・・・いや、彼女は・・・・・・」
壬生はただ黙って鳴瀧の言う真実から目を背けずに聞くことしかできなかった。

―・◆・―

何度か旧校舎や戦闘に呼び出された。
言葉を交わした。
視線をかわした。
共に戦った。
お互いの氣が混じり合い凄まじい威力を発揮して敵をなぎ倒した。
それでも・・・
彼の瞳は決して自分に向けられない。
向けられているのは・・・・・・

―――二度と戻らないかも知れない。

その想いが・・・壬生の心を瞑く冷たくする。
そして蓬莱寺京一。
龍麻の側には京一が居た。ずっと共に戦い、親友として誰憚ることなく一番側に居る男。
龍麻が京一を選ぶのならば・・・自分にはどうすることも出来ない。
ただ・・・黙ってソレを見つめて受け入れるだけ。
龍麻は龍麻であって、桜ではない。桜と同じモノを求めるのは筋違いだ。もとより桜を受け入れることすら出来なかった自分に龍麻を望む資格すらないと言うことも分かっている。
桜でアレ、龍麻でアレ・・・・・・・・・ただ、幸せを・・・願うだけ・・・
それだけが・・・自分に許された・・・願い・・・

もう既に彼女はいないのだ。たとえどんなに彼女を捜しても。自分の想いを受け止めてくれる存在はいない。
ただ一人櫻舞い散る薄紅色の世界に取り残されて、出口が見えない。

ひらり、ひらり櫻が舞う

一人桜を想って自分の躯を抱きしめる。

彼女は・・・黄龍の器として生まれてきたという。ソレがどれ程のモノかなんてどうでもいいこと。
そして彼女は【女】であるが故に菩薩眼の持ち主であると言うこともどうでもいいこと。
彼女が彼女である・・・壬生にとってはそれだけが大切なこと。重要なこと。

なのに。
宿星とか言う奴は彼女をがんじがらめに縛り付けて過酷な運命を背負わせた。

菩薩眼であることは・・・権力者から、己の躯を狙うモノから護られるべき存在。
黄龍の器であることは・・・全ての生あるモノの魂に掛けて自分を護るべき存在。

どちらも似たようなモノだ。
酷く・・・嫌な運命。

だが、彼女は黄龍の器たることを選んだ。
あのまま菩薩眼であることを選べば・・・緋勇桜のままでいられた。でも・・・ソレでは護ることが出来ない。
実の父親が命を掛けてまで守り抜いたこの世界。自分の大切な人たちがいるこの世界。
だから、護られるだけでなく護りたい。
しかも、菩薩眼であることを選んだとしても黄龍の器であることは消えはしないのだ。
そう、己の身を守る術も持たない菩薩眼として存在することは自分で自分を守れず、邪な存在の手中に陥ったときに・・・結局は自我を持たない黄龍の器として無理矢理覚醒させられることになる。
それぐらいならば。それならば!!
自分で選んだ方がいい。自分で自分を守る力を持つ方がいい。
もし、この力を使うとしても自分が認めた者の為にしか使いたくはない。
だから・・・桜は選んだ―――黄龍の器たることを。

だが、ソレは同時に強靱な肉体を必要とする事だった。
黄龍の器はもとより強大な力をその身に受ける。陰の氣も陽の氣も。故にその存在は<陰中の陽>であり、<陽中の陰>でもある。どちらか片方というわけではない。
元々・・・男であっても黄龍の器として覚醒したときからその身は<女性>でもある<中性>になる。陽の男と陰の女。それぞれをその身に帯びることで・・・力のバランスを保のだ。
しかし、<男>に女性的部分が少し増えたとてそれ程酷い変化はない。
だが逆の場合はかなりの苦痛を伴う・・・身体的な変化が激しすぎるのだ。筋肉組織から骨格に至るまで。小から大への急激な変化は苦痛を伴う。
そのうえ精神にまで変化が及ぶ。
男、女に係わらず、精神的な変化も又・・・黄龍の器に相応しい判断力などを持つモノへと変わる。
ソレは本人に自覚されることなく変化を遂げる。人を惹き付けて止まぬ輝きを持つ者へと変貌を遂げる。
とは言え、ソレは元々黄龍の器に生まれたモノの資質として眠っていたモノ。本来の姿が目覚めたに過ぎないのだが・・・そうして宿星にまつろわる星達が集まるのだ。

きっと彼らはみんなそんなことは否定するのだろう。
自分達は自分達の意志で。
戦っているのだと。
宿星なんかに関係なく。
自分の意志なのだと。

しかし、ソレすらも仕組まれた巧妙な自然の理は。
容赦なく事実として存在する。

その過程で。必要なモノ、不必要なモノに無理矢理切り分けられてその記憶は整理される。<黄龍の器>に相応しい人格を形成する上での勝手な取捨選択。
自然とはなんて・・・無慈悲なのだろう。
そうして記憶を・・・喪う――
常にそうとは限らないのだが、今までのケースではほぼ全員がそうなったと。
桜は・・・ソレを承知で・・・己の道を選んだ。
戦うべき道を・・・選んだ。

館長は言った。
「ソレなのに壬生に出逢ってしまった。あれだけは計算外だった。お前達は出逢ってしまった。すまんな・・・」
苦々しそうに、苦笑を浮かべて、ぽつりと謝った。
まるで自分の後継者のように陰の資質を持った壬生が彼女と出会えば惹かれ合うだろう事が容易に想像ついたから。だから二人を故意に引き離していた。壬生にすら自分の居場所を秘密にして。
出逢った後で、惹かれ合った後で、桜の選んだ道を壬生が知れば苦しむと分かっていたから。
だから出逢うならば緋勇龍麻と・・・そう、願った。
それは叶わなかったけれども。

彼女が・・・最後に僕と出逢ったその事は・・・彼女を信じるならば。
やはり酷い事だったろう。
出逢って。好きになって。でも。自分に残された時間が無いことを知っていて。
それでも彼女は最後に笑みを浮かべた。
透明なほど綺麗な笑顔。
今も脳裏に焼き付いて離れない。決して彼女の存在が消えることはないだろう。そう、思えるほどに。

最後に彼女が「生きていたい」「消えたくない」そう・・・想わなかった筈がないのに。

腕の中で泣いた彼女が・・・今になって切なく胸を締め付ける。

『だってソレが貴方の選んだ道なんだもの。そして、ソレが厳しい道であることを知っているもの。でも・・・後を向いても何もないわ。前を向かないと。私は・・・そうすることにしたもの。』

『・・・選んだもの。決めたの、逃げないって・・・・・・』

『<私>には時間がないから。きっと・・・次はないから・・・だから。それがどれ程あなたに迷惑を掛けるかも考えずに、言ってしまうけれど。<私>の想いを・・・伝えておきたいの。それが出来るのは今だけだから・・・ごめんなさい。あなたの都合も何も考えずに。それでも・・・心が震える。あなたに会えて良かったって。あなたに会いたかったって。だから・・・言わせて?』

『!壬生・・・君・・・・・・・・そう・・だね・・・・・・・・・また、逢いたい・・・ね・・・』

『そしたら・・・ずっと一緒に居られるかしら・・・』

『・・・今度逢ったときまでに考えて置いてください・・・ね?でも、普通はこれって男の人から言われるモノよね?』

彼女の言葉が胸を刺す。
泣く桜。笑う桜。自分の運命を自分で決めた桜。どれ程の想いで・・・ソレを告げた?
一体どれ程心の中で苦しんでいた?
恐らくあり得ないだろう自分の未来について一体どれ程のモノを抱えて・・・笑った?

僕は何も知らずに・・・
彼女の心を何も知らずに・・・なんて残酷なことを言っていたのだろう。
情けない想いにグッと唇をかみ締める。

だが、知っていたからと言って僕に何が出来ただろう?
彼女の想いを受け入れる?
そんなことが彼女にとって幸せだったか?
直ぐさま消えゆく自分の恋が実って・・・ソレで本当によかったか?
それとも彼女を連れて逃げるか?
逃げてどうなる?
彼女が決めたことだ。どんなに無理矢理連れて行こうと無駄なことだったはず。
自分に出来たこと。ソレは何だ?

解らない。解らない。解らない。
でも・・・僕は君を忘れない。
死ぬ間際まで・・・君のことを胸に刻み続けるだろう。

今自分の目の前で明るい笑顔をしている龍麻を見つめる。
自分に出来ることは何だ?
共に彼と戦い、彼を護る。
ソレは彼女の願いを助けることになるだろうから。
彼が行く道をただ見守り続ける。何時までも。
決して僕は龍麻から離れない。共にいられなくても。彼が。せめて彼だけでも。
幸福となれるように・・・

僕に出来るのはそれだけ・・・・・・
決して共に生きていくことではない。

僕はこの薄紅色の櫻の中で生きていく。
出口のないこの櫻回廊。
きっと・・・僕は永遠に此処に居続けるだろう・・・

ひらり、ひらり櫻の花弁が舞う。
櫻回廊―――そこは。
再び彼女に会える至福の場。
再び彼女に会える苦痛の場。

ひらひら、ひらひら
まるで壬生を離すまいとするかのように櫻の花弁が纏い付く。
それはまるで桜の白い手のようで・・・
ひらひら、ひらひら

―――捕らわれる。

ひらひら、ひらひら

櫻の・・・・・・夢を、見る