Novels


『櫻回廊 弐話 〜愛恋〜』

「館長。これを・・・」
館長室を訪れた壬生は驚きを隠せないでいるのか何処か焦りに似た動揺を見せる鳴瀧に内心不思議に思いながらもそっと副館長より頼まれた書類をさし出した。
ソレは副館長より直接直に渡してこいと命令されたモノ。重要書類である。
だが、そんなモノにはチラリとだけ視線を流した鳴瀧はどうでもいいことのように机の上に放り投げた。
「副館長か。」
余計なことを・・・
苦々しい口調で小さく呟いた鳴瀧の言葉を聞き止めて壬生は少しだけ眉を顰めた。
「館長?」
「いや、何でもない。済まなかったな。もう、帰って良いぞ。」
「―――はい。」
そのまま背を向けて館長室から出ようとして、ふと呼び止められた。
「壬生。誰かに・・・会ったか?」
「・・・道場で・・・と言うことでしょうか?それならば誰にも会ってはおりませんが?」
「いや・・・。そうか、分かった・・・。呼び止めて済まなかったな。」
何かを言いかけようとして黙った鳴瀧に今度こそ壬生は背を向けて館長室から出ていった。

―・◆・―

ふと道場に立ち寄ると、再び先程の少女に出逢った。
彼女はふわりと微笑むと壬生に駆け寄った。
「貴方は拳武館の方ですよね?」
その言葉がどれ程の意味を持っているだろうか。
何も考えていないようにただ、にこやかに微笑む彼女に壬生はぴくりと一瞬だけ氣を緊張させた。
拳武というモノを彼女は知っているのか?
何故に道場に通っている?
只の一般の道場の生徒なのか?それとも<拳武>の仕事に係わる者なのか?
一切が不明。
でも、この場所に居ること自体が特殊なのだから、きっと普通の一般生とは違うのだろう。此処は館長直々に稽古を付けるどちらかと言えば特殊な場所なのだから。
ならば、彼女のこの言葉は・・・仲間なのですか?と言う意味か?
計りかねて黙ったままの壬生に桜はちょこんと首を傾げると笑った。
「私緋勇桜です。貴方は?」
「・・・壬生紅葉・・・ですが・・・」
つい応えてしまった自分に少し驚く。
「壬生さん・・・大変ですね。」
そう彼女は言うと柔らかく笑ったから。その眼差しが優しく壬生を包み込むから。
知っているのだ・・・そう感じて、緊張に引きつった壬生は暫くしてからその力を抜いた。
それでも尚、彼女は始めてあった時同様の笑みを浮かべて・・・受け入れてくれているのを感じて。
不思議な人だと・・・思った。
何と応えて良いものか分からない壬生は黙ったままで、そんな壬生を見て桜は可笑しそうに笑った。
「ねぇ、壬生さん。貴方は鳴瀧さんに武道を教わってるんですか?」
話がコロコロと変わる。ちょっと戸惑って応えるのに間が空いてしまう。
「・・・少しだけ・・・」
「そう。」
にっこりと笑うと彼女はそのまま道場の外へと出ていった。
何故後をついて行ったのか本当に自分でも分からない。
「君は館長・・・鳴瀧館長に教わっているのかい?」
「そうよ。」
彼女はあっさりと頷いているがソレがどれ程の意味を持つのか分かっているのだろうか?拳武館館長の鳴瀧冬吾、彼の愛弟子であるというその事実を。
あまりのあっけらかんとした雰囲気に言葉が出ない。
「拳武館には昔から通っているの?」
「・・・ああ、中学の頃から・・・ね。」
その彼女の口調から学校のことだと判断して応える。
「そっか。大変だよね。」
朗らかな口調で言われて反発したくなった。
「別に。」
「怒った?」
クスクスクス・・・笑いながら彼女は日の光の元、振り向いて真摯な眼差しで壬生を見つめた。
ふわりと髪が揺れる。
「だってソレが貴方の選んだ道なんだもの。そして、ソレが厳しい道であることを知っているもの。でも・・・後を向いても何もないわ。前を向かないと。私は・・・そうすることにしたもの。」
――たとえ前にあるのが深き闇だとしても。
「・・・・・・」
何も変わらない。だからこそ暗く後を向くのではなく前を向きたいから、明るく言うのだと。後悔したくないからと。哀しげな微笑を浮かべた。
「・・・選んだもの。決めたの、逃げないって・・・・・・」
そう言って睨み付けるように挑むような眼差しを向ける彼女に壬生は目を見開く。
その背中は小さくて、何を決めたというのだろう。
その体は細くて、何から逃げないと言うのだろう。
その強い意志を秘めた眼差しに・・・強く惹かれる。自分と同じく何かを心に決した人間だと、その瞳が語るから。
彼女の選んだ道。それが何かなんて分からない。だけど、それこそがきっと彼女に壬生の事実を受け入れさせたのだろう。
「私ね。護りたい・・・そして知りたい・・・そう思ったの。」
「そうか。君にも・・・護りたいモノがあるんだね?」
「壬生君にも護りたいモノがあるのね。大丈夫・・・壬生君は強いモノ。護りきれるわ・・・」
壬生への言葉には応えずに、今まで睨み付けていたその眼差しがふわりと柔らかくなって微笑む桜に何故か心が軽くなった気がした。
罪と言う名の鎖に縛られてに重くなったこの身が・・・少しだけ・・・開放されたような気がした。
ソレは・・・同じく護るモノのために何かを決断した<同胞>を見つけたからだろうか。そして、その<同胞>から未来を約束されたからだろうか。
どちらも違うような気がする。でも。赦しを・・・得た気がした。
「君も。君ならばきっと・・・守り抜けるだろう。」

そう告げて、うっすらと微笑む。
「壬生君、笑った方がいいよ。その方が・・・きっと良いことがあるから。」
壬生の言葉に苦笑を浮かべると桜は嬉しそうに笑う。
急にそんなことを言い始めた桜を壬生は訝しげに見つめた。
「こんな事言っても信じて貰えないかな。私ね、貴方に会えて良かったと思ってるの。」
「緋勇さん?」
「私、貴方のことが好きだわ。さっき桜の中で貴方を見た時から・・・」
真っ直ぐ壬生の瞳を見つめたままそう告げる彼女に壬生は彼女の言葉に歓喜する自分を見つけて驚愕する。あっさりと彼女の言葉を受け入れてしまう自分が居る。自分もだと、応えそうになる自分が居る。
一体どうしたというのか・・・
困惑したまま黙っていると桜は哀しげにその瞳を初めて弱々しく揺らして俯いた。
「<私>には時間がないから。きっと・・・次はないから・・・だから。それがどれ程あなたに迷惑を掛けるかも考えずに、言ってしまうけれど。<私>の想いを・・・伝えておきたいの。それが出来るのは今だけだから・・・ごめんなさい。あなたの都合も何も考えずに。それでも・・・心が震える。あなたに会えて良かったって。あなたに会いたかったって。だから・・・言わせて?」
そう言って今まであれ程までに揺るぎなく輝いていたその瞳が曇り、見る見るうちに涙が溢れて零れ落ちた。
「君に泣いて欲しい訳じゃない。それこそ君には笑っている方が似合うから・・・」
そっとその細い躯を抱き締めた。
周囲に舞う桜の花びらがやけに寂しく哀しく見えた。風に乗る花吹雪。何もかも覆い尽くしてしまえば彼女は救われるのだろうか?泣かずに済むのだろうか?

――君のことが・・・好きだよ。だから・・・泣かないで・・・・・・――

口をついて出そうになった言葉に自分で驚く。
好き?
自分が彼女を?

・・・好き?

それはあまりにも突然で。なのに酷く自然に感じられる。
だとしても口に出す事は出来なくて。
彼女は言った。
自分にも守りたいモノがあるのだと。戦うのだと。時間がない、次はない・・・と言う彼女はどれ程の戦いを挑むというのだろうか。
ならば・・・・・・自分と共にあることは彼女の負担にしかなり得ないだろう。
僕自身の“戦い”までも彼女の身に及ぶであろうから・・・だから・・・・・・

好きだ

その言葉を彼女への想いと一緒に深く強く心の奥底へと封じ込める。
「君のことは・・・信じるよ。何故か信じたい・・・そう思うから。だから・・・」
(泣かないでくれ、自分のこと以上に君の涙が哀しいから)

「僕も君に会えて良かったと思う」
(初めて愛しいと思えた人。君に出会えて良かった。たとえそれがどれ程自分の心に苦しく影を落とすとしても)

「君の想いには応えられないけれど・・・」
(それでも君が好きだよ。告げることは叶わないけれど)

「ありがとう」
(君がここにいてくれて。想いを伝えてくれて。応えることが出来なくても、とても嬉しいから)

「ありがとう・・・」
ぽつりと壬生の胸の中で小さく零れた桜の言葉が・・・壬生の心に響く。
桜の腕がそっと壬生の背中に回されて。自分をきゅっと抱き締めてくる腕の中の桜が愛おしくて、強く抱き締めた。今にも消えてしまいそうな程儚く肩を震わせている桜を安心させたくて。また、笑って貰いたくて。想いを込めるように抱き締める。
「いつか・・・再び出会えたなら・・・。その時には・・・・・・」
(状況は変わっているだろうか?応えることが出来るだろうか?)

「壬生君・・・?」
哀しげに瞳を揺らす彼女の額にキスを落として彼女を抱き締める。
「また・・・逢えるといい・・・」
「!壬生・・・君・・・・・・・・そう・・だね・・・・・・・・・また、逢いたい・・・ね・・・」
(やっぱり、優しいね。あり・・・がとう・・・・・・)
そう言って彼女は笑った。
今まで見た中で一番綺麗に、透明な程の微笑みで壬生に約束をする。また逢えると。また、逢おうと。
桜はそれがどれ程難しくて、あり得ないことであろうと・・・そう、約束せずにいられなかった。何よりも自分自身がそれを望んでいた。また逢いたい。あなたと共に生きるために。あなたの側に居るために。
「そしたら・・・ずっと一緒に居られるかしら・・・」
桜が零した言葉にクスリッと壬生は笑った。
「ずっと一緒に?まるでプロポーズみたいだね?」
「えっ!???」
その言葉に真っ赤になった桜に壬生はますます笑みを深くした。
「お返事は今度逢ったときでいいかな?」
戯けたように言う壬生に桜もそっと笑った。
「・・・今度逢った時までに考えておいてください・・・ね?でも、普通はこれって男の人から言われるモノよね?」
「そうだね」

二人ともそれがいかに難しく、あり得ないことだと分かっていた。
だからこそ。冗談のように明るく。

笑う・・・

「君の言葉は本当だね。」
「え?」
「いいことがあったよ。君の言うとおり笑ったからかな?」
「壬生君・・・」
にっこりと微笑むような壬生に対して苦笑いのような苦笑を浮かべる桜は応えるべき言葉を探して壬生の胸に頬を寄せた。
「・・・桜・・・」
ありったけの想いを込めるように声に出さずに口だけで彼女を呼ぶ。
決して彼女に分からないように。そしてこれがきっと最初で最後だと・・・彼女の躯を強く抱き締める。
二人の影が一つに解け合うようにして長く伸びる。
その二人を守るように、彩るように、櫻の花弁は舞い続ける。

このまま二人一緒に居られたらいいのに・・・
その叶う筈のない願いを胸に桜は壬生の腕の中で涙を一つ零した・・・