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『愚者の見る夢 8』

ドンッッ!!!

空気の炸裂するような無音だが、確かに体を震わせる程の破裂音が病室を震わした。
「くっっ…。」
「………っかはぁっ!」
「おい…大丈夫か?」
病室の壁に張り付いたようにして、その腕の中に髪の長い女性を抱えた村雨は、壁に直撃したせいで少しばかり苦しそうな息の中で言った。
「…え、ええ…有り難う…助かったわ…。」
「全く…ツいてねぇーぜ。」
「あら、そんなことないわ。此処で私に何かあったら、困るでしょう?あなたにとって大切な存在が危険になるんだもの。ツいてるのよ、あなた。」
一瞬、背中から叩きつけられた衝撃に呼吸の出来なくなっていた細野は、深く呼吸を繰り返すと、乱れた髪を抑えるようにして笑った。
対して村雨は細野の言葉に目を細めた。
「どういう…こった…。」
「あら、だって私に何かあれば、彼らは戻って来れないわ。由羽ちゃんも、如月君も…そして壬生君も助けられないわ。大切な存在なんでしょう?」
「……………。」
穏やかだが底の見ることの出来ない細野の笑みに村雨は何も答えなかった。

知っているってぇー事か?
気にいらねぇーな。

プイッと横を向いてしまった村雨に細野はさっさと背中を向けると壬生の方へと向き直った。
「あなたは大丈夫?」
「え、ええ…なんとか…ね。」
別方向へと弾き飛ばされた亜里沙に細野は声だけを向けて、視線はじっと壬生へと向けたままだった。
「でも、今のは一体どう言うことだ?」
壁に凭れるようにして一定の距離を保ったままの村雨が声を掛ける。
「簡単な事よ。拒絶されたの。」
「拒絶…って………壬生にかいっ?!」
「そうよ。彼は頑固ね…本当に。」
「じゃぁ、二人は?」
「この二人なら大丈夫よ。」
そう言って細野は壬生のベット脇に眠るようにして伏せている二人をチラリとだけ見つめた。
亜里沙が全く身動きしない由羽に近寄ってその口元に手を当てて、確認する。
ホッと一息つくと、部屋の様子が落ち着いたものになる。流石に突然のことにその場に居合わせた二人も吃驚していたのだ。
「自分の中に侵入するものを彼は許さなかった。攻撃してきたの。彼の精神世界では彼の力が一番強い。だから、あのままだったら彼の“感情”に拒絶されて、消滅されかねなかった。」
「なっ!そんなに危険だったのかい?!」
驚愕に表情を染めた亜里沙に細野は微笑んだ。
「だからあの二人じゃなきゃ駄目だったのよ。彼…壬生君はこの二人を大切に思っているから。拒絶しても、最終的にこの二人を傷つけることは出来ないの。だから…私だけは容赦なく弾き飛ばしたけど、この二人は中に入っていくことが出来た…。」
亜里沙は一つ大きなため息を吐いた。
そう言うことだったのか、と。

由羽が自分で如月と連絡を取って、細野と今日“治療”を行う事に決めた。
久しぶりに見た如月は何時も通り落ち着いてはいたが、何処かやつれて、迷いのある瞳をしていた。ソレは由羽も同じではあったけれど。
3人で壬生の精神世界に侵入しようと試みて、暫くすると3人はその表情を苦痛に歪めた。それから数瞬もしないうちに細野の体が何かに弾き飛ばされるようにして吹っ飛んだ。その体が壁に当たる前に村雨にあたって、クッションとなったのだ。

細野には最初から解っていたこと。全てを拒絶している壬生の中に入り込む事は出来ない。出来るとすれば…。
最終的に、彼が傷つけることも、拒絶することも出来ない人物だけ。
だから。
二人なら…。
と、条件を付けた。

「ねぇ…あの二人大丈夫?」
少しだけ不安そうに瞳を揺らした亜里沙に細野は頷いた。
「大丈夫。あの二人は今私の“目”として同調しているから。大丈夫よ……。」
初めてみせた、その笑み。
何時も細野が浮かべる、作り物めいた笑みではなく、真実相手を思いやるような、安心させるような笑み。
驚きの表情を浮かべた亜里沙と村雨をよそに細野は近くの丸椅子を引き寄せると其処に座り込んだ。
「これから私は彼ら二人と同調し続ける為に、集中しなければならないから…。後はよろしくね?」
「え?ええ…。」
亜里沙が答えると同時に細野はその目を閉じ、由羽と如月の体に触れると俯いた。
亜里沙はそのまま全く身動きしなくなった細野から、同じく身動きしない3人に視線を動かした。
「由羽…如月……壬生……。」
亜里沙が呟いた声だけが静かになった病室に響いた。
村雨はただ掌の中の花札を弄るだけで、何もしゃべろうとはしなかった。

―・◆・―

「こ、こ…は?」
周囲を見渡せば真っ白な深い霧の中に立っているかのようで、何も見えない。
「由羽…近くに居るのか?」
そんなに離れていない所から如月の声が聞こえてきて、由羽はホッと小さくため息を吐いた。
「ええ、此処にいるわ。大丈夫?」
「ああ、何ともない。だが…此処は何処だ?」
お互いに姿が見えていないために、不用意に動くことも出来ない。元々壬生のことでぎくしゃくしていた二人が、こういった状況とは言え、会話が弾むわけもなく、ただただ沈黙が広がっていく。
時間ばかりが過ぎていくように感じられた。何も見えない世界。何も聞こえない静かすぎる世界。何かに精神が蝕まれていくようで恐怖感に襲われる。
ジリジリと焦燥感のようなものに追い立てられるようにして、由羽は叫んだ。
このままどうしていいのか解らない。自分がどうなってしまったのかも解らない。そしてこのままでは壬生を助ける事も出来ない。

焦りが。
浸食する。

「細野さん!!!細野さんっっっ!!!」
『大丈夫よ、由羽ちゃん。落ち着いて…。其処は壬生君の精神世界への入口なのよ。』
何処からともなく聞こえてきた声に由羽は辺りの気配を伺った。
「細野さん!?…何処に居るんですか?」
『私は“外”よ…。』
「外?」
復唱したような如月の声が少しだけ遠ざかったような気がした。が、そんなことに注意を向けている余裕は由羽になかった。
『私はあなた達と違って、中に入れなかった。弾かれてしまったの。でも、大丈夫よ。私はあなた達と繋がっているから。あなた達の見たものを私も一緒に見れるし、こうやって話も出きる。』
「………。」
どうして自分達は大丈夫だったのか何て解らない。
でも。
漠然と。
ソレに対して喜んでいる自分を由羽は自覚していた。ソレは同じく無言である如月もだったろう。
『さぁ、行きましょう。何時までも此処にいても何にもならないわ。』
「え?行く…って……。」
「一体何処へです?」
躊躇う由羽に、迷いを振り捨てるような如月の声が聞こえた。
『別に歩く必要はないわ。思えばいいの。行きたい…って。それだけで良いの。此処は精神世界。物理的な法則や力なんて何の意味も持たない。あるのは“想い”の強さや深さだけ。さぁ……願って。彼に会いたい…って。それだけでいいから…。』
細野の声に導かれるように、ふわりと如月の気配が薄くなっていく。さっき迄姿は見えなくても感じられた如月の気配が消えた。
「…如月?」
『由羽ちゃんも…さぁ、願って。彼の姿を思い浮かべるだけでいい。彼があなたを呼んでいるわ。聞こえない?彼の声…。小さく小さく、哀しい声。心の響き。感じてあげて……。』
「壬生…の?」
言われてふっと思い浮かべた壬生の姿。
孤独な姿。凛として、傷つきすぎて自分の痛みに気付かなくなってしまった哀しい人。寂しい眼差しをしているのに、何処か優しい色を纏う瞳。淡く淡く、口元に浮かべられた笑み。
心に思うだけで切なくなる。愛しい…。側に行って、触れたい…そう願ってしまう。

―――声。
声が聞こえる?
誰の?

知ってる。
知っている。

この声を知っている。
泣かないで。
今…。行くから……。

目を閉じて、そっと両手を上げて、目の前にいる誰かを抱きしめるかのように手を差し出した。
その指先が白く光り、段々その光は由羽の体全身に広がっていく。淡く輝くその体が次第に周囲の白に溶け込むかのように薄くなって消えた。
後には何も残らない。
ただの真っ白な闇の中。
小さな声が聞こえたような気がした。

―――由羽……。

 

@01.05.18/01.05.23/