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『愚者の見る夢 7』

乱れたと息が収まりはじめて、如月は自分を抱きしめたまま、まどろみ始めた村雨に小さく声を掛けた。
「どうして病院に行かないのか聞かないのか?」
「……ぁあ…?」
「どうして、だ……?」
聞いているのかいないのか。単に答えたくないだけなのか、村雨は少しばかり腕に力を込めたくらいで言葉を返そうとはしてこない。

壬生が怪我をして。側にいたかった。
でも、目が覚めた時、自分は村雨の腕の中にいて、そして安心感に満たされていたのだ。
その事実に愕然とした。
どうして?
ずっと考え続けていた。
今も壬生の事は好きなのに。何か違う気がした。違和感を感じる。

―――他の奴に抱かれて何か変わったのか?

自分の想いがそれで変わったというのなら、自分という人間性の貧しさに耐えられない。
快楽を与えてくれるなら誰でも良いのか?と言う事になる。
そんな自分が怖くて、分からなくて、動く事が出来なかった。

「想い…。」

前に村雨が呟いた言葉だ。
どういう意味なんだろう?

「……なぁ、お前にとっての家族…って何だ?」

自分の考えに没頭し始めた頃、眠そうな声で村雨がそれだけ言うと、スゥスゥと寝息を立て始めた。
「おい…人にモノを聞いて置いてそのまま寝るな。」
文句を言いながらも、あまりに唐突な村雨の言葉に返す事の出来なかった如月はそのまま寝かせておく事にした。
「家族?」
今まであまり考えた事もなかった。自分にとって家族は縁遠いモノだった。父はなく、母もない。祖父は一族を束ねる頭領として存在していて、家族…というモノではなかったように感じる。
家族。
その言葉を聞いて真っ先に思い浮かべたのが彼、壬生紅葉。

違和感を感じる。
何かを知っているのに、知っていない。分かっているんだが、分かりたくない。認めるのが怖い…そんな感情に支配された。

一体…僕は何を思っているんだ?

不可解な自分自身を抱えて、一睡もすることなく如月は朝を迎えた。

―・◆・―

壬生の治療を頼む専門医の件だが、たか子が連絡を取って数日後、相手の方から連絡が来た。現在抱えている患者が終わり次第こちらに向かうとの事だった。
結局その後、1週間ほどしてからやってきた。
「細野…です。宜しく。」
そう言ってにこやかに笑った彼女は美しい人だった。長い黒髪を後ろで束ねて垂らし、無駄な肉など付いていないだろう程スリムな身体は白衣が似合っていた。
「こちらこそ…宜しくお願いします。」
そう言って由羽は頭を下げた。
未だに壬生は目を覚まさない。静かに横たわる壬生は少しずつ衰弱していく。そんな様をずっと由羽は見続けていた。何も出来ない自分が歯がゆく、誰よりも心を痛めてた。それが分かるから、仲間達はちょこちょこと顔を出しては二人を見舞っていく。
今日は亜里沙が来ていた。この後一緒に舞子と買い物に行くのだと。
そんな亜里沙と話をしていたその時に細野が入ってきたのだ。
「こちらの人が…そうですね?」
「そう、です。」
壬生を見やると彼女はすぅっとその表情を改めて、側に立ち、壬生の手を取って目を瞑った。
暫くした後、そのままもう片方の手で壬生の額に触れる。
チリッと一瞬放電のようなモノを見たような気がしたけれど、それは気のせいだったかもしれない。
「ふぅ…。なかなか頑固ですね…。若いのに大した精神力ですね。」
そう言って壬生から離れた細野は由羽をじっと見た。
「あ、あのっ…。」
「なんだい、さっさと言いなよ。焦らされるのは性に合わないんだよ。」
突っ張った物言いの亜里沙だが、その瞳が真摯に瞬いていて、細野は微笑んだ。
「そうですね。ハッキリ言います。このままでは無理です。彼はあまりにも頑なに拒んでる。」
「拒んでる…って何をですか?」
「そうね、恐らく自分自身、と言った所かしら?」
「だから、どうしたらいいんだい!」
青ざめた由羽を庇うように亜里沙が前に進み出て細野にくってかかる。
「だから、彼の中に入り込みます。」
「入る…って。」
「彼の中に入っていって、直接魂に触れなければ無理でしょう。彼が何を考え、何を思っているのか。分からなければ彼を目覚めさせる事は出来ないわ。」
亜里沙が伺うように後ろを見れば、キッと真っ直ぐ見つめる由羽の瞳とぶつかった。
そうだった…と亜里沙は苦笑を浮かべた。
彼女がこんな事くらいで逃げる位なら、自分達は仲間になどなっていなかっただろう事に。彼女は誰よりも強い。それは肉体的な事ではなく、魂がだ。だからこそ好きなのだ。
「しょうがないわねぇ、全く。この亜里沙様が一緒についていってあげるわ。」
髪をかき上げるようにしてウィンクをする亜里沙に由羽は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふ。本当に彼女に聞いていた通りね、あなた達。私についてくるつもりなんでしょう?」
「駄目…と言われてもついてきます!」
静かに決然と言う。強い意志があり、迷いのない瞳に細野は微笑んだ。
流石に多人数は不可能だから2人くらいなら何とかなるわ…そう言う細野に由羽はありがとうございます、と頭を下げた。
だけど…と細野は条件を付けた。
「行けるのはあなた…ともう一人、彼だけよ。」
「え?」
「なんだよ、私は駄目だって言うのかい!?」
彼という言葉に自分は含まれていない事を知って亜里沙は憮然と表情を硬くした。
「彼…って…。」
困惑する由羽に細野は悠然と告げた。
「如月…って言う男の子。」
一瞬その場の空気が固まったような気がした。
ピシリと穏やかだった空気が肌を突き刺すようなモノに変わる。
「ど、…うして如月の事を…。」
「ふふ…どうしてかしらね……。」
そう言って煙に巻く細野を由羽は睨み付けた。
出来るならば彼をここに呼びたくはなかったから。もう二度と壬生と触れ合わせたくなかったから。それが醜い嫉妬心であることは分かっていたけれど。
「でも、由羽ちゃんと如月君…二人しか無理ね。」
「どうしてそんな事が言えるんだよ!」
「分かるわよ、さっき壬生君の表層意識を覗いたんだもの。」
くってかかる亜里沙にあっさりと告げた細野は柔らかいが本心を読む事が出来ない笑みを浮かべる。
「だから。由羽ちゃん、もし壬生君の中へ入りたい…と思うなら彼を連れてくる事。コレが絶対条件よ。」
「………………………………分かりました。」
長い長い沈黙の後、一度目を伏せた由羽はきっぱりと答えて細野を見つめた。
「では、後日…如月君がいる時に治療を行いましょう。じゃぁ、ここに連絡頂戴ね。」
名詞を由羽に渡すと細野は颯爽と部屋を出ていった。
「何よあれ!」
納得行かない亜里沙はブツブツと文句を言っていたが、暫くしてから由羽に微笑んで見せた。
柔らかい笑みだ。
初めて会った時には決して見る事のできなかった表情。
「由羽…。」
「うん、ありがとう。」
その眼差しが「がんばんなよ!」と応援してくれていたから。嬉しくて由羽はしっかりと頷いた。

―・◆・―

見舞いに来てくれた亜里沙。当然京一の事を聞かれた。だから素直に答えた。
自分は壬生が好きなんだと。好きになってしまったんだと。
嫌われると思ってた。怒られると思ってた。
でも。
「そっか。人の思い…って本当に思うようにならないよね。よく言わない?最初から好きなる人は運命の人ただ一人だけだったら、誰も間違わないし、誰も傷つかないのに…って。本当だよね。でもさ、だけどさ。恋で苦しんで傷ついて、でも、また恋をして。私はそんな強い人間が好きだよ。間違いの中から、傷だらけになりながらでも本当のモノを見つけだす為に頑張るのって良いよね。」
優しく微笑んだ亜里沙に救われた気がした。他の誰でもない亜里沙の言葉だからこそ身に染みる。恋ではないけれど、愛するモノを失った事がある彼女だからこそ。そう言える彼女の強さが由羽も好きだった。
涙ぐんで「ありがとう」と言えば、そんな事くらいで嫌いになんかならないよ!馬鹿にしないでよね!と逆に怒られた。
嬉しくて。
自分が彼を好きでいても良いのだと。赦された気がした。

―・◆・―

感謝の気持ちを詰め込んでそっと亜里沙に抱きついた。
「由羽?なんだい、どうしたんだよ。こら、由羽?」
しがみついてくる由羽に、苦しんだんだね、と亜里沙は心の中で呟いてそっと背中を抱きしめた。
どんなに強くったって女の子だもんね。
でも。だからこそ恋する女の子は強いんだ。がんばんなよ。
ぽんぽんと想いを込めて背中を叩く。
「じゃぁ、京一フリーなんだ?そっかぁ〜、ふぅうううん…。」
その場を180度替えてしまうような、軽い口調で告げられた内容に由羽は心底驚いた。
「え?亜里沙…もしかして?」
「さぁーて…どう思う?」
由羽ににやりと笑えば由羽はわかんない、と首を振った。
「教えてよー!」
「だぁ〜め♪」
「けちっ☆」
「あははは。」

静かで静かで寂しいくらいの病室に笑い声が響く。
その声が壬生にも届くといい…、そうしたら壬生が目を覚ましてくれるかも…そんな事を想いながら由羽も笑った。
―――亜里沙、本当にありがとう。

 

@01.05.12/01.05.23/