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『愚者の見る夢 6』

「よぉ、帰ったぜ。」
「……なんで“帰った”なんだ。間違えるな。貴様は貴様の家に帰ればいいだろう。」
「まぁ、まぁ、固いこと言いっこなし。」
ニヤニヤと笑みを浮かべて、問答無用とばかりにずかずかと家の中に入ってくるのは村雨だった。

結局あれ以来何故か村雨は如月の家に入り浸っていた。
と言うか、住み着いていた。
そんな村雨に結構文句を垂れている如月もその表情は穏やかだ。
「今日は病院に行ってきたんだが…。」
ピクリ…。
如月の体が揺れて。
「そうか。」
一言呟いた。
「ちょいとおかしな事になっているようだ。」
「おかしな事?」
村雨の言葉にざわめき乱れた心を押し隠すようにして如月は、既に定位置となってしまった場所にしっかりと座り込んでいる村雨の向かい側に腰を下ろした。
「なんでそんな遠くに座るんだよ。ここに来いよ。」
座卓越しに村雨が意地悪く、そう言って、自らの膝の上を示せば、どこからか湯飲みが飛んできて、パシッと村雨は左手で受け止めた。
「…………。」
「はいはい。わぁーってるよ。」
苦笑しつつ村雨がスゥッと表情を改める。
「壬生の…事なんだがな。」
グッと膝の上に置かれた如月の手に力が入る。
「まぁ、状態も落ち着いたし、もう大丈夫…って事らしいが………。」
一瞬落ちた沈黙に如月が一度目を閉じたと思うと、真っ直ぐに村雨を見つめた。
「……目が覚めないらしい。」
ポツリと言った村雨の言葉に如月は眉を動かした。
「何?目が覚めない…って…。どういう、事だ?」
「先生曰くよ。壬生の野郎が“目覚めたくねぇ”って、最後の最後で治療を拒絶してるんだってよ。」
「そ、そん…な……っっ!」
ぐいっと身を乗り出して、顔を青ざめさせた如月に村雨はポンポンと頭を安心させるように叩いた。
「今度助っ人呼ぶってよ。」
「助っ人?」
「ああ、そう言う精神方面を専門にしている奴を呼ぶんだと。」
「なら大丈夫なんだな?」
「ああ。」
本当は、大丈夫かどうか何て解らない。だが、壬生の側には彼らが居るのだ。彼女が居るのだ。何とかするだろう…そう思えた。そして何より、この目の前の不安定になっている如月に余計な不安を抱かせたくなかった。
「そうか。」
多少落ち着いた表情の如月はそれでもやはり何処か不安そうに揺れていた。
「あの医者の知り合いだ。大丈夫さ。」
余裕綽々と言った感じで村雨は笑った。

―・◆・―

その日の夜、ふと目を覚ました村雨は一人周囲を見回した。
誰もいない、静かな部屋。
「ふん……。やっと行ったのか…。」
如月は結局今まで一度も病院には行っていなかった。だからこそ零れ落ちた言葉。
一人ぼりぼりと髪を掻きながら、窓の外を見上げた。
いつもなら側にある温もりが今はない。結構冷たくて、寒くて、寂しいもんだ…と苦笑を浮かべた。
こんな風に他人の温もりを恋しがるなんてなかったから。常に“恋”は遊びと本気の中間で揺れていた。精神的なものより遥に肉体的なものを即物的に求めていた。だから。
こんな風に相手を求めるのは初めてで。少し戸惑った。

何度も肌を重ねた。教えるように。教え込むように。“壬生”を消すかのように。いや、そうではなく、彼の中の“壬生”が本来の“壬生”に戻るために、本当の“真実”に気付くように。
言葉にしない想いを伝え続けた。

通じているだろうか?

不安は幾らでもある。
自信もある。
でも。

「如月……。」

窓の外に冴え冴えとした月が輝く。
さっさと帰って来いよ、と心の中で呟いた。
そんな自分に少し笑えて、唇の端を吊り上げた。
と。

「……村雨?起きていたのか。」
「如月…。」
音もなく姿を現したのはこの家の主人である如月。
「ああ、ちょっと寒くてな…。」
ニヤリと艶を含んで見つめれば、如月は「そうか。」と一言だけあっさりと言い、部屋を出ていった。
でも、見逃しはしなかった。か細い月光に照らされた白い面に僅かな朱が散ったのを。

暫くして服を着替えてきた如月が部屋に戻ってきた。
「…まだ起きていたのか?」
「なんだよ。折角待っていてやったのに。ひでぇー言われようだな。」
「誰も待っていてくれ、等と言っていない。」
言いながらすぐ側を通り過ぎて自分の寝床に付こうとする如月の細い腰に腕を回して自分の方へと引き寄せる。
「な、に…するんだ!!」
「何、じゃねぇーだろ。それに………。」
人の悪い笑みを浮かべて村雨はわざと如月の耳元で囁く。

―――待ってて欲しかったんだろ?

「なっっ!!!」
頬を染めて如月が文句を言おうと振り返ったのを問答無用で口を塞いで押し倒した。

―――教えてやる。

「何をっ…ん、んんっっ!」

―――偽りでない真実の想い。

「や、やめっ…。」

―――本当に求めているものがなんなのかを。

「村、雨っ……ぁっ…。」

如月の抵抗が弱々しくなり、逆に甘やかな吐息を漏らし始める。
背中に細かく振るえる腕が回されて、しがみつかれて。

熱い想いを込めて。
強く抱きしめる。

艶やかに乱れる如月の姿態を月光がうっすらと浮かび上がらせ、二つの体が絡み合うようにして蠢く。
そして。

―――白み始めた天から淡い月が消えた。

 

@01.05.10/01.05.12/