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『愚者の見る夢 5』

ふと自分を抱きしめる暖かい温もりに意識がぼんやりと覚醒した。
余りにも心地よいその温もりに体を僅かにすり寄せるようにして、再び目を瞑った如月の髪をサラリと梳く者が居た。
何度も何度も繰り返される優しい感触に、身を任せていた如月は違和感を覚えた。

これは?

――― ユ メ ? ―――

いつもとは余りにも違った優しさに心が疑問を持った。

おかしい。こんなのは…。………じゃない。

でも、怖くて目を開けることが出来ない。今目を開ければ。見たくない現実を、真実を突きつけられそうで怖かった。
少し体を震わせる如月を力強い腕が抱きしめてくる。
「夢なら夢でも良いんだがな。まぁ、ちぃーと切ないが。」
苦笑を浮かべただろう気配がして、如月はパッと今自分を優しく包んでいる人物を見上げた。
その声は。
知らないけど、知っていたから。
こんな場所で聴いたことのない声。でも、良く知っている……。
「…村、雨…?」
「よぉ…目ぇー覚めたか…。」
見たこともないような真摯な眼差しをした村雨が其処にいた。相変わらず如月を抱きしめたまま側にいる。
「なん…で……。」
「さぁな。」
呆然と村雨を見上げる如月に、村雨は一つ目を伏せると話はソレまでだと言わんばかりに煙草を吸い始めた。
きっと何を聞いても、はぐらかすようにして答えないのだろう。

ぼんやりとした頭を振って如月は記憶を辿る。
確か。自分達は最後の黄龍との戦いをしていて。そこで。
そこで……。

紅い華が咲く。
パッと飛び散った花弁は如月の視界を染め上げる。
頽れる体と、浸食する勢いで広がる紅。

「壬、生……。」

震える小さい声で呟けば全てを思い出して。
彼が此処にいる筈がない。
彼が側にいるはずがない。
彼は奪われたのだから。
自分の手の届かないところへ。
壬生、は。

「生きてるぜ。」
ビクッと体を震わせてゆっくりと如月は村雨を見つめた。その瞳は大きく開かれて、だんだんと潤んでくる。
震える口が動く。声は…ない。
「ああ、生きてる。」
如月はふわりと泣きそうな顔をしながら透き通るような笑みを浮かべた。
村雨は一生この笑顔を忘れることは出来ないだろうと思った。それ程までに儚く美しく。
心を縛り付ける。

安堵のため息を吐いた如月は自分が裸なのに気付いた。当然自分を抱きしめている村雨も同様だった。如月をさっきから包み込んでいた温もりは村雨。
では、自分は。自分は?
驚愕に動かなくなった如月に村雨は何も言わない。只、抱きしめ続けるだけ。

「なん、で…。」

自分は温もりを感じて居るんだろう。

「どうして…。」

自分は心穏やかになって居るんだろう。

「僕は?」

満たされた気持ちが如月を包み込んでいる。

「わか…らな、い…。」

壬生は生きている。
ソレは嬉しい。思わず涙を流してしまいなくなる程。でも、じゃぁ何故この優しく暖かく自分を戒める腕を抜け出すことが出来ない?自分を包む存在が彼でないことに驚愕しながら、心地よいと思い続けている?今も心を満たすこの想いは何?

首を振る如月に村雨は優しく何度も何度も頭を撫で続ける。
「想い、って奴だな。」
そう言って、煙草の煙を吐き出した。
「想、い…?」
村雨の言葉に如月は首を傾げた。
「想い………。」

どう言うことだろう?
如月はとても落ち着いていて、気持ちがいい反面、解らない感情…いや、自分自身に混乱してきた。
「まぁ、余り一片に考えすぎるこたぁねぇからな。眠ってろ。」
そう言って如月の頭を自分の方に引き寄せた。
引き寄せられた如月は一瞬、腕に力を込めて逃れようとしたが、全然かなわない。あっさりと封じ込められてしまった。文句を言おうとして、黙り込んだ。

トクンッ…トクンッ…。

聞こえてくる鼓動。一定のリズムを刻み如月を優しく包み込む。
気持ちが。
穏やかになる。
満たされて。
このままこうしていたくなる。
村雨の胸に頬を寄せて如月は目を瞑った。
村雨は大人しくなった如月をずっと抱きしめながら、その艶やかな髪を梳きながら、指先で弄っていた。
「初めて…か。………全く壬生の奴も…もっと上手くやりやがれッ…。だが……。」
数分経って静かな寝息を立て始めた如月の寝顔を見つめながら村雨はニヤリと笑みを浮かべた。
「覚悟…してもらおーじゃねぇーか。なぁ、如月……。」
煙草の煙を吐き出して。
視線をふと宙へと向けると睨み付けた。
「お前にゃ渡せねぇーな。」

 

風が。
吹いた。

 

『誰?』

声が聞こえたような気がして壬生はふと顔を上げた。
視線が宙をさまよう。
ふわりと空間が揺れて、其処に人影が映し出される。

『お前にゃ渡せねぇーな。』

声が響く。
ふとそう言った男が顔を上げて、真っ直ぐに壬生を正面に捕らえて射抜く。
壬生は心持ち握る拳に力が入った。
見えているはずないのに。
―――視線が痛い。

その腕に大切そうに抱えている。
眠る人を。
穏やかな表情で眠る彼の人を。
自分の腕の中では決して見ることのなかった表情。
壬生にはそんな笑みを浮かべさせてあげることはどうしても出来なくて。
ソレは余りにも当然なのだが、自分自身の罪を突きつけられて。
表情を歪めた壬生は静かに頭を垂れた。

『…宜しくお願いします……。』

いい加減、解放しなければならない。
これ以上縛り付けたとしても、誰も幸せになどならないのが解っているから。
せめて。
あなただけでも。

『幸せに……。』

祈るような気持ちで如月の顔を見つめた。

あなたから笑顔を奪ったのは自分。
あなたから穏やかな時間を奪ったのは自分。
自分一人の勝手な苦しみから、巻き込んでしまった。

あなたは反論するんでしょうね。
『これは自分の意志だ。馬鹿にするな!』と。
それでも。
あなたが見ていた“壬生”という存在はないんですよ。
僕を見つめながらあなたの瞳は遠くを見てた。違うものを見てた。

ソレに気付かなかったあなた。

そして、ソレを利用した僕。

でも、全てに終わりが来る。何時までも続くはずもない。
すぐに気付くでしょう。あなたなら。あなたは一人ではないのですから。
温もりを与えてくれる人が。
其処に居るんですから。

気付いたとき。

きっとあなたは飛び立てる。

好き…でしたよ、如月さん。
あなたの“想い”とは違うけれど。

初めて家族のように感じた人。
側にいて温もりと穏やかさと優しさをくれた人。
兄のように。弟のように。
あなたの存在に救われていた。

だからこそあなたに甘えて、甘えて、甘え続けた僕は………。

ゆうるりと首を振った壬生は再び目を閉じた。
唇だけを動かす。決して声にはならない。

願い。

―――幸せに…―――

 

風がふわりと通りすぎて、壬生の髪を揺らした。
だが、壬生はピクリとも動かない。

風が。
ひゅぅ…っと鳴いた。

 

@01.05.10/