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『愚者の見る夢 4』

「由羽。」
「…んっ…あ、ああ、たか子先生…私?」
「もう大丈夫だ。安心しろ。」
「…あ…壬生…大、丈夫?」
「ああ。」
壬生の病室の外で待ったまま眠ってしまっていた由羽を起こしたのはたか子先生だった。彼女は由羽を起こして、もう壬生は大丈夫だと。もう安心していいのだと、しっかりと頷いて見せた。
もう既にずっと付き添ってたか子の補助をしていた葵も紗夜も隣室で休んでいた。
「あ、ありがとう…ございますっ…!」
うっすらと涙を浮かべて頭を下げた由羽をたか子もまた嬉しそうに見つめた。
「こんないい男をむざむざと死なせるもんかい…グフフッ…。」
「そ、そうですよね。先生が見逃すはずないですモンね…。あっ。でも、駄目ですよ、壬生は。」
しっかりと釘を刺す事を忘れない由羽だった。
これだけの余裕が有れば大丈夫だろう、とたか子は密かに微笑んだ。
「中に…入ってもいいですか?」
「ん。まぁ、構わんだろう。」
許可を貰って由羽は病室の中へと入っていった。
中には沢山の管をつけている壬生が眠っていた。
由羽はベッド側に椅子を持ってくるとそこに座って壬生の方を見つめた。
布団の外に出ていた壬生の手を取り上げて、愛しげに自分の頬に当てて、静かに涙をこぼした。
「暖かい…。」
壬生の生きている証拠を直に感じる事が出来て嬉しかった。

―・◆・―

「京一……。」
「んー…なんだよ。」
「いや……別に。」
「…………。」
病院の屋上で一人外を眺めていた京一を見つけて醍醐は後ろから声をかけた。
京一は振り向かない。
その明るい髪の毛を風が優しくなびかせている。
冬の澄んだ空気は何処までも見渡せそうな気にさせる。こんな新宿の汚れた空気であっても。
遠くの山が見える。
無言のまま、二人静かに遠くを見やった。

何もない普段通りの日常。
続く町並み。
ビルがあり、家があり、公園があり、学校がある。
人々が何も知らずに笑いながら通り過ぎていく。

「終わったんだな…。」
「そうだな…。」
醍醐の言葉に京一も頷いた。

終わった。
そう終わったんだ。何もかも。
鬼道衆との戦いも。柳生との戦いも。黄龍との宿星も何もかも。
そして―――。

「俺…中国行くわ。」
ポソリと呟かれた言葉に醍醐は少しだけ目を見開いた。
「そうか…行くか……。」
「ああ。」
「あまり無理するなよ。」
「わーってるよ。」

言葉は少ない。
いや、言葉はない。

“由羽のことはいいのか?”

出さなくても分かっているから。
出す必要もないから。

詳しい事は何も分からなくても、それがあの二人の出した結論だというのなら。自分がどうこう言うことではないことくらい承知している。できるなら…二人共に、一緒に幸せになって貰いたかったが。
「世の中なかなか自分の思い通りにならんな。」
小さく呟かれた醍醐の言葉に京一は嫌そうな顔をした。
「ったく。いつもは鈍すぎる程鈍いっつーに…何でまた今回に限って……」
「はははは…。」
醍醐は苦笑するしかなかった。

少し冷たいくらいの風が気持ちいい。
熱くなった心を冷やしてくれる。

「本当は…イヤなんだぜ。冗談じゃねーよ。でもよ……。」
「…………。」
「仕方ねぇーよな…あぁ〜〜あ…やーってらんねぇーよなぁー…。」
醍醐は黙ったまま京一の側に佇んだ。自分にできるのはそれくらいだから。
京一も醍醐の言葉を欲してはいない。慰めなんていらない。同情なんていらない。分かってる。だから…。
「中国の綺麗なオネェーちゃん達に早くあいてーな…。」
京一らしいと醍醐は思った。
悲しみに押しつぶされないだけの強さを持った男。誰よりも信頼し、誰よりも頼りになる、自分の一番の親友。
だからこそ醍醐は誇らしい想いに胸を張るように真っ直ぐ前を向いて微笑んだ。

―・◆・―

あれから数日過ぎた。
傷の方は順調に直ってきている。だが…。
壬生は未だに目を覚まさなかった。
「先生…。」
不安げに見上げてくる由羽をたか子は内心申し訳ない思いで視線を壬生へと逸らした。
ベッドで一人眠る壬生の顔は穏やかだ。
「どうやら…壬生には目覚める気がないらしいな…。」
「どういう、事ですか?」
「体の方に問題はない。全て順調にいっている。つまり心の方が問題らしい。」
「こ、ころ?」
「何を本人が拒んでいるのか分からないが…。最後の最後でわしの氣を拒絶して受け入れない。目覚めを受け入れない。」
さっと血の気の引いた由羽はじっと壬生の顔を見つめた。
「少し…痩せた……。」
「このままでは体がもたん。」
「せ、先生っっ!」
ぱっと振り返った由羽は必死な表情でたか子を見つめた。
「…わしに出来るのはここまでだ。これ以上は……。」
「そ、そんな!!なんとかならないんですか?!」
「…………ないでもない。こういった精神方面の知り合いが一人…いる。」
「だ、誰ですか!その人さえいれば何とかなりますか?」
「わからん。だが…とりあえず連絡は取っておくとしよう。少し時間が掛かるかもしれないが…な。」
「お願いします!」

病室の少しあいた窓から風が吹く。
柔らかく暖かい日差しを煌めかせながら風が吹く。

「壬生…目覚めて…壬生……。目を覚まして。私…あなたに言いたい事があるの。ねぇ、起きてよ。」
そっと他に誰もいなくなった病室で由羽は一人囁いた。

ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ………。

微かに機械の音が響く。
壬生の頬をそっと両手で挟み込んで、見つめる。
手を移動させて髪を梳く。さらりとした髪が指に少しだけ絡みつくようにして流れていく。
さらり、さらりとその感触が気持ちいい。
「壬生…ねぇ、起きて?天気凄くいいの。気持ちいいよ…。」
何度も何度も撫でて、自分の氣を注ぎ込む。
「紅葉…。」
初めて呼んだ壬生の名前はやけに切なく感じられた。

 

@01.04.28/01.05.12/