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『愚者の見る夢 3』

「壬生ぅ…壬、生…」
何度も何度も、涙を堪えて、嗚咽混じりに自分の名前を呼ぶ由羽がいた。
必死な表情で、哀しげな表情で、自分の方が居たたまれなくなる程。
思わず抱きしめて、「泣かないで」そう告げたくなる程、一生懸命に自分の手を握りしめたまま、名前を呼び続ける由羽が愛しかった。
愛しかった。きっと今までで一番愛しかった。
何時だって彼女の事は好きだったけれど。
今、他の誰でもない自分の為に彼女は泣いている。彼女は心を砕いてくれている。
その様は、とてもじゃないけれどただの知り合いに向けるものではなく。友人に向けるものでもなく。仲間に向けるものでもない。そのどれをも超えたモノを感じて。

―――愛おしい―――

彼女の瞳に自分への想いが溢れていて。それが嬉しくて。
でも、だからこそこれが現実でない事を知った。

僕は夢を見る。
夢を見る。

何処までも広がる広い世界。何処までも狭まる小さい世界。

ふわりと体が軽くなって何処にでも飛んでいけそうな気がした。
今まで自分を縛り付けていた“罪”というなの鎖はもうない。自分は解き放たれた。

全ての“罪”すら置き去りに、僕は自由になる。

夢を見る。

夢。

きっとこれは夢なんだ…。

―・◆・―

由羽の眼差しが痛かった。
憎しみと怒りに染まったその瞳。その眼差し。今までいくらでもそれと同じモノを受け続けてきた。標的達は何時だって自分を最後は同じ瞳で見つめてきた。

憎しみ。
悲しみ。
怒り。
そして……恐怖。

そして、それが当然のことだと知った。彼女の蓬莱寺への想いを知った。知った瞬間に自分の想いにも気づいた。
自分の初めての恋に戸惑うまでもなく、あっけなく終わったそれに笑うしかなかった。
離れようとして離れられず。
惨めにも彼女を見つめるだけの自分をあざ笑った。
近づけば、怖くて彼女を傷つける言葉で遠ざけておきながら、自分では離れられなかった。
好きだからこそ傷つけずにはいられなかった。

触れてしまった唇。
なんて甘い。

きっともう自分は耐える事ができない。
彼女に憎まれても。
恨まれても。
泣き叫ばれても。

この手に触れずにはいられない。

―・◆・―

「?」
誰か…僕を呼んだ?僕の名前を…呼んだ?
「誰?」

『壬生、壬生っ、壬生!!』

遠くから聞こえてくる声。
「由羽?」
軽く首を振った。彼女が自分を呼ぶ筈がない。
どこか助けを求めるような必死な声。
ならばいっそうにそれが自分に向けられたモノではないと思った。

もう声は聞こえない。

ふわりと軽くなった体は何処へでも行ける。
無視を決め込んだつもりでも、心は勝手に彼女を求める。
呼ばれていようと、呼ばれていまいと、自分の魂は彼女を求めてやまない。きっと気づけば彼女の側にいるのだろう。

風が吹く。冷たい風が壬生の心を攫った。

一瞬。
瞬きをした、その一瞬に自分が今までいた場所とは別の場所にいる事に気づいた。
「ここは?」
あたりを見回して、ぎくりと体を震わせた。
白い部屋。
さっきまで自分がいたのと同じような、似た部屋。違うのは騒々しく治療を施す人たちがいない事。機械が作動していない事。
でも。
そんな事はもう全てどうでもいい事。ただ壬生の視線は一心に一カ所に向けられていた。

一つのベッドに横たわる。
二人の姿。

「由、羽………。」

由羽と京一。
京一が由羽の体の上にその身を覆い被せ、由羽は京一の背中を愛しそうに、大切そうに抱きしめていた。

目を。
視線をそらせない。

由羽が京一の頬を両手で挟み込んで。優しく切なげな瞳を向けている。

「由羽っっっっ!!!!!!!」

張り裂けそうな想いをそのまま叫ぶようにして名前を呼んだ。
彼女は気づかない。

トサリと京一の体が沈み込んで、二人が抱き合う。

「!!!!!!!!!!!」

声にならない叫びがあたりを震わせて、壬生はぎゅっと目を閉じた。

自分は既に諦めたのだから。関係ないのだから。こんな感情はおかしいのだと言い聞かせて。
幸せに……そう思う。
でも、こみ上げてくる想いに、これ以上。

耐えられない。

これが現実。彼女は蓬莱寺が好きなのだから。
きゅっと軋む程に苦しい胸を押さえつけるようにして壬生はその場に蹲った。

夢を見よう。
―――“想い”を封じて。

僕だけの夢。
―――彼女の幸せを願う。

夢を。

風が吹く。
さわりと壬生の周りを風が包み込んで。
優しく、暖かく穏やかなその風の中壬生は意識を沈めた。
深く深く…水底に降りるように。

風が吹く。
小さく小さく聞こえたような声を壬生は故意に無視した。

『壬生は大丈夫だって。』
『うん、そうだよね。』

『京一、ありがとう…大好きだよ。』

何も聞こえない。
何も。聞いてはいけない。

ぎゅっと膝を抱え込むようにして、壬生は眠りにつく。
膝を丸め、膝を抱え込み、膝の上に顔を載せるようにして、瞼を閉じる。

何も聞こえない闇の世界。
深海の底のように静かで穏やかで、波たつものも何もない。

僕は―――

そして意識が…闇に溶けて消えた。
もう風すらも感じる事はできない。

夢を、みる。
夢を……見なければならない……。

 

@01.04.28/01.05.12/