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『愚者の見る夢 2』

「大丈夫だよね?大丈夫だよねっっ?!」
「ひーちゃん…。」
「大丈夫だ。」
ガタガタと体を震わせながら言う由羽に小蒔の隣に立った醍醐は安心させるかのように頷いた。
そんな確信なんかない。醍醐に医療関係の知識が十分備わっているわけでもない。でも。
信じたい想いは一緒なのだ。共に戦ってきた仲間だ。色々と問題があって、仲がいいと言うわけではない。それでも願わずにいられない。
何よりも。
目の前の由羽を見ていると、彼女の為にも無事であって欲しかった。

由羽をかばって倒れた壬生。
どれ程自分のせいだと、自分で自分を責めているだろう。
そんなことを壬生が望んでいるとも想わない。
慰めたくても。
自分にはこんなことか言えない。

「なんてぇー顔してんだ、ほれっ☆」

ムニッ。

その場に不似合いな程明るい声がして、その場の空気が変わった。
ほっぺを捕まれて由羽は驚きに一瞬動きを止めた。
「え?」
「京一っっ!何するんだよっ!!」
「桜井。」
文句を言おうとする小蒔に醍醐はやんわりと静止をした。普段仲裁に入る葵は現在たか子先生と一緒に治療室に入っていた。
「醍醐君…。」
フルフルと小さく首を振って、そのまま小蒔の肩を押すようにして醍醐はその場を離れた。

「きょ、京一……今まで何処に……。」
「ん〜…ちょっと服を…な。」
言われてみれば、壬生を如月から取り上げた時に付いたはずの血が今の服には付いていなかった。まっさらなTシャツ。
「京一…わ、私……私っ!」

もうこれ以上京一に黙っている事何でできなかった。
何時だって自分を見つめて、支えてきてくれた京一。好きだった京一。だからこそ、彼をこのまま裏切り続けたままでいられなかった。
そして何より。
壬生の側にいられない自分に耐えられなかった。
一緒にいたいのだ。
どんなに嫌われていても。どんなに嫌がられても。

―――あの人の側にいたいの―――

その為にも。
もうこれ以上今まで通り何もなかったかのように過ごす事などできなくて。
前に。
進むしかなかった。

震えながらも一生懸命何かを告げようとする由羽の唇を京一はそっと指で止めた。
「大丈夫に決まってんだろ?アイツだぞ?あの壬生がこんなにあっさりくたばる位なら、誰も苦労しないって。」
おどけた言い方をする京一。でも、その眼差しは言葉とは裏腹で。
「京一…知って…………?わた、し…あのっ本当は…。」
京一のどこか翳りを含んだ瞳に既に自分の気持ちが知られていた事を知った。
当然と言えば当然だったのかもしれない。彼は…妙なところで鋭いのだ。そして、何時だって自分を見つめ続けてくれていたのだから。
続きを言い掛けて、由羽は京一のそれで唇を塞がれた。
「やっ…きょ、京、一…んんんっ…なにっっ…ぁ…。」
「駄目だ。それ以上聞きたくねェー。…由羽…由羽……。」
京一は切なげに名前を呼びつつ、激しく貪るように由羽の唇を味わう。柔らかい唇を嘗め、舌を差し入れれば柔らかい由羽のソレを追いかけるようにして絡めとって、吸い上げた。
「んっ…や、…いやあっ…あぁ……。」
嫌、嫌、と逃げる由羽を無理矢理押さえつけるように深くキスをして。
そのまま空き部屋となっている隣室に入った。
壬生の怪我の理由が理由である。その上、此処は一般的には只の産婦人科であり、こんな外傷を負った重症患者が居ることは公に出来ることではなかった。
当然病院の奥まった人気のない場所を割り当てられていた。
だからこそ。
隣は空き部屋だし、周囲に人は居なかった。

トサッ…。

ふと柔らかいベッドの上に押し倒されて由羽は目を見開いた。
「な、なに?京…一………??」
まさかこんな所で?
そう思って、体を起こして、逃げようと試みて、あっさりと京一に体を拘束された。
「由羽…由羽……。」
苦しげに吐き出すように自分の名前を呼ぶ京一をただただ、凝視した。

京一は。
知ってる。
私が。
好きだと言うことを。
知ってる。
壬生、への想いを。

「京一…。」
「駄目だ。俺は…何も聞かないっっ!」
きつく睨み付けてきた京一はそのまま乱暴な程の荒々しさで由羽の体に手を這わせた。
「やっ!京一、止めてっ!!」
スカートの中へと侵入してきた京一の手を一生懸命押さえるようにして阻む。でも、そんな由羽の抵抗をあざ笑うかのように、あっさりと奥の方へ侵入してきた手は、淫らに蠢く。
「はぁっ、…んんんっ…い、やぁ…ふっ。」
肌を刺激するその感触に由羽は微かに体を震わせた。
「由羽…何で…何で…抵抗なんてするんだよ!なんでっっ!!!」
再び口を塞がれて、由羽はしがみつくようにして京一の背中に回した手で京一の体を引き剥がそうとしたが、力の入らない腕では何もできなかった。
「んっっっ、やぁあ!!!」
無理矢理顔をふって、京一の唇から逃れて、泣き叫ぶ。
「や、やぁ!…壬、生、壬生っ、壬生ぅう…!」
イヤイヤと涙を零しながら抵抗し、その唇で他の男の名前を呼び続ける由羽を京一は見下ろした。

ぽたり。

「なんで………なんでなんだよ…。」
「………えっ…?」
「どうしてっ…くそっっっ!」

自分の腕の中で泣きながら嫌がっているのは自分の好きな女。
そして自分を好きなはずの女。
今まで何度もキスをして。何度か肌を重ねた。
時折照れたように頬を染めながら、でも、確かに嬉しそうに、幸せそうに下から自分を見上げていた由羽はもう何処にも居ない。
優しい甘い吐息を零して応えてくれた由羽はもう何処にも居ない。
―――居るのは。

他の男の名前を呼び。
他の男に助けを求める。
俺を拒絶する由羽。

今まで認めたくなくて、ずっと逃げ回っていた。
真実から目を背けていた。
でも。
突きつけられた。
逃れようもない程に。目を逸らしようもない程に。
今このまま壬生が死んでくれたなら、そう想ってしまう自分が嫌で嫌で堪らない。
悔しくて、哀しくて、もどかしくて。叫びだしたい衝動を堪えて京一は拳を握りしめた。

それは一滴の抑えきれない想いを詰め込んだかのような涙だった。

「京一………。」
覆い被さるようにしている京一の涙を見つめて由羽は言葉をなくした。
たった一粒の。綺麗な。
綺麗な涙。
京一をこんなに追いつめたのは他でもない自分なのだと胸が痛んだ。
それでも。
血を流して倒れ伏した壬生を見た時の胸の痛みに比べるまでもない。
そんな自分に嗤ってしまう。
人は何処まで残酷になれるんだろう。
申し訳ない想いを、押し殺して。

もう自分を偽ることは出来ないのだから。もう…これ以上は…無理なのだから。
だから。

「京一、ごめんね…。」
そっと下から腕を伸ばして京一の頬をそうっと包み込んだ。
「京一。大好きだったよ。ううん、今も大好き。京一のこと、本当に好きよ…。」
「ば、かやろ……。」
小さく呟かれた京一の言葉。ソレすらも愛しくて。でも。
でもね。
「ごめんね…私、京一の事を一番に好きでいられなくて。ごめんね…。」
「きき、たくねぇーよ……そん、なの…。」
苦笑いを浮かべる京一に、由羽は逆に泣きそうな顔になった。
謝る資格もない。
赦して貰う資格もない。
「京一……あり…がとう…。」
今までの楽しい思い出、全てを抱きしめて呟いた。
じぃっと京一は見つめてくる。見つめて。
パサリと由羽の首もとに顔を埋めて力無く覆い被さった。
「京一……。」
全く動かない京一をずっと由羽は抱きしめていた。
どれ程そうしていただろうか。
静かで長い時間を経て、ふっと上体を起こした京一がニヤリと何時も通りの笑みを浮かべて由羽の頬を引っ張った。
「なんてぇー顔してんだ、ほれっ☆」
「きょ…??」
急に一体何を?そう思った由羽は優しい笑みを浮かべる京一に同じく微笑んだ。
「そう、だね。笑う角に福来足るってね♪…って京一はこんな言葉知らなかった?」
「なっっ!人を馬鹿にしやがって、そんくれぇーしってらぁ!」
「えぇー、本当かなぁ〜?」
くすくすくす、と笑う。

やっぱり京一は優しい。本当に。
誰よりも。
好きだった人。
胸を張って言える。こんなに素敵な人だから。

ごめんね、京一。無理をさせて。
ありがとうね、京一。笑ってくれて。

ベッドの端に腰掛けながら、髪を掻き上げる京一の姿を見ながら由羽も起きあがって、乱れた服を直した。
「すまねぇ…。」
小さく小さく呟かれた言葉に由羽は苦笑いをした。
「なーに言ってんのよ。………“なんてぇー顔してんだ、ほれっ☆”……」
お返しとばかりに、ムニィーっと京一のほっぺたを引っ張った。

病室に射し込んだ陽射しが暖かい。
ふわりと吹き抜けた風に、髪が揺れた。

微かに哀しく優しい笑顔を浮かべて京一は目を伏せた。
「壬生は大丈夫だって。」
俯いたまま京一はそう言うと、ポンと由羽の頭に手を置いた。
温もりが優しい。
「うん、そうだよね。」

静かな病室を風が通り抜けた。
その風だけが。聞いていたのかも知れない。

――京一、ありがとう…大好きだよ――

 

@01.04.27/01.04.28/01.05.12/