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『愚者の見る夢 1』

何も感じない。
何も見えない。

ソレは恐怖。

ソレは安息。

君を見ることも感じることも出来ないそれこそが。
僕にとって救いの道。

全てに。
終息を。

―・◆・―

ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…ピッ…

静かな部屋の中に小さく規則正しい音が響く。
白い部屋。
一つのベッドと、白いカーテン。ベッドの側の機械とその機械から出ている管。
そして横たわる身動きすらしない………人。

中央桜ヶ丘病院。

静かに横たわり続ける人の側にふっと人影が現れて、跪く。
「壬生……。どうして…?………そして、僕は……。」
艶やかな黒髪が流れ落ち、俯いた顔を隠した。
「分からないんだ。僕は自分の気持ちが。自分の“想い”が。君には分かっていたんだろうか?なぁ、教えてくれ。起きて、いつものように………。」
深夜、他に人気の少ない病院。
如月は壬生の白い手に触れてそっと自分の頬に当てた。
「暖かい…。暖かいのに……。なんで起きない?なんで目を覚まさない?なぁ、壬生………。」
小さい呼びかけは誰にも届くことなく、カーテンの隙間から射し込んだ月光に溶けて消えた。

―・◆・―

最後の戦い。
最後の黄龍の足掻き。
最後の一撃。
それは。
彼女を狙っていたその一撃は。
壬生の体へと叩き込まれた。
いや、自ら受けた。

「壬生ぅうううううう!!!!!!!!!」

時が止まる。
由羽の叫び声に振り返れば。
鮮やかな紅い滴が美しく舞い散る中を壬生がふわりと力無く倒れ込んだ。

ゆっくりと髪が揺れ。
目を伏せたその表情は何処か穏やかで、今まで自分が見たこともない。
その血の気の失せた唇は少しばかり弧を描き柔らかな笑みを浮かべて。
宙を切るその指先は白く細く綺麗で。

トサリッ。

小さな軽い音を立てて、彼は倒れた。
倒れて動かない。
ジワジワと倒れ込んだ壬生の辺りに紅い水溜まりが広がっていく。

幾つもの悲鳴。
幾つもの怒号。

その後のことは余り覚えていない。
只。
ゆっくりとしか動かない足に鞭打って、引きずるようにして壬生の側に行き、その身を抱きしめた。
零れ落ちる紅い滴が服を染める。
「血………。と…まらない…と、まれ、止まれ止まれ止まれっっ!」
泣き叫ぶようにして只彼の体を抱きしめた。
混乱した頭はいつもの冷静な対応を導き出すことは出来なかった。

「壬生……?」
呆然とした様子でゆっくりと近づいてきた由羽がポツリと漏らした。
「うそ…でしょ?壬生は…強いんだもの。壬生は誰よりも……ね、ねぇ…壬生…起きなさいよ…。」
ペタン。
しゃがみ込むようにしてぺたりと座った由羽が震える指を壬生に伸ばした。
「さ、わるな…。」
ビクリッ
その指先が一瞬大きく揺れて止まった。
視線が重なる。
彼女を睨み付ける僕と。
僕を真っ直ぐに見つめる彼女と。
「いや…。」
「僕のものだ。触れさせないっ。」
「いやよ。私は…これ以上…後悔したくないっ!」
「駄目だっっ!」
問答無用に手を伸ばす彼女から一生懸命壬生の体を遠ざけて頭を振る。

触れさせたくなかった。
きっと彼女が触れれば、何か。
変わるかも知れなかったから。
怖かったから。
もし自分が呼んでも起きないのに、彼女が呼んだだけで。
側に来ただけで。
その目を開けたなら。
僕はどうすればいいのだろう。
彼女のみを守るようにして倒れた壬生。
その事実だけで。
もう充分。
これ以上は。
もう……。

「馬鹿野郎っっ!!!!!何やってるんだ!さっさと治療しなけりゃ、やばいんだろうが!!!如月!!!しっかりしやがれっっ!!!!!!」
その怒声は。
峻烈な熱い氣がその場に居た二人を包み込んだ。
「きょ、う、いち…。」
ハッとしたように我に返った由羽とそれでも動けない如月。
「…………。」
分かっている。治療しなければいけないことくらい。
分かっている。
でも。
離したくない。
このまま自分の腕の中で彼が死んだなら。
彼は僕のものになるだろうか?
未来永劫。
決して他人のものにはならない。
嫌々、と首を振る如月に業を煮やした京一はさっさと壬生を取り上げると、美里の方へと走り去った。
「ま、まってっっ!」
京一の後を直ぐさま追いかけていく由羽の後ろ姿を見つめながら。

一人。

ぽつんと何もなくなった自分の腕の中を見つめた。
「壬生?」
居ない。何も居ない。何処にも居ない。
僕の側には居ない。
決して。
そう、最初から彼は僕の所には居なかった。
グッと握りしめた拳が白くなる。
「おい、如月……。ほら、立てよ。病院へ行くぜ。」
「村、雨?」
「ほれ。」
「病……院…?」
「ああ、その前に着替えた方が…いいな。」
「着替え…。」
オウムか何かのように只繰り返すだけの如月に村雨は目を細めて舌打ちをした。
「ああ。取りあえず落ちつかねぇーことにはな。」
ニヤリと笑みを浮かべてやると如月は無表情のまま下を向いた。
無理矢理立たせて。
連れて行く。
「そうだな…服が…べたべたして気持ち悪い………。」
ふっと如月に表情が戻る。
「………如月…おまえ……。」
痛々しそうに村雨は顔を歪めた。
そして一つ首を小さく振ると囁いた。
「ああ、着替えた方がいい。」
少しその背中を押せば如月は歩き始めた。何処へ行くというのでもなく。只歩く。
ブツブツと何かを呟いている。
「如月?」
「こんなのは…夢なんだ、きっと……。家に帰って。暫くしたら…いつものように…変わらない毎日。」
「おい…。」
「何も変わらない。変わらない…以前のまま……。」
「如、月………。」

村雨はただどうすることも出来ずに側に付き添っていた。
「如月。夢はいつか覚めるもんだ。そして。変わらないものなんて…。」
ないんだ、と言葉を飲み込んだ。

1月の冷たい風が吹き抜けていく。
冴え冴えとした月光が如月の姿を浮かび上がらせていた。

 

@01.04.27/01.05.12/