二度と会う事はないだろうと思っていた鷹男と再び会ったのは、最初の出会いから僅か数日後だった。
最初に会ったのと同じ場所だった。
同じ様な陽気に誘われて、再び同じ様な感覚になれるんじゃないかと出かけていった先で、何とか同じ様な感覚を掴めそうになった所で、やはり同じ様に出てきてその場の雰囲気を鷹男が壊してくれた。
「お、坊主。また会ったな」
親しげに声を掛けられて、驚いた。
結局、いい所で邪魔した鷹男にムスッとしてみせれば、「邪魔したか?済まないな」と大人な台詞と共に立ち去っていった。
自分と違い大人で、雑色と言う事は何処ぞに仕えているのだろうに、変な所で会うから、腹立ちがてら暇人なんじゃないかと悪態をついた。
冬を越した枯れ芒(すすき)を手に取って川岸を歩いていた時にも出会った。
何となく夢の中でも芒を持っていたような気がして、何となしに手に取り、手持ちぶさたに振っていただけだった。
「いてっ…」
「え?」
突然声が聞こえて振り向けば、鷹男がそこに立っていた。
なんで?
「又会ったな、坊主。芒で払われる程、邪魔していたかな?」
呆気に取られていると、そんな風に苦笑された。
「何でこんな所に急に…っ」
モゴモゴと口ごもりつつも、自分の振り回していた芒が当たったのだから、悪いのは自分だ。
やっぱり腹立たしいと思いつつ、捨てぜりふのように謝って走り去った。
「あ、坊主!」
背中で受けた呼び声に、何故か腹が立った。
先日、町の子供にこんな簡単な魚も捕まえられないのか、と馬鹿にされて瑠璃は腹が立った。
だから、練習だ!と川に来たのだが、やっぱり捕まえられない。
高彬や融の鈍くささを笑う事の出来た昔の自分なら、きっとサッサと捕まえる事が出来たのだろう。
これが大人と子供の違いなのか、男と女の違いなのか、悔しさにキュッと唇を噛み締めた所に、声がした。
「坊主、水の中で何しているんだ?」
見遣れば、大人で男の鷹男が眩しそうに目を細めて、不思議そうに首を傾げていた。
「煩いなっ!いいだろ、なんでだって」
上手くいかなくて苛々していた所に遭遇して、やっぱり八つ当たりをしてしまう。
坊主。
まさに、子供だ。
私は女で子供?女で大人ですらなく?
自己嫌悪に俯きながら、岸へ上がると、鷹男がすぐ傍に来ていた。
悪態を付いたから、とっくに居なくなっていると思っていただけに、驚いた。
「細い足だな。ほら、簡単に掴める」
そう言って、鷹男は濡れた瑠璃の足首を右手一つでひょいと掴んだ。足首を覆う、鷹男の手の大きさに驚いた。
濡れて冷えた足に、鷹男の手が酷く温かい。
「男の癖に華奢だとは思っていたけど、本当に細いな」
しみじみとした鷹男の呟きに瑠璃は我に返った。
「な、何するんだっ!ほ、細くて悪かったな!!」
心臓がバクバクと音を立てて、今にも飛び出るんじゃないかと思う程だった。
「え?や、そう言う意味じゃなかったんだが…あっ…」
瑠璃が叫んだ声に、鷹男は自分の失言を悟ったのか、言い淀んだ。その時には既に瑠璃は鷹男の手を振り払って、走り出していた。
「坊主!」
背中で鷹男の呼び声を拒絶しながら、酷く熱く感じる足首と頬に涙が出そうで、走り続けた。
「畜生!こっち来るなっっ!来るなってばっっっ!!」
近くにあった棒きれを手に持って、瑠璃はブンブンと力の限りに振り続ける。
牽制位にはなっていると思いたいが、相手は何とも思っていないのか、瑠璃に対して唸り声をあげて、逆に威嚇をしてきている。
「駄目だってば!」
瑠璃は自分の背後にまだ生まれて間もないと思える程の小さな子猫を隠して、野良犬と対峙していた。
誰が捨てたのか、はたまた親とはぐれたのか。一匹の子猫がニィーニィーと弱々しい声で鳴いている。
親を呼んでいるのだろうか?
その声に切なくなって、瑠璃はギュッと棒きれを強く握りしめて、野良犬を睨み付けた。
何とかして守ってやりたかった。瑠璃の掌にすら乗ってしまいそうな小さな命。一生懸命、鳴いている。鳴いて、呼んでいる。会いたい、と。生きたい、と。
野良犬が口を大きく開けて飛びかかってくる。
「駄目っ!」
ギュッと目を瞑って、我が身を盾にしつつも、当たれと願って棒を振り回す。
ギャンッ!
犬の悲鳴が聞こえて、手応えがなかったのに、棒が当たったのかと恐る恐る目を開けると、瑠璃の前に大きな背中があった。
手に持っているのは棒なんかじゃない、本当の刀。キラリと日差しを受けて反射する冷たい光が野良犬を射ていた。
瑠璃の前に立つ男はジッと野良犬を睨み付けている。
犬は大きな悲鳴の割には大した怪我はしていなかったようだ。血も出ていない。
キュッと瑠璃が唇を噛み締めた時、犬は背を向けて逃げていった。
「おい、坊主。大丈夫か?」
暖かな声が聞こえて、顔を上げればそこに心配そうに瑠璃の顔を覗き込む鷹男がいた。
何時も何時も、良く偶然にしても出会うものだ。
「……鷹、男…?」
ヘタリと地面に座り込んだ瑠璃を心配げに鷹男もしゃがみ込んで目線を低くして、瑠璃のあちこちを見た。
「怪我はしていないようだけれど、大丈夫だったか?」
「…大、丈夫。ありがとう…」
「…どういたしまして」
気づけば素直にお礼の言葉が出ていて、鷹男は目を見開いた後、満面の笑みを浮かべた。
そんな驚き喜ぶ程に、今まで悪い態度…ばかりだったか、と我が身を振り返って、瑠璃は鷹男に悪い事をしたと思った。
「にしてもなんだって犬と喧嘩なんて…」
ニー…。
「ん?子猫?」
瑠璃の背中からヨチヨチと這うようにして鳴きながら出てきたのは、瑠璃が必死になって守ろうとした子猫だった。
子猫が鳴く。
小さな声で。大きな声で。力一杯、その命の限りに鳴く。
「子猫が一生懸命鳴くの。生きたいって。会いたいって。鳴くの」
「うん」
瑠璃が懐かしい思いにつかれて、零した言葉を鷹男はただ受け止めた。
「私も昔思ったの。生きたいって。母様に会いたいって。父様に会いたいって。死にたくないって。一生懸命、一生懸命、思ったの。死んじゃ駄目って」
昔、病気で死にかけた時、瑠璃は小さかったけれど、それだけを胸に頑張ったのだ。勿論、周囲のものの看病や薬のお陰もある。でも、何よりも生きたいと強く願う意志の強さこそが、自分の命を救ったと瑠璃は思っていた。実際、同じ様な事を医師も言っていたらしかった。
そんな昔を思い出させる猫の鳴き声を放っておく事が出来なかった。
会いたくて。
瑠璃は生きた。
でも、会えなかった……母様。
ポロリとこぼれ落ちたのは涙。
「あぁ、どんなに小さくても一生懸命生きている。坊主と同じ、強い仔だ」
まるでその瑠璃の涙を見ないようにとでも言うように鷹男は瑠璃をギュッと抱きしめた。
予想外に大きかった鷹男の腕の中で、瑠璃は懐かしくも悲しい思い出と気持ちを昇華するように、静かに泣いた。
一体どれ程そうしていたか。
何とも居たたまれない思いをしつつも、何時までもこうしている訳にはいかないと瑠璃は鷹男の胸を両腕で押した。
「……その…泣いたりして、ごめんなさい」
ただ、鷹男は柔らかい笑みを湛えて頷いて見せただけだった。
ドキリと心臓が一つ音を立てた。
散々、素っ気ない態度をしていたのに、助けられて泣きついて。ただでさえ、恥ずかしいったらないのに、そんな優しい目で見られたら、どうしていいのか分からなくなる。
無性に恥ずかしい。
鷹男は大人で男で。真剣だって持っていて、野犬を追い払う力だってある。女で子供で、棒しか無くて、戦う力なんてない自分とは違う。羨ましくて、悔しくて。
でも……。
顔が熱く、火照ってしまう。
嫌だ。
「あ、あの…そ、…わ……」
なんて言っていいのか分からなくて、顔を見られるのも嫌で。
「ごめんなさいっ」
パッと立ち上がると、そのまま駆けだした。
「坊主っ!」
やっぱりいつものように背中で鷹男の坊主と言う、呼び声を受け止めつつも、止まる事が出来なかった。
あれから二週間。
鷹男とは会っていなかった。あれだけ顔を合わせていたのに、パッタリと会わなくなって酷く寂しかった。
そんな自分の気持ちがまた理解出来ない。
こんな時吉野の君が居てくれれば良かったのに、と思った。色々相談出来ただろうし、助けてくれただろう。
そんな事をつらつらと思いながら、気づくと初めて鷹男と出会った川に来ていた。
今日も天気はいい。すっかり夏の様相となりそろそろ気持ちいいを通り越して、日陰のない川の近くは酷く暑く感じられるようになった。
また、足を水につけたら気持ちいいかも知れない。
そんな事を思っていたら、川辺に座り込んでいる背中を見つけた。
まさか?
近づいてみると、手に何かを持っているらしい鷹男だった。
「鷹男…」
「お?坊主、久しぶりだな。元気にしてたか?」
クスリと艶やかな笑みを浮かべた鷹男はどこからどう見てもやっぱりいい男だった。
酷く端正で華やかな風情があるくせに、鋭くも、意志の強さを感じさせる眼差しが男らしく、凛々しかった。
反して、その手に抱えている愛らしいものを覗き込んで瑠璃は首を傾げた。
「小鳥?」
「あぁ、さっき巣から落ちたのか、小鳥を拾ったんだが…怪我をしているようで」
それで巣に戻す事も出来なかったのだろう。
羽がきちんと動かない所を見ると、骨を折ったのか、筋を痛めただけなのか。なんにせよ、ちゃんとした治療をしないと生き延びる事さえ難しいだろうと瑠璃にすら分かった。
「うちには猫がいるから、連れて行けないし、かと言って、このまま放置も出来ないし」
鷹男がどうしたもんだか、と苦笑を浮かべた。
「猫?」
「そう、あの子猫。あれだけ小さいのじゃ、一人で生きていけないからな」
瑠璃に答えた鷹男は小鳥にも優しげな眼差しを向けていた。
それを良かったと瑠璃は思った。
あの時瑠璃が助けた子猫。咄嗟にその場から逃げてきた瑠璃はどうしただろうと思ってはいたのだが、まさか鷹男が拾って、面倒を見てくれているとは思いもしなかったから。
嬉しくて、思わず頬を淡く染めた笑みを見られていたら恥ずかしくて堪らなかっただろう。
「育てて…くれてるの?」
「まぁ、家の者が、だけどな」
瑠璃が表情を押し殺したのと反対に、鷹男はほんの少し、頬を染めるようにして、照れた笑みを浮かべた。
そんな鷹男に胸がキュッと軋んだ気がした。
本当にいい人。優しい人。大人で、男で、自分なんかとは全然違う。凄い人。
「ありがとう…その…今までも……。有り難うございました」
そう言って瑠璃はぺこりと頭を下げた。
「この間は突然逃げ出したりして…その…ごめんなさい…」
鷹男の様子を見るのが怖くて、顔を上げられないで居ると、ぽんぽんと頭を暖かくて大きな手が撫でていった。
思わず顔を上げれば、嬉しそうに笑っている鷹男がいて、泣きたくなった。
「あり…が…とう…」
結局、小鳥は瑠璃が引き取る事にした。
看病して、大切に育てるから、と鷹男に約束すれば、鷹男は嬉しそうに頷いたのだった。
それからも時折鷹男とは顔を合わせた。それは同じ様に川でだったり、町中でだったり、あちらこちらで。
そんな鷹男の神出鬼没な所に首を傾げながらも、そんな事が気にならない程、楽しかった。
その時間がとても幸せで、最近の瑠璃には待ち遠しいものになっていた。
@12.02.14>12.03.11>
すれ違い…と言うか、瑠璃が鷹男に親近感を抱く前のお話しとか色々書いてみたい気もしましたが、かなりすっ飛ばした積もりです。私的には。えぇ、あくまでも私的に☆
大分仲が良くなりました。さて、そろそろ?(^-^)