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『本当のキモチ 四話』

 

 バサリと羽音がしたかと思うと、タカがゆっくりと鷹匠の腕に舞い降りた。
  恐る恐る見ると、その足には特に獲物を捕まえている様子はなかった。
  バッと足元を見れば、これまた腰を抜かしでもしたかの様に凝固した猫がそこにいた。
「よ、良かったぁ……」
  ホッとした所で、タカがふわりと地上に降り、猫の方に近づいてくる。
「タ、タカ?!」
  タカが威嚇するかの様に翼を大きく広げている。
  やっと我に返ったのか猫はフーッと体をふくらませているが、サイズが全然違っていた。
  全く気づいていなかったが、猫の中でも小柄なルリはタカと並ぶと酷く小さく見えて、丁度いい獲物に見えた。
  鷹は兎を獲物とするのだから。
  ゴクリ、と瑠璃が唾を飲み込みつつ、猫を手にとって抱きあげた。
「タカ…この子は駄目よ」
  キュルリと目を瞬いてタカは首を傾げた。
  翼を納めて、ジッと瑠璃を見つめる。
「この子は獲物じゃないわ」
  祈る様に瑠璃が首を振ると、チラッとタカは鷹匠の方を見た。
「タカ、言っただろう。この京では狩りはしてはいけないと。するなら森などの人気のない場所だけだ、と」
  そんな風に鷹匠が言うと、まるで承知したとでも言う様にタカは一声甲高く鳴いてから、鷹匠の腕にフワリと飛び上がった。
  まさか、ルリがタカに狙われるとは思いもしなかった瑠璃は、安心した事もあり、猫を抱きしめたまま、ヘタリとその場に座り込んだ。
「姫様、驚かせてしまい誠に申し訳ありませんでした。まさかこちらに猫がいるとは思いもしなかったので…」
  とても申し訳なさそうに頭を下げた鷹匠に瑠璃は首を振った。
「ううん。この子も無事だったし、大丈夫。気にしないで」
  猫は未だに毛を逆立てているけれど、瑠璃に抱かれている内に大分落ち着いてきていた。
  本当に心臓が飛び出るかと思う程、驚いたのだが、何事もなく良かったと胸をなで下ろした。
「タカも、途中で止めてくれて有り難う。ちゃんと私の言葉を聞いてくれたのね」
  瑠璃が笑いかけるとタカは当然!という風に一声鳴いた。
  だが、少しばかり尾羽の辺りが、しょんぼりしている所を見ると、瑠璃の猫に手を出そうとした自分を責めている風に見えた。
「きっとタカは姫に格好いい所を見せたかったんですよ」
「格好いい所?」
「はい。姫様に獲物を捕まえて、贈りたかったんでしょう」
  そう言われて、先日猫が蝶を捕まえてきた事を思い出した。
「動物にとっては、狩りは生きていく為に必要な事です。その捕まえた獲物を渡すのは親愛の証ですからね」
  鷹匠がそんな風に腕のタカを撫でながら言う。
「有り難う。やっぱりタカは頭が良くて、優しくて、格好いいわっ」
  猫を抱いたままの瑠璃だが、そうっと立ち上がると、近づいていってタカの頭を撫でてあげる。
  ウットリと目を閉じるタカに、更に体を硬くして緊張していた猫はまん丸の目を不思議そうに瞬かせて、首を傾げた。
  瑠璃をジッと見上げてくる。
「お前も。大丈夫よ。タカは優しくて、いい子だから。きっとこれからは、お前を守ってくれるわ」
  瑠璃の言葉に猫は首を更に傾げるが、もう尻尾はふくらんでいなかった。
「本当に、本日は吉野での事を合わせて、お礼かたがた参りましたのに、驚かせてしまい、大変ご迷惑をおかけしました」
「本当にもういいの。大丈夫だったから。タカに会えたのも嬉しいし」
「そう言って頂けると、助かります。有り難うございます」
  鷹匠は再び頭を下げた。
「所で姫様。以前から猫を飼われておいでだったのですか?」
「ううん。違うの。3日前かな。帰京した日にここに迷い込んできてね。そのまま帰らないから、どうしようかなーって思ってて。あなたも当然、この猫の事、知らないわよね」
「そうですね。私は京に来るのは今回が2度目ですし」
  何か物思う様の鷹匠はそう言ったものの、笑いながら続けて言った。
「御所で飼われていた猫が行方不明とか聞きましたが、まさか…ですよね」
「え?御所の猫が?」
「偶々、仕事の関係で御所のとある方にお会いしたのですが、何でも今猫が行方不明で大変なんだとか」
  猫一匹で大変ですね、と鷹匠は笑った。
「まぁ、ウチのタカの仕業でないならば、もう、私はそれで…」
「そう」
  昨日、忠宗が言っていた猫の話とは別なのだろうか。御所の猫だから、秋篠が探していても不思議はないのだが。
  どちらにしても“御所”の話だ。

 鷹男……。

 瑠璃はタカをジッと見つめた。
  偶々だろう。タカが御所の方をチラリと見たのは。

 でも。

「ふふ…お前は何時も私に切っ掛けをくれるのね。ありがとう」
  そう言って瑠璃はタカをもう一度撫でた。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 最近では少しばかり見慣れてきた風景に瑠璃は溜息を吐いた。
  本当は見慣れるなんて、あってはならないのだろうに、と。

 でも。

 もしかしたら、此処こそが、これからの生きていく場所となるかも知れない。ううん。そうだといいと思うと、感慨深く、辺りを静かに見回した。
「三条殿」
「あ、はい」
  秋篠に呼ばれて、瑠璃は我に返った。
「こちらへ…」
  秋篠の後をついて歩いている瑠璃は、御所の中に来ていた。
  いつもならば藤の宮の女房として潜り込むのだが、今回は違っていた。
  鷹匠に御所の猫行方不明の噂を伝えた公達が、誰あろう秋篠だったからだ。
  結果、藤の宮経由ではなく、秋篠経由で御所へと来る事が出来たのだ。そんな、前日の経緯を瑠璃は良く認めてくれたなぁ〜と思い出した。

 鷹匠から連絡を受けて、三条邸を訪ねてきた秋篠は目の前の猫を見つめて、ホウッと安堵の溜息を吐いた。
「そうですか、こちらでお世話になっていたのですね。姫、面倒を見て下さり、有り難うございます」
  頭を下げてくる秋篠だが、瑠璃が猫の飼い主について聞いてもきちんと答えてはくれなかった。
「ねぇ、どうしても猫の飼い主、誰だか教えてくれないの?」
「はい。申し訳ありません」
  ただ、秋篠が言わないと言う事自体が既に答えの様なものだった。
「では、猫を…」
  両手を差し出した秋篠に、瑠璃は首を振った。
「駄目よ」
「姫?」
  困惑する秋篠を尻目に、瑠璃は言い放った。
「秋篠様が教えてくれないのなら、自分で探すわ。だから、私を猫と一緒に御所へ連れて行って欲しいの。そうじゃなきゃ、猫は渡さないわ」
「…姫……」
  途方にくれた風情の秋篠だったが、暫し逡巡したかと思うと、仕方ありませんと頷いた。
「では、姫を女房の一人としてお連れしますので、その時には猫と一緒においで下さい」
「分かったわ、有り難う!」
「…本当に変わった姫でいらっしゃる……」
  苦笑を口元に刻んでいるけれど、秋篠の目は優しく、暖かいものだったから瑠璃は余り罪悪感を感じずに済んだ。
  飼い主を教えてくれないなら、自分で御所へ行って探す、なんて取引とも言えない様な条件、良く秋篠が認めてくれたものだ。
  そうして、「では明日お迎えに参ります」と言った秋篠に瑠璃はつい先程、御所に連れてこられたのだった。
  きっと、この事を知れば鷹男は頭を抱えるのかも知れない。
  こんな事で良いのだろうか、御所の警備。
  自分の事を棚に置いて、そんな事を思った。
「取り敢えず、現在あなたの立場は大皇の宮様からの遣いの女房となっております。宜しいですか?」
「分かったわ。で、取り敢えず、この子はどうしたらいいのかしら?」
「そうですね。お約束は猫と一緒に姫をこちらにお連れする事。そうしたらお渡し頂けるお約束でしたから、今お渡し頂けますか?」
「……わかったわ」
  瑠璃はキュッと猫を一度抱きしめると、別れの挨拶とばかりに、その鼻先に自分の鼻先を擦りつける様にしてから猫を秋篠に手渡した。
  そっと猫を受け取った秋篠はフッと春に溶けゆく氷の様な柔らかい笑みを浮かべて瑠璃をドキリとさせた。
「お約束を守って頂けるんですね、有り難うございます……」
  では、と秋篠は一度受け取った猫を再び瑠璃の方へと渡した。
「え?」
「猫は瑠璃姫がそのままお連れ下さい。私は猫を見つけられればいいのです。猫を誰が連れていようが、関係ありません」
  にっこりと笑った秋篠に瑠璃は唖然とした。
  関係ないって…。
  それって、詰まり。
「実は何もかも、秋篠様の思惑通り?」
  思わず零れた瑠璃の言葉に、やはり黙ったまま秋篠はまるで鷹男のお株を奪う様に、艶やかに笑んで見せただけだった。
「さて、取り敢えず、猫が見つかった旨、連絡して参ります。三条殿はこのまま此処でお待ち下さい。まぁ、三条殿であれば多少自由にされても構いませんが」
  では、と雅に立ち上がって立ち去っていった秋篠に瑠璃は暫くの間、二の句が継げなかった。
「流石だわ〜、ねっ」
「にゃ〜っ♪」
  楽しげに笑う瑠璃に猫も楽しげに尻尾を揺らした。
  結局全ては秋篠の掌の上、だったのだろう。
  やられたな〜。
  でも、それがいっそ気持ちいい程で、気分がいい。
「さぁ〜て、どうしようかなー」
  このまま待っていろって言われたけれど。
  自由にしてもいいって言っていたし。
  でも、ルリを放っておく訳にもいかないし。
「そうだ。おいでルリ…」
  瑠璃は猫を呼ぶと立ち上がったのだった。

 

 それから暫くして、この御所にあって珍しい事に騒々しい足音が聞こえてきた。
  バタバタと三条邸なら良く忠宗が瑠璃を叱りにやってくるが、この表面上を優雅にこなし、どんなに慌てていてもそれを他人に気取られない様にするのが当然な、この政の中心地で、その様な足音を響く事は滅多にないだろう。

 バンッ!

 開かれた扉から入ってきた人物は、局の中をぐるりと見回すが、一見誰もいない。
「…ルリっっ…」
  聞き覚えのある、小さく叫んだ声に、几帳の影に隠れていた瑠璃の心臓が大きく跳ね、切なさに胸が満たされた。
  そうして、猫の飼い主がやっぱり鷹男だった事実に、打ち震えてたのだった。

 

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