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『本当のキモチ 五話』

 

 鷹男が猫の飼い主だった事が、嬉しくて。
  鷹男の声を聞けた事が、嬉しくて。
  しかも、その第一声が自分の名前なのだから、喜びに胸が震えないはずがなかった。
  今すぐに、何もかも放り出して飛び出したくなったその時、腕の中に抱きしめていた猫が藻掻いた。
「あ、こらっ…」
  慌てた瑠璃だが、体の柔らかい猫が逃げ出そうと藻掻と、どうしても押さえつける事が出来なかった。
  腕の中から抜け出た猫は嬉しそうに、鷹男へと駆け寄っていった。
  そんな猫の姿を見て、瑠璃は頬を染めた。
  自分の姿、本当の気持ちを見せつけられた気がした。
  今、飛んでいったルリは、きっと瑠璃の何も偽らない、飾らない、あるがままの心そのものに違いなかった。
  飛ぶ様にやって来た猫をキュッと抱きしめた鷹男は、やっと几帳の影に誰かがいるのだと悟った様だった。
「あぁ、あなたがルリを見つけてきてくれたのですね、出てきて下さい。是非お礼を言わせて欲しいのです」
  嬉しさが声に滲んでいた。
  そう言われても、まさか登場からして『ルリ』と叫んでくるとは思っていなかっただけに、改めて出て行きにくかった。
  知らせてくるとは言っていたが、幾ら愛猫の為とは言え、こんな供も連れずに帝が一人でこんな所に来るとは思いもしなかった。きっと、秋篠が直ぐに来るのだろう。
「さぁ…」
  フサリ、と鷹男が座ったらしい様子が窺えて、瑠璃は仕方がないと覚悟を決めて立ち上がると几帳をぐるりと回って、鷹男の前に座った。
「……る、瑠璃姫っっ!」
「お久しぶりね、鷹男」
  あまりに驚いたのだろう。
  その腕からポトリと猫のルリが落ちたのだが、それにも気づかず鷹男は目の前の瑠璃を唖然と見返しているばかりだった。
  余りの事に言葉を失っていた鷹男が我に返るまでに暫くの時間がかかった。
  その間、瑠璃は居たたまれない思いで、待っていたのだが、暫くすると鷹男の顔が見る見ると赤くなり、今更ながらに扇で顔を隠してしまった。
「ひ、姫…どうしてこちらにっ」
「…会いたかったから」
  頬を染める鷹男なんて瑠璃は初めて見たのではないかと思った。
  昨年、雪の中でタカを可愛いと思った、あの時の感情が再び瑠璃の心を占める。
  不思議。
  鷹男は少し窶れていた。顔色も余り良くないし、目の下にクマもある。きっと、ちゃんと眠っていないに違いない。
  それでも、やっぱり鷹男は鷹男で、草臥れた風情の筈なのに、不思議と雅やかさと気品と威厳と華やかさを感じさせた。
  少しこけた頬が、いっそ逆に色っぽくもあり、余計魅力的に見せていた。
  だが、それは瑠璃だからそう思うのかも知れない。

 どんな鷹男だって、格好いい。

 だって、好きなんだもの。

「え?」
  虚をつかれて、戸惑う鷹男に瑠璃は悪戯っぽく笑った。
「なんて言ったら、許してくれる?」
「………姫…」
  がくりと脱力した鷹男は漸くと言う風情で瑠璃の名を呼んだ。
「にゃ〜」
「ん?な〜に?」
  鷹男の腕から落ちた猫が瑠璃の膝の上にのって、甘えてくる。
  瑠璃は猫を抱きしめて、ふふふととろける様な甘い笑みを零した。
  猫の鼻先にチュッと口付ける。
「…………」
  鷹男はそんな瑠璃を眩しそうに見つめた。
  そうして、どれ程時間が経ったのか。
  やっと平静を取り戻したらしい鷹男が居住まいを正すと、改めて瑠璃の方を見つめてきた。
「なんか、もう今更な気もしますが…。姫、ちゃんとお答え下さい、ど…」
  鷹男はどうして此処にとでも、聞こうとしたのだろう。
  だが、瑠璃は鷹男の言葉を最後まで聞く事もなく遮った。
「本当よ」
「え?」
「鷹男に会いたかったから来たの。これは本当」
「ひ、め…」
「数日前に猫が三条邸に迷い込んで来たの。その内帰るかな、と思っていたら中々帰らなくて、飼い主心配しているだろうなって思ってた。そしたら、この子ったら、私の名前に反応するのよ。だから、猫の名前がルリだって分かったの」
  チラリ、と瑠璃が鷹男を見遣れば、明明後日の方を向いてハタハタと扇で仰いでいる。
  涼やかな目元とは裏腹に、赤い耳がやっぱり可愛い。
「そんな時、弟の融が猫の事をさも心当たりありそうにして、次の日には父様が猫を見に来て。名前ルリだし父様が知ってるとなるとこの御所関係かなーとか思ったり。でも、秋篠様が猫を探しているって聞いて、飼い主秋篠様かなーとか思ったり」
  何とも落ち着かない風情でソワソワしている鷹男を瑠璃は見つめた。
「でも、この猫の飼い主が、鷹男だったらいいなーって思ったの」
「姫…」
  瑠璃の言葉が意外だったのか、扇を仰いでいた鷹男の手が止まって、瑠璃をジッと見つめてきた。
「本当ですか?」
「本当よ」
「猫に姫と同じ名前だなんて、お嫌だったのでは?」
  きっと、他の変なヤツだったなら、鳥肌ものだったのかも知れないけれど。
「確かにちょっと複雑な気分だったけれど、鷹男だもの。嫌じゃないわ」
  こんな事が瑠璃にばれて、引かれると不安に思っていたのだろうか。
  瑠璃がそう言うと、安心したのか、一気に鷹男の目がキラリと生気を帯びた。
  その眼差しも何処かタカを彷彿とさせて瑠璃はプッと小さく吹き出した。
「姫…」
  そんな瑠璃を何故吹き出すんですかっと責める様に睨む鷹男に「ごめんなさい」と素直に謝った。
  タカの事も、何時か鷹男に話せたらいい。
  でも、今は。
「私ね、元々猫の事が無くても鷹男に会いたいなって思ってた。話しがあったの」
「私にですか?それは、私の想いに答えて下さる、と言う事でしょうか?」
  キラーンと目を光らせて、いつもの自信を取り戻したのか、鷹男が艶っぽい流し目を瑠璃に向けた。
「それ、それを聞きたかったの!」
「それ…とは?」
  意気込んで答えた瑠璃に鷹男はなんの事かと戸惑った様だった。
「鷹男のそれって何処まで本気なの?」
  言葉は軽いが、真剣な想いを込めて、真っ直ぐな目で鷹男を見つめれば、鷹男はスッと表情を改めて、瑠璃を真摯な眼差しで見つめ返した。
「何処までも本気ですよ」
「本当に?」
「えぇ、あなたが高彬の婚約者と知っても、奪ってでも私のものにしてしまいたいと願い、姫の名の猫に付けて、寵愛してしまう程に」
  サラリと鷹男は言う。
  でも、その表情は真面目そのもので、嘘とか冗談とかではないと瑠璃は信じられた。
  赤面ものの台詞はやっぱり鷹男なんだな〜と思いつつ、瑠璃は嬉しかった。
「奪ってくれるの?」
「姫がいいと仰って下さるのならば、今すぐにでも」
  熱い想いを込めた眼差しに瑠璃はウットリと頷いた。
「うん。奪って。鷹男にならいい」
  うっすらと涙ぐんだ瑠璃の目元を近づいてきた鷹男が優しく撫でる。
「姫、本当に?本当に姫の方こそ…本気ですか?」
「本気よ。吉野で気づいたの。鷹男の事が好きだって。高彬とは婚約の話も白紙になったし、鷹男に会いたいって思ってた」
「姫…」
  猫を抱きしめる瑠璃ごと鷹男は抱きしめた。
「鷹男…好き……あなたが、すき…」
  目を閉じて、鷹男の胸に頭を凭せ掛け、その腕の中に身をゆだねた。
  もたれかかる鷹男の胸は広くて、とても暖かくて、安心出来た。
「あぁ、瑠璃姫!愛しています。こんな想いはあなたにだけですっ」
  ギュッと抱きしめられた。
「きゅぅっっ」
  一瞬、瑠璃ごと抱き潰される形となった猫のルリが漏らした悲鳴の様なものに、鷹男は腕の力を抜いたが、完全に瑠璃を離す事など出来なくて、そっと苦笑を浮かべつつ、猫を瑠璃の腕の中から取り上げると、床に置いた。
  猫は解放されて、少し放れた所で毛繕いを始めていた。
「姫は私がどれだけ嬉しいか、おわかりですか?」
「喜んでくれるの?」
「当たり前です!私が何度、ルリを腕に抱いた姫がこの御所にいてくれたらと思った事か。女御としてあなたが私の傍にいてくれたなら、どれ程幸せかと何度願った事でしょう。叶わぬと思い、切なく眠れぬ夜を何度も過ごしました」
「鷹男…」
「先程の、猫を抱いた笑顔のあなたを見た瞬間、願いが叶い、これ以上何も望まない。そう思いました。でも、その次の瞬間には次の願いが頭を擡げるのです」
「次の願い?」
「姫。私の女御として入内して頂けますか?」
  鷹男の言葉に瑠璃は目を大きく見開くと、一滴だけ涙を零して、花の咲く様に笑顔になり、頷いた。
「私で良ければ、鷹男の傍にずっといさせて」
  瑠璃の頬を滑り落ちる雫を鷹男はそっと唇で受け止めた。
「いいんですか?あなたにはこの御所は似合わないと分かっているつもりです」
  だからこそ、猫のルリがこの御所から逃げ出した事が何よりも鷹男の心を打ちのめしていたのだ。
  あの秋篠がどうにもならないと、諸手を挙げる程に。
  だが、今。
  その猫を瑠璃が連れてこの御所に、鷹男の元へとやって来たのだ。
  これ以上の嬉しい事などありはしまい。
「私はあなた一人を妻とする事も出来ません。それでも…傍にいて欲しいのはあなただけです」
「うん。いいの。本当は妻が私一人じゃないのは嫌。嫌だけれど、だからと言って、鷹男と離れて一人で生きていくのも嫌。だって、私が離れても、新しい誰かが鷹男の元に入内するだけだもの。だったら、私が行くわ。そうすれば、確実に私一人分の女君を減らせるじゃない。私は負けず嫌いなのよ」
  例えそれが強がりであっても、力強く頷く瑠璃が愛しく、有り難くて、鷹男は泣き顔の様な笑顔を見せた。
「姫…姫…。瑠璃姫…だからあなたが愛しいのです。そうやって、私の周りの煩わしい女人を蹴散らして下さい」
  ギュッと再度抱きしめられて瑠璃は鷹男の背に手を回した。
「鷹男…」
「姫…」
  そのまま、瑠璃があれ?と思っている内に、押し倒された。
「えっ…」
  瑠璃が慌てると同時に声が外から聞こえた。
「お主上。申し訳ありませんが、そろそろご還御願います」
「っ!」
  あぁ、秋篠様の事をすっぱり忘れていた、と瑠璃は恥ずかしさに慌てた。
「……。………秋篠…」
  暫く無言のまま、顔を真っ赤に染めて、鷹男の下から逃れようと慌てる瑠璃を切なげに見遣った後、鷹男は腹の底から低い声を出した。
  瑠璃はゾクゥと背を駆け抜けた悪寒に鷹男を凝視したが、外に控える秋篠の声は至って変わらず、事務的なものだった。
「ご還御を。そろそろ内大臣様もこちらに参ります」
「えぇええ!」
  父様が、ここに来るの?!
「ちっ」
  行儀が悪くも、舌打ちをした鷹男に思わず瑠璃は目を向けた。
  すれば、少し照れた様に笑んだ後、鷹男は瑠璃の手を取り、起きあがらせてくれた。
「本当にあなたは優秀で困りますね」
「お褒め頂き、恐悦至極に存じます」
「まぁ、今回は確かにあなたのお陰の様ですし、仕方がないが。後で、詳細はきっちり報告して貰おう」
「承知しております。では、ご還御願います。ここ数日、政務が滞っております。姫の入内は決まったも同然なのですから、今の所はお諦め下さい」
「やっと叶った恋の瞬間を邪魔するとは無粋だと思わないのか?」
「なんとでも。今は滞った政務が第一です」
  一体どれだけ鷹男は政務を放棄?していたのだろう。
  そんな男どもの遣り取りを瑠璃は顔を赤くして聞いていたが、鷹男が仕方がないと立ち上がったのを見上げた。
「姫。それでは私はもう行かねばなりませんが…後で文を送りますし、会いに行きますから」

―――待っていて下さい

「…んっ」
  耳元で息を吹きかける様に囁かれて、瑠璃は体を震わせた。
「そんな顔を見せないで下さい。離れるのが辛くて堪らない…」
「な、何言ってるのよ!そんな顔もなにも、させたのは鷹男じゃないっ!」
「だからこそ、ではないですか。その表情を私が引き出したからこそ嬉しいのです。………他の男にそんな顔をするなんて、許しませんよ」
  言葉以上に、本気な眼差しに、瑠璃はゴクリと唾を飲み込んだ。
「ば、馬鹿っ!鷹男以外に誰がいるって言うのよ!もう、さっさと行きなさいよ!!」
「ふふ…では、姫。また、後で。今はこれだけで我慢致しましょう」
  本当に何時も通りの自信満々で、男の色気満載の流し目をくれた後、一つ口付けを落とすと颯爽と去っていった。
  残された瑠璃は、ただただ、顔を赤くして、今触れたばかりの唇を手で押さえていた。
  そんな瑠璃を不思議そうに猫だけが見つめていた。

 

 そうして、今上帝の強い希望で、異例の早さで夏の間に女御として入内した瑠璃は、猫と鷹をとても大切にした事もあり、陰口として猫女御と呼ばれる事になった。
  猫は女御の常に傍にあり、鷹は今上帝の傍にあった。
  普段から自由に放たれていた鷹は何時も御所内にいて、誰でもその姿を見つける事が出来た。
「鷹がこの様に普段から宮中にいるなど、前代未聞では?」
  そんな風に噂される中、頭のいい鷹は決して人に迷惑を掛ける事もなく、問題を起こす事もなかった。
  そして、御所の上空を気持ちよさそうに飛翔する鷹の姿が遠くの京の人々にも見る事が出来た。
「今日も元気よぅ、鷹が飛んでますな」
  そんな台詞が挨拶の常套句になっていた御代の話。

 

〜あとがき〜
 今回、茉莉花姫の絵から派生したお話です。猫はさておき、鷹については、その習性やら知識やらは持っていないので、本当かどうかなどは突っ込まないで、流して読んで頂けたら嬉しいな〜と思います。
 ラスト、妙なぶった切り感がありますが、続きを本編として書いても意味ないなーと思ったので、番外編のようなものとして、別途、書く事にしました。
 宜しければ、そちらもお付き合い頂ければ嬉しいです。
  読んで下さり、有り難うございました!

 

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