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『月に願うは恋散華 5』


 朝目が覚めると同時に何処か体が重かった。

「何だろう?」

 なんだか体が地面に引きずり込まれるような重い感覚にあかねは覚えがあった。でも、いつもなら前日の夜その事を藤姫が教えてくれるのだが。

「あれ?」

 物忌みの日特有の体のだるさにあかねは首を傾げた。

「神子様、お早う御座います!」

 明るい声が御簾の向こう側から聞こえてきて、あかねは外に出た。綺麗な朝の光が目に眩しい。

「お早う、藤姫。えっと、今日は誰が来ているのかな?」

 いつものように聞く。普段朝起きてすぐに、今日一日一緒に京を散策するのに、都合のいい人が誰なのかを藤姫に聞いていた。時折宮中の行事とか仕事とかで、いない者がいるから最初に教えて貰うのだ。

「今日は誰も来ておりませんわ。」

「え?」

 少しばかり申し訳なさそうにしながら告げる藤姫に、なんだか解らなくてあかねは首を傾げた。

「神子様には申し訳ないのですが、昨夜私今日が物忌みだとお伝えするのを忘れてしまいましたの。本当に申し訳御座いません。それで私の方でご連絡差し上げて、ご都合の宜しかった八葉様に、今日一日神子様の側に控えていただくようにお手配させていただきました。」

「ぇええ?ちょ、ちょっと待って。えっと、つまりじゃぁ、今日は物忌みなのね?」

「はい。」

「じゃぁ、一日屋敷を出れないのね?」

「そうで御座います。」

「じゃぁ、みんな来ていないのね。」

「ええ。」

「…………えっと…じゃぁ、誰が…来るの?」

「友雅殿ですわ。」

 にっこりと、微笑まれてあかねはグッと拳を握りしめた。何故、と言う思いが強い。よりにもよってどうして友雅なのか。

「あの…お嫌…でしたでしょうか?」

 申し訳御座いませんっ、と必死になって謝る藤姫を見ると、とてもではないが文句を言うことなど出来なくて。

「あ、そう言う訳じゃないのっっ!ちょっと今日は色々計画を立ててたから、肩すかしなだけで。……じゃぁ、今日は一日ゆっくり出来るね。」

 にっこりと笑って言うあかねに、藤姫はホッとした表情を見せた。





「………」

「……………」

 沈黙が辺りを支配する部屋の中で、友雅とあかね二人でただ、外の庭の景色を眺める。

 結局藤姫は何度も申し訳ない、と謝りながら退室していった。それとは入れ違いのようにやってきた友雅は泣きそうな笑顔でポツンと座り込んでいるあかねを見つけたのだ。

 久しぶりに直接逢うことが出来て嬉しいのに哀しい。そんな矛盾した想いに友雅は沈み込んでいた。すぐ側に感じる気配。サラリ、と衣擦れの音がする。喩え視線を逸らしていても、視界に入らなくても、目を瞑っていても、静かなようでいて確かにあかねの存在を裏付けるような音に友雅の全身全霊が引き寄せられていた。その都度ドキリ、と僅かに緊張に震えるのを平静であるかのように装うのに必死だった。

 今朝ゆるゆると参内の準備をしていた友雅の元に藤姫からの文が届いた。内容は今日あかねが物忌みだから来て欲しい、と言うものだった。通常なら昨夜の内に、しかもあかね本人から送られてくるはずの文が藤姫の手によるもので不安を覚えた。もしや文を書くことすら出来ない程、体調を崩しているのか、と。慌てて訪ねてみるとどうやらそうではなかった。藤姫は昨夜あかねに今日が物忌みだと告げるのを忘れてしまったのだと言った。八葉は前もって藤姫よりあかねの物忌みの日程を知らされている。だから、夜連絡がないことから既に予定を入れてしまっていたりして、朝になって他の八葉全員に連絡を取ったのだが捕まえることが出来なかったのだ。結局、勤勉に仕事に励んでいるわけでもなく、実際最近ではあかねのことを憂えることが多く、何事もする気にならない友雅が一番容易に捕まった、と言うだけのことだった。

 一つあかねに気付かれないように深呼吸をして。チラリと側のあかねの様子を窺えば、少し緊張しているのか顔色が悪い。

「大丈夫だよ、神子殿。」

「……あり、がとうございます…」

 弱々しい答えがあった。

 決してこれ以上近寄らないから。下手に声を掛けたりしないから。君を苦しませるようなことはしないから。

 艶やかに微笑んでみせる。本当はそんな余裕などありはしないのだが。今にも腕に絡め取ってしまいたい想いを無理矢理押し殺していた。

「ただ、赦して欲しい。私の想いは変わらない……それだけは。喩え君の願いでも私の想いを消すことは出来ないから…ね……」

「……友雅さん…ごめ……有り難う……」

 途中まで言いかけて、あかねは首を振ると、少し涙の浮かんだ目で嬉しそうな儚い笑みを浮かべた。それはやけに胸に突き刺さるかのような微笑みだった。

 穏やかな物腰で、ゆったりとくつろいでみせる。緊張気味なあかねのために。時折モゾモゾと動くあかねの衣が自分の衣に触れた、只それだけで体が熱くなる。目を閉じて。想いを抑え込んで。ただ共にいる。

 暫くすると落ち着いてきたのか、何処か気も漫ろな様子で、そんなあかねも偶にはいいものだが、やはり輝きに満ちた元気なあかねが一番いい、とそう思う。

「………あ………」

「神子殿?」

 小さな声を上げて、遠くを見つめるあかねを覗き込む。その大きな瞳に自分の姿が映る。だと言うのに、あかねの心には自分の姿が映っていない。それが解って魂が震える程の恐怖を感じた。

「神子殿!」

 少し強めに呼びかけて。顔色が白すぎる程に白いあかねに友雅は眉を顰めた。遠く違うものを見つめているかのようなあかねが今にもふわりと姿を消してしまいそうで瞬間腕が伸びた。その細く華奢な肩に触れる、その瞬間、あかねの体がフッと力を失って倒れ込んできた。

「神子殿っ!!」

 自らの腕の中に抱き留めて。そのあまりの軽さに驚いた。ギュッと抱き留める腕に力を込める。確かに此処に存在しているのだと確かめるかのように。

「神子殿……」

 意識を失って胸にもたれかかってくるあかねを大事に大事に抱きしめる。

「神子殿……」

「友雅殿。」

 自分を呼ぶ声に友雅はどうして、と思いながらも振り返らなかった。藤姫が悪いとは思わない。こればかりは誰が悪いわけではない。だが、今は彼女の顔を見たいとは思わなかった。

「神子様は…友雅殿の事を……」

「………」

 抱きしめる腕に僅かばかりに力を込めて、友雅はじっとあかねの顔を見つめ続けた。一瞬たりともその視線が逸らされることはない。

「……私のせいでしょうか……」

 ポツリと漏らされた何時もハキハキとして気丈な物言いである藤姫らしくない弱々しい声音にやっと友雅はチラリとだけ視線を流した。

「そうですか…やはり私のせいなのですね…」

 その初めて返ってきて友雅の反応に藤姫は俯いた。

「星の姫が心煩わせることなど何もないよ。」

「………」

 サラリとあかねの髪を梳く。取りあえず腕の中で消えることなく脈打つ鼓動と、温もりに友雅は少しばかり安堵した。その気持ちが言わせたのかも知れない。それとも此処まで来ても人前では偽善ぶっていたいのだろうか。そんな自分の気持ちを測りかねて友雅は小さな笑みを浮かべた。

「先程龍神様の気配を強く感じました。恐らくは神子様と何かあったのでしょう……どうですか、神子様のご様子は?」

 先程の弱々しさを見事に掻き消して、少し不安げな様子の藤姫は友雅に問いかけた。だが、決して二人に近づくことはない。

「ああ、別段呼吸も正常だし、大丈夫なようだよ。神子殿が目覚めるまでこうしているから……心配ないよ。」

 あかねに今この場で意識があったならば友雅は顔を叩かれていたかも知れなかった。それを承知で友雅は藤姫に告げる。君のためにあかねを手放す気はない、と。だが、そんな友雅の決意とは裏腹な現実が哀しかった。

「だが、こういうのは感心しないね。私たちを試したのだね?」

「何の事でしょうか?」

 藤姫は一瞬顔を哀しげに歪めるとと穏やかで綺麗な笑みを浮かべた。

 友雅には藤姫があかねと友雅の気持ちを確かめる為にわざとあかねに物忌みを告げず、友雅をこの場に読んだのだと悟った。偶然捕まった八葉が友雅だけだというのもきっと嘘に違いない事も。

 しらを切る藤姫に友雅は視線を向ける事もなく、腕にあかねを抱きしめたまま、背を向け続けた。

「では、後は宜しくお願い致します。」

 そんな友雅に少しばかり寂しげな眼差しを投げかけた藤姫は静かに姿を消した。





 藤姫は自分の房から月を見上げた。雲が時折その顔(かんばせ)を隠す。

「私は……私の為にお二人が苦しまれるなど……嫌なのです。」

 涙を湛えた瞳で、零れ落ちないようにと上を向いて。

「所詮友雅殿は私にとっては遠い月。最初から叶うとは思ってもおりませんでした。ただ、時折お話など出来ればそれだけで十分でしたのに。」

 そう呟きながら、それが本心ではない事に気付いてブンブンと頭を振って振り払うようにする。

「なんと綺麗に言葉を言いつくろっても好きは好き。そうですわね……」

 随分と大人びた笑みを浮かべた藤姫は一つ深く深呼吸した。

「私は友雅殿をお慕いしております。とは言え、友雅殿が神子様のみを見つめていらっしゃる事など解っておりました。そして神子様も友雅殿の事を想っていらっしゃる事も。だからこそ密かに隠していたこの想いがお二人様を苦しめる事になるなんて。」

 すっかり混乱した藤姫はどうすればいいのか答えを見いだせずに月に願う。





私の恋叶いますでしょうか。

神子様の恋は叶いますでしょうか。

願わくば、友雅殿の恋が叶いますよう……








@01.11.15/