『月に願うは恋散華 3』
朝のひととき。今日は物忌みだから、と家の中で来るはずの友雅を待っていたあかねはつらつらと外を眺めていた。天気もよく、風も気持ちいい。このまま外に遊びに行きたい位なのにそれは出来なくて。
「はぁ〜あ。」
溜息が出た。
「早く友雅さん来ないかなぁ〜」
一人じっと待っているのもつまらないし、何よりも早く逢いたい。
ウロウロ、ウロウロ。
部屋の中を彷徨いてみたりして。それでも落ち着かなくてトテトテトテ、と部屋を出て、更に屋敷の中を彷徨いてみたりして。
「あ。」
あかねは小さな声を出してピタリと足を止めた。それはどこからか大好きな人の香りがしたから。近くに友雅がいると気が付いてあかねは弾む想いで辺りを窺った。
二つ隣の部屋の中で、向かい合って座り、語り合っている友雅と藤姫を見つけた。恐らくはあかねの元を訪ねてきた友雅に、用でもあって寄るようにと連絡でもしていたのだろう。声を掛けようとして、弾けんばかりに愛らしい藤姫の表情に気付いて、ふとあかねの足が止まった。
「友雅殿…そのような…」
少し頬をそめ、口元を隠しながら穏やかな笑みを浮かべる。
「ふふふ…だが、なかなか良いものだよ。藤姫はどうかな?」
「まぁ!」
顔を真っ赤に染めて上目遣いで友雅を見上げるようにしながら、楽しそうに語り合うその姿を見て。話している内容など全く解らないけれども。そして喩え藤姫が十歳であろうとなかろうと。解ってしまう。嫌でもその表情で解る。楽しげに嬉しそうににこやかな笑みを湛え、知らず知らずのうちに誰に見せるよりも一番綺麗な笑顔を零してしまう、その理由が。
幼いとは言え、十二才で大抵は裳着をすまして、大人の女性として認められるこの時代。
藤姫が友雅に恋心を抱いたとして何の不思議があるだろうか。
あかねは咄嗟に踵を返して部屋に駆け戻った。衝撃の余りか喉の奥が痛い。カラカラに乾いたようになって、熱を持って喉の奥が ひりひりとした。ペタン、とその場に座り込んで。
「藤姫…も?」
風が爽やかに吹き抜けて、呟きを漏らしたあかねの髪を揺らした。その風にポトリと雫があかねの水干の装束に染みを作る。
「そう言えば…最初の時から……なんだかんだと仲が良かったものね……」
それ程遠くない、自分がこの世界に来たばかりの頃から今までの二人を思い出してみる。
「そっか。そう…なんだ……」
あかねはそのまま笑みを浮かべた。儚く消え入りそうでいて、やけに綺麗な笑みだった。
どれ程の間そうしていたのか、気が付けば後に友雅が立っていた。
「神子殿…どうされたのかな?」
「えっ?!友雅さん、どうして此処に?!」
呆然としていた為か既に涙は乾いている。驚いて振り返れば、おやおや、と心外そうな笑みを浮かべる友雅と視線がぶつかった。
「どうしてと、言われてもねぇ……君に逢いに来たのだけれど。そうじゃなかったのかな?」
くすり、と笑みを浮かべられてあかねは俯いてしまった。いつもならそんな艶を含んだ眼差しで言われれば、本気ではないのだろう、と思いつつも嬉しかったりして笑みが自然と浮かんでしまうのに。今口元に張り付いた笑みは何処か引きつっているだろうと自分でも解っていた。
「………神子殿?」
少し表情を改めて心配げに覗き込む友雅にあかねは取り繕うようにして必死に笑みを浮かべた。
結局何度も何度も、心配そうに「どうしたんだい?」と聞かれてもあかねは首を横に振り続けた。何でもありませんよ、と。
綺麗な月夜に誘われるようにしてあかねは庭に出た。少し心配そうに離れたところから様子を窺っているのは頼久。それでも無闇に側によってあかねの心を乱したりしない。あくまでも見守っていてくれる。それが嬉しかった。今は一人でいたかったから。
「綺麗な月。」
満月に照らし出されて夜空に雲が流れ行く様が見える。結構夜でも雲はしっかりと見えるものなんだなぁ〜と妙に感動したりする。夜空は黒じゃない。それがおかしかった。昔ぬり絵なんてすれば夜の空は真っ黒で。でも、真実は深い深い藍色。月光に照らし出された、深みと透明感のある空に星々が煌めいている。
「私は還る。そう……この世界の人間じゃないんだもの。だから…横恋慕…だよね…」
口元にのぼった苦い笑みを月光が哀しげに照らし出す。
「やっぱりこの世界の人はこの世界の人と。それが一番で。それが本当で。きっと私なんかが来なければ元々二人は……」
それ以上は言葉にすることが出来なくてあかねはグッと拳を握りしめた。それでも堪えきれないように零れ落ちた涙が淡い月の光を反射して、流れ星のような軌跡を残した。
「二人とも大好き。大好きだから……だから……」
この世界に来てから本当に自分に良くしてくれた藤姫。神子様、と慕ってくれて。まるで妹か何かのように可愛くて。そんな彼女の恋心を自分が潰すなんて事出来なくて。
異世界から時空(とき)を超えてきた自分は異端な存在。きっと運命で結ばれているというのなら、同じ世界のもの同士と言うのが自然で。ならば自分が身を引くのが当然という気がした。
「だか…ら……」
堪えきれない友雅への想いを心の奥底に秘め、決意をする。
「…………もう、逢えない…かなぁ……」
ポツリと零した。
藤姫に友雅と一緒にいるところを見られたくない。きっと自分の想いはとっくに藤姫にばれているから。実際今まであかねは友雅への恋を余り隠そうともしなかったし、何度も藤姫に友雅の事で話をしたりしていた。今までどんな想いで私の話に相づちを打ち、私たちを見ていたんだろうか、と藤姫を思うと胸が苦しくなる。
逢えば想いが深くなるから。
逢えば苦しくなるから。
逢えば諦めることが出来なくなるから。
今日、心配げに表情を曇らせた友雅の顔が浮かんだ。
「大好き…です。………大好き、でした……友雅さん……」
月に愛しい人の面影を重ねて告げる。完了形で告げた瞬間に酷く胸が軋んで痛んだ。
「……お願いです……」
そして月に願う。いつの日かこの想いを忘れる日が来ることを。
ただ、立ちつくすあかねの姿を月は静かに照らしだし、冷ややかに見つめているだけだった。
@01.11.14/