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『月に願うは恋散華 2』


 あかねと二人連れだって歩く。ふと自分の隣を見れば、華奢で小さなあかねの姿がある。手を少し動かすだけで触れることが出来るのではないだろうかと思う程近くに。只それだけのことなのに何故こんなにも胸が満たされるのだろう。そして、触れることの出来ないこの近さが逆に胸に切なくもあった。

 何も言わずに歩くあかねを時折愛おしげに見つめながらも、結局随心院まで二人は無言のままだった。

 咲き乱れた花々の中、静かな佇まいの随心院。着いてからも友雅には道中そうであったように、あかねが徒然と花を愛で、空を望み、風に戯れているように見えた。何処か憂いを秘めた匂うような風情。まるでこの随心院に住まわっていたと言う彼の女君の如く美しく感じられて友雅は眩しい思いで見つめた。

「教えて貰いたいこと…って何ですか?」

 背中を向けたまま静かに聞いてくるあかねに友雅はやはり胸を過ぎる切ない想いに内心苦笑を浮かべた。

「簡単なことだよ。最近随分とつれないけれど、私は神子殿に何かしたかな?」

「………」

「やはり意味も解らず避けられると、いかな私でも傷つくのだよ?」

「………ごめんなさい……」

 ポツリと零したあかねの俯いた様子が余りにも哀しげで友雅としても不本意ではあった。こんな哀しそうな風情をさせたいわけではない。何時だって自分の側で微笑んでいて欲しいのだ。

「ああ、責めているわけではないのだから、そんな哀しそうにしないでくれまいか……」

 今にも抱き寄せてしまいそうな腕を自分で握りしめて押さえつける。

 あかねは黙ったまま近くの藤棚の方へと歩いていく。

「理由は……言えません……」

「何故?」

 寂しそうに言ってくるりと振り返ったあかねを真摯な思いで見つめる。

 その友雅の視線から逃げるように再び背を向けたあかねは初夏の風に揺れて咲き誇る藤の花の一房にその細い指先を伸ばした。優しく藤の花をその手に取り、切なげにじっと見つめる。長い長い沈黙が広がり、さやさやと風に揺れる木々や花々と鳥たちの囀りばかりが支配する。友雅は一心にあかねの後ろ姿を見つめた。他の何も見えない。聞こえない。

「藤の花、私大好きです。」

 やっと聞く事の出来たあかねの言葉に友雅は眉をひそめた。

「……神子殿?」

 あかねの背中が小さくて今にも消えてしまいそうで友雅はゆっくりとあかねの側に歩を進めた。

「他にも好きなお花、沢山あります。桜も桃もこの石楠花も。…………それから橘の花も。」

 好きなんです。

その背中が。その言葉が。風に揺れる髪すらも。ダイスキ、ダイスキ、ダイスキ。そう告げているような気がして友雅は胸を躍らせる。

「それは…嬉しいね……」

 近寄って後からあかねを抱きすくめる。自分の腕の中にすっぽりと収まってしまう少女に愛おしさが溢れてくる。

「嬉しいよ……」

 あかねの耳元に小さく小さく、ともすれば掠れがちになる声で囁く。

 前々からあかねの態度に「もしかしたら」と思っていた。自分を真っ直ぐに見つめてくれるその眼差しに。向けられる微笑みに。ふとした仕草に自分を誘うかのような艶を持つあかねを見つける度に心を躍らせた。だからこそ、最近のあかねの態度は友雅にとって衝撃的でもあった。

 やはり独りよがりな思いこみだったのだろうか、と。

 でも、今告げられた言葉。この「橘の花」は恐らく自分の事。勿論他の花々の名前も挙がったけれど。そう信じることが出来るから心底嬉しかった。

「でも、私には選べない。選べないんです……」

「…………」

 言葉を失った。幸せの中にいた友雅を突き落とすかのような言葉。

 選べないとは私を?私を選べないと言うことか?誰と比べて?他に誰か君の心を惹いてやまない男がいるのか?

 そう思うだけで心の中にどす黒い憎しみがわき起こる。誰であろうと自分からこの愛しい存在を奪っていく事など赦せるはずもない。そして自分と同じくらいあかねの心を奪っていった男がいる、その事実ですら赦せない。

「選んで欲しい……」

 全身全霊の想いを込めるかのようにして囁く。

「私のことを……選んでくれまいか……」

 抱きしめる腕に力を込めれば、その友雅の腕をあかねはギュッと握りしめた。自分を包み込んでくれる友雅に体を預けるようにして凭れかかりながら、それでも尚首を僅かに横に振る。

「……あかね……」

 相手の全てを望み、求める、血を吐くような想いを込めて囁く。初めて呼ぶ真名は余りにも胸に苦痛のみをもたらした。

「本当にごめんなさい。友雅さんは何も悪くないのに…勝手に避けちゃって……ごめんなさい。全部…私が……悪っ…」

 其処まで言い募ってあかねは涙に声を途切れさせて、肩を震わせるようにして嗚咽を忍ばせ始めた。

「……泣くな…そんな風に泣かないでくれないか……私は………」

 身を切るようにして声を殺して、自分の腕の中で泣くあかねが余りにも可愛すぎて、愛しすぎて、自分を抑えられなくなる。ギュッと抱きしめて。自分の方へ向けさせるとそうっと頬を包み込んで上向かせる。涙に濡れた睫毛が、哀しみ沈む憂い顔がなんと大人びてあかねを彩ることか。何も解らなくなった頭で自然と頬を寄せて。後もう少しで触れあう、吐息の混じり合うそんな時、あかねがパッと横を向いた。

「駄、目っっ」

 グイッと友雅の胸を押し返すようにして当てられたあかねの手が小刻みに震えている。

「どうして?君とて私のことを想っていてくれているのだろう?その目に宿る涙がその証。何故、触れあってはいけない?」

「………お、願い…だからっ…こ…れ以上………お願いぃい…」

 友雅の胸に縋り付くようにして啜り泣きを始めたあかねに友雅は抱きしめる以外どうすることも出来なかった。自分が、他の誰でもない自分が一番あかねを追いつめ、苦しめているなど赦せる事ではなかったから。胸に溢れ来る熱い想いを必死に握り潰して、友雅は黙ったまま優しくあかねを抱きしめ続けた。

 一度でも触れてしまえばもう戻れない、そう思ったから。この暖かく優しい腕の中で何時までも微睡んでいたいと思ってしまうから。それだけはあかねには出来なくて。

 心の何処かに、このまま触れ合えることに期待している自分を見つけて、情けなさに余計体を震わせた。

―――私には…藤も橘も選べない……―――

 涙ながらに、途切れ途切れに訴えるあかねに友雅は目を見開いた。

 藤。

 藤の花。

 そう言うことだったのか、と。納得も出来、また、逆にどうしても納得できなかった。友雅自身はそんな理由で身を引きたくはなかった。その程度の想いではなかったから。

「それでもあかね…私は君を諦められない……」

「……っ…ぅっ…あ、ああっ…あぁああああ〜〜〜〜」

 友雅の言葉にあかねは更に激しく泣き始めた。

「だから君は私を避け、外に出ようと言ったのだね……」

 慟哭する優しく愛しい少女の髪を何度も撫でた。

「本当になんて君は優しく、残酷なのだろうねぇ……」

 熱い想いよ伝われとばかりに、指先に絡ませたあかねの髪にそっと口づけを落とした。

 あかねの想いが自分にあると知って、諦めることなど出来るはずもなかった。喩えそれであかねを追いつめることになっても、求めずにはいられない。だが、こんな風に泣かれては友雅自身、身を切り裂かれるように辛い。だから。君のために。断腸の思いで。




―――私は諦めないけれど、少しだけ君から離れて見守ろう。私の月の姫―――







@01.11.14/