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『月に願うは恋散華 1』





私のことなど気になされなくても宜しいのです。

なのに。

優しい眼差しが胸に痛う御座います。

私など。

捨て置かれても構いませんのに………




 御簾の外側から薫る香りで誰が訪ねてきたのか解る。逆に解ってしまうことにあかねは舌打ちしたい気分だった。

「失礼するよ。」

 女房の案内もなく、御簾をあげ、中に入ってきた友雅にあかねは振り向きもしなかった。艶やかな侍従の香りが部屋の中を満たす。思わずそのことに喜びを見いだしてあかねは表情を歪めた。

「姫君。今日は勝手ながら私につき合っていただきたいのだがね。」

「…………。」

「神子殿。」

 黙ったままのあかねに友雅は小さく吐息を吐くと、あかねに近づいて問答無用とさっと抱き上げた。

「なっ!何をするんですか!!」

「やっと私の方を見たね。」

「………。」

「また黙りかい?まぁ、いいよ。その方が都合がいい。是非私の屋敷にご招待したいのでね。」

「い、嫌ですっ!今日は気分が悪いんですっっ………離して、ください……」

 咄嗟に拒絶した最初の強い語調とは裏腹に、最後は弱々しくなってしまう。自分を包み込む友雅の温もりが段々と体に染み込んできて、そのまま身を委ねて、縋り付いてしまいたくなるから。

 そんな自分を励ますようにあかねはキッと友雅を睨むように見上げた。

 雅に見えて、あかねを軽々と抱き上げてしまう友雅のがっしりとした腕から逃げることも適わずあかねはジタジタと足掻く。足掻けば足掻くほど。自らの首を絞めるような気がして暫くするとあかねは大人しくなった。

 動けば動くほど、友雅の侍従の香が強く薫り、自分が今抱き上げられているのだと、その腕に包まれているのだと嫌でも思い知らされてしまうからだった。

「降ろしても良いが、条件がある。君に教えて貰いたい事があるのだがね。」

「………」

 静かになったあかねを友雅は切なげな瞳で見つめた。

 愛しい斎姫。龍神の神子だとか、尊い存在だとか、そんなことはこの際友雅にとっては些細なことでしかなかった。始めて見つけた大切な存在。自分の何もかもを絡め取って縛り付ける罪な人。今まで誰にも捕らわれたことのなかった自分を捕らえて置いて尚、弄ぶかのように翻弄する残酷な人。焦がれて止まない腕の中の存在を簡単に諦めるつもりなど更々なかった。いや、諦めるなど土台無理なことだった。

 始めて知った情熱は余りにも熱く甘く体を焦がす。

 魂の奥底まで染み渡るその甘美な誘惑に抗いようもない。

 つい先日までは毎日のように友雅を連れて京の散策にあたっていたというのに、急にお声が掛からなくなった。それでも共に居たくて、側に居てあかねを感じていたくて左大臣邸に毎日通っているというのに逢ってもくれない。それなら、と朝早くに来て声を掛ければ、けんもほろろに扱われるばかり。一体どうしてそうなってしまったのか友雅には解らない。何か自分があかねの機嫌を損ねるようなことをしたと言うのなら謝りたいと思う。だが、何一つとして思い当たる節がないのだ。だから、今日は何が何でもあかねからその理由を教えて貰おうと朝早くから訪ねてきたのに、やはり素っ気なくされて、強硬手段に打って出た。

 ジリジリとした焦燥感の様なものに追いつめられて、余裕のない自分に友雅は嗤いたくなった。

 今までの恋で遊んでいた自分が愚かだ、と思える。こんにも激しく苦しい恋情を今まであざ笑っていたのか、と。その報いなのだ、と思わないではいられなかった。本気の恋の前には駆け引きなどなんと薄っぺらいものであることか。

 無言のままのあかねに焦れて。

「では、このまま連れて行ってしまおうか…」

 本気を滲ませた声音で囁いた。

 ビクリとあかねの体が揺れる。ギュッとあかねが胸の前で握りあわせた拳が白くなる。

 耳元で切なげに呟かれて何もかも棄ててしまいたくなる。連れて行ってください、と友雅の首に腕を回して自分から抱きついてしまいたくなる。

 出来ることなら……。

 ずっと好きだった。大人の雰囲気と余裕で翻弄されて。それでも捕らわれて。何時だって穏やかな表情で、からかわれているのだろう、相手にされていないのだろうと思いながらも尚、棄てきれない想いだった。だからせめて龍神の神子としての、八葉としての「役目」を隠れ蓑に一緒に居たいと願った。側に居てくれるだけでいいから、と。

 でも―――

 フルフルと。

 あかねが頭を振れば、軽やかに宙に舞う髪。そして抱き上げて、身近であるが故に鼻孔を擽る愛しい人のあまやかな薫りに友雅はクラリとする。

 こんな些細なことにすら我を失いそうになる。

「…神子殿…」

 抱きしめる腕に知らず知らず力が籠もる。

「……解、りました……から、離してください……」

 途切れがちになりながらも、顔も見ずに告げるあかねに友雅は寂しさと切なさに目を細めた。少し前までは惜しげもなく自分に捧げられていた真っ直ぐな眼差しが懐かしい。

 腕に感じる温もりを手放したくはないが、あかねとの約束だから、と友雅はあかねの体を静かに降ろした。離れた腕が寂しくて再び彼女の温もりを求めてしまいそうになる。

「……あの…外…行きませんか?」

 あかねは落ちつきなさそうにキョロキョロと周囲の様子を窺いながら言った。



@01.11.14/