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『愛(いつく)し戀(こい) 5』


 カサカサと踏みしめた落ち葉の静かな音だけが聞こえる。辺りには人気が無く、時折風の吹きすさぶ音に鳥の囀りが聞こえてくる程度だった。

「やはり少し寂しかったでしょうか。」

「そんなこと無いです。凄く…綺麗……」

 辺りはここ数日急に冷え込んできたせいか、鮮やかな赤や黄色に染まって見事な紅葉となっていた。先ほどから踏みしめている落ち葉も色鮮やかで錦の絨毯のよう。流石に都会に住んでいたあかねはまだ高校生というのもあるが、秋になったら紅葉を見る為に旅行に出かける、と言ったそんな贅沢なことはしたことがなかった。当然学校や家の近くの木々の紅葉に目を奪われることはあったが、辺り一面の圧倒的な美しさは初めてだった。

 春の桜色一色に染まったのも凄く綺麗。初夏の若葉の瑞々しい青葉の輝きも素敵。でも、秋の赤や黄色に染まった鮮やかさの中でも何処かしっとりとした情緒ある風情が胸に染みいる。

「それは良かった。」

 少し安心した風に呟いた鷹通はあかねと同じように辺りを見回した。

「本当に綺麗すぎて…怖いくらい……」

 そう言いながらあかねは近くの大きな樹に近づくとそっと手で触れた。何故か触れた手が温かいと感じる。クルリと反転して樹に背中を預けながら、一つ大きく息を吸った。

 澄んだ綺麗な空気。

 深呼吸をして心を落ち着けると、何気なく見た視界の中で鷹通が佇んでいた。只其処に立っているだけ。それだけなのに。

 涙が出そうになった。

 春の桜舞い散る中に立つ鷹通も素敵だったが、今秋の高い空の下、美しき紅葉に囲まれて佇む鷹通はより一層魅力的で愛おしい。

 ふわりと吹いた風に髪がゆらりと揺れた。フッと鳥の影を追うようにして鷹通の視線が宙を舞う。そのまま舞い落ちてくる落ち葉に気付いたのか、手を差し出して受け止める。別段普通の落ち葉なのに、何が興味を引いたのか食い入るようにその落ち葉を見つめて、眼鏡の中心を右の中指で押し上げる。

 ―――好き……

 想いがこみ上げてくる。この人が好き。どんなに心を静めようとしても無理で。

 フッと鷹通が視線をあかねの方に向けた。すると少し目を見開くようにすると静かに近づいてきて、あかねが凭れかかる樹に両手をついた。

「そんな風に泣かないでください。」

「泣いてなんかいませんよ。」

 微笑んで見せても。

「涙は流れていなくても、泣いていらっしゃるしょう?」

 心の内を見透かされてしまう。

「………それは鷹通さんも同じでしょう?」

 首を傾げて問いかける。

 寂しい苦しげな眼差しを直向きなまでにあかねに注いでいる鷹通。

「……そうかも知れませんね。」

 静かに微笑んだ。それは一度だけ見せて貰った事のある本当の鷹通の素顔。透明すぎる程で今にも壊れて消えてしまいそうで、思わず手を伸ばした。

 指に触れた髪。その感触に安心する。さらさらと、こぼれ落ちる……髪。

「鷹通さんの髪の毛、綺麗ですよね。」

「―――そう、ですか?」

 髪を触れられる、ただそれだけの事なのに全てを支配されてしまう。歓びと切なさ。瞳を細めて堪えるようにして鷹通が答えた。

「一番綺麗。」

「…………。」

 苦しげに目を伏せて視線を逸らせようとした鷹通の頬にあかねは手を触れた。触れた瞬間ピクリと鷹通の体が揺れた気がした。

「鷹通さん……?」

「………―――っ!」

「ぁっ!」

 鷹通の頬に触れていた手がぐいっと鷹通に捕まれて引っ張られた。引き寄せられるままポフッと鷹通に抱きつく形になったあかねは小さな声を上げたが、それ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。

 手を鷹通の後ろに引き寄せられて、腰をぎゅっと抱き寄せられて、気付けばキスされていた。触れるような優しいキス。何度も啄むようなキスを繰り返されて、その優しさにふうっと力の抜けた時には唇を割って入ってきた鷹通の熱い舌にビクリと体を震わせた。それでも引くことなく口づけを更に深くする鷹通にあかねも応えたくて。オズオズと触れあった舌を絡めて、甘い吐息を零す。

 甘い刺激に体の力が抜けて鷹通に縋り付くような恰好になってしまう。その時点でやっと解放されたあかねは潤んだ眼差しで鷹通を見上げた。

「…………鷹通さん?」

 より一層苦しげに眉根を寄せた鷹通に呼びかければ。

「…………………………申し訳…ありませんでした。一度だけ…一度だけ、です。もうこの様なことは二度と致しませんから。今この時だけは……」

 そう言ってギュッときつく抱きしめた。

 この後あかねから真実を告げられるだろう。コレが最後。抑え続けてきた欲望。あかねの小さく柔らかな手に触れられたら一瞬にして全てが弾け飛んだ。愛しくて愛しくて、気付けば重ね合わされた唇の甘い感触。止めることも出来ずに求め続けた。

 初めてのキス。

 吃驚したけど嬉しかった。

 なのに。

 ―――何で謝るの?

 同じように鷹通の背中に回した腕に力を込めた。

「何で!何で謝るんですか?!私…は嬉しかったのにっ!!ねぇ、鷹通さん、どうして謝るんですか??」

 傷ついた眼差しに涙を浮かべて見上げてくるあかねに鷹通はハッと息をのんだ。

 ―――あり得ない……

 固定観念のようにどっしりと心の奥底まで根を張った想いはなかなか消えようとしない。

「ねぇ、鷹通さん……私は鷹通さんのことが好き、です。鷹通さんは私のこと好きじゃない…んですか?」

 あかねは今にも逃げ出してしまいそうな自分を叱り飛ばす様にしてその場に立つ足にぐっと力を込めた。

「何を…言って……」

 鷹通の表情が困惑に揺れる。

「だって、鷹通さん会いに来てくれない。会いに来てくれても何時も悲しそうな顔ばっかり。何時も苦しそうな微笑みばかり!そんなの嫌だもの!私が鷹通さんの負担になってるの?重荷なの?」

「神、子殿…」

「私に本当の鷹通さんを見せてくれないのは私のことが嫌、い…………だから?」

 静かに溢れる涙を堪えながらじっと鷹通を見上げれば、きつくきつく鷹通に抱きしめられた。

「そんなことはありませんっ!決してそのような事だけは!!私は誰よりも…何よりもあなたの事を大切に思っています。他に何もいらない、あなただけが欲しいと願わずに入られなかった!だから、だから逢えなかった!」

「…どうして……」

 鷹通は覚悟を決めるように一つ深い吐息を吐いてあかねを真摯な眼差しで見つめた。八葉としてのそれでなく、初めて見せる何もかも棄てた只の人間としての。一人の男としてのそれ。隠すことなく一人の男として一人の女を熱く請うるそれ。

 そんな視線を間近に受けて、あかねの心が一つ跳ねた。

 ―――嬉しい

 喩えようもない満ち足りた幸福感。初めて自分は確かに鷹通に求められていると感じることが出来た一瞬。でも……。

「神子殿は……頼久がお好きなのでしょう?」

 直ぐさま首を横に振った。

 悩む事なんて無い。ハッキリと答えられる。私が好きなのは今目の前にいるこの人。鷹通さん只一人。

「私が好きなのは、何時だって穏やかな微笑みで私を遠ざける、素っ気ない鷹通さんだもの。鷹通さんだけ、だもの。」

 淡い微笑みを載せてちょこんと首を傾げてみせる。溢れた涙が一筋だけ頬を滑り落ちた。

 そんなあかねに、余りにも驚きが大きかったのか、言葉もなく鷹通は瞳を揺らした。

 ゆらゆら、ゆらゆら

 何時も冷静で落ち着いた鷹通の表情がくるくると変わる。

「いや、でも、しかしっっ!」

「私はこの前言いましたよ。鷹通さんの事が好きだって。信じて…くれなかったんですか?」

 自分のこんなにも切ない程相手を求めている想いを否定されて悲しかった。信じて貰えなかったのが寂しかった。

「じゃぁ、鷹通さんはずっと私が頼久さんを好きだ…って誤解してたの?だから、私を拒絶していたの?」

 自分の腕の中で、酷く哀しそうなあかねに鷹通は狼狽えて真っ白になった頭で何がなんだか解らなくなった。解るのは今この腕の中にある温もりは真実だと言うこと。

「私、は……頼久にだけ見せる屈託のない、穏やかなあなたの微笑みを見ました。彼の側でなら心からくつろぎ、自分の側にいる時とは全く違う顔を見せる事が出来るのだと知りました。羨ましい、そう思いながら、あなたは彼のことが好きなのだと…思いました。」

 抱きしめられた鷹通の腕から力が抜けて、少しずつ二人の距離が遠くなる。

「頼久が神子殿に対して最後まで何故行動にでなかったのかは私には解りません。でも、それでもあなたは頼久の為にこの京に残ったのだと思った。私の想いに答えてくれたのはその京に残る為の方便なのかと…。」

 ふわりと解放されそうになってあかねは心細さにしがみついた。

「そんなっ、違いますっ!!」

「それでも。自分が利用されているのだと思っても尚。私にはあなたを離すことが出来なかった。愛しくて、自分の側にいて欲しくて、誰にも渡したくなくて、失いたくなくてっ……臆病になって何も言えずにいました……」

 鷹通の固く握りしめられた拳が細かく震えている。

「鷹通、さん。」

 自分が鷹通を利用していたのだと、そう思われていたのにはショックで。でも、それ以上にそれ程までに求めていてくれた事実が嬉しかった。

 どれ程ずっとその場にそうしていたのだろう。二人して酷く混乱して、哀しくて寂しくて、嬉しくて愛しくて。そんな中、お互いの温もりだけが心の奥に染み込んでいく。様々な感情が一つ一つ消えて行き、たった一つの変わらない想いだけが残る。

 ―――愛しい……

 すると、やけに気持ちがスッキリと落ち着いた。自分の気持ちが結局落ち着くところに落ち着いたからだろうか。

 本気で恋したが故に臆病になって。

 冷静に物事を判断できなくなって。

 一つ思いこんだらそうとしか思えなくて。

 クルクル、クルクル

 熱病に浮かされた如く踊り続ける。

 鷹通の告白を聞きながら、自分も又同じだったと思った。最初からきちんと聞いておけば良かったのに。変に色々考えて。ごちゃごちゃ臆病になって言い訳を作っては今まで過ごしてきた。コレでは駄目だと言いながら、そのまま放置して。捻れに捻れて、誤解はこんな処まで来てしまった。

 ―――鷹通さん一人を攻める事なんて出来ない。

 鷹通の体が僅かに震えているのが解る。

 ハラリと落ち葉が鷹通の背後を横切って落ちた。一枚の綺麗な黄色い葉。まるで鷹通の背中越しに見つめたあの時の月。

 ―――もう一度あの時に戻って。

「鷹通さん。」

 名前を呼んで、まだ揺れて戸惑う鷹通の目をしっかりと見つめる。

「私は鷹通さんが好き。他の誰でもないあなたと一緒に生きていきたい、そう思ったからこの京に残った。私は……あなたの側にいて良いですか?」

「―――………、〜〜〜〜〜〜っ!…私もあなたと一緒に生きていきたい。何時も側にいて欲しい。それだけが…私の願いです……」

 最初なんと答えて良いものか、口を開けるもののなかなか言葉にする事の出来なかった鷹通は、それだけを掠れる声で囁いた。

「あなたのことを誤解していた。信じていなかった。赦して、―――」

 あかねは指先でそっと鷹通の口を押さえた。

「謝らないでください。ね?お互いにお互いが誤解していた。もっときちんと勇気を出して話をしておくべきだった。それだけのことです。」

「しかし、神子殿にあれ程悲しい思いをさせてしまった……」

「お互い様です。」

 でしょ?と苦笑を浮かべながらあかねは首を傾げた。

 苦しかったのは、切なかったのは二人とも同じ。お互いがお互いを思い合って苦しんでいた。

 真実を知ってしまえば、馬鹿らしく思える程で。それ程お互いに初めての恋に、想いに目が眩んで何も見えなくなっていたと言うこと。

「だから、もう謝らないでください。」

 そっと囁けば。

「神子殿………」

 ―――ありがとうございます……

 ギュッと抱きしめられた。

 初めてお互いの想いが通じ合った。重なり合った。今自分を抱きしめている腕は確かに鷹通のもので、抱きしめているのは私自身なのだとわかる。それがなんて嬉しいのか。

 再び自然と引かれあうように唇を寄せ合った。

 二度目のキスは甘く切なく、何よりも寂しかった心を満たしてくれるものだった。



@01.10.23/01.10.24/01.10.25/