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『天の邪鬼なホワイトデー 4』


 悶々とした日々を過ごしたアンジェリークは少しばかり苛々としていた。

 そんな中で迎えたホワイトデーは気分最低だった。天気は良くて、風も気持ちがいい。最高なのに最低。

 取り敢えずそれでも仕事は仕事。出かけなくては、と準備をしていたところにオスカーから手紙が届いた。

『今夜は一緒に食事をしよう』

「なによ、もう!知らないっ!!」

 果たして、噂から考えるならば、今日アンジェリークと会うと言うことは他の誰かにお返しをするわけではないと言う事になる。だが、アンジェリークは貰わないのだ。

 うううううっっ…。

 アンジェリークは内心意味不明なうなり声を上げつつ、チロッと手紙を見た。

「べーだっ☆」

 舌を出すと、返事を書かずにそのまま部屋を出た。





「ちょっと…いい加減にしてくれない?」

「え?」

 ロザリアの呆れた声にアンジェリークは我に返った。

 なんのことかと首を傾げるアンジェリークにロザリアはこめかみ辺りに指をあてながら溜息をついた。

 先日のバレンタインの時も落ち着きが無く仕事にならなかったが、今日はその比ではなかった。

 四六時中時計を見ては、溜息をついている。手元はずっと疎かになり何も進んでいない。進んでいるのは時計の針ばかりだ。本人は全くと言っていい程気付いていない様だが。

 時間は既に4時過ぎ。

 良く耐えた、とロザリアは自分で自分を誉めてあげたかった。

「さっきからずっと時計ばかり気にして全然手が止まっていてよ。本当にもう…今日は良いから…帰りなさい。」

「ご、ごめんなさい!」

 指摘されて、その顔色を変えたアンジェリークにロザリアはふぅ〜と吐息をついた。

「アンジェリーク。本当に今日はもう良いわ。」

「でもっ!」

「どうせ気になって仕事にならないのでしょう?明日からしっかり働いて貰うから。お行きなさい。」

「ロザリア……。」

 優しい笑みを浮かべるロザリアにアンジェリークは泣きそうな顔をして見せたが、立ち上がりギュッとロザリアに抱きつくと、ありがとうと小さく言って部屋を出ていった。

「全くもう…本当に人騒がせなカップルだ事。」

 呟いたロザリアの声音は何処か寂しげで、また羨ましそうでもあった。

「よぉ、俺のお嬢ちゃん。」

「オ、オスカー?!」

 扉を閉めて顔を上げた瞬間にオスカーと視線が合って、心底驚いてひっくり返った声を出してしまった。

 オスカーはと言えば余裕な笑みを浮かべてアンジェリークにゆっくり近づくと右手を取り、その指先にキスを落とした。

 それはやけに何処か神聖なものを含んでいて、一瞬アンジェリークはその様をぼうっと見つめてしまった。

「何処へ行くつもりだったんだ?」

「何処…って…。」

 聞かれてハタと気付いた。

 そう言えば自分は何処に行くつもりだったんだろう。オスカーの執務室だったような、違う様な?

 困惑に揺れる眼差しのアンジェリークにオスカーはクスッと一つ笑みを零した。

「今朝手紙を出したんだが、返事が無かったからな。迎えに来たぜ。」

「……お昼とか、それ以外でも全然連絡無かったじゃない。」

 少し拗ねた様に言われて、オスカーはおやおや、と苦笑を口元に浮かべた。

 その口振りから朝の手紙はちゃんとアンジェリークに届いていたらしいと気付いたからだ。

 どうやらオスカーがそれについて何か言って来るのをずっと待っていた様だ。

 それもこれもやはり噂のせいだろうなと思うと苦々しい思いだった。

「早くに仕事を切り上げる為に必死だったからな。済まない。」

「………ごめんなさい……。」

 直接アンジェリークをこうやって待ちかまえる為に仕事を休みなくこなしたのだろうと察してアンジェリークは申し訳ない気がした。ちゃんと今朝返事さえ出しておけばそんな苦労をオスカーに掛けることはなかっただろうから。

「謝る事じゃないさ。さて、行こうか。」

 オスカーはアンジェリークの肩を抱くとその背を優しく押した。





 夕食の時間にはまだ早い。

 結局アンジェリークは懐かしい飛空都市へと連れてこられていた。

「うわぁ、懐かしい!!」

 まだそれ程此処を出てから時間は経っていない。そして此処に住んでいたのもそれ程長い期間だったわけではない。だと言うのに思い出せる色々な光景は色鮮やかにアンジェリークの脳膜に焼き付いている。

「おいで。」

 手を差し出されてアンジェリークは自然とオスカーの手を取った。

 手を繋いで歩く。

 試験を終えた飛空都市は閑散としている。夕暮れ時と言う事もあり人気は余りなかった。

 懐かしい湖へとやってきてオスカーはアンジェリークに座ろうかと視線で問いかけた。

 オスカーが敷いたマントの上に二人並んで座る。

 かつて此処で生活していた時はオスカーとこんな風に時間を過ごしたことはなかった。

 一緒に公園に出かけたり、この湖に遊びに来たり、更に奥の花畑へと連れて行って貰ったこともある。

 でも、どれもこれも守護聖と女王候補としてだった。

 今、時が巻き戻る。まるであの頃そのままの様に感じられる。

 爽やかな風が吹き、湖の湖面が夕陽に照らし出されて朱金に輝く。

 どんどんと赤かった空が紫色を帯びて、夜の闇色へと姿を変えていく中で湖面はその様を色鮮やかに写し取って見せた。

「綺麗…。」

 遅い時間などに此処に来たことはなかった。

 守護聖達はみんな女王候補達を明るい内に寮へと送り返していたからだ。

「なかなか良いだろう?君たちはこんな夕暮れ時の湖とか見たことがないだろうと思ったんだが…当たっていたな。」

 そう言うオスカーは何処かホッとしていた。

 逆に知っていたら、と思うとたまらなかった。

 誰と一緒だったのかと。

「あ。あれっ月!」

 暗くなり始めた湖面に白く丸いものが浮かび始める。

「うわぁ……ゆらゆら風に揺れる月、かぁ。なんだか触ってみたくなっちゃう。」

 聖地を離れて、噂も何も関係ない。此処では自分達が一緒にいたからと言って誰に何を言われるでもない。懐かしい景色の中、今まで鬱々としていたアンジェリークは何かから解放されたかの様に笑顔を見せた。

 ウットリと見つめるアンジェリークにオスカーはギュッと肩を抱きしめるとその髪に唇を押し当てた。

「オスカー?」

「夕陽に映えた君も綺麗だったけれど、月光に照らし出される君も綺麗だ。」

 まるで儚げに揺れる水面の月同様、淡く金色に輝くアンジェリークの髪。触れて、この手に掴んでみたくなる。そんな切なさを胸にオスカーはアンジェリークを抱きしめた。

 熱い眼差しで見つめられて、目元に、耳に、頬に、唇に、雨の様に優しいキスをいくつも貰って、アンジェリークも一つオスカーの頬にキスを返した。

「出来れば唇が良かったがな。」

 そう言うオスカーは満更でもなかったらしく嬉しそうに笑った。



@02.03.10/02.03.12/