『天の邪鬼なホワイトデー 5』
オスカーは嬉しそうに笑みを刻んだ後、徐にその懐から小さな小箱を取り出した。
もう既に辺りは月明かりのみと言う状態でかなりくらい。
オスカーの様に夜目が効くわけではないアンジェリークにはそれがなんなのかハッキリとは見えない。
首を傾げているとオスカーがその小箱から取り出したものをそっとアンジェリークの右手を取って薬指に填めた。
「…え?」
「受け取ってくれるか、俺の想いを。」
耳元で低い艶のある声で囁かれた。
「だ、…ってこれって……。」
右手の薬指。エンゲージリング。
ただ黙ってオスカーはアンジェリークの頬にキスをする。その髪を優しく梳いて、指先に絡めて、キスをする。
「だって…今日、は……。」
「今日が何日かなんて俺には関係がない。あるのは今君と一緒にいると言うこと。君を愛していると言うこの想いを君に伝えたい、それだけだ。」
薄闇の中で、氷青の瞳がジッとアンジェリークを見つめてくる。
キラリと月光を弾いたのは指輪に付いたクラシカルなダイヤモンド。シンプルにデザインされた指輪。
「わた、し…何も貰わないってっっ!」
泣きそうな声でアンジェリークが言う。
今日はホワイトデー。何もお返しは貰わないと言った日。
エンゲージリング。凄く嬉しくて、躍り上がりたい程嬉しくて。
でも、貰いたくないと言う気持ち。それも嘘偽り無い思い。
好きだという思いを伝えて、なんでそれに”お返し”として物を贈ってもらうのが当然となっているのかアンジェリークには分からなかった。
倍返し、嫌な言葉だな。そうずっと思っていた。想いを贈るのだから、想いを返して貰えばそれで十分な筈だとそう思っていた。
でも、これは倍返しになるんだろうか。オスカーのこれは確かに気持ちであり、想いそのもので。
それでも”もの”を貰うのが嫌だなんて言うのは、我が儘だって分かっている。そんなの贅沢な我が儘に過ぎないんだって言う事を。
「アンジェリーク…これはお返しとかなんとかじゃない。分かる…だろう?」
少し緊張気味に語るオスカーの声が驚く程真摯なものでアンジェリークは目を見開いた。
暗がりに慣れてきたアンジェリークの目に映るのはほんの少しの不安と期待を織り交ぜた様なオスカーの瞳。
「……噂……。」
「アレは…俺も驚いた。なんであんな噂がたったんだか。」
苦笑を浮かべるオスカーにアンジェリークはどうして良いのか分からない。
本当はオスカーには分かっていた。アンジェリークがこの日に何かを貰うのを嫌がると言うことを。その理由も。分かっていてそれを強要したかったのはオスカーの我が儘だ。
オスカー自身この日に拘っているわけではない。そんなもの気にもしない。
実際これはチョコのお礼とかホワイトデーだから、と言うのではなく、アンジェリークが貰いたくないと言う日だから、だ。
ホワイトデーだから結婚の申し込みをするのではない。
気持ちを籠めた指輪をこの日に受け取って欲しい。そう思った。アンジェリークにこの日には何も貰わない、と言われたあの瞬間に。
あの後オリヴィエに頼んで指輪を探して貰った。
今までいろんな女性と付き合ってきた。指輪くらい何度か贈ったこともある。だが、エンゲージリングとなると話は別だ。
相手はアンジェリークなのだから。一番彼女に似合うものを贈りたい。
色々悩んで。
愛らしくデザインされたものとか。豪勢に飾られたものとか。
でも、どれもこれもしっくりと来なくて。
飾らない美しさ。ありのままの彼女に一番似合うもの。
オリヴィエは少しだけ不満そうにしていたけれど、最終的にはそれが一番いいかもね、との言質を得たこの指輪。
プラチナの台座にしっかりとはめ込まれている小粒だけれど美しい輝きを放つダイヤモンド。
アンジェリークが気に入ってくれればいいと思いながら買った。
今は月光を弾いて薄暗がりの中でもハッキリと自己主張している。
だからこそ腹立たしかった。
あんな噂が立ったことが。オスカーにとって見れば一世一代の大勝負。横槍が入って気分がいいはずがない。
その上、自分勝手な我が儘が噂になってしまったせいでアンジェリークに嫌な思いをさせたのは分かっている。それでも本当の事を言えなかったのも事実だ。
その上でのこんな申し込み。
嫌がられるだろうとは分かっているが、オスカーとしても譲れない物があった。そして何よりも、これ以上アンジェリークと離れているのは我慢出来なかった。
「だが、噂とは関係ない。これは君を想う俺の気持ちを表しただけだ。俺と…結婚してくれないか?」
何とも言えない複雑な表情を浮かべたアンジェリークの言葉をジッと待つ。
「オスカーって本当に意地悪だわ。わざとでしょう?!」
心底嫌そうに表情を歪めたアンジェリークはブスッと言った。
断れないのを知っていて。
結婚の申し込みをされて嬉しいと思っている心に嘘をつけるはずもない。
当然指輪を受け取らない、なんて出来るはずもない。
暗闇の中でもキラリと煌めくこの指輪はオスカーのアンジェリークへの想いそのもの。
拒絶出来るはずがない。
「もうもうもうもうっっっ!バレンタインの時と一緒でほんっっっっっっとうに、意地悪っ!」
「アンジェリーク…。」
涙目で言うアンジェリークの表情が悔しそうで、オスカーは嬉しくなってしまう。
手を伸ばせば、ペシッと叩かれた。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っっっ!」
「愛してる。」
駄々っ子の様に叫ぶアンジェリークに囁く。
もう既に勝負は付いている。
「オスカーなんて、オスカーなんてぇええ!」
「俺なんて?」
余裕の態度でアンジェリークに腕を伸ばし、暴れるアンジェリークを意図も容易くその腕の中に閉じこめる。
「オスカーなんて大っ嫌い〜〜〜〜〜っっ!!!」
「あはははは。」
顔を真っ赤にして怒りながらも、オスカーの胸に顔を埋めるアンジェリークにオスカーは楽しそうに笑いながらその華奢な体をしっかりと抱きしめた。
「本当に天の邪鬼だな。」
「あなたに言われたくないもんっ!」
「そうか?」
「そうよ!」
オスカーはクツクツと体を揺らして笑みを口元に刻んだ。
「言って置くけど、一生返さないからね。」
「………一生持っていてくれ。ただし、次のもあるんで宜しく頼むぜ。」
可愛いことを言ってくれたアンジェリークにオスカーは悪戯っぽく言う。
「…………つくづく私以上の天の邪鬼…。」
いや、此処まで来ると天の邪鬼と言うよりも、単なる意地悪か、と思い直す。
「ははは。」
「むぅ。いいもん。私の方で勝手に日にちを決めちゃうから。そうすればオッケイよねv」
「おいおい。」
「後でロザリアと相談しなくちゃ♪」
「結婚するのは俺とだぜ?」
「オスカーは発言権なしっ!」
「酷いな。」
「自業自得です!!」
抱き合ったままなんだか幸せ気分で二人は言い合っている。
幸せで。
幸せで。
オスカーはアンジェリークの顔を上げさせるとそっと口づけた。
「一生側にいてくれ。」
「一生側にいてください。」
誓約の様にお互いがお互いに願いを述べて。
再びキスが交わされる。
天空に輝いた月が、湖面にゆらゆらと揺れる月が二人のそんな姿を見守っていた。
@02.03.10/02.03.12/