『天の邪鬼なバレンタイン 4』
アンジェリークは仕事中も何処か心あらずという感じでロザリアに何度も叱られていた。一向に仕事に集中出来ないアンジェリークは「仕方がないわねぇ。今日はもう良いから帰りなさい」と言われてしまったのはついさっきの出来事だ。
最後にしょぼんと落ち込んだ様子で部屋を出ていくアンジェリークにロザリアは言った。
「オスカーはまだ一つもチョコを受け取っていないそうよ。誰か一人が特別だとしてもその可能性はあなたにもあるわ。そうでしょう?へこんでないで頑張りなさい。そうじゃないと来週も仕事にならなくて困ってしまうわ。」
照れ隠しのように最後には仕事の為よ、とばかりに言うロザリアにアンジェリークは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、ロザリア!」
そのまま一応素直に帰途につく。
どちらにしても、だ。そう、告白するにしろしないにしろ、今日は嫌なのだ。それだけは確かで。
だから今後をどうするにしてもさっさと家に帰って一人になってじっくりと考えようと思っていたのだ。
だが、そう言う時に限って事態というものは、願ってもない方に転がっていくものである。
「補佐官殿、もう仕事は終わったのか?」
「オ、ォ、オ、オ…」
「?お嬢ちゃん?」
「オスカー様っっ☆」
余りにも唐突に姿を現し、今現在考えていた人物の登場に心底アンジェリークは慌てていた。思わずどもってしまったアンジェリークにオスカーは不思議そうな顔をしてから、裏返った声で名前を呼ばれてプッと小さく吹き出した。
「驚かせてしまったようだな、済まない。」
笑いを収めてそう言ったオスカーにアンジェリークは恨めしそうな目を向けた。相手は艶やかな笑みを口元に湛えて、目を細めている。いつもは鋭い視線が柔らかく優しくてアンジェリークはドキッとした。
何だってこの人はこう何時もタイミングの悪い時にヒョイと出てくるんだろう。
火照る頬を隠しながら俯いた。
好きな人だし、会えるのは嬉しい。会えない時はその赤い髪と青いマントを探してしまう。だが、それも最近では遠くから見ているので充分だった。下手に近づくと自分自身が緊張のせいかなんのせいか、混乱してかおかしくなってしまう。それもこれも最近のバレンタインの熱に浮かされていたせいだろう。
だと言うのに、どう告白したものやら…と考えていた相手本人がこんな処に出てくれば慌てるなと言う方が無理だった。
「そのっ…ちょっと今日は……体調が悪そうだからってロザリアから休めと言われて。だから…。」
上手く説明も出来ず、慌てているために女王陛下のことをロザリアと読んでいることにも気付かずに、しどろもどろと言う。
そんなアンジェリークにオスカーはフッと心配そうな表情を見せた。
「体調?具合が悪いのか?大丈夫なのか?なら俺が送っていこう。」
「えぇえ?!や、そんなっ!オスカーだって仕事で忙しいでしょう?!」
本当に思っても居なかった展開にアンジェリークは更に慌てた。
「珍しい事に俺の今日の仕事はもう終わった。」
自主強制終了だと言う事は言わない。本当はこれから王立研究院の方に顔を出そうと思っていたのだが、止めた。
「おいで。」
微笑を浮かべて、さり気なくアンジェリークの片手を取り、肩を押すようにして誘う。
その自然な動きにアンジェリーク自身が全く違和感を感じなかった。流石と言うべきか。そしてその眼差しの常にない穏やかで優しそうなことと言ったら。思い切り見惚れて、思わずそのまま頷いてしまった。
「あ、の…ありがとうございます。」
「イイ子だ。」
素直にオスカーの言う事を聞いて隣を歩いているアンジェリークにふわりと包み込むような笑みを浮かべた。
ただアンジェリークは自分の意に反した言葉に驚き、恥ずかしそうに俯いていた為に、その表情を見る事はなかった。
アグネシカの背中で揺られながら家に着いた。さっと降りたオスカーに支えられて地上に降りる。
「大丈夫か、お嬢ちゃん。」
「…大丈夫です。それよりも本当にありがとうございました。その…お茶でも飲んでいかれますか?」
「良いのか?」
体調が悪いのだろう、と気遣うオスカーにアンジェリークは微笑んだ。
「ええ。」
その微笑みが余りにも眩しくてオスカーは目を細めた。まさに天使の微笑みだ、とそう思う。
初めてあった時に無邪気なまでに振りまかれた笑顔。なんだか素敵な宝物を見つけたような気がして嬉しかったのに、気付けばその笑顔を向けられる事はなくなってしまっていた。
睨まれている。その事実が無性にオスカーの心を抉った。
段々と又最初の頃のように笑顔を向けてくれるようになったものの、その間の苦労と来たら語るに語れない。
何せ他の守護聖やら聖殿勤めの者、果てはそこら辺の見知らぬ人間にまで、惜しげもなくその天使の笑顔は向けられるのに、自分にだけ向けられないのだから。
何故だ、と問いつめたくて仕方がなかった。だが、その眼差しが十代の少女にありがちな潔癖なものである事に気付いて苦笑するしかなかった。
過去の自分のツケがまわってきた、と言うところで、こればかりは文句の言いようもない。
再び自分に自然とこの笑顔が向けられるようになったのは何時の事だったか。それ程前の事ではないと思う。
そんな歓びを胸にオスカーは「では、少しだけお邪魔しよう」と女性ならば誰もが釘付けになるような甘やかな笑みを浮かべて見せた。
アンジェリークはそんなオスカーに一瞬見惚れて、頬を染めた。その頬の熱を感じて、オスカーに見られる前にとさっさと身を翻して歩き出した。
オスカーはそんなアンジェリークの直ぐ後ろを付いていった。
天気もよく、陽射しが暖かい。二人が座りくつろいでいる部屋の中に柔らかな陽射しが射し込んでいる。
カチャリと扉が開いたかと思うと、そこに執事が居た。
彼は静かに歩み寄ってくると、机の上にちょっとしたお菓子などを置いて出ていった。当然現在飲んでいるコーヒー(これも又当然カプチーノである)のお代わりも置いていった。
そのお菓子がチョコレートである事に気付いてアンジェリークはちょっとばかり困惑の色をその瞳に滲ませた。
目敏くそれに気付いたオスカーがサラリと聞いてきた。
「お嬢ちゃんはチョコが嫌いなのか?」
「え?どうして…ですか?」
「いや、今このチョコを見て嫌そうな顔をしただろう?」
「そんな事は無いです。チョコレートは大好きですよ。」
ソファーにゆったりと座り、ともすれば此処が彼の部屋なのではないかと思える程くつろいでいる。
長い足を組み、片腕をソファーの背に乗せ、残りの片腕を組んだ足の上に無造作に置いている。
そんな何でもない姿がやけに様になってアンジェリークはドキドキした。やっぱりつくづくこの人は格好いい、とそう思わないでは居られない。
「そうか。噂で、お嬢ちゃんは誰にもチョコをあげない、と聞いたしな。今嫌そうな顔もしていたから嫌いなのかと思ったんだが。」
「えぇええええ!オ、オスカー様まで知ってるんですか?!」
今日二度目の「オスカー様」にオスカーは笑った。どうやら余りにも驚いてつい昔に戻っているらしい。本人は全く意識していないらしいが。
「ああ、わざわざ教えてくれた奴が居たんでな。」
勿論オリヴィエの事である。
「ああ、もうっ、やだっ!こんな事で噂になってるなんて。」
自分で自分の火照る頬を抑えてアンジェリークは溜息をついた。
「あの…チョコが嫌いとかそうではなくて。何となく私バレンタインって好きじゃないんです。」
「……何かあったのか?」
驚いたように目を軽く見開いたオスカーは慎重に訪ねた。
バレンタインなんて女の子の大好きなイベントに違いない。なのに嫌いと言う事は過去に酷い失恋をしたとか何かあったのではないかと思ったのだ。
ハッキリ言って過去にアンジェリークが他の男にチョコをあげたのか、と思うだけでも腸が煮えくりかえるような気がしていたがグッと堪える。
「いえ、そうじゃなくて。何というか…。一年でこの日だけ女の子から告白出来る日、なんておかしいと思いませんか?何時だって良いじゃないですか。自分がそう、と思ったその時で。なんだかチョコの販売戦略に乗せられているようで私はイマイチ…好きになれなくて。だから今まで誰にもあげた事無かったんです。」
何も気付いていないアンジェリークはつらつらと告げた。本当はその上好きな人も居なかったから、と言いそうになって止めた。オスカーに馬鹿にされるような気がしたからだ。「やっぱりまだまだお嬢ちゃんだな」と。
当然その答えを聞いてホッと安心したかのような吐息をオスカーがついたなんて事も気付いていない。
アンジェリークにそんな余裕はない。何せ話題が話題である。聞きたい事があるのだ。
ただ怖いだけ。
グッと奥歯に一瞬力を込めて噛み締めると勇気を振りしぼるようにしてオスカーに視線を向けた。
@02.02.11/02.02.12/02.02.15/