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『天の邪鬼なバレンタイン 5』


 その決意を滲ませたようなアンジェリークの瞳は強い光を宿して美しく煌めく。

「そう言えばオスカーも今年はチョコを貰わないって…聞きましたけど?」

 本当ですか、と見上げられてオスカーはヒョイと肩を竦めて見せた。

「ああ、本当だ。」

「どうして?」

 不思議そうに聞いてくる。

「沢山貰っても仕方がないからな。」

「でも今までは貰っていたんでしょう?」

「まあな。なんでだと思う?」

 逆に問いかけられてアンジェリークは戸惑った。どう考えたって一人の特別な人が出来たからとしか思えない。

 ロザリアの『誰か一人が特別だとしてもその可能性はあなたにもあるわ』と言う言葉を思い出してキュッと両手を握りしめた。

「好きな人が…出来たから?」

 オズオズと言えばオスカーは良く出来ましたとばかりに目を細めるようにして優しく笑みを浮かべた。

 思わずその優しい表情にどきっとなってしまう。

「正解だ。今まではそんな存在は居なかった。だから大勢の女性からの贈り物を断る必要はなかった。だが今は違う。愛する女性が居るのに、他の女性からの贈り物を貰うのはチョコをくれる彼女たちに失礼だろう?そして俺が好きな人に対しても、な。」

 そう言ってパチンとウィンクまでされた。

 アンジェリークはハッキリ言って泣きたい気分だった。面と向かって好きな奴が居ると言われたのだ。それが自分だとは思えない。

 普通好きな人を前にして、好きな奴が居るんだと告げる事はないだろう。

「そう……。」

 少し目を伏せて、寂しげに呟いたアンジェリークの頬に暖かな感触が触れてハッと顔を上げた。

 頬を包み込んでいるのはオスカーの大きな手だ。いつの間にかオスカーがアンジェリークの隣に移動してきている。

「あ、あの…オスカー?」

 戸惑うアンジェリークをよそにオスカーはその瞳をどんどんと甘やかなものに変えていく。その眼差しでじっと見つめられているだけでクラクラとしてきてしまう。

 触れられた頬が熱い。

 そのまま耳元から髪を梳くようにして移動する指の動きに全神経が集中してしまう。サラリと触れた指にドキドキして胸が苦しい。

「相手が誰だか聞かないのか?」

 低く囁きながら、聞いて欲しそうなオスカーにアンジェリークは泣きそうになった。

 聞きたくても聞けないその葛藤をオスカーは分かっているのか居ないのか。

 ともかくフルフルと首を振るとオスカーはちょっと哀しげにした後、その表情を真摯なものに変えた。

 真っ直ぐな瞳がアンジェリークを貫く。こんな瞳は初めてだった。余りにも怖くなる程綺麗で目を反らす事も出来ない。

「チョコをあげないと宣言している女性を好きになるそんな奴の事なんて気にもならいか?」

「……え?」

 今…なんて言ったの?

 どういう事??

 甘く優しい眼差しは何処までも透明で冬の澄み切った空を思い出させる。

「アンジェリーク……。」

 今では大分延びた髪をその長く男らしい指に絡められ、キスを落とされて、ビクリと体を震わせた。

 熱い声で名前を呼ばれた。

 真っ直ぐな瞳で射抜かれた。

 そうっと優しく触れられた。

 何もかもがアンジェリークを甘く溶かして熱くさせる。

 アンジェリークは咄嗟にオスカーの開き掛けた口を押さえる。

 オスカーは不思議そうに見つめてくる。

 いや、だった。

 オスカーの台詞が何となく分かった。

 それは嬉しい。凄く嬉しい。大好きな人だった。何時だってお嬢ちゃん呼ばわりで子供扱いされていて、どうせ自分は恋愛対象として見られていないと思っていたから。

 でも、そうじゃないと熱い真剣な眼差しが告げていて嬉しかった。

 でもでもでもでも!

 今日はバレンタイン。チョコをあげたいと思えない日。この日だけは告白はしないと思っていた日。

 オスカーから想いを告げられたら答えてしまう。言ってしまう。

 だから言われたくない。

 ああ、もうっっ!どうしてこんな時にっ!!

 そんなこの期に及んでも意地になっているアンジェリークにオスカーはその唇に触れた手をそっと取ると、指先にキスを落とす。

「!!」

 もう顔を真っ赤にするしか出来ないアンジェリークにニヤッと笑ってみせる。

「何故嫌がるんだ?」

 態度からアンジェリークの気持ちをそれとなく察したオスカーとしてはもどかしい。だが、無理矢理腕に抱きしめるわけにも行かない。性急に進めて嫌われるような事はしたくない。

 如何せん今までずっと我慢してきた。アンジェリークの気持ちが自分に向いていると分かってしまえば、どうしようもなく愛しい。

 今すぐにでもその細い体を抱きしめて、柔らかく甘いだろう唇を味わいたい。もっと彼女を感じたい。

 だが、それを軍人として鍛えられた精神力で無理矢理押し殺す。ギリギリの。理性。

 堪えきれずにキスを指先に、髪に、落とすのは赦して貰うしかなかった。

「だ、だって今日はバレンタインだものっ!」

「?女性が想いを告げる日だろう?何故?」

「だから!この日だから!!想いを告げるなんて嫌なのっっ!私は好きだから好きと言いたいの!この日だから言うんじゃなくて。私が好きという想いが溢れて抑えられなくなって。だから告げる、そう言うのが良いの!!」

 興奮してきたせいか少し涙目で可愛い事を言い募るアンジェリークにオスカーの方が今度はクラクラしてしまう。

 その好きと言う言葉は自分に向けられているのだと思えば当然と言えた。これ程の告白はそうそう聞けるものではないだろう。

「別に今日だからとか関係ないだろう?今…アンジェリークがそう思ってくれているならそれでいい。俺はそうだ。だから言う。アンジェリーク君が好きだ。君だけが…ずっと好きだった。」

 ジッと見つめられて言葉を捧げられる。

「あっ…。」

 想いが溢れる。

 嫌だと思う側から自分の心の中でオスカーを好きだという想いが溢れて止まらない。そのまま言葉になって飛び出してしまいそうになる。

「アンジェ。」

 熱い少し掠れた声。低く耳元で囁かれた。

 ゾクリ、と体中を走る甘いうずき。

 そのままギュッと抱きしめられてその広い胸の感触にウットリしてしまう。自分なんかすっぽりと収まってしまう程大きな胸。

 抱きしめられて喩えようもない安らぎに心が満たされる。ドキドキと快い緊張感と縋り付きたくなってしまう愛しさが溢れてくる。

「君がチョコを誰にもあげないと聞いて、嬉しくて、ショックだった。自分以外の誰にもあげないのが嬉しくて。自分も貰えないのが哀しかった。でも本当に欲しいのはチョコなんかじゃない。分かるか?」

「オスカー……。」

 頬にキスを貰う。額に、瞼に、耳元に。数え切れないほど降ってくるキスに酔わされて。

 その広い背に手を回して抱きしめ返す。

 堅い胸に顔を埋めて告げる。

 溢れる想いをそのままに。

「好き。オスカー…あなたがずっと好きだった……」

 囁くような小さな声。

 だが、それでもオスカーには十分で。

 クイッと顎を持ち上げるとそのまま唇にキスを落とした。初めてのキス。そして触れるだけのキスを何度もして、次第に深く激しいものへと変わっていく。

 長い長いキスの後、ゆっくりと名残惜しげに唇が離れた時にはアンジェリークはぐったりと力無くオスカーの胸に凭れていた。

 僅かに上下している背が愛おしい。

「アンジェリーク…愛している。」

「…オスカー…私も…愛してる…。」

 オスカーはアンジェリークからの言葉に心底嬉しそうに微笑んで見せた。それはいつもの皮肉気なものでもなく、意地悪な感じのものでもない。初めて見る。

 まるで少年のようなすがすがしい笑顔。

 だからアンジェリークも同じように笑みを返した。自然と。はち切れんばかりの笑顔を捧げる。

 その笑みは今後オスカーにだけ捧げられるものだ。誰にでも向けられる天使の笑顔。だがその中でも最高の笑み。

 満足げにオスカーはそれを見つめた後、ヒョイと机の上のチョコを食べた。

「一応これも君から貰ったチョコ…と言う事にしておこう。」

「えぇえ?!」

「君の家で差し出されたものだからな。」

 ニヤッと笑うオスカーにアンジェリークは嫌々とポコポコ胸を叩いた。

「ああ、もうっ…今日この日にチョコをあなたにだけはあげるのが嫌だって言ってるのにぃい〜っっ!」

 大好きな人だから逆にあげたくない。本当に自分の想いだけを捧げたい。

 特別な日だからと勇気を貰うのでもなく、自分の心からの勇気で、ありのままの想いを伝えたい。

「明日でも明後日でもいつでもチョコをあげるから、今日だけは嫌あぁあっっ」

「はははははっ」

 アンジェリークの最高の告白に、最高の気分でオスカーは笑った。

「オスカーの意地悪〜っっ!」

 少し頬を染めて、涙目で、困惑も露わに困ったような、拗ねたような表情を浮かべるアンジェリークが可愛くてオスカーは抱きしめた。

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!」

 暴れる愛しい姫君を胸に。

「では、明日から毎日チョコを貰おうか?」

「……………太っちゃう……」

 ポツリと零したアンジェリークにオスカーは再び盛大に笑い出した。

「ちょ、ちょっと!そこまで笑う事無いじゃないっ!!」

 ムゥとむくれたアンジェリークにオスカーは愛しそうに髪に触れた。

「じゃぁ、毎日チョコの変わりにキスをくれ……」

「…っ」

 そう言うなりオスカーは再びアンジェリークの唇を自分のそれで塞いでしまった。

 甘いその感触をたっぷりと堪能する。背中に回された小さな腕が体を熱くさせる。一生懸命幼いキスでオスカーに答えようとするアンジェリークに。

 熱が上がる。

 まるで強い酒でも飲んでいるかのように、彼女に酔う。

 バレンタイン等という浮ついた微熱なんかではなく、もっと熱い。熱に犯される。

 きっと二度とこの熱い酔いは醒める事がないだろう。



@02.02.11/02.02.12/02.02.15/