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『天の邪鬼なバレンタイン 3』


 どこからともなく噂というのは流れてくるものである。時としてそれは故意に流される事もあるし、そうでない時もある。

 特にバレンタインを直前に控えたこの時期はみんながみんな敏感になってもいる時期である。ある意味鈍感になって居るとも言える。

 詰まり恋愛沙汰についてのみ敏感になり、それ以外には余り目が向かなくなるのである。

「ねぇ、アンジェリーク。あなたは今年もチョコをあげないの?」

「なぁに、藪から棒に。」

 仕事の合間にお茶を飲んで休憩していたロザリアはアンジェリークに聞いた。

 ロザリアは以前アンジェリークにバレンタインにチョコをあげた事がないと聞いた事があった。その上、今では親友となっている彼女はアンジェリークの想い人についても知っていた。

 出来る事なら大好きな親友には幸せになって貰いたかった。少しばかり人選に難があるような気がしたが、実際女王と守護聖として関係を持ち、付き合っていくうちにオスカーの事が分かってきた。

 だから今ではオスカーなら大丈夫だ、と思っているロザリアだった。

「もう、明日よ?」

「……でも、私はあげないわ。だって嫌だもの。」

「嫌…って…。告白するのが嫌なの?」

「そうじゃないわ。そうじゃなくて……何時だって彼の周りには女の人が沢山いて。その沢山のチョコの中の一つなんて嫌だし。なんだかこの日だから告白する、なんて決められているようなのも嫌だし。私は私の言いたい時に言うわ。」

 ちょっと拗ねるようにして言うアンジェリークにロザリアは微笑んだ。

「そんな事言っていると何時までも告白出来ないわよ。全くあなたったら変わらないのねぇ。」

「どうせ『お嬢ちゃん』ですものっ!」

 更に拗ねて頬を膨らませたアンジェリークにロザリアはぷっと吹きだした。結構オスカーの「お嬢ちゃん」を気にしていたのね、とおかしかった。

「あら、でも今年は何時もと違うようよ。」

「え?」

 ロザリアの言葉にアンジェリークは首を傾げた。

「何でもオスカー様が今年はチョコを受け取らないって宣言したとか、しないとか。女官達が大騒ぎしていたもの。」

「…………。」

「知らなかったのね?」

 クスクスクスとロザリアは優しい笑みを浮かべた。

「ああ、そう言えばこんな事も言っていたわよ。アンジェリーク様は誰にもチョコをお上げにならないんですって、と。」

「や、やだっ!なんでそんな事がっ!!」

 恥ずかしそうに頬を染める親友を眺めながらロザリアはゆったりと紅茶を味わう。

 女王としての孤独も忙しさも辛さも。彼女とこうして話している間に癒されていく。只の少女として語れるひととき。

「でも、結構噂になって居るみたいよ。あなたは最近忙しかったから気付かなかったのでしょうけれど。」

「〜〜〜〜〜〜〜っっもうっ!!こんなんじゃ余計にチョコなんてあげられないじゃない!」

「あら、あげるつもりはないんでしょう?」

「うっ…そうなんだけど…。」

 実はオスカーが誰からも貰わない、と聞いた時に、ならばあげても良いかな、とか思ったなんて言うに言えないアンジェリークだった。

 それは大勢の中の一つにならないから、と言うのと同時に焦ったからでもある。

「………ねぇ、ロザリア。チョコを受け取らないってことは。誰か好きな人が出来たのかしら?」

 そう言って恥ずかしそうに染めた頬を両手で押さえながら上目遣いで縋るように見つめてくる。そんなアンジェリークにロザリアは苦笑した。

「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないわ。私は噂を聞いただけで本当かどうかも分からないし、オスカーにその理由を聞いた訳じゃないんだし。でも。」

「でも…なに?」

「アンタがさっさと告白しないからオスカーが他の誰かを好きになっても文句は言えないわよね?」

「うっっっっっ。」

 グサリ、と突き刺さった言葉のナイフにふえぇ…とアンジェリークが情けない顔をして見せた。自分は自分よ、とか強がりを言っている割には可愛い事この上ないアンジェリークにロザリアはしようのない子ね、と微苦笑を浮かべた。出来の悪い子ほど可愛いと言う所か。

「別にバレンタインだから告白しろとは言わないわ。でも。いい加減ハッキリさせた方がいいと思うんだけど。」

「………そう、ね。うん。頑張る…わ。」

 少し不安そうにそう言うアンジェリークにロザリアはにっこりと笑みを刻んでいた。





 ムスゥ…としたままワイングラスを煽っている。その男はやけに整った顔をしており、一目で人の気を惹くだけの容貌をしていた。真っ赤な髪とそれとは正反対な瞳の色が印象的な男だった。

「ちょっと、折角のお酒が不味くなるじゃない。止めてよっ!」

 鬱陶しいわね、と一緒に酒を飲んでいる長髪の男もワイングラスをクイッと煽った。彼も又綺麗な顔立ちをしており、華やかな雰囲気は人目を惹いている。

「カティスのワインなのよ!?」

「……。」

「もうっ…誰からも貰わないと宣言したんだから、良いじゃない。貰えなくても。」

 ジロリ、と睨まれる。

「あぁあああっ!アンタの噂をわざわざ流してやって。なぁあんだって、この私がこんな目に遭わなくちゃいけないんだいっ!」

「フン。高く付くと言っただろう?」

「かぁあああ!可愛くないっっ!高過ぎだよ、アンタッ!!」

 目の前の赤い髪の男、オスカーにオリヴィエは噛み付くような勢いで言った。

「大体バレンタインという行事に乗って、あわよくば告白して貰おうなんて思う方が勝手すぎるんだよ。なら自分から告白すればいいじゃないか。」

「まだ…早い。」

「そうかな。私はそうは思わないけどね。」

 クイッとオリヴィエはワインを流し込む。

 ジワリと体を浸す心地よい熱に目を瞑る。

 結局あの後オスカーに「チョコを貰わない」と言う噂を流してくれと頼まれた。そう言った事をするにはまさにオリヴィエはうってつけとも言えた。お喋り上手で噂とかにも聡い。あげくに、流すと同時に偶然流れてきたアンジェリークの「チョコをあげない」の噂に不機嫌になってしまったオスカーの面倒を見る事にまでなってしまった。

「なぁんだって、私がここまでしてやらにゃいかんのよ。」

 ブツブツと文句を言いたくもなる。

 とは言え大好きなアンジェリークの事だし、滅多にないオスカーの様子は見ていて面白い。

「酒のつまみにするにはちょっと面倒だわねぇ。」

 ブツブツと言い続けている。

 そんなオリヴィエをチラリと視界の端でしっかりと視認しながらも、オスカーは黙ったままだった。

 あの噂のお陰でチョコを差し出される事は減るはずだった。あの意思表示は自分に特別な存在が出来たと周囲に知らしめているようなものだから。

 当然遠回しすぎてアンジェリークに自分の想いが伝わるとは思っていない。

 だが、同時にアンジェリークの噂を聞いて少なからずの衝撃を受けた。

 誰にもあげない、と言うのはある意味嬉しかった。喩え義理であってもアンジェリークが他の奴にチョコをあげる姿なんて見たくもなかった。

 だが、誰にもあげないとは、自分とは全く逆に特別な存在なんて居ないわよ、と周囲に知らしめているようなものだった。

 それは暗にオスカーの意思表示に大しての拒絶のように受け取れた。

 タイミングが悪すぎたと言っても良いだろう。

 とてもではないがこの複雑にしてむしゃくしゃとした気分をすっきりさせる術もなく、オスカーはオリヴィエ相手に蜷局を巻いているのだ。

「自分からさっさと行動に出ればいいじゃない。炎のオスカー。その方がアンタらしいと思うけどね。」

 長い沈黙を破って放たれた言葉に視線を巡らせれば真剣な表情のオリヴィエがいた。

「そんなアンタもなかなか珍しくて面白いけど……らしくないよ。」

「わかっちゃいるさ。」

 クッと哀しげな笑みを刻んだ。

「だがやっと宇宙の移動が終わり、女王補佐官としての生活に慣れてきたばかりだ。まだ余裕はないだろう。」

「ならアンタが支えてあげればいい。」

 違う?と言われてオスカーは目を少しばかり細めた。

「アンタがあの子を包み込んで、守ってあげればいい。その重責とも言える職務やら新しい生活の忙しさや過去を懐かしみ寂しがるそんな色々な事から、さ。そしてアンタがあの子の”余裕”になってあげればいい。自信がない?」

「そんな事はない!」

 即答するオスカーにオリヴィエは満足そうに頷いた。実際自分が言っていることを実行するのは並大抵のことではないだろう。だが、それだけの強さ、包容力、器量を持っているとオリヴィエは信じていた。

「アンタにとってあの子は安らぎだろう?」

「…………。」

 当然だ、とそう思ってオスカーは苦笑した。

 全く。オリヴィエには今回世話になってばかりだ。

「確かにな。」

「ま、そんなに焦る必要もないでしょ。じっくり考えて結論出す事だね。」

 それはアンジェリークも同じだろうけれど。そう最後に心の中で付け足してオリヴィエは再びワインを味わい始めて、もうオスカーのことなど気にする素振りも見せない。

 そんなオリヴィエを見つめてから、オスカーは深い吐息を吐きながら椅子に深く体を預けた。

「ああ……。」

 だが、想い決めた後までぐずぐずしているのは俺の好みじゃないんでな。

 そう小さく呟いたその氷青色の瞳には鮮やかな程の煌めきを宿して、一つの決意を滲ませていた。



@02.02.11/02.02.12/