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『天の邪鬼なバレンタイン 2』


 オスカーはなんだか自分の名前を呼ばれたような気がしてフッと首を傾げた。

 サラリと髪が揺れて、目に掛かった髪を掻き上げる。

「気のせいか?」

 ほんの少し目を細めれば冬の柔らかな陽射しに煌めく翠の輝きが目に飛び込んでくる。

 天候を管理されたこの聖地でも冬の陽射しはやはり夏に比べると格段に柔らかい。そして暖かい聖地では一年中緑が溢れている。

 本来なら枯れ枝にささやかに与えられる冬の陽射しを一杯に受けて青々と茂っている木々がある。

 その緑を見つめながらオスカーは一つ溜息をついた。

 同じ色を持つ少女を思いだしたからだ。

 最初なんだか分からないが睨まれた。じぃっと自分を見つめる視線の持ち主は何時だって彼女だ。

 金の柔らかそうな髪と翠の瞳。

 天使のような笑顔と吸い込まれそうなその美しい瞳を一目でオスカーは気に入った。

 だが、その瞳は何時だって観察、若しくは監視するかのような眼差しでしかなかった。

 無性に寂しいと思いつつも、余計にその視線が気になった。

 自分を。

 もっと普通に、最初のように真っ直ぐに見てくれないだろうか。

 と。

 泣き虫で意地っ張りで、何事にも一生懸命で。無邪気でなんの作為もない正直で真っ直ぐな心。金の髪と笑顔が眩いばかりの天使。

 きっと彼女の事があったからだろう。余り他の女性への興味がもてなくなった。はて?と自分で思った時には遅すぎて、とっくに心を奪われていた。

 あんなお嬢ちゃんに?!と戸惑いながらも何処かこそばゆくもあり、まるで遠い昔を思い出して懐かしくもあった。

 少年時代。

 こんな時もあった、と。

 その内彼女の視線が変わってきた。その色が大分柔らかいものになる。その徐々に変化していくのをジッと感じているのがオスカーにはもどかしくもあったが、楽しくもあった。

 おいで。

 そう手を差し伸べて彼女が徐々に近づいてくるのを実に愉しそうに待っているような感じだ。

「ふっ…まるで俺は悪役のようだな。」

 罠を張って待ち受ける、そんな事を自分でも思い、苦笑してしまう。

 だが、下手に自分から近づいたなら彼女は再びその眼差しをきつくして、きっと逃げてしまう。遠くへと。

 だからひたすら待ち続けた。時折体中を熱くさせる情熱を持て余しながらも、ジッと耐え続けた。

 そうこうしている内に女王が決まり、愛する少女は女王補佐官になった。

 それにはオスカーは密かに喜んでいた。

 実際こんなまどろっこしい事を受け入れる事が出来たのもその状況があったからだ。もしこれでアンジェリークが女王になるかも知れないと言う状態だったならばきっと自分はこんな黙っている事など出来なかったはずなのだ。

 最初から女王候補として育てられたロザリアは流石だった。アンジェリークも途中から大分育成のノウハウが掴めてきたのか追い上げてきては居たものの、どうしてもロザリアに一日の長があった。

 あれから数ヶ月。彼女が聖地に来てから初めての冬。そして初めてのバレンタインを迎える。

 当然オスカーは今まで大量のチョコを貰い続けている。慣れたもの、と言うところだ。

 だが、現在欲しいのは一つで良いのだ。

 沢山なんていらない。

 欲しいのはたった一つ。

 真実欲しいのは。

 アンジェリーク、その存在そのもの。

「ふぅ。」

「あぁ〜〜ら、どうしたのよ。溜息なんて吐いちゃって。あ。そろそろバレンタインで大量のチョコをどうしようか〜とか思いっきりくだらない事で悩んで居るんじゃないでしょうねぇ〜え?」

「………何だってこんな処にお前が湧いて出るんだ、極楽鳥。」

 実のところ此処はオスカーの執務室ではない。聖殿の渡り廊下である。極楽鳥と言われた華やかなオリヴィエが姿を現したとて何ら不思議はない。

「ふふん。アンタの処に行く途中だったんだけどね。ほら、お仕事だよ〜ん☆」

 バサリと差し出された書類の山にオスカーは僅かに眉を顰めた。

「これ…全部か?」

「当っ然じゃな〜い♪」

 楽しそうなオリヴィエにオスカーはいつもの笑みを唇の端に浮かべて、書類を受け取った。

「しっかし、何アンタらしくもなく溜息なんてついてんのさ?」

「お前も言っていたじゃないか。チョコをどうしようかと思ってな。」

「………ちょっとアンタ本気なの?」

 ジッと真剣に見つめてくるオリヴィエにオスカーはフッと淡い笑みを浮かべた。

「まぁ、冗談半分、本気半分だ。」

 オリヴィエは同期なせいもあるだろうが、誰よりも人の様子をよく見ている。だからこそだろう。一番真っ先にオスカーの気持ちに気付いた。

 そして最近のオスカーの女性関係が落ち着き、その他諸々のオスカーの変化を好ましい目で見つめていた。

 だからこのバレンタインだって、そこら辺を当てこすって言っただけだ。実際に今現在のオスカーがアンジェリーク以外からのチョコで喜ぶとは思っていなかったから。

 少し自嘲気味な笑みを浮かべるオスカーにオリヴィエは肩を竦めた。

「そんなアンタが見れるとは思っても居なかったわ☆」

 そう言ってウィンクを一つよこした。

 クッとオスカーも肩を揺らして笑った。

 こんなチョコ一つに右往左往。女一人に右往左往。まるでオスカーらしくもない。

 全くだ、と思わずには居られなかった。

 投げつけられたウィンクを払うようにシッシッと手を振るオスカーにオリヴィエはムスッと表情を歪ませた。

「高く付くぞ。」

「……はいはい。分かりましたよ。」

 少しばかりオリヴィエは目を見開いた。こんな言葉をオスカーから聞くとは思っていなかったからだ。だから、仕方がないと頷いた。

 高く付く、それは「貸し」と言う事だ。あんなオスカーの表情を見れたのはある意味確かにラッキーといえる。その分だけ俺の役に立て、と自信満々の表情で言うオスカーはやはり炎の守護聖オスカーで、彼らしいと思えた。

 まぁ、実際オスカーが他者に助力を求めると言う事自体あり得ないだろうし、何よりもそんな状況にはならないだろうと思うオリヴィエだった。当然アンジェリークの気持ちにも気付いていたからだ。

「………サンキュ……」

「どう致しまして☆」

 小さな声で呟いたオスカーの声をしっかりと聞いていたらしいオリヴィエは大仰に首を傾げてみせると、これ以上何か売られてはたまらないとばかりに手を振って背を向けた。

 じゃぁね、と立ち去るオリヴィエをチラリとだけ見送ってオスカーは書類をパラパラとめくった。

 かなりの量がある。これでは数日は掛かるだろう。

「……仕方がない、か。」

 本当はアンジェリークを誘って何処かへ行こうと思っていたのだが、それは無理そうだった。そして自分が処理し終わったこの書類が流れてアンジェリークの元に行くのも分かっている。

 当然彼女も忙しくなるわけだ。

 勿論彼女の場合オスカーからの書類だけでなく、守護聖全員からの書類がまわってくるのだからこんなものでは済まないはずだ。

 ふぅ、ともう一度溜息をついた。

 さて、今年はどうやって渡されるチョコを断ろうか。

 一度翠色の輝きを愛おしそうに見つめた後、オスカーはクルリと踵を返した。ふわりと青いマントが揺れた。



@02.02.11/02.02.12/