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『『好き』の重たさ』

どんどん重くなって。
今にも身動き取れなくなってしまいそう。

翔。

一つ名前を呼ばれるたびに。
あの眼差しを見つけるたびに。

好きだって気持ちが止められなくて。
膨らんで、大きくなって、重くなっていくんだ。

だから、お前が許してくれるのなら。
良いというのなら。

俺は……。

 

 

「翔」

 名前を呼ばれてドキンとした。
  最近では大好きな声で名前を呼ばれると嬉しくて、その反面、緊張してしまう。
  決して嫌な緊張感ではなく、快い緊張感みたいな感じなのだけれど。
  大好きな青い瞳はやっぱり何時も通りで。
  その目に見つめられるだけでもドキドキするのに、この上、名前なんて呼ばれたら本当に心臓バクバクで何時か病気になっちゃうんじゃないかって思う程。

 でも、嫌なんじゃないんだ。
  好き、なんだ。

 気付いた時よりも。

 一緒に暮らし始めたあの頃よりも。

 ずっとずっと。

 好き、だよ。

「何?」
  そんな自分の気持ちが瀬那にばれてしまいそうで、必死でなんでもないフリをしながら答えた。
「青木君とは会ってきたんでしょう?」
「うん。杏里とか遊星学園の剣道部の仲間とかも一緒に会ってきた。なんか同窓会だー!とか言って、直人がメンバー全員を招集したんだ。大騒ぎになっちゃって。でも、楽しかったよ」
「そう。それは良かったですね。みんなにはなんて?」
「一応外国へ行くって言っといた。杏里と直人にはウィンフィールドに行くってちゃんと言ったけど」
「そうですね、それがいいでしょうね。今後の連絡には櫂が間に入ってくれるでしょうし」
  櫂の名前にピクリと翔は体を揺らしてしまった。
  別に櫂に未だに未練を残していてとかじゃない。瀬那の口から「櫂」と言う名が出てくるのが嫌だったからだ。
  そんな最愛の弟に嫉妬する様な自分がまた情けなくて、翔は瀬那に気付かれない様に小さく吐息を吐いたのだが、実はそんな翔に瀬那も同じ様に小さな溜息を吐いていた。
  レイヤードがこちらに来るまでにもう後幾らも日がなかった。
  先日アルバイトもやめてきた。
  色々と荷造りをしたものだから部屋の中は閑散としている。
  あのワープゾーンを超えていくのだからと、大部分は処分していく事になった。持てるものだけ。必要最低限のものだけを持って行く事になった。
  一体来栖とはどう言ったふうに話が進められているのか分からないが、向こうに行ってしまえばこっちのものだろうと翔は問答無用な事を思っていた。今更、人間界へ帰れと言われても帰る場所もないのだから。
「それで櫂とは話をしたんですか?」
「櫂と?」
「ええ、双子の兄弟なのですから」
  あんな別れ方をしてどんな風に会えと言うのか。
  でも、確かにこれで殆ど会えなくなる。最後にちゃんと挨拶をしておくのは必要なはずだった。
「今度、櫂に連絡取ってみるよ」
  そう言えば嬉しそうに瀬那は笑った。
  その笑顔が、翔が櫂に会いに行く事を何とも思っていないのだと告げていて、やっぱり自分は瀬那に何とも思われていないのだと思えた。

 

 

 久しぶりにあった櫂は以前よりも男っぽく感じられた。
  結婚もして、家庭を持ち、仕事も学業との兼務を辞めた今では、前以上に忙しくなり、きっと大変なんだろうけれど充実した毎日を送っているのだろう。
  まだまだ若いはずなのに、櫂からは貫禄と言う様なものを感じる様になった気がした。
  今まで以上の責任感の重みが櫂をそんな風にしたのかも知れなかった。
「…櫂」
「翔!」
  そうっと呼びかければ櫂はパッと立ち上がって翔に近づいてきた。
「翔…元気そうだね。良かった」
「櫂も元気そうで、良かった」
  目の前に立つ櫂は怒っている風には見えない。
  それでも。
「櫂…ゴメンな、俺…」
「良いんだ、翔。何も言わなくて。僕の方が悪かったんだから」
「そんな事っ!」
「そうなんだよ。納得がいかなければ翔の後を追い掛ければ良かった。探して、見つけだして、抱きしめて、離さないと言えば良かった。でも僕はそうしなかった」
  なんて答えて良いのか分からなくて翔は俯いた。
「それでもね。僕はやっぱり翔が好きだよ。たった一人の血を分けた兄弟なんだから」
  櫂の言葉に翔も顔を上げた。
「ああ。俺も…今でも、櫂が大好きだよ」
  もう既に想いは変わってしまったけれど。
  そう、お互いに変わってしまった。もう、遊星学園に通っていた頃の自分達ではない。お互いに好きではあるが、他に好きな人を見つけてしまった。
  ただ、櫂は上手く行ったけれど、翔は上手く行かないだけ。
「俺…今度ウィンフィールドに行くけど」
「ああ、聞いたよ、瀬那から。今度レイヤードと一緒に向こうに行くって」
「うん。なかなか会えなくなるけど、だけど、俺…櫂の事大好きだし、幸せになって欲しい。だから…」
  一旦そこで言葉を句切った。
  ジッと自分と同じ緑の瞳を見つめた。
  かつてと変わらない眼差し。櫂は櫂だって思えて愛しかった。
  今なら言えるって思えた。
  かつては言えなくて、影から見て居るだけだったけれど。
  今なら。
「櫂。遅くなったけれど、結婚おめでとう。幸せになれよ」
「………翔…ありがとう。幸せに、なるよ」
  瞬間目を見開かせた櫂は、暫く言葉を失ってから、嬉しそうにそう言った。
「翔も、幸せになれよ。誰よりも、幸せになって欲しいんだから」
「ああ、頑張るよ」
  幸せになれるかどうか分からないけれど。努力だけは惜しまないつもりだったからそう頷いた。
  まだ希望は完全に捨て去っていないし、これから先どうなるのか分からないとも思っている。何年も何年も側にいれば、この恋が叶うかも知れない。
  例え、瀬那と両思いになれなくてこのままだったとしても、翔は構わなかった。恋人としてではなくても友としてでも側にいられる幸せだって真実に違いないのだから。
  そんなの不幸じゃないかと他人から言われようと、構わなかった。
  幸福なんて人の数程沢山あるんだな、と思った。
 
  だから。

 安心して。

 櫂。大丈夫だから、そんな心配そうな顔しないで。

 心からの笑顔を向けて、翔は櫂に別れを告げた。
  もう何も、思い残す事なんて残っていなかった。

 

 

 家に帰ると、瀬那がすっとんで出迎えてくれた。さぞかし心配してくれたのだろう。
「ただいま。ちゃんと櫂と話をして来たよ」
「おかえりなさい」
  笑顔で告げた内容に瀬那は微笑み返して、嬉しそうに頷いてくれた。
「会いに行って良かった。瀬那、ありがとう」
「別に私は何もしていませんよ」
「それでも、ありがとう」
  櫂から聞いたのだ。
  瀬那が両親の遺産関係の話をちゃんと櫂にしてくれた事も。
  櫂を通してレイヤードと連絡を取って欲しいと頼んでくれた事も。
  そう言われて、ごねた櫂を瀬那が説得してくれた事も。
  何もかも聞いて。

「今、瀬那と一緒なんだろ?」
「うん。何となく日本に滞在していた瀬那がホテル住まいで、お金掛かるからウチに来いよって誘ったんだ」
「ふ〜ん。で、上手くやってるんだ?」
「?うん。楽しいよ。家に帰って誰かが待っていてくれるっていいね。孤児院でもみんな一緒だったし、遊星学園でも相部屋で誰かと一緒だったから、凄く落ち着くって言う感じかな?」
「ならいいんだ。翔がいいなら僕はいいから」
「?」
「瀬那と一緒にウィンフィールドへ行くんだろ?」
「あ、そうなんだ。瀬那も一緒じゃないと駄目って言うから」
「成る程、そう来たのか」
「成る程って何が?」
「なんでもないよ。取り敢えず、向こうでも怪我とかしない様に猪突猛進だけはやめてよね」
「う。わ、分かってるよ〜」

 どう言うつもりで櫂がそう言ったのか翔には全然分からなかったけれど。
  生まれる前から一緒にいた存在。誰よりも近しいもう一人の半身。その半身が応援してくれていると思うと心強かった。
  チラッと瀬那の後ろ姿を見上げて、大きな背中だな〜とか思った。

 やっぱり好き。

 忘れるなんて無理。忘れるつもりも、この気持ちを消してしまうつもりもないけれど。
  願っちゃ駄目なんだって分かっているけど。

 やっぱり好き。

 幸せになれって言われた。
  頑張ると答えた。

 なら。

 瀬那の事を好きでもいい?
  好きと言っても良い?
  この気持ちをぶつけて、答えて欲しいと思ってもいい?

 例え振られても側にいたいと思う。居て欲しいと思う。
  好き、だから。
  誰よりも。
  きっと今まで好きになった中で一番好き。

 そうっと瀬那の背中に手を伸ばそうとして、パッと下げた。
「翔?どうかしましたか?」
「ううん。何もないけど?」
  答えれば、納得いかないと言う様な表情をされた。
「最近何か隠し事してませんか?」
「え?」
「そんな作り笑顔、翔らしくありませんよ」
「作りって…」
  すっかりばれてる。
  バレバレで。だから瀬那は変な顔をしていたのか。
「そんな如何にもな作り笑顔してた?」
「無理してる事くらい、一目で分かりますよ」
「あはは。瀬那には叶わないな〜」
「何かあったのかと思う度にあなたは『なんでもない』と言い続けていましたから。嫌でも分かります」
  ちゃんと見て居てくれたんだと思うと嬉しかった。
  それが櫂の身代わりでさえなければ文句なんて全然ない。

 だから。

 言ってしまおうか。

 『好きだ』と。

 誰よりも好きだから。

 櫂じゃなくて俺を見つめて欲しいと。

 この『好き』と言う気持ちが重くなりすぎて身動き出来なくなる前に。

 

「あのさ、瀬那。俺……」

 

@04.05.04>04.05.09/