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『好きになってよ』

願いは一つなんだ。

叶わないだろうなって分かって居るんだけど。
こんな事言ったら後で後悔するのかなとか。
一緒にいられなくなるのかなとか色々思ったんだけど。

それ以上に。

もうどうしようもない程好きで。

言いたかったんだ。

 

 

「あのさ、瀬那。俺……」
  ゴクリと唾を飲み込んだ。
  勇気を振り絞る様にして、グッと握った拳に力を込めた。
  瀬那は振り向いて、真っ直ぐな眼差しで見つめてくれていた。
「なんです?」
  穏やかな、優しい表情の瀬那。
  隠し事をやっと言葉にして貰える事をきっと喜んでいるに違いない。
  でも。
  続きを聞いた後でも同じ様に微笑んでくれるだろうか?

 それでも、もう今更引き返せない。
  引き返すべきじゃないんだって思えた。

『猪突猛進』

 やっぱり櫂の声が聞こえてきて、プッと翔は吹き出した。
  瀬那は何がなんだか分からなくて、眉根を寄せてちょっと不機嫌そうな顔をして見せた。
  でも、なんだか肩から力が抜けた。
  猪突猛進。散々櫂に言われた言葉。羽村翔の代名詞!
  なら、猪突猛進でいいじゃん。
  砕け散ったら、櫂に愚痴を聞いて貰おう。
  きっと「だから猪突猛進はやめておけって何時も言ってるのに」って言ってくれるに違いないから。
「ゴメン。なんか…櫂の『猪突猛進』って声が聞こえた様な気がして可笑しかったんだ。別に瀬那がどうとかじゃないから」
  一応、告白する相手の気分を損ねているのではどうしようもないので謝っておく。
  大した効果があるとは思えないけれど、しないよりはマシだろう。
  瀬那はおや、という風に片方の眉を器用にあげて見せた。
「それで?」
  少し素っ気ないけれど、先を促してくれた事に助けられて翔は続きを口にする事が出来た。
「瀬那は櫂が好きなんだって思っていたんだ」
「…違いますよ。そう言ったでしょう?」
「だって、瀬那の初恋は母さんなんだろ?母さん似の櫂の事を好きだって言うなら変じゃないし。あの時、俺が聞いたら曖昧に笑っただけですぐに答えなかったから。そうとしか思えないじゃん」
「翔…」
  ほんの少し途方に暮れた様な瀬那の声。
「だから。櫂の事を好きな瀬那に、自分の勝手で櫂を手放して、櫂を傷つけた癖に、寂しいなんて、一人になりたくないなんて言って、櫂を好きな瀬那に甘えて。俺、最低な事…したなって」
「本当に違うんです。私が好きなのは櫂じゃないんです。ですからそんな風に思わないで良いんです。言ったでしょう?承知の上なんだから、あなたが気にする事はないと」
「それじゃ、瀬那の好きな人って誰?」
  聞き返してみれば、ウッと言葉に詰まった瀬那の困った顔。
「俺の知らない人?」
「それは…」
  どう答えたものかと思案しているのか、瀬那は黙ったままで。
「俺…瀬那に最低な事したって申し訳ないって思ったけど、その後で気付いたんだ」
「?」
  瀬那は黙ったまま翔の話を聞いている。
  口を挟まないと言うよりは、挟めないのかも知れない。挟めば自分の好きな人の名前を明かさなければならないから。
  そんな瀬那を見て居たら翔は泣きたくなった。
  悲しい訳じゃない。
  それは切なかったから。愛しかったから。
「瀬那が櫂を好きって事は、俺は櫂の身代わりとして抱かれたのかなって。瀬那が俺を見てくれる眼差しは何時も優しいけど、それも全部俺を通して櫂を見て居るのかなって」
「翔!!」
  余程焦ったのか普段クールな瀬那が一瞬でその表情を変えた。
  驚愕とも焦燥とも苦悩ともとれる顔。
「そしたら凄くショックでさ。なんでかなって。大体俺だって一人になりたくなくて、我が儘言って。その結果があれで。本当に嫌だったら抵抗出来たのにしなかったんだから、文句なんて言えないはずなのに」
「違う、そうじゃない。違う…」
  何が違うのかとも聞けずにに翔は話を続けた。
「お互い様じゃないかとか思ったのに。でも、胸が苦しくて悲しくて堪らなかった。俺を見て欲しいって思った。櫂じゃなくて俺を見てって。で、気付いた」
「翔…」
  酷く疲れ切った顔をした瀬那はただ首を振り続けていた。
  違う、と。
「いつの間にか俺、瀬那のこと好きになってたんだって。だから、身代わりだった事がこんなにも苦しいんだって。気付いた」
「!!」
  ビクリ、と瀬那は体を凝固させた。
  ギシギシと音でもしそうな程ぎこちない動きでゆっくりと翔を見つめ返してきた。
「悲しくて。でも、瀬那にそんな事言う資格なんてないって思ったから。我慢しなくちゃって。気持ちを隠さなくちゃって。笑わなくちゃって。そう思ってた。だから作り笑顔になっちゃってた…」
「翔っ!」
  そう言い終わる前に、瀬那にギュッときつく抱きしめられていた。
「せ、瀬那?」
  瀬那の行動の意味が分からなくて翔は戸惑った。
  馬鹿な子だって、可哀想になったから?
  同情で?
「やっ!」
  瀬那の腕の中で翔は暴れた。それでも瀬那は腕を放してくれなかった。
「翔っ」
「同情ならっっ!!」
「違うと言っているでしょう!!」
  叫んだ翔に負けない強い口調で瀬那も叫び返してきた。
  ビクリ、と翔は瀬那の言葉に目を見開いた。
「違うんですっ」
  必死に言い募る瀬那はそのまま翔の顎を固定すると、貪る様な口づけを落としてきた。
「んんっっ」
  激しくて、荒々しくて、痛い程のキス。以前した様な優しくて甘いとろける様なキスとは全然違うキス。
  でも、必死な…想いの籠もったキス。
「翔…翔…翔っ…」
  キスの合間に何度も囁かれて。
  何度もキスされて。何もかも食われてしまうんじゃないかと思う程激しい。
  怖いと思う反面。
  違うと言う瀬那の言葉の意味が分かった気がした。

 こんなキス。

 何とも思っていない相手にする事なんて出来ない。

 只の身代わりになんて出来ない。

 でしょ?瀬那…。

 やっと解放された時には翔は一人では立っていられなくて、瀬那に抱きかかえられていた。
  口角から溢れた唾液が顎まで伝っているが、そんな事も分からない程、キスだけで感じてしまっていた。
  離れていった瀬那と翔の間に銀色の糸が引いて、そのキスの深さを見てしまった気がして恥ずかしくなった。
  乱れた吐息の中、瀬那が翔を見つめていた。
  いつもの優しい目なんかじゃない。まるで野生の獣。獲物を見つけた狩人の如くに、爛々と輝くその青い目は情欲に濡れていた。
  愛しげに、切なげに、目を細めて瀬那は翔の額に触れるだけの震えるキスを落とした。
「翔…翔…」
「瀬、那……」
  ちゅっ、ちゅっと何度もバードキスをされて、くすぐったさに身を捩った。
  縋り付く様にギュッと握りしめていた瀬那の服から手を離した。
  その手を瀬那の首の後ろに回して抱きつく。
「好きに、なってよ。俺を…」
  漸く言葉に出来たそれは甘く強請る様な響きで、やけに淫らで。
「これ以上どうやって好きになれと言うんです」
  苦笑と共に瀬那はそう言って、耳に熱く掠れた声で吹き込んだ。
「櫂じゃない。好きなのは翔…あなたなんですから」
「本当に?」
「本当ですよ」
  耳殻を舌先でなぞる様に舐められてゾクッとした。
「私はずっと前からあなたが好きだった。遊星学園で教師をしている頃から」
「そ、そんな前から?!」
「そうですよ。でも、あなたは櫂を選び、櫂と幸せそうにしていた。だから、私は旅に出た。あなたの側に私の居場所はなかったから。でも、櫂が結婚すると聞いて驚きました。翔が居るのに何故と。心配になって来てみればやっぱり傷ついた翔が居て放っておけなかった。いえ、違いますね」
  そう言って瀬那は自嘲的な笑みを浮かべて見せた。
「一人になりたくないと言う傷ついたあなたにつけ込んで、忘れさせてあげると理由をつけて、あなたを抱いた。愛していると気持ちを告げる事なく、あなたに触れる事の出来る誘惑に抗えなかった。その後も、離れなければと思うのに、一度抱いてしまったあなたを忘れる事など出来なくて、未練たらしく日本に残った。翔が私を信頼してくれているのを良い事に、其処が私の居場所だと勝手に言い、あなたの側に居続けた。何時か再びあなたに触れる事が出来るんじゃないかと愚かな夢を見ながら」
「瀬那…」
「翔が櫂の事を好きなのだと承知の上で、あなたを抱いた。あなたを欲した。いいえ、きっと翔が私以外の誰かを好きだったからこそ抱けた卑怯者なんです。軽蔑…したでしょう?」
  そんな瀬那に翔はギュッと腕に力を込めて、今まで以上に強く抱きついた。
  瀬那は櫂の事を好きなのだからあり得ないと思っていた。それはそれでやはり最低に違いなかったが、瀬那の気持ちを知らなかったとは言え、翔を好きな瀬那に失恋したと泣きつく事自体がやはり最低の部類にはいるだろう。
  軽蔑なんて出来ない。
  そんな事言ったら自分の方こそ瀬那に愛想を尽かされてしまいそうで怖かった。
  櫂の事があんなに好きだったはずなのに、今では違う。まだあれから一月余りしか経っていないのに。
  こんなに瀬那が好き。瀬那の告白を聞いて、どんなに臆病だとか卑怯だとか聞かされても、それ程までに想っていてくれた事実を嬉しいと思ってしまう。
  結局、なんであろうと瀬那が好きで。その癖、自分一人が苦しんでいる気になって、あんなにも翔を包み込んでくれていた瀬那も同じ様に苦しんでいた事に気付かなかった。気付こうともしなかった。
「軽蔑なんてしない。好き、だよ」
「気持ちを隠したままあなたを抱いたのに?」
  翔は瀬那の目をジッと見つめた。
  翔が他の誰かを好きだったから抱けたと言う一言が気になっていたから。
  それはどういう意味?
「なんで気持ちを隠したままじゃないと駄目だったの?なんで俺が他の奴を好きでいないと駄目だったの?」
  逆に問い掛ければ、瀬那は心底困った様な表情を浮かべて見せた。
「………私はあなたに相応しくないから」
「え?」
「翔が眩しくて、私なんて翔に相応しくなくて、翔に好きだと言われても私はきっと応える事が出来なかった。愛しすぎて怖かった。だから、あなたの一時の寂しさを紛らわせるだけの相手なら大丈夫だと思った。想いを告げずにあなたに触れる事が出来ると」
  臆病者なんですよ。
  そう言う瀬那に翔は瀬那の心の傷の深さを垣間見た気がした。
  一体どんな過去を経験してきたのか分からない。けれども相応しくないって何?瀬那がここで身分が違うからとかそう言う事を言っているのではないことくらい翔にも分かっていたから。
  愛する人と一緒にいて。不幸になるもならないないのに。一緒にいる事を選択するのは自分。
「翔を幸せに出来ないかも知れない事が怖かった」
「構わないよ。瀬那と一緒なら幸せでも不幸でも、さ」
「え?」
  驚いた瀬那の目が大きく見開かれて、其処に自分の姿が映っている事に気付いた。
  ああ…やっとその目に映る事が出来たんだって、腹の底から嬉しくなった。
  そして、ちょっと腹が立った。
  信じてよ。俺そんなに弱くないよ。あんなに瀬那に甘えておいて真実味ないかも知れないけど、俺、自分の何もかもを瀬那に背負わせようとは思わないよ。
  幸せも不幸も、瀬那と一緒だから構わないって思うんだから。
  瀬那と一緒に幸せになりたいんだって気付いてよ。
「下心から側にいる様な奴なのに?」
「うん。”今”があるから構わない」
  体を繋げたのは本当に最初の一回きりだ。それ以降はそんな素振りを出す事もなかった。そんな瀬那に救われた事は嘘ではなくて、今この瞬間があるならそんな過去も必要だったのだと思える。
  何も言葉として出さなかったのは卑怯なのかも知れないが、そんなのは翔とて同じだ。
  苦しんだのはお互いで、片方だけじゃない。
  答えなんてすぐに出るものじゃない。
  出る時に出る、そう言うものに違いなかった。

 そして今、答えは出た。

「不思議だなって思ったんだ。俺の所にって誘った時、もしかしたら瀬那とまた…?とか思っていたけど全然そんな素振り見せなかったから」
「ふふ…必死でしたよ、それはもう」
「そうなんだ?」
「ええ、何時だって襲ってしまいたかったですよ。あなたは私に対して無防備だったから」
「え?そう?」
「ええ」
  そんなにキッパリ、しっかり、力強く、頷かなくても良いじゃないかと思った。
「んーよく分かんないなぁ」
「ええ、構いませんよ。きっとこれからも変わらないでしょうが、私以外の人にしなければ文句はありませんし」
  それってどういう?とか思った次の瞬間には笑顔付で答えを頂戴してしまった。
「これからは、我慢しないで襲わせて頂きますから」
  カッと顔が赤くなる。
  なんて答えたらいいのやら。
  どうぞ、なんて言えるはずもないし、でも、嫌だとも言えない。
「追々、気付いてくださいね」
  やっぱりうんとも嫌だとも答えられない。
  仕方がなくてギュッと瀬那の首元に顔を埋めた。
「ほら、また」
「え?」
「では、遠慮なく」
  ひょいと翔を抱き上げた瀬那はそのまま嬉しそうにベッドへと向かっていく。
「え?ええ?!い、今のそう?!」
「さぁ?」
  クスクスと楽しそうに笑っていた瀬那がふと真顔になった。
「私で良いんですか?」
「瀬那?」
「きっと私はあなたに相応しくない」
「瀬那っ」
  まだそんな事を言っているのかと少し睨み付けた。
「あなたを幸せに出来ないかも知れない」
「あーもうっ全然分かってないんだからっ!さっきも言ったろ?瀬那と一緒なら幸せでも不幸でも構わないんだって。相応しいも何もそんな事を決めるのは俺で瀬那じゃないだろ。それに、幸せにして貰いたいなんて思わない。一緒に幸せになろうとは思うけど、其処まで他力本願じゃないぜ、俺っ」
  どっちか片方ではなく一緒に。翔が瀬那を選んだ様に瀬那が翔を選んでくれるのならば。
  ぽすっと布団の上に下ろされつつもそう言い放てば。
「ああ…だからあなたを愛さずには居られないんです…」
  小さく呟いた瀬那の言葉は翔には余り聞き取れなかった。
「え?何?」
「愛しています。あなたの全てを、と言ったんですよ」
  ボンと音がしそうな程顔を赤くして翔は顔を逸らした。
「は、恥ずかしい事を〜〜〜〜っっ」
「そうですか?」
「恥ずかしすぎっ!」
「本当の事ですから。慣れてくださいね」
  って、どういう意味ですか!?と思った翔だったが、次の瞬間には再び瀬那に唇をふさがれていて何も言えなかった。
「んっ…」
  そして甘いキス。激しいキス。貪る様な恋人としてのキス。
  痺れゆく理性は瀬那の情熱的な愛撫の前に、呆気なく解けて消えた。

 

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