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『瞳に映して』

おかしいんだ。
気になってしようがないんだ。

胸に強く刻み込まれたのはあの青。
綺麗な、青い瞳。

変、なの。
思い出すと胸が。
痛い。

青い瞳が胸に突き刺さる。

 

 

「そう言えば翔こそどうするんです?今のアルバイトをずっとする訳ではないのでしょ?」
  ある日、そんな風に瀬那に聞かれた。
「うん。本当はウィンフィールドに行きたいんだ」
「王国へ?」
  お昼ご飯を食べている時だった。
  だから、多分日曜日とか、なのだと思う。
  何かテレビを見ていたと思うんだけれど、もう思い出せない。
「逢坂先輩、苦労してるみたいだし。俺、こっちで特になりたいものとかないし」
  遊星学園で剣道部を全国大会へ連れて行くと言う約束は既に果たしていた。
  櫂との約束を反故にしてしまった今、この人間界で何かしなければと思う様なものは残っていなかった。
  父も居ない。母も居ない。家もない。弟はいるけれど…会えない。
  多少は剣の腕に自信もある。少し位は来栖の役に立てるかも知れない。大したことは出来ないだろうけれど、愚痴を聞く位出来るだろうし。
  何よりも、余りここ(人間界)に居たくはない。
「そう、ですか。王国に行ってどうするんです?」
「近衛に入ろうかな〜って思って」
「近衛に?」
  よっぽど以外だったのか瀬那は酷く驚いて見せた。
「うん。別に王族として迎えて欲しいとか思わないしさ。黒い翼も、白い翼も、翼のない人間も、みんなが一緒に笑える様な国に出来たらいいし。少しでも手伝いをしたいなって思うけど、俺馬鹿だし。えっと…文官って言うんだっけ?そんなの無理だし」
「あなたが戦闘に出る必要はないですよ。例えロベール殿下が追放処分になっていようと、あなたは紛れもなく白い翼を持った残り少ない王族なのですから。守られるべき存在なんですよ。しかも、先の黒い翼との戦いでクリストファー陛下と共に戦った英雄の一人でもある」
「そんな偉そうなの、俺いらないし」
  いらないとか何とかの問題ではないのだが、翔にとっては本当に、そんなものはどうでも良かった。
「英雄って言うなら瀬那だってそうじゃん」
  そう言って翔はニッと笑った。
  最近、翔は自分自身、大分笑える様になったと思っていた。
  心からの笑いかどうかはさておき、普通に笑えていると思う。作り笑顔とかじゃなくてだ。
  そんな些細な事がやけに嬉しいと思える反面、その理由が気になってもいた。
「私は近衛として…いいえ、近衛としてではなく、真理さんと約束したあなた達を守りたいと戦っていただけで…」
「なら、同じじゃん。俺だって使命とかなんとか、そう言う堅苦しいの駄目だし。ただ、苦しんでいる人を助けたいって思った。直人とか凪とか、ウィンフィールドの国民みんなとか。守りたいって思っただけだから」
「しかし、それでも…あなたは王族で…」
  まだ言い募ろうとした瀬那に翔は首を振った。
「俺さ。王国に行って、王族だからって何もしないで居るの嫌なんだ。逢坂先輩だって王様として凄く頑張ってる。あの先輩が殆ど寝ないで仕事してるって言うし。下手に王族だなんてしたら、何も事出来なくなっちゃうから。普通の一兵卒でいいんだ」
「あなたと言う人は…本当に、自分の価値がどれ程のものか全く気付いていないんですから」
  溜息混じりに言われて翔はちょっと唇を尖らせた。
「別に俺なんてちょっと腕に覚えがある程度で、馬鹿でおっちょこちょいだし…」
  ブツブツと文句を言っても、瀬那はサラリと流して相手にしてくれなかった。
「クリストファー陛下が翔の近衛士官なんて、すんなりと認めてくれるとは思えないんですけれどもね」
「あっ」
  瀬那に言われて気付いた。
  一番の問題がそれだったと言う事に。
  何せ近衛として仕えると言うのは来栖に対して、または、王家に対して仕えると言う事だ。翔的には国民に仕えると言う意識の方が強いが、組織上、来栖がうんと言わなければ翔の近衛任命はあり得ない。
「ふふ…本当に相変わらずですね」
『猪突猛進』
  そんな声がフッと翔の脳裏を過ぎって、一瞬目を細めた。
  今まで、何度も何度もそう言われてきた。
  櫂、に。
「なら、私も一緒に行きましょう。それならばクリストファー陛下も認めてくれるでしょうから」
「な、なんで瀬那が一緒だと大丈夫な訳?」
「王族と周囲には内緒にしたまま、私が翔を警護できるから、ですよ」
「警護なんて必要ないって」
「なら、近衛士官は無理です」
  あっさりと断言してくれる瀬那に翔はギュッと拳を握りしめた。
「…きっとこれが最低限の妥協ラインですよ」
  そう静かに告げた瀬那の目は真摯で、嘘がなかった。
「でも…」
「でも?」
  瀬那をチラッと見上げた。
「もう瀬那は近衛には戻らないって言ってたじゃん。旅だってまだ終わってないんだろ?」
「ああ」
  なんでもないことのように瀬那はさらっと頷いた。
「だったら…俺のせいで…」
  言いにくくて、もごもごと口篭もる。
「そんな事はありませんよ。真理さんとの約束が終わり、確かに旅に出ましたが。結局私はその旅の中で、探し求めた答えも、自分の居場所も見つける事は出来なかった。そして今こうして翔の側にいて、それが酷く自然で、ここが自分の居場所なのかも知れないと思える様になった。だから、あなたが行くというのなら付いて行こうと思っただけです。それが、今私が新しく見つけた”道”なんですから」
  にこり、と穏やかな表情で瀬那は言う。
  余りにも気負いなくそう言ってくれるから、そうなんだと単純に信じてしまいたくなる。
  もしかしたら本当の事なのかも知れないけれど、それを簡単に受け入れてしまってはいけない様な気がした。
「だって俺、は…」
「翔は櫂が好きなのでしょう?」
「!」
  言われた言葉に俯いていた顔を上げた。信じられない程に優しい声だった。
  瀬那が本音で何を考えているのか一切分からなかった。
「王国へ行くと言う事はそう言う事でしょう?」
「それは…」
  否定出来なかった。
「良いじゃないですか。翔が櫂を好きなままでも。もし、私の事を気にしてくださっているのなら、気にする必要などありませんよ」
「だって…」
  言い募れば、瀬那は首を振った。
  優しい眼差しのままだった。

 また、甘えてしまいたくなった。
  駄目だって分かっているのに、あの青い目には魔法が掛かって居るんじゃないかって思う。
  いや、魔法を掛けられたのは自分だろうか。

 あの晩、翔は瀬那に抱かれた。
  一体瀬那がどういう気持ちで抱いたのか翔には全然分からない。
  もし瀬那が翔の事を好きだと少しでも思っていたのならば申し訳ないと思う。
  年は離れているし、どうやら瀬那の初恋は母親なのだ…と知り、あり得ないとは思うけれど、そう思った。あるとすれば、どちらかと言えば母親似の櫂の方が好きに違いないだろうと。

 ふと、思いついた事に翔はギュッと手を握りしめた。

 もし。

 もしも、瀬那が本当は櫂を好きだったなら?
  翔と櫂は、曲がりなりにも双子で、うり二つと言う訳ではないが身に纏っている雰囲気みたいなものは結構似ている。
  髪の色も、瞳の色も同じなのだ。

 もし。

 櫂の身代わりだったのならば?

 

 気付いた事実に愕然として翔は言葉をなくした。
  フルフルと小刻みに震える体をどうする事も出来ずに、翔は縋る様に瀬那を見上げた。
「翔?どうしたんです?」
  突然、顔を青ざめさせて震え始めた翔に瀬那は心配げに表情を曇らせた。

 責める資格なんて、ない。

 翔自身、櫂を好きなまま瀬那に抱かれたのだから。
  瀬那が他の誰かを好きなまま翔を抱いたのだとして、文句の言える立場じゃない。
  彼はどうしようもない翔の寂しさを埋めてくれただけだ。
  なのになんでこんなにもショックなんだろう?
  椅子に座ったまま体中から力が抜け居ていく。それを留める事が出来ずにいる。
「翔、気持ち悪いんですか?大丈夫ですか?」
  立ち上がって翔の側に近寄ってくる瀬那を翔は見つめた。
「もしかして…櫂、の事が好きなの?」
  それは小さな声で、震えていた。
  けれど、静かだった室内ではやけにハッキリと響いた。
  瀬那は一瞬ピクリ、と体を震わせた後、苦笑を浮かべて見せただけだった。
  特に否定をするでもない瀬那に翔はそうなんだと信じた。
「ご、めん…なさい。俺……」
  とても申し訳なかった。
  櫂が結婚したのは翔の責任と言う訳ではないが、一端を担っている。いや、そもそも翔は櫂と付き合っていたのだ。それを一方的に翔が櫂を振った。挙げ句、一人になりたくないからと言って瀬那に寂しさを埋めて貰ったのだ。
  どう考えても、最低だった。

『良いじゃないですか。翔が櫂を好きなままでも』

 瀬那の言葉が蘇ってくる。
  一体どんな気持ちでその言葉を口にしたというのか。
  怒られて、軽蔑されて当然と思えるのに。

 目の前にあるのは変わらない優しい眼差し。

「翔…違うんですよ。あなたに誤解をさせてしまいましたね。櫂を好きな訳じゃないんです。だからそんな風に気にしなくて良いんですよ」
  慰める様に瀬那はそう言ってくれたけれど、それを信じる事は翔には出来なかった。

 そして、気付いてしまった。

 今、自分は瀬那に恋してる、と。

 だから胸が痛くて、これ程までにショックを受けたんだと。
  そうして一人翔は心の中で自分自身を嘲笑った。

 なんて馬鹿なんだろうと。
  何も知らないで、何も気付かないで。
  それなのに、この気付いたばかりの恋を捨てたくないと思っている。失いたくないと思ってる。
  なんて愚かなんだろう。
  こんな風に人の気持ちは移ろい変わっていくんだと思えた。
  ほんの少し、自分から見合い相手へと心を移していった櫂を恨む気持ちがあったが、それも今消えた。
  人の感情ばかりはどうする事も出来ない。自分自身ですら制御出来ないのだから。
  そして、今もやっぱり櫂の事だって好きだったから。きっと瀬那の言っていた事はこう言う事なんだって思えた。

 櫂に申し訳ないと思う。
  瀬那にもそう思う。

 それでも。

 俺を見て、と。
  櫂の身代わりじゃなくて俺を、俺自身を、その青い大好きな瞳に映して、と。

 願わないで居られなかった。

 

@04.05.04>04.05.09/