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『視線 2』

朱が散る。
艶やかな血の色が綺麗に舞う。

「……!!」

一瞬息を飲む。
彼が…一瞬チラリと振り返って微笑んだような気がしたから。

―・◆・―

あれ以来彼は自分を毎日のように呼びだしていた。
当然壬生は壬生で仕事もあり、必ずしもその全てに参加していたわけではない。
でも、壬生は文句を言うこともなくただ龍麻の呼出に応じていた。
一度龍麻に言われたことがある。

「…何でいつも来るんだ?」
「君が呼んだんだろう?」
「だが、来たくないんだろう?」
「ああ。」
「……明日も旧校舎な。来いよ?」
「…わかった。」

一瞬その瞳を揺らして、婉然と微笑んだ龍麻の様子を思い出して苦笑した。
何故かなんて自分でも分からない。
いや、そうじゃない。これは館長の為だから。仕事のウチだから。
そう、思っていた。

―・◆・―

その日も戦闘に呼び出されて。
解散するその時に。
突如現れた敵。
完全に虚をつかれた。

気付けば…龍麻の体から生える白刃が月光を弾いて煌めいていた。
それは血に染まった紅く…妖しい光だった。
周囲に一瞬にして駆け抜けた驚愕の気配と憎悪。悔恨。そして………懺悔。
共にいた者全てが地に倒れ伏した龍麻の元に駆け寄り、護れなかった自分を責めた。
壬生は…その様子をただ静かに見つめることしかできなかった。

何?
これは…なに?

ナンダトイウノカ??

目の前に広げられた朱の饗宴。
青ざめた龍麻の顔にはこびりついたような笑みがある。
それは自分にしか見えない…あの一瞬に見た龍麻の笑み。
とても嬉しそうな。とても綺麗な。妖しい程に美しく月光の下照らし出された笑み。
妖艶な…と言う形容が相応しいかも知れなかった。
強い光を秘めた瞳が見つめていた。
紅い紅い血のように紅い唇が緩やかな曲線を描いて三日月のような弧を形作っていた。
柳生の服を一瞬握りしめたその白い指先は、微かに震えるように自分に向けて伸ばされた。
満足そうな…極上の笑みを一瞬湛えて。
そして苦痛の表情で彼は倒れた。

音もなく。
静かにゆっくりと。
それは永遠とも思える時間―――

―――ユルサナイッッ

何に対してそう思ったのか。
強く迸る程の叫び。
闇夜の中に誰にも聞こえない声が響き渡った。

―・◆・―

「今日も座らないのか?」
「………」
龍麻の退院の日。
突然龍麻の家を尋ねた。
今まで一度も見舞いに行くことすらなかった。
だが、毎日のように龍麻のことを考えていた。頭から離れることはなかった。
最後に見た笑みと。
血に染まって倒れ伏すその姿と。
思い出せば怒りと恐怖が体を支配して忘れることは出来なかった。
忘れてしまいたい!そう思いながらも、きっと忘れることなど無いだろう事も解っていた。
自分の中にある理解できない感情。そして、事実。

これは何だ?
アレは何だ?

何故彼がこんなにも気になるのか。
憎んでいるから…だから……そう思っていた。
だが…。
会えば何か分かるだろうか?、と思った。

皮肉気な視線を向けてくる龍麻に壬生は一瞬悩み、かつて同じようにもたれていた壁から離れてテーブルへと近づいた。
自分で自分の気持ちがハッキリと掴めない。
そう、あの日以来。

かつてと同じようにテーブルの上にマグカップが二つ。
暖かな湯気を燻らせて、芳ばしい香りを漂わせていた。
「で、今日はどうして此処に来たんだ?」
「君に聞きたいことがあった。」
「俺に?……何?」
音もなくテーブルに近づき龍麻が座っているのと同じようにクッションの上に腰を下ろした。
「君は…あの時笑っただろう?何故だ?」
「あの時?」
「……君が切られた時。」
コーヒーには手を出さず龍麻の方を見つめる。
と。
ふわりと龍麻が笑みを浮かべた。
それはあの時と同じ、笑み。
ゾクリ。
背中を駆け抜けたのは一体何だったのか。
思わず手を伸ばしそうになってぎゅっと拳を握りしめた。

―――カラダが。熱い……

「さぁ…俺にも分かんないよ。」
「……君は死にたかったのか?」
「いや。死にたくはなかったよ。死んでたまるか!そう思った。だから今此処にいる。」
そう言ってにぃっと笑みを浮かべた。
「何だよ。気になるのか?俺のこと嫌いなんだろ?」
「ああ嫌いだ。その全てが気になる程に……」
龍麻の笑みがより一層深くなる。
「知ってる?愛と憎しみって表裏一体って。憎しみほど愛情と近しい感情はないんだってさ?」
「………何が…言いたい?」
「嬉しいなぁ、と思ったんだよ。」
クスクスクスと嬉しそうな笑みを浮かべて龍麻は肩を揺らした。
「嬉、しい?」
「切られたあの時。壬生の貌…あの顔を見た瞬間。あんな状況だって言うのに、嬉しかったんだよ。手に入れた、そう思ったからね。」
「意味、が分からない。」
「俺は壬生に嫌われてた。でも、俺はそれが嫌だった。たとえそうでも…壬生に側に居て欲しかった。だから壬生を手に入れる方法を探してた。血眼になって。藻掻けば藻掻く程、壬生は遠くなった。突っかかれば突っかかる程お前は馬鹿にしたような視線で俺から離れた。そうであっても。お前から見たらそんなの信じられないと言うかも知れないけど。お前が欲しかった……」
そう告げると龍麻はふと腰を浮かせてテーブル越しに壬生に近づくとふわりと触れるだけのキスをした。

――知らなかっただろう?

そう言って婉然と笑った。
「何を…」
以前とは全く逆に動揺して瞳を揺らした壬生は正面に座る龍麻を見つめた。

愛?
憎悪?

自分は??
ごちゃごちゃとなった訳の分からない感情が胸の中で渦巻いている。
だが………。
微笑んだまま、離れようとした龍麻の腕を咄嗟に捕まえて逆に引き寄せる。
「え?」
少し驚きに目を見開いた龍麻の頭の後に手を回して髪を引っ張るようにして上向けるとそのまま深くくちづけた。
「んっっ…」
最初動きの止まっていた龍麻がすぐに応えるように壬生の首に腕を回してくる。
口内へと舌を進入させると龍麻の柔らかいそれに触れて絡め取る。
同じように応えてくる龍麻のそれを思い切り吸い上げて貪った。
「…んん、……はぁ…んっ…」
零れ落ちる甘い吐息は壬生の理性をいとも容易くとろかしてしまう。
離れた二人の唇の間に透明の糸が引いて壬生は濡れた龍麻の唇を親指の腹で撫でた。
「壬生…」
上気した頬に、欲望に濡れた眼差しが壬生を見つめてくる。

自分で急に何を?と想いながらも妙に納得していた。
どうしたって逃れられない。
そう言うことに。
ふと気付いて壬生はあっさりとそれを受け入れた。

光の存在である彼が憎かった。
いつだって仲間達みんなの中心にいて、笑っている。
自分とは正反対の存在。

闇は光を憎み、嫌い、そして惹かれて止まない。
光は闇すらをも愛し、その身で包み込もうとする。

始めて会った時壬生の体を突き抜けたのは恐怖。
絶対の光とも言えるその存在に触れて、自分の中の闇が濃くなった気がした。
強烈な光を浴びれば浴びる程、より鮮やかに闇が浮き彫りにされるようで。
怖かった。
闇そのものが光を憎悪するように…自分を守る為にも相手を憎むしかなかった。

そして同時に走り抜けたのは歓び。
自分の持つ闇すら凌駕する絶対の光。
自分の中の闇が薄らぐ気がした。強烈な光に照らされて、自分の中から闇が苦痛にのたうちながら逃げ出していくような。
暖かい安らぎをもたらす光にそのまま身を委ねたいと…願った。
嬉しかった。
闇そのものが光に惹かれて止まないように…自分を救ってくれるんじゃないかと相手を望んだ。

自分の中の矛盾した願い。想い。
その二つの間で揺れる苦しみに自分は慣れ親しんだ考え方に逃げた。

―――アイツが憎い―――

光に惹かれる自分を素直に見つめ、受け入れる強さよりも、相手を拒絶し排除する方が遥かに楽だったから。
でも…
彼の紅に染まった笑みがその逃げ道すら塞いでしまった。
もう、逃げようもなかった。

彼をあれ程憎み、その存在を消してしまいたいと願っていた癖に、いざ喪われる…そう思った時の身の凍るような感覚。
それは今まで感じたどの恐怖よりも深く鮮明で。
余りにも強烈だった。
喪いたくない、そう叫んだ。

吐息が掛かる程の至近距離で壬生と龍麻は見つめ合う。
「僕は君が怖かった。君の存在そのものが。君にどうしようもなく惹かれていく自分が自分でなくなりそうで怖かった。」
「俺だって怖かったよ。でも…俺は自分が変わることよりもお前を喪う方が怖かった。だから…変わっていく自分が嬉しかった。それはお前の為だと解っていたから。」
そう言って龍麻は微笑んだ。
やはり彼は強い、そう感じた。その笑みはかつて最初に出逢った頃と同じモノだった。
「君を否定しなければ立っていられなかった。憎むことで自分を保とうとした。その存在そのものを消してしまいたいと願う程に。近づけば危険だと分かっていたから、その想いを込めて見つめることしかできなかった。」
「いつの間にか…お前のその視線が俺にとっては嬉しかった。変だよね?その視線こそが俺と壬生を繋いでくれて居るようで。」
そうっと瞼を伏せた龍麻の手を取ってその指の付け根に軽くキスをする。
「あっ…。」
びくりと龍麻の体が揺れた。
「あれ程君の存在の消失を願いながら。それが他人の手によってなされた時、怒りと恐怖に支配された。それは自分のモノだ。そうしていいのは自分だけだ。その怒り。でも…君を喪うことはもう既に自分を失うことでもあった。」
「自分を失う?」
「君への憎悪と羨望が既に僕を支配していたから。それが全てになっていたから。君を喪えば僕はその全てを…喪う……。君を憎み愛することが僕の全て。だから…」
「壬生…」
「失えるはずがなかった。」
ふわりと優しい笑みを浮かべて龍麻は壬生に抱きついてその首に顔を埋めた。
「俺も同じだった。壬生の視線がいつの間にか俺を支配していた。それを喪っては生きていけなかった。どうやっても…欲しかった。あの“視線”…あれは壬生の俺への“想い”そのものだったから。」
ぎゅっと龍麻の背中を抱き締めて壬生は目を閉じた。
「今まで自分で解らなかった。いや、解りたくなかった。でも……」
「気づいてしまった?」
腕を緩めて顔を上げた龍麻はにっこりと笑う。
「君には…敵わない……」
そう言って壬生は龍麻の指先に何度も小さなキスを落としてチラリと龍麻を見る。
ソコには嬉しそうにうっすらと頬を赤く染めた龍麻の顔があった。

殺すというなら自分の手で。
決して他の誰にも渡したりはしない。
彼に触れるのも、彼に何かをなすのも全ては…自分しか許せない。

ああ…あの時思った「ユルセナイ」…それは龍麻を自分以外の者が害したことが。
自分以外の柳生が彼に成したことが。

―――ユルセナイ―――

自分はとっくの昔に彼に捕らわれていた。
その強烈な光を憎んだ瞬間に。
その峻烈な光を愛した瞬間に。

「……愛と憎しみは表裏一体……」
「そう…俺達みたいだろ?」
クスクスクスとからかうような笑みを浮かべる龍麻に壬生はそれが双龍の関係を言っているのだろうと思い浮かべて、苦笑しつつ手を伸ばした。
触れた髪がさらりと指の隙間をすり抜けて流れ落ちる。
漆黒の濡れた瞳が見上げてくる。
ゾクリ…
再び体を熱くするそれの正体に壬生は気づいた。

コレヲ ホシイト オモッテイル

今更その存在自体に捕らわれた僕に逃げる道など…ないのだろう。
ならば…その手を取ろう。

―――君は僕の堕天使になる―――

そっと契約の証のように再びキスをする。
「壬生…好きだよ。」
「……好き、だ…」
「俺のモノだ…」
そう言って龍麻が恍惚と艶やかな笑みを浮かべる。
「ああ、君のモノだ。そして…君は僕だけのモノだ…」
宣言するように告げれば嬉しそうに笑って龍麻の方からキスを一つ貰った。
お互いの視線が絡み合って、そのまま奪い合うようにキスをした。

 

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