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『愚者の見る夢 14』

風が吹く。
暖かな風に乗って桜の花びらが舞う。
ひらひらと。
クルクルと踊りながら。
「あーあ…行っちゃったね。」
「寂しいかい?」
「うん…ちょっと…ね。」
少しだけ苦笑を浮かべたが、目は言葉以上に寂しげだ。
そんな由羽に壬生はそっと手を伸ばしてその肩を抱き寄せた。
ほんの少しの切ない胸の痛みと共に。
「何?」
由羽がそんな壬生を下から見上げて、クスッと笑ったのに気付いて壬生は首を傾げた。
「今…ちょっとムッとしたでしょ。」
楽しげに指摘してくる。
余り表情は変わらないものの、図星を指されて何とも言えない眼差しの壬生に由羽は嬉しそうに笑った。
「嬉しいな〜って。でもね。京一が行っちゃって寂しいけど、寂しくないよ。」

―――だって、側にいてくれるでしょう?

そうっと壬生に体をすり寄せながら言う由羽を壬生はギュッと抱きしめた。

 

 

何事もなく現実世界へと戻ってきた如月と由羽は程なくして目を覚ました壬生に再会した。
如月はほんの少し決まり悪そうに、遅い、と言った。
由羽は、こぉおんの大馬鹿っっ!と叫びながら涙を流して壬生に抱きついた。
細野はそんな彼らをジッと見守っていたが、由羽達が気付いたときには姿を消していた。
『おめでとう』
その一言を残して。

 

 

それから数ヶ月。
京一は中国へと旅立っていった。
空港から翼を煌めかせながら飛び立っていった飛行機を眩しげに見送った。
そんな彼らに風が送ったのは桜の花びら。
一体どこから飛んできたというのか。

 

 

ゲシッ☆
なんだか人をはじき飛ばすような音がして由羽は後ろを振り返った。
「いてぇーな。」
「当たり前だ、この馬鹿。」
腹を抱えて村雨が如月の横に蹲っている。

体を寄せ合っていた壬生と由羽を背後から如月は穏やかな眼差しで見守っていた。
こんな気持ちで二人の姿を見つめる事が出来るなんてついこの間までは思いもしなかった。
これでいい、と一人感慨に耽っていたら、村雨が隣に来て耳元に囁いた。
「なんだ、寂しいのか?なら俺が暖めてやんよ。」
ニヤッと笑みを浮かべて如月を公衆の面前だというのにさり気なく。そう本当に自然に引き寄せたのだ。
そんな村雨に如月はにっこりと微笑を浮かべたまま鳩尾に拳を入れた。
「ふざけるな。」

下から見上げてくる村雨に、ほんの少し如月は苦笑とも言える笑みを浮かべながらもう一度言った。
「馬鹿。」
そんな如月に村雨は一つ溜息をつくと、ガシガシと頭を掻いた。

 

 

目覚めた如月は村雨に一言だけ言った。
それは小さい小さい声。
「お前のお陰で助かった…ありがとう……。」
側にいた筈の藤咲ですら聞く事が出来なかった程の声。
だが、村雨はしっかりとその言葉を聞いた。
半分は自信満々、そして残り半分は安堵の表情という複雑な笑みで応えた。
自分の想いがちゃんと届いていた事を知ったからだ。
「…なら、俺の想いに応えてくれるってこったな。」
勝手に顎の辺りを撫で擦りながら嬉しそうに言う村雨に如月は眉を潜めた。
「それとこれは別だ。」
「何?」
「別だ、馬鹿。」
「…おい…そりゃねぇーんじゃねーの?」
「知るか。」
「へぇへぇ。分かりましたよ。」
素直に引き下がった村雨に気持ち悪そうに如月がジッと見上げた。
「なら、長期戦と行くだけだからな。」
クッと笑みを浮かべた村雨に、やはり諦めるはずがなかったかと如月は複雑な思いで嘆息した。

想い続けて欲しい気もする。
だが、きっと自分は彼の想いに応えられない。

今は。
初めて知った”自分”を愛したかった。

真実自分が村雨を必要とするかどうか如月にはまだ分からない。
だが、それはこれから決めればいい事だ。
今決めなければいけない事ではない。
「気が長いからな。お前に時間をやるさ。」
そう言ってニヤリと笑みを浮かべた村雨を如月はやっぱり何とも言えない表情で見つめ返すことしかできなかった。

 

 

そんな遣り取りの二人を見つめて壬生はフッと相好を崩した。
「相変わらずですね。」

学校を卒業して、鳴瀧から今まで通り自分の手配したマンションに住めばいいと言って貰っていた由羽はそれを辞退して如月の家に転がり込んでいた。
壬生は高校を卒業した事によりその仕事内容が変わる事になった。
元々拳武館は”高校生”が暗殺業を執り行う特殊機関だ。卒業した人間は直接の暗殺業に手を出す事はなくなる。
だが、壬生は流石に由羽や如月であってもその仕事内容を明かす事はなかったし、又彼らも敢えて聞き出そうとはしなかった。
そんな壬生は母親がいつか帰って来るであろう今の家を出る事に躊躇い、由羽も出るのに反対した事で、現在壬生は二つの家を持っているような感じになっている。
とは言え殆ど帰ってくるのは如月の家の方なのだが。
昔の仲間達が時折如月の店を訪ねてくる。
そうして由羽や壬生に会い、嬉しそうに帰っていく。
当然、如月に惚れ込んだ村雨がそんな如月の家に転がり込む事も多く、二人の遣り取りは壬生や由羽に取っては日常茶飯事のものだった。

「だね〜。」
由羽も答えて、くすくすと笑う。
なんだかんだとじゃれ合いながら、実際如月が村雨の事をどう思っているかは定かではない。
嫌ってはいないが、それが恋愛感情かとなると話は別問題だ。
「さて、どうなる事か。」
「取り敢えず行きますか?」
「お許し下さいますか、姫君?」
「うむ。赦す!」
戯けて二人で言い合って笑い合う。
そうして壬生は名残惜しげに由羽から離れると如月の方へと歩いていった。
由羽はそんな壬生の後ろ姿をジッと見ていた。

由羽と。
如月を。

幸せにしたいんだと願う壬生は時折こうやって如月を助けに行く。
ある意味、村雨の邪魔とも言う。
ちゃんと由羽に許可を貰う辺りが何とも壬生らしいと由羽は毎回思っていた。
近づいてきた壬生に村雨が心底嫌そうな顔をし、チラリと背後の由羽に視線を向けた。
なんで赦しやがった!
村雨の声が聞こえた気がした。
由羽はぺろっと舌を出して、意地悪げな笑みを浮かべて見せた。
如月はホッとしたような表情で壬生を迎えて、一瞬由羽に視線を向けた。
そこに滲むのは済まないとも、ありがとうともとれる色。

ギャアギャアと騒ぎ始めたあの一区画を楽しそうに見つめてから由羽は視線を空へと上げた。
もう既に影も形も見えなくなった京一の乗った飛行機が消えていった方を見る。

春らしい風が吹く。
柔らかく暖かい風。
新しい生活が始まる。
新しい人生が始まる。

何があろうと、壬生がいる限り何度でもやり直せる。

そう由羽は思っていた。
彼さえ生きて側にいてくれれば。

何度でも新たな門出を迎えることが出来る。

一つ愛おしげな眼差しを空へと向けてから由羽は身を翻した。
「さあ、家に帰ろーっっ!!」
そう言って未だに騒いでいる壬生と如月に駆け寄った。
「ああ、そうだね。」
「こいつは置いていった方がいいだろうな。」
「おいっ、如月それはどういうこった?!」
「そのまんまだ。言って置くが僕は家主だよ?君は邪魔。」
「………ひでぇ……。」
「では、行こうか。」
ちょっぴり傷ついた風の村雨を無視して壬生が由羽と如月に先を促して歩いていく。
「あ、そうだ。帰りに今日の夕飯の材料買っていこうよ。」
「今日は確かあそこの店が安売りをしていたはずだけど。」
「残ってはいないだろう。」
「ですよね。」
ちらっと腕時計を確認した壬生が如月に頷いた。
「…ちょっと何が安売りなのか知らないけど、今日はお魚いやーっ!」
「却下。」
「…みたいですよ。」
あっさりと由羽の提案をはねのけた如月と、苦笑を浮かべる壬生に由羽はふえぇ〜んと哀しそうな顔をして見せた。
「おいっ、俺を無視するな!」
「……確か安売りだったのは肉だったかな。」
「如月!!」
ちらっと由羽を見てポソッと呟いた如月に由羽は顔を輝かせた。
そんな風に嬉しそうにされたらもう何も言えない。
結局壬生だけでなく、如月だって由羽のことは大好きなのだから。
壬生への感情が上手く如月の中で昇華された今となってはその事は何ら不思議でもなんでもない。
最初っから如月とて、彼女に惹かれて仲間になったのだから。
嬉しそうで楽しそうで。
そんな三人組を見つめながら、無視され続けた村雨は一歩後ろから苦笑を浮かべつつも見守っていた。

今はまだ。

穏やかな表情で幸せそうに笑うようになった彼らをこうやって見ているだけで十分だったから。

「だが、あんまり時間はやんねぇーぜ?覚悟しろよ。」

小さく呟いた村雨に壬生だけがフッと後ろを振り返ってにこりと小さな笑みを浮かべて見せた。
村雨も同じく笑みを浮かべて見せた。

「宜しくお願いします。」

一瞬頭を下げると同時に前を向いた壬生に村雨はほんの少し驚きで目を見開いて、ふぅと吐息をついた。

 

 

夢。
夢を見た。

 

 

何処までも深く沈んでいく夢。
それは甘美な誘惑に満ちていて。

 

 

そして何処までも愚かだった。

 

 

もう二度と見る事はない。

 

 

遙かに満ち足りた現実が今手の中にあるのだから。

 

 

 

@02.03.03/