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『愚者の見る夢 13』

「君はもう還った方がいい。此処は君に相応しくない。」
「壬生は?」
「僕は…いいんだ。」
由羽は心底嫌そうに顔を顰めた。
「良いはず無いじゃない!」
緩く壬生は首を振った。
「違う!どうして?どうしてそうやって自分から闇に沈んでいこうとするの?!」
由羽が必死に壬生に食って掛かる。

由羽は確信していた。
彼に触れられたあの時に。
髪に、頬に、唇に触れた彼の指先から切ない程の想いが伝わってきた。
キスをされて身も心も攫われる程の激しさに翻弄された。
壬生の見ていた夢とキス。
あの全てが嘘だなんて思えない。

アレは。

初めて見せた壬生の真実の想い。

彼の想いを知って、彼を手放せるはずがない。
あの情熱的で陶然となるようなあのキスを忘れられるはずがない。

あんな風に全身全霊を籠めて求められて、忘れられようはずがないっ!

「如月…のせい?」
「違う。彼は悪くない。」
即答した壬生に由羽はその顔を嫉妬に歪ませた。
壬生はそんな由羽の頬を優しく撫でた。
「君にそんな顔は似合わない。」
「でも、これも私だわ。」
醜い部分であっても隠すことなく曝す由羽に壬生は優しげにフッと表情を穏やかにした。
「僕は罪を犯した。それでも君を愛す。君に愛して貰いたい。だが、自分で自分が赦せない。喩え神が赦しても、だ。」
「そんな、の…っ!」
納得いかない表情の由羽に、壬生は宥めるように髪を撫でた。
「如月さんを僕は君の身代わりにした。傷つけた。喩え彼が赦しても僕は赦せない。そして愛しているが故に君を傷つけた。君が赦しても僕は自分を赦せない。」

このまま。

夢を見続けよう。
愚かな夢だと分かっている。
無意味だとも。

だが。

夢。

夢を見なければならない。

そして―――終焉を。

「いや!!!どうしてそんな風に考えるの!?もし償いが必要だというのなら。贖いをしたいというのなら。それこそ壬生は目覚めなければならない。如月と私に生きて償うべきなんだわ。死ぬなんて一番簡単な逃げ道、それで良いはずがない!」
「逃げ…道……。」
突きつけられた言葉に壬生は戸惑い、そして怒りの余りかキラキラと輝く由羽に見惚れた。
見る見るうちにその強い光を宿し睨み付けていた目が潤み始めた。
「由羽……。」
「あなたを喪って、私は……私と如月はどうやって生きていけばいい?ねぇ、人生はやり直しが出来ない…ってそう思うの?」
言葉もなく彼女の瞳と言葉に心を奪われる。
「贖罪をと望むのなら、私が願うのは一つ。私と、如月。私たちの願いを聞いて。私たちを幸せにして。それは……他の誰でもないあなたにしかできないこと。誰が決めたわけでもなく、それが真実。……逃げないで。受け止めて。」
壬生は苦しげに視線を逸らすと吐息を吐き出した。

由羽は赦してくれない。
終焉を。
安息を。
それを望む事は壬生の都合のいい考えだったのだと思い知らされて。

夢は。

粉々にうち砕かれた。

もう二度と見る事も叶わない。

「君は僕に罪を背負って生きる事を与えると言うんだね。」
「………。」
「僕の一生は君たちのものだ。確かに僕は仕事柄何時死ぬとも知れない。君たちを幸せになんて出来ないかも知れない。それでもそう努力し続ける事を君が望むなら。そしてそれが僕の贖罪だと言うのなら。」

―――甘んじてそれを受け入れよう……。

ずっと睨み続けていた由羽に苦笑しながら告げれば、へにゃっと彼女の表情が崩れた。
力の抜けたような、安堵し、今にも泣きそうな、でも嬉しそうなその顔。
愛しいと思えた。
心底自分の事を求めてくれていると告げる彼女が愛しかった。

彼女は何度も壬生を求めた。
触れあいたい、一緒にいたい、と。

何よりも嬉しくて。
そして恐ろしくもある。
そう彼女が告げてくれる度に、壬生の心の内に膨れ上がる欲望は果てがないように思える。

もっと求めて欲しい。
もっと君の全てが欲しい。

「だが、いいのかい?僕は君の側にいれば直ぐに忘れるだろう。君という存在に酔いしれ、過去の罪を忘れ、君を求め、縛り付けるかも知れない。」
そう言いながらきっとそうなるだろうと壬生は思っていた。
そして同じような罪を犯すのではないかと。
「私を愛してくれるからならばいくらでも。……二人してその罪を背負っていけばいい。」
「何故君まで…?」
「だってそれを私はきっと喜ぶわ。そして、奥底でそれを願ってもいる。私も壬生を私だけのものにしたいんだもの。」
「……そう。」
涙に未だ潤んだ瞳でそう言って笑いかけてくる由羽に壬生は静かにはにかむような笑みを持って答えた。

静かに。
目を伏せる。

初めて知った彼女の姿。
綺麗なだけじゃない。
罪も知っている。
それでも尚強い彼女の魂こそが愛しい。

恋に苦しみ、傷つき。
恋に身悶え、哀しみ。

”女”でもある彼女。

自分と……同じ………。

「由羽…君を愛している。」

目を開き、ジッと由羽の目を見つめた。
そしてその一言に全ての気持ちを乗せて口にする。

ゆっくりと花開くように由羽は微笑んだ。

「私も愛してる。」
「僕は君に囚われた罪人。僕の身も心も君だけに……。」
そうっと由羽の手を取ってその甲に誓約の如く口づける。
「私の愛しい罪人(とがびと)。私の永遠をあなたに…。」
そう言うと由羽は壬生の額に祝福を授けるかのように口づけた。

愛という名の甘美な鎖。

今誓約はなされた。

 

@02.03.01/02.03.02/