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『本当のキモチ 一話』

 

 
 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり桜も散った。
 峯男と言う不思議な男のお陰で、心の整理を付けた瑠璃は京へと戻る気になった。
 思い立ったが吉日な瑠璃は大した準備も、三条邸への連絡もなしに、さっさと吉野を後にしようとしていた。
 お陰で小萩は大忙しだ。
 そんな時、雪深かった頃に出合った鷹匠が訪ねてきた。
 なんだかんだ言って、この鷹匠はあの後も何度か瑠璃を訪ねてやって来ていた。
 空にはなったタカが勝手に瑠璃の元へ来てしまうので、追いかけて鷹匠も来ると言うのを数度繰り返し、途中で最初からこちらにお伺いしますと連絡をしてから、タカを放つ様になった。
 大体、月一位の割合だったか。それ以上はあっても、以下は無かったはずだった。
「姫様。すっかり暖かくなりましたね」
「本当ね。初めて会った時はあんなに雪が凄かったのに、今ではもう桜も散ってしまったわ。今日は…挨拶に来てくれたの?」
 旅装束に身を包んだ鷹匠を見つつ、瑠璃は寂しく思った。
「はい。春も終わりました。以前からお話ししていた様に、そろそろ、タカを連れて行かねばなりません」
「タカの飼い主の元へ行くのね」
 瑠璃が聞けば、鷹匠は頷いた。
「そう。寂しくなるわ…私がタカを欲しい位だったもの……」
 鷹匠が鷹の飼い主かと言えば、そうではないだろう。鷹匠は鷹を鷹狩りに使用できるように飼育する者だ。勿論、自分の鷹として所有している者も勿論いるだろうが、この目の前の鷹匠はそうではなかった。
「本当にタカも姫様には馴れておりましたから。タカも寂しがりましょう。ですが、これも仕方がない事でございましょうな」
 しんみりと呟く鷹匠と瑠璃の間に、春の風が一陣駆け抜けていく。
 その風が流したかの様に、二人とも顔をあげて、気持ちを切り替えた。
「何くれとこの冬から春の間に掛けて、本当にお世話になりました」
 鷹匠が笑顔を向ければ、瑠璃も笑顔で答えた。
「そんな事…」
 瑠璃はタカを気にいった事もあり、時折食料品とか日用品とかをこの鷹匠に差し入れしていたのだ。
 バサッと大きく風の音がしたと思えば、タカが瑠璃の目の前に空より舞い降りた。
 別れを告げるかの様に、甲高い声で一声鳴いて。
 再び大空へ舞い上がると、上空で何度か旋回した後、そのまま何処かへと飛んでいってしまった。
「タカっ」
 鷹匠が慌てた様に名を呼ぶが、タカは無視を決め込んだらしい。
 そんなタカが瑠璃から離れるのを嫌って拗ねているのだとしたら、何て可愛くて、何て嬉しい事だろうと瑠璃は思った。
 一方、何処へ行くのか、と鷹匠は慌てた。
「ひ、姫様。申し訳ありませんっ。きちんとしたご挨拶も出来ずに…」
 空を心配そうに見上げて、鷹匠は急いでタカを追わねば、とオロオロしていた。
「ふふっ…いいわよ。気にしないで。顔を見せてくれただけでも嬉しかったわ」
「有り難うございます」
「これから何処へ行くの?」
「はい、京へ」
「まぁ、京へ?私も京へと帰るところだったの」
「なんと、姫様もですか?」
 少し嬉しそうな二人に、甲高いタカの鳴き声が聞こえた。
「タカ?」
 何処で聞いていたのか、再び舞い降りると瑠璃の目の前に近寄ってきて、そのまま鷹匠をジッと見上げた。
 まるで、一緒に行く、と主張しているかの様で、瑠璃はクスッと笑みを零した。
「タカ、お前…」
 鷹匠は苦笑した。
 こんな本来の飼い主を差し置いて目の前の姫君に懐いてしまって一体どうしたものか、と。
 結局、瑠璃は元々帰京の準備をしていた小萩に、鷹匠と一緒に帰京する旨を伝えて、更に小萩を驚かせたのだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 最近のお主上はとても優しいお顔をされている、と専らの評判だった。
 元々華やかで、美々しい顔をしていた今上帝は、ただ、その身分故に気軽に噂する事も出来なかっただけで、確かにこの御所の中での一番人気のある公達に違いなかった。
 だが、そこに穏やかな表情で猫と戯れる姿や夜女御や女君を召す事もなく、猫を同じ寝所に入れて一緒に眠る様などが女官達には堪らなく、等身大の人間として目に映り、より一層、今上帝を身近なものに感じさせ、魅力的にしていた。
 そして、今上帝をそんな風に変えた原因であり、寵愛を恣(ほしいまま)にしていたのは猫だった。

 故に。

「は、早く探さなければっ!」
「えぇ、このままでは…」
 顔を青ざめさせた女官達はバタバタと慌てていた。

 

「瑠璃っお前は一体どれ程心配を掛ければ気が済むというのか!分かっておるのかっ??」
 唾を飛ばす勢いで説教しているのは内大臣であり、瑠璃の父である忠宗だ。
「だから、ごめんなさいって言ってるじゃない!申し訳ありませんでしたっ!!」
 連絡もなく唐突に帰京した瑠璃に三条邸は驚愕に慌てふためいた。
 大臣家の、摂関家の流れを汲む高貴なる身の女人が供を大して連れず、吉野から帰京する等、普通なら考えられる事ではなかった。
 途中まで鷹匠が一緒で、と瑠璃が話せば、鷹匠がどれ程の護衛となるものか!と更に忠宗は唾を飛ばした。
 とは言え、実際タカはいい警護役だった。
 タカが上空から監視をしている形なのだから、供が何人いようと出来ない事が可能となっていた。
 タカが何かあると鳴いたり、鷹匠の腕におりてきて、異常を知らせた。
 瑠璃達はそれで、身を隠してみたりと道中は順調で、実に安全な旅だったのだ。
 一度だけ、隠れようが無い場面もあったが、タカが一声鳴き、相手に飛びかかると、相手の方が這々の体で逃げていく等の一幕もあった位だ。
 ただし、小萩は結構気が張って、疲れたのか、やはり怖かったのか、三条邸に着くやいなや熱を出して寝込んでしまった。
 流石にこれには、申し訳ないと塞いでいた所に、忠宗が駄目押しとばかりに説教をしてきたので、帰京早々気の重くなった瑠璃だった。
 何とか、忠宗の説教が終わって、瑠璃はホウッと一息吐いて、脇息にもたれかかった。
「疲れた…」
 自分がした事で心配を掛けた事も分かる。が、多少は帰京を歓迎してくれてもいいじゃないかと拗ねてみたくもなる。
 自業自得と言われれば、文句も言えないか…と瑠璃は自分を納得させた。
 小萩の事もあるし、取り敢えず疲れもした。大人しくしていよう、と瑠璃がボーッとしていると、丁度、庭先に三毛猫が気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。
「あら、猫」
 ちまっとした猫だ。太っている訳ではないが、全体的に普通の猫よりも体格が小さいようだ。
「気持ちよさそう」
 そう思い、ジッと見つめていると、視線に気づいたのか、猫が目を開けて瑠璃を見返した。
 その猫は真っ青な蒼い目だった。
 と、猫は起きあがるとトトトトトと瑠璃の傍にやって来たかと思うと、瑠璃の膝の上にちょこんと乗って首を傾げた。
「まぁ、お前、随分と人に馴れているのね」
 蒼い目が、何処までも美しく、瑠璃の心を魅了した。
 んなぁ。
 鳴いて、首を右へ左へと傾げる。
 にゃぁ。
 にぃ〜。
 なっ!
 何か一生懸命喋っているみたいだが、当然瑠璃には何も分からない。
「え?え?な、何?ふふっ。お喋りな子ね」
 瑠璃が猫の喉を撫でてやれば、気持ちよさそうに猫はゴロゴロと喉を鳴らした。
 そうして、そのままゴロンと瑠璃の膝の上で横になると眠り始めた。
「ちょっ」
 まさか寝る気?!と驚く瑠璃だが、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、無邪気にも瑠璃の膝の上で眠る愛らしい姿に仕方がないと諦めた。
 膝上が重いが、暖かい。
 そのまま撫でて遣れば、気持ちいいのか、体がデロ〜ンとのびていく。
 手と足をだらりと伸ばして、しっぽまで瑠璃の膝上から落ちている。
「ぷっ」
 こんなにも無防備で警戒心がないなんて、何処かで人に飼われている猫なのだろう。
 飼い主はきっと心配しているのではないだろうか、と思うが、その相手が誰かなんて瑠璃に分かる筈もない。
 暫くすれば猫もきっと自分の帰るべき場所へと帰るだろうと放っておく事にした。
 しかし、夜になっても猫は帰って行かなかった。
 仕方がないので、猫にご飯をあげて、瑠璃が面倒を見ている。
 面倒と言っても、自分の局に置いている、と言うだけで、実質の面倒は猫が好きな女房達がしているのだが、この猫がまた瑠璃を気に入ったのか、基本瑠璃の傍から離れない。

 だから、ずっと一緒にいる。
 ただ、それだけ。

 でも、ただそれだけの事がこんなにも嬉しいなんて。

 夜、眠る時も自分の褥の中に入り込んでくる猫に、きっと飼い主とも同じ様にして眠っていたのだろうと思った。

 自分以外の温もり。
 暖かくて、気持ちが良い。

 嬉しいけれど、きっと猫の飼い主は寂しい思いをしているだろうし、心配しているだろう。

「こら、お前。帰らないと駄目じゃない」

 ツイと猫の耳をつついてみるが、猫は気にもしない風で、瑠璃の指を虫と勘違いでもしているかの様にピクピクと耳を震わせるだけだった。

「本当にもう……」

 苦笑しつつも、暖かいその温もりに、知らず知らずのうちに深い眠りへと誘われた瑠璃だった。

 

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