『初めての写真 2』
「神子殿!!」
必死な声で呼ばれた。
でも、何処か遠く、自分に関係ない事のように思えた。
既にあかねの体は龍神と一つになっていて、現世の事が酷く曖昧なものに感じられていたからだった。
でも、その声の主だけはあかねの目にもハッキリと見えた。
悲しそうに。
もどかしそうに。
怯えるように。
必死に何度も自分を呼んでくれる彼の姿にあかねも胸が痛くなった。
鷹通さん。大好き。大好きだよ。だからみんなを守りたいの。
許して、ね?
微笑んだ筈のあかねの頬を涙がこぼれ落ちた。
「神子殿!!!」
その後、結局鷹通はあかねと一緒に現代へと来る事を龍神に願い、それは叶った。
彼が何を失い。
何を捨て。
何を得たのか。
あかねだってそんな事は分かっていて。
でも、だからこそ苦しかった。
彼が失ったもの全てと新たに得たもの全てを比較して。
余りにも失ったものの方が多い様な気がして。
彼は穏やかに嬉しそうに微笑みかけてくれるけれど、時折遠くを見る眼差しは決してあかねの勘違いではないから。
自分の為に、と思うと胸が苦しくて切なくて。
居たたまれなくて。
彼が浮気をしているとか、彼の気持ちが嘘だとかそんな事は思わない。
もしそうだったとしても、それは鷹通のせいではなく、失ったものの変わりになり得なかった自分の不甲斐なさだと思う。
だから、そんな彼に相応しいのかと言えば自信を持ってそうだと言えない自分が何よりも嫌いだった。
京では自分は特別な存在だった。龍神の神子であり、恭しく扱われていた。
だがこの現代では違う。只の普通の女子高校生に過ぎない。
単なる嫉妬だって分かっている。
ああなりたい、と思えるような女性が鷹通の側にいると思うとそれだけで胸が軋んだ。
嫌だと。近寄らないでと。
羨ましいと。あれが自分だったらと。
あかねはトボトボと家へと向かって歩いていた。
大学を飛び出したはいいが、特に行くべき場所もない。
天真や詩紋の所へ行って、何もかも喚き散らしたい気もしたが、それでは余りにも情けなさ過ぎる。
彼らは鷹通の本当の姿を知っている数少ない仲間だったから。だから余計にそんな自分の情けない一面を見せられなかったのかも知れなかった。
どうする事も出来なくて。
フラフラとあちらこちらを歩き回っていたのだった。
カツン。
既に暗くなり始めていた家への道を小石を蹴飛ばしながら歩く。
カツッカツン。
小石があらぬ方へと転がっていき、あかねが物寂しそうにその後を目で追った時。
「あかねっ!!」
小石の転がっていった方から必死な声で呼ばれて。
『神子殿っ!』
それ程遠くない昔のそれがフッと重なってあかねの耳に聞こえた。
「え?」
自分の方へと駆け寄ってくるその姿が薄暗がりの中、不思議にもハッキリと見えた。
「あかね!何処に行っていたんですかっ?探したんですよっっ!!」
気付いた時には鷹通の腕に抱きしめられていた。
心配そうに顔を覗き込んできた鷹通の眼差しは真摯で、そこに欺瞞などは一切ない。微かに震える鷹通の指先がどれ程心配していたのかを伝えてきて、あかねは申し訳なくなった。
勝手に嫉妬して。
勝手に悩んで。
勝手に怒って。
勝手に飛び出して。
鷹通が悪い訳じゃないのに。
「ごめんなさい」
その暖かい胸の温もりに縋り付くようにしてあかねは謝りつつ胸に顔を寄せた。
「…無事で良かった…」
一旦ギュッとそのまま抱きしめられた後、あかねは名残惜しげな鷹通に解放された。
「しかし、一体どうしたと言うんです?」
「何でもないんです。ほんと…ごめんなさい」
「あかね…。一人で抱え込まないでください。人は一人で生きている訳ではない、と。支えてくれる人に心の弱さや苦しみをうち明ける事の強さを教えてくれたのは。他でもないあなたなのですから」
真っ直ぐに見つめてくる眼差しに。
あかねは顔を振った。
パサパサッと髪が揺れた。
「本当に大したことじゃないんです。もっと大人っぽくなれたらなって。そうしたらあんな風に鷹通さんの妹じゃなくて。ちゃんと最初から恋人に見て貰えるのにって」
涙で潤んだ瞳で鷹通を見上げる。
「自分に自信が持てなくて…そんな自分が嫌で。八つ当たりして。心配掛けて……ごめんなさい」
弱々しいあかねの言葉に鷹通は再びあかねを抱きしめた。
「それは私も一緒ですよ」
「え?鷹通さんが?」
それは新鮮な驚きで、あかねは目を見開いた。
「ええ。勝手にあなたの後を付いてきたりしてあなたの人生を私に縛り付けてしまいました。これからあなたは多くの人と出会うでしょう。もしかしたらこの世界のあなたが愛すべき人とも……。でも、あなたは…」
恐らくは私の事を考えてそんな自分の気持ちを殺すでしょうからと、鷹通は苦しげに告げた。
「それでも私はあなたのいない世界など我慢出来なかった。どれ程あなたに苦しみを与えてしまうとしても、それだけは嫌だった。例えあなたが他の誰かのものになったとしても、それでもあなたのいる世界にいたかったんです。私は自分があなたに一番相応しいと思った事などなくて、何時だって不安でした。兄妹かと言われる度に、その通りなのだと言われている様で。何時か本当に、誰か他の男のものになったあなたを兄として見守らなければいけないのだろうか、と。だからこそ、あなたが何も言わなくても私は何度でもそれを否定し、恋人だと口にし続けたんです。そうしていないと”兄妹”と言うのが本当の事になってしまいそうで怖かったんです」
鷹通が心底苦しげで、あかねは鷹通の頬を両手で包み込んだ。
何度も何度も首を横に振った。
「鷹通さん以外の人のものになんかならない。鷹通さんだからいいの。どんなに苦しんだとしても、悩んだとしても、鷹通さんが好きだから。ううん。相手が鷹通さんだからこんなに不安になるの。好き…だから。だから、こんな風に思えるんだから。兄妹なんかじゃ…ないですよね?」
「ええ。周囲にどう見えようとも、私たちは恋人同士…なのですから」
そう言ってくれた鷹通の顔が近づいてきて。
フワリと触れるだけのキスをされた。
余りにも優しいキスはなんだかもどかしくて胸に切なくてあかねはギュッと鷹通に抱きついた。
翌日はデートの仕切治しになった。
とは言っても鷹通のアパートにあかねが遊びに行っただけなのだが。
一緒に買い物に行き、一緒にあーでもない、こーでもないと言いつつ二人でお昼ご飯を作った。
恥ずかしながらあかねは今まで料理に余り興味がなかった為殆ど作れなかったし、この数ヶ月で自炊に慣れて来たとは言え、鷹通は自分で料理をする事などこの世界に来る迄あり得なかった。
そんな二人で、簡単な料理の本を覗きあって作るのは失敗する事も多いけれども、笑い声の絶えない何とも楽しい時間だった。
鷹通の部屋は何時も綺麗であかねが掃除してやらないといけないと言う事はない。
でも、行く度に何かしら新しいものが増えていてそれが新鮮だった。
「あれ?これ…買ったの?」
「ああそれは貰ったんです」
「カメラを?」
はい、と頷く鷹通にあかねはふぅ〜んと曖昧に答えた。
「同じクラスの人で写真部に入っているとかで。先日その人がくれたんです。凄く簡単なカメラとかでもういらないから、と」
「同じクラスの人…って昨日の?」
「え?ああ、昨日一緒にいた彼女ではありませんよ。正確には彼女の彼氏、からです」
「なんだ…恋人…いたんだ」
ポソッと呟いたあかねの言葉に鷹通が首を傾げた。
「あかね?どうかしましたか?」
「ううんっ!」
慌てて首を振って、なんでもないと笑い返した。
「昨日は彼女にそのカメラで写真をもう撮ったのか、それなら見せて欲しい、と言われました」
そんな事だったんだ。
馬鹿馬鹿しくなってあかねはついつい口元に笑みを浮かべた。
でも、一体どうして鷹通さんはそれで照れていたんだろう?
不思議に思いながらあかねはカメラを弄っていた。
どうやらそれは本当に初心者向けのカメラのようだった。細かい機能とかがあるようにも見えない。使い捨てカメラに毛が生えた様な代物。
「もう何か撮ったの?」
「いえ、まだですよ。フィルムは一応入っていますが」
「えー…折角だから撮ろうよ!」
「それはそうなんですが…」
カシャ。
「え?」
特にあかねの行動に注意していた訳ではなかった鷹通は気付いたらあかねに写真を撮られていて、その耳慣れないシャッター音に首を傾げた。
カメラを撮った事がないのだからシャッター音が何かなんて分かるはずがない。
「えへへ。撮っちゃった♪」
「え!あ、あかね…本当に?」
あかねの言葉に鷹通はなんだか不思議な表情を浮かべた。眉間に縦皺がよっていて、怒っている様な、悔しがっている様な、悲しんでいる様な。
「え?なに…撮っちゃ…不味かった??」
「いえ…別に不味いとかそう言う訳では…ないのですが…」
少し不満げにちょっと頬を染めて鷹通があらぬ方向を見る。
「どうして?」
「……」
「言ってくれないとまた撮っちゃいますよ」
戯けて鷹通に言った。
「…出来れば一番最初にあかね…あなたを撮りたい…と思っていたので……」
ボソッと小さい声で言った鷹通はやっぱりそっぽを向いたままだった。
あかねは言われた瞬間、キョトンと惚けた後、暫くしてから言われた内容を理解して、相好を崩して顔を赤らめた。
成る程。成る程。
だから、写真を見せてね、と言われて即答出来ずに照れたんだ。
嬉しくなってあかねは元気よく告げた。
「じゃー…その内鷹通さん自身でカメラを買ったら。一番最初に撮ってくださいね!」
何時か自分達のカメラを買い。そして一緒に二人の時間をフィルムに収めていこう。
時に悩み。時に誤解し。時に泣き。時に笑い。
不安も幸せも、二人一緒にいるからこそ。だから二人の思い出と共に写真も沢山増えていくだろう。
この部屋に新しいものが増えていく様に。
焦る必要はない。誰だって、何時かは大人になる。
そして、何時しかそこに映る自分達は恋人以外の何者でもないものになっているだろうから。
一緒に歩いていこう。
「ええ。そうですね」
差し出されたカメラを鷹通は受け取って。
嬉しそうに微笑むあかねにカメラを向けた。
使い方だけはちゃんと覚えていた。ただ、あかねを撮るのだと今までシャッターを押さずにいただけ。
「え?!」
「あかね。笑って」
「う、嘘?!本当に?」
「ほら…」
言われて。
あかねはどうして良いのか分からずに、はにかむような笑顔を鷹通に向けた瞬間。
カシャ。
「や、やだなぁ…」
「嫌…ですか??」
鷹通は、本当に撮られちゃった、と少し嫌そうなあかねに気付いて寂しそうな表情になった。
そんな鷹通にあかねは慌てて手を振った。
「そ、そんなんじゃなくて。いつもなんか写真写り悪くて。それでちょっと苦手かなぁ〜って」
「ああ…大丈夫ですよ」
「え?どうして?」
鷹通が持っているカメラはデジカメではない。今その場で撮った内容が見れる訳ではない。現像して初めて分かる普通の写真だ。
なのにやけに自信たっぷりに言う。それに鷹通自身、今撮った写真が鷹通にとっての初めての写真に他ならない。素人であれば余計に上手く撮れない筈だ。
不思議に思って問いかければ、帰ってきた言葉にあかねはただ、ただ、顔を赤くすることしかできなかった。
「あかねが私に向けてくれる笑顔は何時だって素敵なんですから」
@03.06.14>03.10.19/