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01『君に恋してく』

好き、だったよ。
本当に。

でも、きっとそれ以上に。

俺には捨てられない気持ちがあったんだ。

ゴメン。
怒っても良いから。軽蔑しても、裏切り者って叫んでも良いから。

だから。

幸せになって。

―――誰よりも。

 

 

 抜ける様な青空を見上げて翔は教会に背を向けた。
  今日の主役達からは招待状すら貰っては居ない。だからこの場所に来る資格なんてなくて。いや、例え招待状を貰っていたとしても、顔を出すなんて出来なくて。
  ついつい、ここまで来てしまったけれど、それ以上近づけなくて翔は諦めた。

 今日は櫂の結婚式。
  彼らの門出を祝うかの様に晴れ渡った空が翔にはほんの少し恨めしかった。
「櫂」
  空を見上げて名前を呼んだ。
『何?』
  何処か物憂げで、面倒くさそうに、でも優しい眼差しと声音でそう答えてくれる事はもう二度とないかも知れないけれど。
  それでも。
「…櫂…」
  ゴメンとも、幸せになってとも、言葉にする事が出来なくて、ただ、名前を呼んだ。
「櫂…」
  何度も、何度も。

 

 

 ウィンフィールドでの黒い翼との戦いの中。
  二度と離れないと約束した。ずっと櫂の側にいると。凪の替わりに守っていくと。
  なのに、翔はその約束を破ってしまった。

 何度も体を重ねて。
『もう、後戻りは出来ないよ』
  そう言う櫂に後悔はないと頷いて見せたけれど。
  幾つもの夜を一緒に過ごして。
  幸せだったけれども。

「幾ら兄弟だからと言って、君に櫂の人生を狂わせる資格はないだろう」

 嫌悪感を隠しもせず、言い放たれた言葉。
  あんたに言われたくない、と思った。
  小さい頃の櫂をあんな風に苦しめた。孤独にして、哀しい思いをさせた。
  そんなあんたに櫂の事で言われたくないと。
  でも、櫂は只の櫂じゃない。
  御園生櫂。御園生コンツェルンの頭領。多くの社員の生活をその背に背負っている。何も背負うべきもののない自分なんかとは違う。
  だから、そう言われて何も言えなくて。
  櫂が。
  見合いをさせられるのを黙ってみていた。

「翔。止めてくれないの?」

 そう聞いてきた櫂に翔は泣きそうな顔をして首を振ることしかできなかった。
  嫌だよ。本当は嫌なんだ。凄く、本当に、暴れ出したい位に嫌なんだ。

 でも。

 心配で心配で見に行った見合いの席。
  落ち着いた雰囲気の見合い相手はとても綺麗な女性で、櫂と並ぶとお似合いだった。

 櫂が彼女の事を翔にポツリ、ポツリと話してくれた。
  頭のいい女性だと。物静かで、たおやかで、優しくて。でも、芯の強くていい人だよ、と。

 櫂の眼差しの奥に何かを見つけた気がして、翔は泣きたくなったけれども笑って見せた。
  それは憧憬と言うものだったのか。恋慕と言うものだったのか、翔にはハッキリとは分からない。
  ただ、一緒に生まれ、元は一つで一緒にいるのが当たり前だから…と求め合っていた自分達の間にはない何かがそこにあった事だけは気付いてしまった。

『櫂の人生を狂わせる』

 櫂の養父の言葉が何度も翔の頭の中を巡った。

 ああ、そうだね。

 俺は櫂の兄さんなんだから。何よりも櫂の幸せが第一で。それだけが一番の望みで。櫂が望むのならば、なんだって叶えてやりたくて。
  櫂の事が好きだったけれど。愛していたけれど。それ以上に兄として”弟としての櫂”を忘れる事なんて出来なかったんだ。

 好きだけれど。

 お前の幸せが一番だから。

 そう、櫂が望むのなら。

「櫂。俺、ウィンフィールドへ行こうと思うんだ」
「翔?」
「だから…約束守れなくてゴメン」
「何言ってるんだよ?」
  戸惑う様な櫂に準備していた言葉を継げて。
「他に好きな人、出来たから……さ。ごめん、な」
「翔?!」
  驚愕に青ざめた櫂の顔をジッと見つめた。
  嘘、だよ。本当は櫂が好きなんだから。
「家も、出るよ」
  唖然としたまま、ピクリとも動かない櫂に翔は笑いかけた。
  泣き顔になっていなければいいと思った。ちゃんと笑えていればいいと思った。
  好きだよ。
  言葉に出来ない思いに櫂の顔を胸に刻みつけて、背を向けた。
「翔っ!」
  呼び止める櫂の言葉に一旦足を止めたけれど翔は振り向かなかった。
  ドアの取っ手に手をやって。
「さよなら」
  それだけを告げて櫂と別れた。

 

 

 人の気配が強くなったと思ったら、教会から人々が出て来始めた。
  もう結婚式自体は終わってしまったのだろう。
  見つかる訳にはいかない、と翔は物陰に隠れた。
  人々の祝福する喜びの声。
  コンツェルンの総帥である御園生家の結婚式としては信じられない程のこじんまりとした式。
  きっと披露宴は大変な事になるのだろうが、その分、式だけは内輪だけで行う事にしたらしかった。
  遠巻きにそっと覗き込めば、杏里に来栖、紫苑、そして瀬那の姿があった。
  彼らも複雑な心境なのだろうが、今は心からの笑顔を向けている。

 再び教会の扉が開いて。

 出てきた新郎新婦。

「…ああ…」

 言葉もなく翔は目を瞑った。
  幸せそうに櫂は笑っていた。隣で腕を組んでいる女性に微笑みかけて、微笑み返されて。

 とても。幸せそうで。

 今がどれ程苦しくても、きっとこの選択は間違っていなかったんだとそう思えた。
「櫂」
  一つ名前を呼んで。
「……」
  おめでとう、とまだ口にする事が出来なくて唇を噛み締めた。

 と、ふと背後を振り向いた瀬那と視線が合った。
「あっ」
  翔に気付くと、酷く苦しげな表情を瀬那は浮かべた。でも、その青い瞳は優しくて。今の翔を包み込む程優しくて。
  目を反らせなくなって。

 涙が零れた。

 その後、瀬那が視線を逸らしてしまったから翔は俯いてその場に佇んだ。
「瀬那の、馬鹿」
  思わず呟いた。
  哀しい心があんな優しい眼差しを向けられたら縋り付きたくなってしまう。
  甘えてしまう。そんなんじゃ駄目なのに。瀬那を傷つけてしまうから。
「馬鹿…なのは俺、か…」
「本当ですね」
「え?」
  唐突に答えが返ってきて驚いた。
  目を上げれば、眼前に暖かい眼差しの瀬那が立っていた。
「な、んで…」
「抜けてきました。この後の披露宴等には参加するつもりはありませんでしたし」
「で、でもっ!」
  櫂への挨拶とか、久しぶりに再開した仲間達との話だって色々あるだろうに。
  折角瀬那もこの櫂の結婚式の為に日本に戻ってきたと言うのに。
「いいんですよ。もう挨拶はちゃんと済ませてきましたから。それよりも翔、久しぶりですね」
  そう言って瀬那は笑った。
  まるで何もないかの様に。
  ウィンフィールドから戻ってきてから姿を消していた瀬那。
  それ以来なのだから、会うのは確かに数年ぶりだ。
「う、うん…」
  どう答えて良いものか分からなくて曖昧に頷けば。
「立ち話もなんですから、何処か店にでも行きませんか?」
  そう言われて、そのまま翔は教会に背を向けた。
  隣に立つ男をチラリと翔は見上げて。
  懐かしいあの頃のままの瀬那にちょっと嬉しくなって笑った。

 彼は優しい。

 相変わらず、自分の事なんて省みないで人の事ばかりで。

 優しい。

 その優しさに縋り付く様に翔は瀬那の後を付いていった。

 

@04.05.04>04.05.09/

 

古いのに、完全新作…って、どうなんでしょう?
今更需要ないじゃんっとか思うだに、乾いた笑いが浮かびますが、なぜか唐突にUP。
04年ですよ。えー…うっ…8年前…。ガクリ。
書いたら直ぐに出そうよ、旬のうちに。ねぇ?

すみません〜〜〜〜〜っ