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『CrossRoad』





 ―――漆黒の



 闇が落ちた―――





 全てが終わった。

 だから。

 咄嗟に体が動いた。それは頭で考えたのではなく、まるで脊髄反射の様に自然な事だった。

 駆けつけて。

 受け止めたそれは軽いのか重いのか分からなかった。

 どちらでもあり、どちらでもない様な気がした。

 その不思議な感触をぎゅっと抱きしめた。

 もう二度とこの手を離さない。

 離れない。

 ずっと…側にいる事が出来るのだから。

 全てから解放されたのだから。

 その愛おしき音を溜息とも囁きともとれない弱々しさで紡ぐ。

「…ユーリ…」

 触れ合うのは一体何時以来だろうか?

 最後に会ったのは…。

 あれは…それ程前ではなかった。





 吹き付ける風が強くてコンラートは少しばかり目を細めた。

 その地はコンラートにとって余り好きな場所ではなかった。いや、ハッキリ言えば嫌いな場所だった。

 かつてもっとも愛する者が戦い、そのまま命を散らした場所だったから。

 そして、この地に来るのは二度目の事だった。

 かつて、ジュリアの訃報を聞いた時に一度。たった一度だけ来た。

 今も網膜に焼き付いている殺伐とした戦場の光景など、今の眼前の景色の中には一つとして残っていない。

 あれから二十年近く。とっくに復興された町並みは穏やかなものだ。

 それでも、この地こそがジュリアの命を啜ったのだと思えば、無性に狂おしい気持ちになった。

 フッと背後に気配を感じ取り、腰の剣に手を当てつつコンラートは振り返った。

 最早、この地…いや、真魔国ではコンラートは薄汚い裏切り者に過ぎない。

「ウェラー卿」

 その淡々とした声音にピクリと動いた指先はきっと呼びかけた相手には気づかれなかったに違いない。

「ユーリ…」

 思わず相手に聞こえない程小さく呟いた。

 かつてはコンラッドと呼ばれていた自分がウェラー卿などとよそよそしく呼ばれるのも、また、自分が陛下と呼ぶ事を禁じられた事も自ら選んだ道とは言え、酷く寂しかった。

『コンラッド』

『なんですか陛下?』

『陛下って言うな、名付け親っ』

『済みません。それで?』

『あのな…』

 過去の何度も繰り返した会話が甦る。

 ちょっと拗ねた様に、甘えた様に、他の誰にも見せる事のない表情を見せてくれるのが好きだった。

 苦笑して謝れば、笑ってくれるのも大好きだった。

 内緒話でもするように。悪戯を持ちかける様に。他の誰に対してよりも素のままで話しかけてくれる瞬間が大切だった。

 だから、分かっていて何度もわざと陛下と呼んだ。

 懐かしい……日々。

「一体こんな所に呼び出して何の用ですか?幾ら真魔国とはいえ、あなたが一人で来るなんて」

 恐らくは護衛としてヨザックが一緒だと思いこんでいた。一人で出歩くなどと危険だというのに。

 そんなヨザックへの文句やユーリへの心配を口に出せるはずもなく、過去と現在との違いに、思いの外冷たい固い声が出た。

 失敗したと思った時には既にユーリは苦しげに目を細めて、唇を噛み締めていた。

 ユーリにコンラートを攻める資格はあれど、決してコンラートにユーリを攻める様な資格はないと言うのに。

「その…ごめん。こんな所に呼び出して。でも、来てくれないかと思っていたから…ありがとう…」

 それでも、ほんの少し表情を緩ませてそう告げたユーリにコンラートは心の中で呟いていた。

 あなたが感謝することはない。

 あなたが呼ぶのに。

 それにこたえないで居られるはずがないじゃないですか。

 我が、魔王……陛下。

 そしてたった一人の………。

 いつもの仮面の下に隠した本音は決して相手に伝わる事はない。

「いえ…あなたも元気そうで良かった……」

「そっか。敵情視察…か……」

 風に吹き消される程小さな声。

 通常なら聞き取れないだろうそれをコンラートはしっかりと拾い上げ、愕然とした。

 違うと言いたかった。真実ユーリの事が気になっていたから零した、仮面の裏に隠した本音だった。だが、それをユーリは決戦前に敵の大将がどんな様子なのかを見に来たのだと思ったのだ。

 一体いつから?

 真っ直ぐだったユーリがこんな風になってしまったのは。

 ユーリは悲しそうにしつつも、自嘲的な笑みを浮かべていた。

「            」

 今度こそ風に掻き消された言葉は唇の動きで分かってしまった。

 ―――そんな風に思っちゃうなんて最低だな。

 ぎゅっと唇を噛み締めた。

 ユーリにそんな表情をさせたくはなかったのに。そもそも傷付けたくもなかったのに。どうして自分が選んだ道は全てがこうなのかと、叫びたくなった。

 自分の真実全てを隠して、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべている自分が何よりも汚らわしく、情けなく思えた。

 乾いた風が吹き付けて、ユーリが手を顔の前にかざした。

 コンラートは一歩前に進み出て、自らを壁にしようとして、諦めた。

 ユーリの漆黒の目がその必要はないと拒絶していたから。

 そして、彼は真っ直ぐな黒い瞳を逸らすことなくコンラートを見つめてきた。

 真摯な眼差しだった。

「最後にここでウェラー卿に会っておきたかったんだ」

 最後に、と言う一言に酷く傷ついた自分にコンラートは笑いたくなった。

 それはユーリがコンラートに会うのはこれで最後と決めていると言う事。もう二度と会う事はないと。会うならばそれは敵と。

 いや、既にユーリにとって自分は敵なのだろう。

 最後の決戦は間近だ。

 人間と魔族。そして、この世界の命運を掛けた全ての最後の歯車が回る。

 そして、終わる。

 全てが。

 その時。

 例え自分が生きていなくても構わなかった。

 死んでいようが、片腕無かろうが、足が無かろうが、何であろうが、彼さえ生きて、笑っていてくれればそれで良かった。

 その為だけに裏切りの汚名を濯ぐ事もなくここまでやって来た。

 この腕も、胸も、命も、魂さえも全てはたった一人の愛しき人の為にのみ存在していたから。

 側にいる事が出来なくても。

 遠くからでも守り続ける事がコンラートの選んだ道だった。

 一度交わり離れた道。

 もう二度と交わる事はないのかも知れない。

 再び笑いあい、穏やかな時間を過ごす事など無いのかも知れない。

 それでも。

 それを承知で飛び出した。

 ―――許して下さい。

 その言葉だけを囁いて。

 胸に去来する思いは何という言葉で表現すればいいのだろうか。

 寂しい?悲しい?苦しい?

 そのどれでもあって、どれでもないように思えた。真実言い表す様な言葉が見つけられない。

 絶望。慟哭。執着。憎悪。

「ここで、私に、ですか?」

 確認するように告げれば。

「うん。きっとここが一番いいって思ったんだ」

 そう言って見上げてくる漆黒の瞳は昔と何ら変わりがない。

 透き通った何もかもを見通しているような吸い込まれそうな瞳。

 でも、その眼差しは冷たく、コンラートを拒絶していて、切なさに叫び出したくなる。

 しかし、それもきっと己が犯した罪の罰なのだろうと自嘲した。

「これ…は」

 ユーリが差し出した手に、ついコンラートも手を出してしまっていた。

 そのまま渡されてしまったそれを見つめて、コンラートは目を見開いた。

 それはかつてコンラートがお守り代わりにとユーリに捧げた魔石。昔ジュリアが持っていたそれ。

 何処か違和感を感じるそれを見つめてコンラートは眉を潜めた。取り敢えずそれをユーリに返そうとして、断られた。

「あなたのものでしょう?俺が持っていても何の役にも立たない」

「違う。俺のじゃない、よ。それに役に立たないなんて事ない」

 首を振って否定するユーリは何処か儚げで、強い風が吹けば今にも姿が消えてしまいそうだった。

 触れて、その温もりを確かめたかった。

 強く、強く抱きしめて、確かにここにいるのだと実感したかった。

 だが、指一本たりとも動かす事は出来なかった。

 ―――俺のじゃない、よ。

 ユーリの声が頭の中で木霊する。

 かつて捧げた忠誠心すらも拒絶すると言うのですか?

「ですがっ…」

「気づかない?」

 慌てて言い募ろうとしたコンラートの言葉をユーリは遮った。

 問いかけられてコンラートは首を傾げた。

 青い魔石を見つめて。

 先程感じた違和感の正体を知った。

 ライオンズブルーに輝いていた筈のそれは、白っぽくなりスカイブルーへと変わっていた。

「どうして?」

「きっとその石はウェラー卿を…ううん…コンラートを守ってくれるはずだ。この後の戦いでは何があるか分からない。きっとジュリアもそれを望んでる」

 だから色が変わったとでも言うのだろうか?

 裏切ったはずの男に守り石をくれると言うのか?

 そして、久しぶりにユーリの声でコンラートと呼ばれた響きに心が震えた。

 でも、真実は違う。

 本当はコンラートではなく。いつもの様に。前の様に。

 呼んで欲しかった。

 …ユーリ…。

「あんたならその魔石をジュリアを愛したコンラートに渡してくれるだろ?」

「!」

 その言葉の意味する所に。

 愕然として言葉も出ない。

 かつてユーリの側にいた男の名はウェラー卿コンラート。ユーリがコンラッドと呼んでいた。

 では、今、ウィラー卿と呼ばる自分は一体?

 ジュリアを愛したコンラート。人間に味方するウェラー卿。そしてユーリの名付け親のコンラッド。

『お前は俺の知っているコンラッドじゃない。知らない…同じ名前の男でしかない』

 そう…告げられたも同然で。

 だからと言って文句が言える立場でもない。

 グッと握りしめた掌に爪が食い込む。

 じわり、と広がる痛みが辛うじて理性を、正気を保たせてくれていた。

「その石にはジュリアが宿ってるんだよ。だから色が違う。前にアーダルベルトが言ってた。白味が無くなってすっかりお前の色だって。だから白っぽくなったって事は、きっとそうなんだよ」

「そんな馬鹿な…」

 ジュリアの魂はユーリの魂だ。同一のものだ。宿るも何もない。そんな筈がない。

「別にウェラー卿が信じなくても良いんだ。俺がそう思ってるだけ。だから、コンラートに渡して欲しいんだ」

 ヒョウ、と風が吹いた。

 ふわりと風になびいた黒髪がその漆黒の瞳を一瞬隠した。

 ドキリと心臓がなった。

 まるで、彼が泣いているように見えた。

「それから…」

 これ以上何を言い出す気なのか…とあまりの衝撃に鈍くなった頭で口に出すべき言葉を探しているうちに、今度こそ絶句した。

「あなたに会えて幸せだった。ありがとう」

 無言の時が暫し流れる。

 一体なんの冗談なんだろうかと思う。

 何でそんな言葉をユーリが自分に言ったりするのだろう、と。

 何を考えているのだろう、と。

 訳の分からない不安の様なものがジワリと滲み出てくる。

「ジュリア、だよ」

「な、にを言って…」

 常に他人に心情を読ませないコンラートだったが、流石にこれには表情を変えないではいられなかった。

「前に。暴走しちゃう時女の人の声が聞こえるって…言っただろ。だから、さっきのは彼女の…言葉だよ。ジュリアからコンラートへの」

 抑える事の出来ない動揺にコンラートはギリッと奥歯を噛み締めた。

 ユーリを見つめる瞳は何処か険しさと鋭さを増し、睨み付けるようになってしまう。

 …ユーリ。

「この魔石にはジュリアが宿ってる。きっと彼女が守ってくれる。それに、彼女もコンラートの側に居たがってるだろうから。俺…この石を渡して、この言葉を託したかったんだ。無理に呼び出したりしてごめん。でも、だからこそ来てくれて、嬉しかった」

 淡々と語っているユーリが視線を逸らして、遠くを見つめる。

「ウェラー卿だって好きだった人の形見は持っていたいと思うだろ」

 違う。持っていたいとは思わない。

 既に、自分にとって一番大切な存在は目の前の少年だ。決してジュリアではない。今でも彼女の事は好きだけれど。

 それ以上に大切なのはあなた。

 だから、ユーリの形見などいらない。持ちたくない。

 そんなもの存在させたくもない。

 あなたは生きるのだから、形見など必要ない。

 守ると言うのならば誰よりも守りたい存在はユーリだ。何に縋ってでも守りたい。自分が守り石など持っていても意味がない。

 ―――これは、あなたが持っていてください。

 告げたかった言葉は音として発せられることなくコンラートの胸の中で木霊の様に響いて重く沈んだ。 

「それから、さ。後一つだけ。俺の事なんてどうでも良いんだろうけど……最後に………」

 そう言ってユーリが口ごもる。

 弱々しい風情に愛おしさが溢れそうになる。

 言わないで、どうでもいいなんて。最後に、だなんて。あなたの事が何よりも一番大切なのだから。

「俺…」

 風が吹く。

 ユーリが身に纏っている黒い服が揺れる。

 黒髪が揺れる。

 この世界で尊い…愛しい、黒。

 その漆黒の瞳が再びコンラートを見つめる。それはかつての様に暖かくて信頼に満ちていて、コンラートの胸に突き刺さった。

「俺も、さ。コンラッドに会えて良かったよ。嬉しかったし、幸せだと思う」

 ぎゅっと、心臓を鷲掴みにされたように軋んだ。

 かつてと同じ様にユーリの唇から発せられたコンラッドと言う音。他の誰が口にするよりも何よりも心に響く。愛おしく。狂おしく。体が熱く痺れた様になり、頭は何も考えられなくなってしまう。

 ユーリ…。

「俺が生まれる前。魂の時からずっと俺を守ってくれていた。遠く離れてもずっと俺の事を待っていてくれた。コンラッドにとっては別にどうでも良いんだろうけど、嫌われているとか、憎まれてるとか、裏切られたとか。そんな事関係なく、俺にとってこの世界でコンラッドは父親で兄貴で親友で唯一の野球仲間で、何よりも大切な…」

 今までで一番強い風が吹いた。

 風の吹きすさぶ荒々しい音が耳元で渦を巻き、頬を嬲る。

 ゴウッと聞こえた強風の余りの音に僅かながら心が怯えた。

 不思議だった。もっともっと地獄そのものだった戦場を駆けてきた。生き抜いてきた。そんな怒号や阿鼻叫喚の中に比べたらなんて事ないはずなのに、風がコンラートの心をも揺さぶり、風に強く揺れる木々のざわめきに共鳴しているかの様だった。

 そんな奇妙な瞬間、心の時が止まっていた。

 愚かにも、一瞬意識を飛ばしていたのかも知れない。単に呆然としていただけかも知れない。

 真っ白になったコンラートの目の前で静かに音もなくユーリの口元だけが小さく言葉を形作っていた。

 だが、次の瞬間、風に巻き上げられた砂埃だろうか。目に走った痛みに瞼を閉じてしまった。

 暗闇に染まった視界の中で、ユーリの声はコンラートに聞こえなかった。

 その僅かな瞬間にそれは永遠に失われてしまった。

 何?今なんて?なんて言ったんです?

 お願いですから、もう一度言ってください!

 そう言い募る事が出来たならどれ程幸福だっただろうか。

 いや、聞かない方がいいのかも知れない。

 コンラートは、無言でユーリを見つめたが、溢れる想いだけはきっと隠しようもなく目に宿っていたに違いなかった。

 ユーリ。

「幸せになって欲しいって思う。人間側で生きる事になろうと、敵になろうと、今度こそ幸せになって欲しい。だから……」

 儚げな笑みを浮かべたユーリにコンラートは首を振る事しか出来ない。

 そんな風に笑って欲しい訳じゃない。

 かつて自分が直ぐ側にいた頃の元気いっぱいで明るくて弾ける様な笑顔が見たい。

 自分の幸福などどうでも良い。

 幸福であって欲しいのは彼だ。

 戦場で命を落としたジュリアの分もユーリには幸せになって欲しい。

 そもそも、ユーリの側以外に自分の幸福などありはしない。

 ユーリッ…。

「その石はあんたが持っててよ。ジュリアと俺の願いが籠もってるんだからさ」

 儚げな風情でそんな風に言われて、どうしてこの魔石を即座に突き返す事が出来ただろう。

 返さなければいけないと分かっているのに、瞬間遅れた。

 そして、その戸惑いが全てだった。

「渡して、その石を。伝えて、あの言葉を」

 ユーリッ!

「嫌だったら捨てて良いから」

 捨てられるはずがない。

 あなたがくれるものならそこいらの石ですら。

 捨てたりはしない。

「伝えて…」

「ユーリ!」

 咄嗟に手を差し出した。

 だが、風もないのにユーリの姿はかき消えた。

 まるで煙か何かであったかのように、触れれば、ふわりと小さな粒子となって消えた。

「ユーリッッッ!!」

 あの後どれ程、叫ぼうとも彼が姿を現す事はなかった。

 どれ程手を伸ばしても。

 空を掴むばかりで決して求めた温もりを得る事はなかった。

 手に入れたのは、胸に大きな穴が空いた様な喪失感だけだった。





 今、その求めたはずの温もりを腕に、コンラートは安堵に吐息を吐くのではなく、絶望に息を詰めた。

「陛下…?」

 もうユーリを陛下と呼ぶ事を禁じるものはなにもない。

 どれ程呼んでもいい。

 それを禁じる事が出来るのはただ一人だけ。

『陛下って言うな。名付け親』

 懐かしい響き。

「陛下…目を…開けて。ねぇ、言ってくださいよ。陛下って言うなって。名付け親って、あなたの声で」

 指先に触れる黒髪はサラリとして柔らかく、指の間をすり抜けていく。

 頬に付いた黒いものは恐らくは血が乾いたものだろう。何度か軽く擦ったが取れなくてコンラートは眉根を寄せた。

 擦っているのに、暖かくないのは何故なんだろう?

「こんなのあなたには似合いませんよ。いつもの様に元気に起きあがって」

 抱き留めた少年の体はやけに重くて。

「ねぇ……」

 ―――冷たい。

 蒼白な頬に手を当てて、これ以上温もりが逃げないようにきつく抱きしめる。

「陛下。陛下。陛下…ユーリっっ!!」

 求めていたのは。

 願ったのは。

 焦がれたのは。

 たった一人の笑顔。幸福。

 なのに、何故それすらも叶わないのだろう。

 なぜ、あの温もりは喪われているのだろう。

 あの時。魔石を返したユーリはこの事を。今の状況を予想していたんだろうか。だから最後にと呼び出したのだろうか?会いに来てくれたんだろうか?

 だから、この魔石と共にあんな言葉をくれたんだろうか?

 それならば。

 いらなかった、のに。

『馬鹿なんだから』

 声が聞こえて、コンラートは目を見開いた。

 胸元が酷く熱く、視線を落とせばあの時ユーリから返された魔石が輝いていた。

 私を”解放”したりするから。

 懐かしいジュリアの言葉をコンラートはなんの感慨もなく聞いていた。

 何もかもが色褪せていた。色は失われ、音はただの音でしかない。

 色も音もなく、感情すらもなかった。それは、前にも一度味わった事のある絶望と苦悩だった。そして、あの時よりもより一層深かった。

 今度こそ守ると誓ったのに。

 今度こそこんな思いをしたくないと願ったのに。

『コンラートもコンラートよ。全くもう。いつも選択を間違えるんだから。でも、それがあなたらしい…のかしらね』

 怒っている、悲しんでいる、哀れんでいる、そんな声。

 でも、コンラートにはただの意味のない音として聞こえるそれ。

『もう一度初めから、やり直しなさい。チャンスをあげるから。さっさと誤解を解いちゃいなさい。きっとみんな力を貸してくれるから。敬愛する真王陛下の為に。可愛らしい少年魔王の為に。苦しんだあなたの為に』

 意味も分からずコンラートはただ亡骸を抱きしめ続けていた。

 その瞬間、カッと真白く魔石が輝くと周囲を白く染め上げた。





 コンラートは白く染まった視界の中で、多くの気配と強大な魔力。幾つもの優しさを感じた。そして、腕の中の温もりを感じた。

 つい先程までは確かに喪われた筈のそれ。

 確かに感じる重さ。そして温もり。





 今度こそ間違えない。

 二度とこの手を離したりしない。

 大切なのは、愛しいのはあなただけだと。



 逃げることなく伝えよう。



 何度生まれ変わっても、何度巡り会っても、きっと同じ様に想うだろう。

 再び重なった道。

 二度と違えぬように。

 ジュリア。あなたがくれたこの奇蹟を無駄にしたりはしないから。

 だから、ユーリ。

 信じて下さい。

 愛しているのは―――。



 シャンンン……。

 幾重にも響く硝子の割れる様な音が響いて、コンラートの胸元で光を発していた魔石は役目を終えたとばかりに砕け散った。

 その欠片は陽射しに煌めいて、ユーリを腕に抱きしめたコンラートを僅かな間、彩って消えていった。



@2004.04.16>04.04.18/04.04.28/04.07.19/