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「何時までも降り続ける」


 ひゅう、と冷たい風が吹き、大神は一つ息を吐いた。

 全てのものが動かない。生命活動を確実に停止し、この世界において異質なる存在であるそれは灰のように風に吹き飛ばされて消えた。

「やっと…終わった、か…」

「その様だな」

 背後から答えたのは馴染みのある声だった。その声の方を振り向けば、相手は少しばかり疲れた表情で明るく笑っていた。

「加山っ大丈夫か!?」

「…お前こそ大丈夫か?」

 咳き込むように大神が問いかければ、ほんの僅かな間をおいてから苦笑を浮かべて問い返した加山に大神は訝しんだ。

「ああ、俺は大丈夫だ。降魔と呼べない程小さい奴だったからな。それよりっ…」

「そうか」

 大神の言葉を遮るように強い、だが静かな口調でそう言って加山は目を細めるとホッとしたような表情を一瞬見せた。

「全く酷い目にあった」

「……本当にな」

 どうにも逸らそうとする加山に仕方がないなとそれ以上の追求を諦めた大神は頷いた。取り敢えずは穏やかに笑っている加山に一抹の不安を抱えながらも、納得するしかなかった。

 そうして二人はさっきまで降魔と呼ばれるものがそこに存在していた、今は何もない場所を見つめた。



 年末。帝國歌劇団もまた、大掃除やら新年の準備に追われていた。そして一年が終わり、新しい年が始まる。遠く除夜の鐘を聞きながら、大神と加山は二人で神社に詣でる事にした。

 近場の小さな神社だった。米田司令に許可を得て帝劇を出た。参詣も終わり、寒いからと少しばかり夜店で買った酒を飲んでほろ酔い気分。

 冷たい風の中でも、これからの帝都の平和を思い、二人は満更でもない気分でそぞろ歩いていた。二人共今回は帝國軍人としての初詣だった。

 最初に誘ったのは加山だった。

「なぁ、大神ぃ。初詣に行こう!!」

「……また唐突な奴だな」

 急に窓から訪ねてきて開口一番がこれなのだから大神にそう言われても仕方がなかった。とは言え、加山も自分の任務が時間や季節柄を考慮される様なものでない事を知っていた。事前に大神と約束をすると言うのは出来ない事であり、断られる事はある程度覚悟を決めていた。それでも間に合い、誘う事が出来た。それだけでも加山は嬉しいと思っていた。

「まぁ、まぁ、まぁ、まぁ!良いじゃないかー大神ぃ〜〜〜♪♪」

 とは言え、押しの強いのも加山と言う男の特徴であり、いつものパターンだと思いながらも、結局押し切られる様にして大神は出かける事になったのだった。

「大神と初詣に行くのは久しぶりだなぁ〜」

「学生の時以来だものな」

「なぁ、以前は軍人になる事を夢見ながら初詣に行った。そして今は軍人だ。ならば…」

「…帝国海軍軍人として、か?」

 加山の次の言葉を大神は楽しそうに奪って見せたのだった。

 だからこそ花組の乙女達には内緒に出てきたのだった。そんな理由から二人は海軍の白い軍服を身につけ、上にコートを羽織っていた。

「んー…流石に寒いなぁ〜」

「ああ、そうだな。そろそろ雪でも降るかもな」

 天を見上げながらそんな事を大神が言えば加山はフルッと一度体を震わせた。

「相変わらず寒いのが苦手なんだな、お前」

「そ、そんな事はないぞ!」

「…震えてるぞ?」

「……」

 大神が示した加山の指先は少しだけ震えていた。言葉に詰まった加山に大神は朗らかな笑みを浮かべて見せた。こんなにも寒さが苦手な癖に任務となれば平然としてみせるこの男が大神には誇らしかった。誰よりも。そうきっと誰よりも信頼出来た。

「降るかな、雪?」

「ああ、この空は…降りそうだ」

 白みを帯びている空は決して夜明けの予兆ではない。既に丑三つ時を過ぎているとは言えまだ早すぎる。雪雲故に星も月も太陽もないのにうっすらと明るくなっていたのだ。

「そう言えば、お前寒いの嫌いなのに雪は好きだったよな」

「だぁあって雪って綺麗じゃないか〜♪」

「そりゃそうだけど………」

 と、その時急に二人は今までの穏やかな表情を一瞬にして厳しいものへと変化させた。それは直ぐ側に近づいてくる妖気を感じ取ったからだった。

 暫くして二人が見たのは二匹の降魔だった。一体何処から湧いて出て来たものか。降魔と呼ぶには小さいものの、確かにこの世界の生態系からはみ出した降魔そのものだった。

「大神ぃ〜…せぇ〜〜〜〜〜っかくお参りもしてきて、この帝都の平和を祈ってきたばかりのこの俺たちが一体何をしたと言うんだぁ〜?」

「泣き言を言うなよ。一般人ではなく、俺たちの前に出てきてくれたんだから良しとするべきだろう?」

「そんな事を言ってもだな〜心の準備というものがあるだろう??」

「一体何の準備だよ、何の」

 くすくすと笑いながらもスラリと持っていた剣を抜き放つ大神に加山も懐から拳銃を取り出す。

「やー…幾ら俺が格好良くてモテるからって言っても、俺にも選択の自由というものがだな〜」

「安心しろ。あいつらもお前と同じ事を言うだろうから」

「ひ、酷いなぁん大神ぃ…それが親友への言葉かぁ〜?」

「はいはい……」

「……」

 殊更軽い口調にお喋り。沈黙。

 そしてひゅるり、と風が吹いた。

「行く…」

「おうっ」

 剣を構えて降魔へと突き進む大神の背後から援護射撃をする為に加山も身構えた。

 まさに今の今まで巫山戯た言動をしていた二人とは思えない程の変わり身。そして、一切の打ち合わせも何も無いと言うのにお互いがお互いの動きを読みあったかのような連係プレイだった。その甲斐あってか、まだ小さく弱い事もあり、その降魔達はあっさりと大神の一刀のもとに倒された。

 最後に、その降魔が大神へと吐きかけた溶解液と言う置き土産を除けば………。

 咄嗟に身構えて剣を構えた大神だが、それで全てを防げる筈もなかった。一瞬覚悟を決めた大神の目の前に現れたのは親友の姿。ザッと音を立てて、大神の目の前で咄嗟に脱いだ自分のコートを防御壁代わりにして溶解液を防いだ。

 加山だからこそ一瞬で出来た事であった。その一瞬のタイミングを読み、それを高速で実行に移す身体能力は常人にはなかなか持ちあわせ得ない。当然焼け焦げる様にして溶けていくコートから咄嗟に飛び離れるのも加山なればこそ、だった。

 その直後大神の剣が振り下ろされ、霊力を伴った一刀は最後の足掻きを見せていた降魔を粉砕して見せたのだった。



「とんでもない初詣になったな」

 降魔の姿の消えたその場所から視線を引きはがし、そう言って加山に近づいた大神は地面に座り込んだまま動こうとしない加山の常にない動きに眉を潜めた。その加山から少し離れた所に燃え滓の様に落ちていたコートがカサリ、と崩れて大神の不安を煽った。

「おい、加山お前やっぱり…」

「……少しばかり…な」

「馬鹿っ!」

 大神は事を察すると顔色を変えた。さっと加山に近づき顔を覗き込んだ。少し顔色が悪い。大神は心配げに言葉を紡いだ。

「歩けるか?」

「ああ、勿論だ」

「さっきの溶解液…か?」

「ああ、少しだし、大丈夫かと思ったんだがなぁ…」

 大神に情けない姿を見せたくはなかったのになぁ〜と内心嘆息し、ポリポリと頭をかいた加山を大神はじろっと睨み付けた。

「少し、じゃないだろ!早く言えよっ!!意地を張っている場合じゃない事ぐらい、十分に分かっている癖に!降魔の傷は普通のものとは異なるんだぞっっ!!」

 先程、ちゃんと最後まで追求しておくべきだったと大神は歯がみしたい気持ちだった。その気持ちそのままに荒々しく加山を叱り飛ばした。

 実際加山は既に一人では歩く事も出来ない状態に陥っていた。降魔の溶解液は肉体を損傷するだけでなく、その内部にまで及び、精神・魂・霊力といった無形のものにまで影響を与えるからだ。霊力の強い者程それへの抵抗力も強いのだが、花組ではない加山にそれ程の抗力はない。とは言え、現在加山がこうやって普通に話していられるもの一重に加山の霊力と、精神が強靱であるが故だった。

「分かってるって」

 そう言うと申し訳なさそうに護符のようなものを取り出した加山に大神は眉をしかめた。不思議そうな顔をする大神に加山は答えた。

「簡易的に傷口を浄化する事が出来るんだ」

「そんなものがあるのか?」

「ああ、夢組から配給されているんだ」

「なるほど」

 それは場合によっては生身のまま直接敵と接触し、戦闘をする事もある月組にのみ配布されている特殊なものだった。とは言え大神にそれを告げるつもりは加山には無かった。

「で、どうするんだ?傷は脚だろう?」

「え?」

「俺がやるよ」

「大神ぃ〜♪」

 ガキッ☆

「真面目にしろよっ、時間が無いんだからっ!」

 護符を使用するにしても霊力の高い者が使用すればそれだけ効果は上がる。そんな事を大神が知っているのかどうかなんて加山にも分からない。ただ、花組隊長である大神の事である。一切の知識が無いわけでないのだし、それくらいは察したのかも知れなかった。

 自分の為に、と思えば嬉しくなって相好を崩した加山は、浄化を急がなければ命に関わると大神にバコッと頭を叩かれたのだった。

「ほら、急いで帝劇に戻るぞ。ちゃんと本格的な治療をしないといけないし」

「ああ、そうだな」

 お茶らける加山を無視するようにしてさっさと護符を使用した大神は傷口にハンカチを包帯代わりに巻き付けると、そう言って加山に肩を貸すと立ち上がり歩き出した。

「ありがとうな」

「馬鹿…俺の方こそ……ごめん」

 一緒に歩き出して暫くすると感謝の意を示した加山に大神は小さく呟いた。

 今だって加山が一人で歩けない程にダメージを受けたのは最後に大神が一瞬見せた隙のせいだ。倒したと油断したその時降魔の攻撃があり、加山が庇って怪我をしたのだから大神が責任を感じるのも当然だった。だと言うのに加山は一切大神を責める様な素振りを見せない。それが胸に痛く、苦しく、申し訳なかった。

「謝るなよ。多少怪我したって、なんだってこうやってお互いが無事なんだから。それにお前が助けてくれている、それで十分」

「加山……」

 そんないい加減な事で良い筈がない、と大神の目は不満げだった。実際軍に属するものとして、幾ら突然の襲撃であろうと、酒に酔っていようと、あんな初歩的なミスは致命的と言えた。

「人間誰だって完璧じゃないさ。それにそうじゃなければ俺がいる意味が無くなってしまうからな。俺は花組のみなさんじゃないんだし……」

 花組をサポートするのが月組の仕事。特に加山は同期であり親友でもある大神と共に戦う現状に満足していた。大神を補佐し、守り、共に戦う。これ以上の望みはなかった。

 大神は泣きそうになった。常に部下を守る為の指揮を執っている大神に対し、同じ隊長職でもあり、同期でもあり、親友でもある加山だからこそ言える言葉が最後にあったからだ。まるで付け加えたかの様に言われたそれ。だが、加山の胸には最初からあったに違いなかった。加山が怪我を隠したのも、きっと自分のせいで怪我をさせたと負担にならない様に、最初から気遣ってくれていたに違いなかった。

 そんな加山に甘えて良いものか、と思う反面、そう言われてしまえばこれ以上食い下がる事が出来なかった。それでは加山の気持ちを踏み躙るに等しい。

「ありがとう」

 小さく呟いた言葉は何に大してだったのか。庇ってくれた事にか。守ってくれた事にか。支えてくれている事にか。

「こちらこそ」

 そう小さく告げた加山の言葉に大神は視線をあげた。加山と目があって二人共、フッと笑った。

 と、二人の間に白いものがフワリと舞い降りた。

「雪、か……」

「う〜ん流石大神。あたったなぁ〜。綺麗だが…しかーしっ寒いぞぉ!!」

「お前の場合コートがない上に、怪我して熱が出てるからだろっ!これでも着てろよっ」

 素っ気なく大神は、今更ながらに加山がコートを着ていない事に気付いて、自分のコートを脱ぐと加山に着せようとした。だがそれを加山はやんわりと拒んだ。

「それじゃーお前が風邪ひいちまう。どうせ俺はこの後速攻医療ポッド行きだ。風邪引こうと一向に構わんし」

「そう言う問題かっ馬鹿っっ」

 チラチラと粉雪が降り始めた深夜。静かな町並みの中を騒ぎながら二人して歩く。

「じゃぁ、これでいい」

 ニカッと笑った加山に大神は嘆息を付いた。

「はぁ…これじゃ、意味が無いじゃないか……」

 肩を貸している大神と肩を借りている加山。その二人の背中に一つのコートが掛けられていて、片方の端を加山が、反対側を大神が掴んでいる、そんな現状に。いい分けないじゃないか、と内心思いながら大神はしょうがないな、と苦笑を浮かべた。

 なんだかんだと言って学生の時分からどうにも大神は加山に甘い所があった。当然本人は無自覚ながら、ではあったが。そんな大神に加山はこれまた学生の頃の様に笑っていた。最近よく見る隠密として作っている笑顔とは違う懐かしい笑みだ。その笑顔に大神は抗う術など持っていなかった。

「結構帝劇までまだあるんだぞ。知らないからな」

「大丈夫、大丈夫〜……」

 絶対こいつは今熱があってまともな判断も出来ていないに違いない、と大神は胡散くさげに加山を見遣った。言葉に反して、その口調には力が無く、顔色は先程より更に悪い。白いと言っても良いような顔色なのに、頬だけが赤い。全くこんな時くらい弱音を吐いたって良いのに、と大神は思う。でも、これは十分甘えて貰っているのだと何処か気付いてもいて、面映ゆく感じてもいた。

「相変わらず頑固だよな、お前は」

「え〜?俺は素直だぞぉ〜〜…」

「はいはい」

「なんだ、大神ぃ。その如何にも相手にしてませんって言うそれは。酷いぞ、大神ぃい…」

「はいはい。怪我人は黙ってろ」

「う〜……」

 そのまま静かになった加山を見れば、どうやらそろそろ気合いだけでは如何ともしがたく、意識が朦朧となってきたらしかった。

 加山が大人しくなった今、動けなくなる前に出来るだけ距離を稼がなければ、と大神は足を速めた。

 引きずられるようにして歩く加山は文句も言わない。きっと鍛えられた体が条件反射の様に動いているだけで、何がなんだか分かっていないに違いなかった。加山の現状が熱故のものであると信じて大神は前を向いた。

 白い雪がふわりふわりと降り注ぐ。

 真っ暗な筈の夜空は月も出ていないのにうっすらと白く見える。どことなく明るく見せる町並みを見渡して、いい加減夜明けが近いのかも知れないと思いつつ、肩の重みに大神は帰路を急いだ。

「大神ぃ…」

「…何だ?」

 名前を呼ぶものの、問いかければ返事のない加山に大神は首を傾げる。

「寝言か」

 既に眠った状態の加山。それであってもちゃんと『歩いて』いる事実が大神には驚嘆を通り越し呆れる程だった。

 実際、月組隊長として鍛えられた加山ならばどんなに怪我をしようと、熱を出そうとこの様な状態になる事はまずない。現状の加山を月組の隊員達が見れば驚いたに違いなかった。それもこれも、側にいるのが他ならぬ大神だから。海軍兵学校の頃より信頼してきた大神の側だから。だが、その事に大神本人が気付いているかどうかは定かではなかった。

「大神ぃ……」

「はいはい」

「んー…俺は満足だぞぉー……」

「……新年早々こんな怪我して、何が満足なんだか…」

 素っ気なく加山のうわ言に答えていた大神はその後に続いた小さな加山の呟きを聞き止めて目を見開いた。そして目を伏せて俯いた。その大神の表情は何処か満ち足りた嬉しそうなものだった。

「…ああ、そうだな。俺も、同じだ。俺も嬉しい、よ……」

 ―――だからこそこんなミスは二度としない。そう、お前に誓うよ。

 胸で決意をして大神はその眼差しに力強い光を秘めて、雪が僅かに積もり始めた夜道を急いだ。

 帝劇はもう直ぐ側だ。

 早く帰ろう。俺たちの家に。戻るべき場所に。そして明日も…これからも一緒に戦っていこう。なぁ、親友………。

 大神の胸に加山の言葉が暖かく降り積もっていた。まるで白い雪の様に。誰にも踏まれていない新雪。美しい白い輝きを放つそれ。その雪は決して溶けることなく、踏まれる事もなく、何時までも降り続けるに違いなかった。

 お互いの胸に。

 ―――お前と一緒に戦う事が出来て俺は満足だ。嬉しいと思う。お前は違うのか?




おまけ〜後日談〜

「隊長。さっさとこれらを処理してください」

 ドサッと目の前に置かれた書類の山に加山は表面上余裕の表情を保って見せたが、内心冷や汗を垂らしていた。医療ポッドから復帰して数分…と言う状況下、何故こんな事になるんだ?と少しばかり切なかった加山だった。

「隊長がずっとずっとずっっっっと書類処理をして下さらないので溜まっておりました。さぁ…」

「いや〜…これからほら。俺も行かないといけない所があるし」

「司令の所であればこの処理後で大丈夫です」

「ほ、ほら…先日の調査の件で…」

「既に手配済みであり、それらの報告もこの書類の山の中です」

「……心配掛けただろうから大神の所にも顔を出さないとっ!」

 一生懸命、書類処理から逃れようと言い募る加山に副隊長の山海(やまみ)は淡々と切り返した。彼は常にクールで何事があっても滅多に表情を変えないので月組でも有名だった。その山海がニッと口元を歪めたのを見て、加山はゾクリと背筋を駆け上った悪寒に嫌な予感を感じていた。

「その大神隊長ですが……」

 既に逃げ腰の加山は視線が彷徨い、脱走経路を模索していた。そんな加山を無視するかの様に山海は話し続けた。

「先日の加山隊長の怪我についてです。確かに医療ポッドに行く程でしたが、私たちには理解出来ません」

「な、何を……」

「隊長であれば意識を失う事は無かった筈です。違いますか?」

「うっ……一応あれでも朦朧とはしていたんだが……」

「と言う事で」

「……………」

 とてもとても不本意で、何が『と言う事で』なんだと文句を言いたいが言えない加山は黙っているしかなかった。既に椅子に力無く座っている所に山海に言われる事は予測済みと言う所か。

「大神隊長と”仲良くしたくて嘘を吐いた事”を黙っていてあげますので、処理しなさい」

「……………………………………………分かった」

 普段無表情な奴がにっこりと菩薩も斯くやと言う微笑みを浮かべているだけで十分加山にとって驚異だった。と言うか、純粋に怖かった。あげく最後は命令口調だ。勿論菩薩の微笑みのままで、だったが。断れる人間がいるものならお目に掛かってみたかった。

 ガクリ、と項垂れて書類に手を伸ばし始めた加山に山海は止めとばかりに告げた。

「私も仕事がありますのでこれで失礼しますが、この処理が終わっていなかった時は……ご承知ですね?私は結構お喋りですので。では」

 お前がお喋りだったら世の中の人間全てがお喋り以上の分類に仕分けなくちゃならなくなるじゃないか!と突っ込みたいのを目だけ笑っていない山海に言える筈もなく加山は黙って見送った。そして残った書類の山を見て一つ溜息を吐いた。

 結局書類処理が終わった時には既に日付が変わっていたとか。憔悴した風情の加山に対して、とても順風満帆な一年の出発を迎えられた月組だった。



@03.01.02>03.01.04/03.02.10/