『花と酒と月と』
春も麗らかなとある日。
今日は帝劇も休館日である。未だに良く頼まれる事務の手伝いもこれと言ってなく、花組の面々の問答無用な頼まれ事も特になく、大神にとって久々の穏やかな一日だった。
だが、最近の大神は悩み事が多かった。米田から帝劇を引き継いだのは良いが、やはり大神はまだまだ若い。米田とは違って甘く見られがちである。帝國華撃団総司令としての賢人機関との折衝等は大神にとって試練と言っても良かった。
「ほんと、いい天気だよなぁ………あ〜あ、何やってるんだろうなぁ、俺」
窓から見上げる空は何処までも澄み渡っていて鮮やかな青空だった。
現在の大神の心とは正反対。
「なんだか部屋の中でジッとしているのが勿体ないな」
パーッと何か憂さ晴らしでもしたい気分。
「なんだ。それならそうと早く言ってくれれば良かったのにぃ。水くさいぞ、大神ぃ〜♪」
「か、加山ぁ?!」
誰もいないと思っていた大神は突然の明るい声に驚いた。
加山の姿を探せば、ガタン、と天井から小さな音がしたかと思うと、外れた天井板の間から笑みを浮かべた加山がヒョイと顔を出した。
どうやら今回は天井裏に潜んでいたらしい。
「よぉ〜大神♪お前からのデートのお誘いだなんて俺は嬉しいぞ〜♪♪」
「誰が誘ったか、誰が!」
はぁ、と大神は小さく溜息を吐いた。
幾ら加山が隠密部隊月組の隊長であるとは言え、加山の気配を自分は掴めないのだと考何度も突きつけられると武人としての尊厳が傷つくというものだ。
だが、さっきまでの何処までもめり込んでいきそうな重苦しさは消えていた。
「まぁ〜気にするな、気にするな!考えすぎるとハゲになるぞ〜」
大神の本音に気付いているのか気付いていないのか、加山はそう言うとサッと部屋の中へ降り立った。
「で。今日はまた随分と唐突な登場だったが、何か用なのか?」
「何か用なのか?じゃないだろー!今出掛けよう、と誘ってくれたじゃないかぁ〜」
「だからど・こ・が・だ。誘ってなんか居ないぞ」
「桜もそろそろ終わってしまいそうだし天気もいい。と言う事で上野公園に行こう!」
「はぁ?」
「ほらほら。大神ぃ…兵は神速を以て尊ぶ!善は急げ!だっ♪」
「や…なんか違うだろ」
「はいはいはいはいはいっっ」
なんだかんだと言っているうちに大神は加山に引きずられる様に上野公園へと拉致られる事になった。
上野公園では桜が殆ど散りかけていた。大分新芽が出てきているのか淡い緑色が日差しを受けて輝き、僅かに残った桜の花と抜ける様な青空とのコントラストが目に鮮やかだった。
「ああ、いい天気だなぁ。桜も綺麗だしっ」
「まぁ散りかけているけどな」
自分も散ってしまいそうだ、と内心呟きつつ告げた悲観的な大神に加山は飄々と言った。
「何を言うんだ大神。桜は散り際が最高に儚くて綺麗なんだ。そして何度でも咲き誇るんだ」
生と死。破壊と再生。炎の中から何度でも蘇る朱雀の様に。散ったとてそれが最後ではない。また新しく始まる何かがある。
「…そうだな」
弱音を吐くには早すぎる。
ひらひらと。散りゆく桜の花びらを二人して見上げる。
上野公園のベンチの上。二人並んで腰を下ろしていた。
つい先日大久保長安との戦闘が夢か幻でもあったのではないかと思える程穏やかで平和な時間。
「花と言えばやっぱり月に酒、だと思わないか?」
「それは花じゃなくて花見の間違いだろ」
大神は徐に聞いてきた加山につっこんだ。
「いいや。花に酒だ!桜の花見じゃないっ!…いや、桜でも良いんだがここはやっぱり“花”でないとなぁ」
やけに拘る。何を考えて居るんだか。
「と言う事で酒だ、酒!」
何処から取り出したのか日本酒をドンッと置いて加山は笑った。
「…米田し…米田さんじゃあるまいし、真っ昼間から何考えてるんだ?そもそも、お前それ何処に持っていたんだ?」
先日米田は司令職を退いた。ついつい今までの癖で大神は支配人とか司令とかつけてしまう。
「はははは。企業秘密だ♪まぁ、堅い事言わずに休日くらい良いじゃないか」
「……相変わらずだなぁ…」
「ついでに御猪口もあるぞっ♪」
脱帽。
トクトクと注がれていく日本酒を見つめる。
花に酒。確かにその通りだ。美しい花を愛でつつ呑む酒は美味い。
大神はクイッと一口飲んだ。
「美味いっ」
「そうだろ、そうだろ〜♪大神総司令の為に俺の秘蔵品を持ってきたんだからなぁ〜ん」
「秘蔵品…ってもしかして帝劇のやつか?!お前のじゃないだろうがっ」
「ふふん。内緒だぞ」
「内緒も何もお前……」
「既にお前も共犯だからな♪」
後できっとばれてかすみ君に怒られるに違いないと思いつつも、ご機嫌な加山の楽しそうな表情に釣られて大神も笑った。
「しょうがない奴だなぁ」
まぁ、偶にはこんなのも良いのかも知れない。そう思う事にした。
「所でやっぱり花に酒もそうだけど、どちらかというと月に酒の方がしっくり来ないか?まぁ、今は昼間だし、月は出ていないけどさ」
「ん〜〜それもそうだが、花に一番似合うのは月で、月に一番似合うのは花なんだよ」
「?」
含み笑いをする加山に大神は眉を潜めた。
「それに月は何時だってある」
「何処に?」
晴れ渡った青空を見渡す大神には月は見つけられない。
「何時だって花を見守る月がここにいるからな」
ちょっと真剣で低い通りのいい声が大神に囁かれた。
「…………」
加山の台詞に動きの止また大神の視線がゆっくりと地上に戻ってきた。そして目の前の男をマジマジと見つめた。
「なんだなんだ、惚れ直したかぁ〜♪」
………月って。
…月って。
花って。
「プッッ」
思わず大神は吹き出した。
「あは。あはっ。あははははっ」
そのまま止まらず声を上げて笑った。
「お、おいっ大神?」
キョトンとした加山に大神は少し涙目になった。
「おまっ…ば、馬鹿っ☆」
「ひ、酷いなぁ〜」
シクシクと泣き真似をする加山に大神はまた笑った。
「なんか加山にそんな台詞、似合わないっっ」
「?!メチャクチャ酷いぞ、大神ぃ!」
「あははははっ」
楽しそうな笑い声が、四月の爽やかな風に乗った。
長い事笑い続ける大神を見つめる加山の眼差しは暖かく嬉しそうなものだった。
「もうっそんなに笑うと月子ぐれちゃうからっ」
「へ?」
まるで薔薇組を彷彿とさせる仕草の加山に大神の笑いが一瞬にして止まった。
「なんだ、それ?」
また突然に変な事を言い出す奴だ。ああ、これだから加山と言う男は分からない。真面目になれば実に優秀なのに、常日頃の言動が余りにも突拍子なくて掴めない。
「月の子だから月子。花の子だから花子」
前半は自分を指さしながら、後半は大神を指さしながら加山は言った。その目が実に楽しそうだ。
ま〜た馬鹿な事を言い始めた。
でも、呆れながらも憎めない。
トクトクと酒が注がれていく。
この花と酒が似合う桜舞い散る風雅な場に、なんと相応しくない男だろう。
「クッ…クククククッ…」
堪えようと思っても抑える事が出来ずに御猪口を持つ大神の手が揺れた。
ゆらゆらと注がれた酒が揺れる。
少しばかり誤魔化す様にへへへと笑っているのはそもそもの発言者だ。ほんの僅かだが頬も赤い。そんな照れる位なら最初からこんな変な事を言わなければいいのに、と思う。
笑いのせいで揺れる御猪口を加山の持つ御猪口とコツンと付き合わせてから一気に飲み干した。
そうして加山と視線があって二人して笑いあった。
ああ、楽しい。
穏やかで平和で。煩わしい事を忘れて、学生みたいに馬鹿な事をやっているこんな時間。
「ああ、美味い」
「だろ?花に月が揃っているからな。酒も美味い♪」
「あはは。そうだなっ」
酒がではない。この際酒の質など余り関係ない。花と月が揃えば酒なんて大した問題ではない。
クスクスクスと笑い合う。
ガサガサガサッ。
ちょっと離れた所の木が揺れた。
よくよく見ればそこに隠れる様にしているのは帝國歌劇団のスター神宮司さくらと李紅蘭の二人。どうやら帝劇を出ていく大神を見つけて後をつけてきた様だった。
「なー何を話してはるんやろな?」
「もうちょっと近づかないとわからないわね。でも……」
「うん。凄く…大神はん楽しそうやわ」
最近の大神が少し落ち込んでいる様でみんな心配していた。でも、あんな大神の笑顔を見る事が出来てちょっとホッとした二人だった。だが、ならばこそ何を話しているのかも気になる。
女の目から見ても大神と加山の二人の友情は篤く思える。
戦場でお互いの背中を預けあえる。眼差し一つでお互いの意志を伝えあえる。何かあってもお互いの領分をしっかりと把握し、相手の事を信じあえる。
そんな関係が羨ましいと思えた。
自分もあんな風に大神に思って貰えたなら、と。
「これ以上近づくと加山さんには分かっちゃうわね」
「かまへん、かまへんっ!行こ行こっ」
「あっ待って紅蘭っ」
ちょこちょこっと近づいた二人の少し前方に大神と加山の後ろ姿がある。
「あっ」
「んー?」
大神があげた小さな声に加山は鷹揚に視線だけを向けてきた。
「ほら」
そう言って大神は加山に自分の持つ御猪口を見せた。
酒の入っている御猪口。その酒の上に一枚の桜の花びらが浮いている。
「贈り物だ。お前に花子ちゃんからの」
何かを言おうとした加山を遮って、珍しく悪戯っ子の笑みを浮かべた大神は自分の御猪口を加山に渡した。
この楽しい時間をくれた加山にお礼にもならないだろうが。
「風流だねぇ…流石花子ちゃんっ♪」
常にない大神の言動に嬉しそうな笑みを浮かべた加山はその桜の花びらごと一息に呑んだ。
「そうそう。お礼に月子ちゃんからの伝言を伝えてあげよう」
「伝言?」
また何を言い始めるやら。
呆れながらも何処かで期待もしている。
「月子ちゃんはお前の事が好きなんだと」
「お、おまっ何っこんな所でっ!馬鹿な事を言うなっっ」
突然の加山の言葉に大神は真っ赤になった。
ああ、ああ。やっぱりこいつは変な奴だ。なんて事をこんな公の場で言い始めるやら!
キョロキョロと辺りをつい見渡した。公園を散歩している家族とか、幸せそうにしている恋人達とか、元気に走り回っている子供達とか。大勢の人達がいるそんな空間。だが、誰も自分達二人の事なんて気にもしていないし、気付いても居ない。
大勢の人に紛れているにも拘わらず、自分達だけがそこに存在している様な不思議な感覚。
大神はホッと胸をなで下ろした。
どうやら少し離れた所にある二つの馴染みのある気配に気付く事はなかったようだ。
「照れるな、照れるな♪」
ニヤニヤと笑う加山は楽しそうに大神を見つめている。チビリと酒を呑む目が大神に催促している。
何を、なんて事は分かり切っている。
ああ、もう。この男と来たらっ!
「で、花子ちゃんはどうなんだ?」
待ちきれずに直接聞いてきた。
「……」
「大神ぃ〜?」
ニヤニヤ。
嫌な奴だ。本当に嫌な奴だ。こんな確信犯嫌いだ。
でも…。
「花子ちゃんはお前の事が好きなんだってさっ」
やけっぱちの様に呟いて大神はフイッと顔を加山から逸らした。
耳まで赤くなっていて、逸らしている意味は余りなかったが。
「俺も好きだぞ、花子ちゃんの事。両思いだなんて俺は幸せだなぁ〜んv」
「……ばか……」
ポソッと呟いた大神の小さな声は加山にだけは届いた様だった。
ガサガサガサッ。
ちょっと離れた所に隠れていた二人組。
ムスッとしたまま顔を見合わせた。
「…月子ちゃんって誰でしょう?」
「帝劇にそないな名前の子おったかいな?」
ムムムム。
「………」
「………」
加山に両思いの恋人が居るのは驚きであったが、今は取り敢えずそれ以上に大神の方が問題だ。
気に入らない。
月子なんて人物、二人は全然思い当たらない。
加山が大神に伝言するような間柄の上、その伝言を聞いた大神の反応が満更でもなさそうで。
既にライバルは多数。今でさえ大変だと言うのにこの期に及んで新たな人物の登場だ。
キリキリキリキリ、と目がつり上がる二人だった。
夕方帝劇に戻ってきたほろ酔い加減の大神はやけに機嫌の悪いさくらと紅蘭に首を傾げた。
問答無用で睨まれている。
「俺何かしたのかな?後で話しでもしてみよう」
「やめておいた方がいいと思うぞ」
口を挟んだのは当然一緒に帰宅した加山だ。
「なんで?」
「きっと月子さんて誰ですか、って聞かれるからさ」
「!!!お、お前っ!!」
言葉もなく加山を睨む大神に加山は唇の端を上げる様な不敵な笑みを浮かべた。
「ま。偶には俺としても自己主張させて貰わないとな。こっちも色々と大変なんだ」
大神を巡るライバルは数多い。
「な、何が『色々と大変なんだ』だ!俺の方がこの後大変じゃないかーっっ!!」
ポムポムと慰める様に加山がすっかり酔いの吹っ飛んだ大神の肩を叩いた。
「まぁ、まぁ。月は何時だって花を見守っているからさ」
「ば…かやろうっっ!そんなんで誤魔化されるかーっっ!!!」
「あはは。後でまた酒でも呑もうな、大神ぃ〜♪」
穏やかな大神の休日は終わりを告げていた。
何一つ変わらない日々。騒がしく大変で苦労ばかりで。
でも。
愛しい日々。
お前が側にいてくれるのだから。
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