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『雪の季節に…』


携帯がその振動で静かに着信を伝える。
「はい・・・」
着信に鳴瀧の名前が表示されていた。
「龍麻か。今何処にいる?確か先日、日本に戻ってきていたはずだな?少し・・・会いたいんだが何とかならないかな?」
「・・・そうですね。明日なら大丈夫ですよ。」
「そうか・・・では明日・・・時間は一日あけておく。済まないが拳武館まで来てくれないか。」
「分かりました。ソレでは明日お伺いしますよ。」
「・・・頼む・・・では、明日・・・」
そう言ってきれた携帯を龍麻はしばし見つめる。

日本に帰ってきていた。また雪の降り積もる季節だ。後もう少しすれば再び桜の咲く頃となるだろう。
冷たい風が吹き付ける中、拳武館へと赴いた。久しぶりに来た学校に・・・かつての思い出が鮮やかに蘇る。
クッと目を細めて校門で立ち止まる。
周囲を見渡せば授業中で生徒の姿も見えない。在るとすれば、校庭で体育の授業だろうか。グランドを走っている位だ。
そのまま足を踏み入れて館長室へと足を進める。
扉をノックすれば中から穏やかな声が聞こえてきた。
「龍麻か?・・・入ってくれ・・・」
言われるまま扉を開ければ椅子から立ち上がってこちらに近づいてくる鳴瀧と目があった。
そのまま手でソファーを示されて静かにそこに座る。
「突然済まなかった・・・」
「いえ・・・ソレより・・・一体何ですか?」
電話で済ませられない用事・・・自分にとっては紅葉に関することしかない。だが・・・鳴瀧にとっては違うかもしれない。緊張を隠すように静かに問いかける。
「・・・私は・・・結局君に何もしてやれなかった。ここ数年は壬生の奴は私を避けていて、直接連絡を取ることもしてこない。あれから・・・もう10年になるのだな・・・・・・」
鳴瀧は苦しげにその目を閉じて天上を見上げる。
「・・・・・・・・・・」
「ふっ。済まない。一番苦しい想いをしているのは君だというのに・・・愚痴を言ったな。そんな私から君にしてやれる最後のプレゼントだ。」
苦笑を浮かべて真っ直ぐに龍麻を見つめてくる。
「鳴瀧さん・・・?一体・・・・・・」
相手の真意が分からず首を傾げる。
「君に・・・チャンスを・・・いや。もしかしたらコレは壬生にとってのチャンスなのかもしれん。・・・・・・・・・・・私は・・・引退することにした。」
「・・・・・・引退?・・・チャンスって・・・」
「私は拳武館館長の座を降り、中国へ行こうと思う。玄麻に・・・会いに。」
「父さんに・・・」
「それにあたって・・・次期館長候補であった壬生は日本に召還されることになる。」
「・・・え・・・・・・そ、ソレは!!!」
驚きに目を見開く。
「最終的に館長の地位を継ぐにあたって日本に戻らざるを得ないからだ。また・・・館長は常に"拳武館"を背負い、海外の仕事もこなすことはあるにしろ、基本的には日本にいることが原則となっている。」
「・・・・・・そ、それじゃ・・・・」
言葉が震える。
「そうだ。壬生は日本に戻らざるを得ないはずだ。来月には・・・きっと戻ってくるだろう。」
「来月・・・」
まるでオウムのように相手の言葉を繰り返すばかりで、頭が言うことをきかない。
静かに涙を零す龍麻に鳴瀧は静かに言葉を紡ぐ。
「遅くなって済まなかった・・・」
その台詞にハッとなる。
確かにそろそろ後継者との世代交代の時期とはいえ、鳴瀧は元々若くして館長に就任していることもあり、まだ現役は辛くとも、"館長"としての管理者能力は衰えていない。
まだ・・・世代交代には少し早いぐらいだろう。
実際鳴瀧の引退には組織内でのかなりの反発があったのも事実だった。
「鳴瀧さん・・・まさか・・・俺のために?」
驚きに表情をゆがめる龍麻に鳴瀧は微笑んで言う。
「いや。君の為じゃない。自分の為だ。いい加減・・・自分のために生きても良いだろう?かつて・・・若い頃、そう、玄麻と共に生きていた頃。あの頃は玄麻と共に生きることは出来なかった。勿論コレはコレで自分の選んだ生き方だ。後悔はない。でも、誰かのため、何かのため、というそんな理由もなしに、自分のために生きても・・・もう許されるだろう?」
穏やかに言葉を紡ぐ鳴瀧は嘘を言っているわけではない。だが・・・龍麻のためにその引退が早くなったのは事実だ。ソレを隠すように、龍麻に負担とならぬように・・・
鳴瀧の思いを感じて龍麻は頭を下げた。
「有り難う御座います・・・」
「私が引退するその情報を君に流した・・・館長としてはあるまじき行為だが・・・まぁ、ソレが君へのプレゼントだ。」
「有り難う・・・御座います・・・・・・」
頬を伝う涙を隠すように頭を深く下げて、沢山の意味を込めて感謝する。
貴方がいてくれて良かったと。父親のように自分を見つめ続けてくれていた。どこか心の拠り所のように支えられていた。最後の最後まで自分の、自分達のことを考えてくれていた。
感謝しても仕切れない想いに只ひたすら頭を下げる事しかできなかった。
本当に・・・俺達二人にとってこの人は"父親"だったと・・・溢れる想いで鳴瀧を見つめた。

・*・*・*・*・

「壬生・・・」
「・・・・・・」
チラリと塔屋の方を向いて壬生は黙ったままだ。
「・・・鳴瀧館長が引退されるそうだ・・・・・・」
「!・・・どういうことだ?まだ・・・館長が引退されるには早いだろう!」
「理由なんて知らない。分かるわけないだろーが。でも・・・事実だ。さっき鳴瀧館長本人から聞いた。それで・・・次の館長として壬生・・・お前は日本に戻らなきゃならないってよ。」
「日本へ・・・」
「不思議と俺も一緒だがね・・・」
「・・・・・・」
そんな塔屋の言葉を聞いているのか聞いていないのか壬生は何の反応も見せない。驚きに混乱した頭でグルグルと考えているのは"日本に帰らなければならない"と言うこと。
日本へ・・・みんなのいる日本。彼のいる・・・日本へ東京へ帰るというのか!!
黙ったまま何時にない動揺を表に出している壬生を塔屋は静かに見つめていた。
「壬生・・・お前は来週にも此処を出て日本へ帰るんだ。飛行機などの手配は全て手配済みだそうだ。仕事は・・・後は俺が片づけておく。終わり次第俺も日本へ行って合流することになる。」
「・・・塔屋・・・」
「長かったな・・・いや、短かったか?お前と海外でずっと仕事をしていた。苦労したし、かなりやばかったこともある。でもなかなかに楽しい生活だったぜ?」
意外そうな表情をする壬生に塔屋はニヤリと笑った。
「本当にお前ってば堅くってさ。からかうと面白いし。結構命がけだけどな。」
「・・・・・・」
軽く睨み付けてくる壬生に真剣な眼差しになって告げる。
「色々あったな。」
「・・・そうだな。」
二人静かに目を閉じる。殺伐とした仕事の上だけの関係。それだけでしかないはずなのに・・・
何時の間にだろうか?このお堅くて、どこか放っておけない壬生に何時しか友情のようなモノを感じる様になっていたのは。
此奴のためだから、自らの危険を冒してまで仕事をこなしても構わない・・・そう思うようになったのは。
忠誠?友情?それとも保護欲?
誰の手も、助けも必要としない・・・そんな風で在りながらどこか儚げな風情の壬生を何とかしたいと思っていた。
こんなにも変わってしまった自分に少し苦笑して、きっとこのまま一生此奴の面倒を見ていくんだろうなぁーなんて相変わらず暢気なことを考えていた。
「ほら。さっさと準備しろよ。俺も色々と手配をしなきゃ行けないしな。じゃ、ちょっと出掛けてくるから。」
「気を付けて行け。無理をするなよ・・・」
わかってるてっ!そう軽く告げて部屋を出ていった塔屋の後ろ姿を見つめる。
いつの間にか自分の心の中で大きな存在になっている・・・そう感じた。
愛情ではない。友情とも違う気がする。やはり戦友・・・コレが一番近いのかもしれない。何があっても信じられる存在。自分の命すら預けることが出来る・・・そんな感じだろうか。
龍麻以外にこんな存在が出来るとは思ってもいなかった壬生は少し驚く。
この生活ももう終わりだと思えば・・・どこか寂しく感じられたからである。
窓の外の青空を見上げる。
日本は今頃冬か・・・龍麻・・・君のいる日本へ帰る。僕は・・・どうしたら良いんだろうね。
もう、どうすることも出来ないのが分かっていながら心は揺れ動く。
龍麻に逢えたら・・・と。
許して貰えるはずがないのに。自分から、果たされることのない約束をして。黙って彼の前から姿を消した。今更どんな顔をして彼に会えるというのか?
逢えない・・・
分かっていながら"日本"と言う言葉を聞くだけでも、心は龍麻へと飛んでいく。
どうしようもないのにな・・・
自嘲的な笑みを浮かべて視線を落とす。
壬生はそのまま自室に戻ると日本への帰国の準備を始めた。

・*・*・*・*・

日本に戻ってきて・・・鳴瀧館長とは電話で軽く話をした。
館長は何か言いたげな風だったが、何も言わずにそのまま電話を切った。
懐かしい・・・
やはり日本に帰ってきて・・・その雰囲気・・・気配が何とも心を落ち着かせる。やはり自分は日本人なのだと、妙に実感できたりする。
日本に着いた自分の元に迎えに来たのはまだ中学生になるぐらいの少年だった。
自分が初めて鳴瀧館長と出会った頃と同じくらいだろうか。妙に緊張した感じの、だが、どことなく自分と同じく陰のある少年だった。
何やら日本に戻ってきてから懐かしいことだらけのような気がして、苦笑した。
少年は天野龍夜と名乗った。そのまま自分を館長就任における色んな手配やら案内などの諸事を全てこなしていた。

全てが終わり・・・それでも、まだ自分は拳武館館長なのだという実感がわかない。
あれから鳴瀧館長とも会った。何か思うモノがあるのだろう。言いたげな瞳が何か悪戯っぽく光っていた。こんな館長は初めて見る・・・と壬生は思った。
「壬生・・・きちんと会うのは久しぶりだな。ふっ。これから大変だぞ?だが、君ならきちんとこなすことが出来る。・・・頑張れ・・・」
ぽんと肩に手を置かれて鳴瀧の方を見る。
最後の言葉が小さく呟かれて、どこか鳴瀧が楽しげなのを感じ取った。
「・・・っ」
疑問に想いながらも、そのまま何か言う前に背を向けて行ってしまった鳴瀧の後ろ姿に頭を下げる。
「壬生・・・」
呼ばれて振り向けばそこに塔屋がいた。
よっ!と軽く手を挙げて何時も通りの笑みを浮かべた塔屋に少し微笑む。
「なんとか・・・お前の就任式に間に合ったな。」
「今度はお前の番だろう?全く館長としての初仕事がお前の就任式出席とはな・・・」
「光栄だな。宜しく頼むぜ。」
そう言って塔屋の差し出した手に気づき自分も手を出して握手をする。

龍夜と一緒にホテルへ戻る。途中で塔屋は用があると言って姿を消した。
ホテルについて部屋でくつろいでいると色んな事を思い出す。
日本。彼のいる・・・
目を閉じて、かつての思い出を一つ一つ大切に思い浮かべる。
トントン・・・
扉を叩く音がする。
「どうぞ・・・」
龍夜だと思っていると、入ってきたのは塔屋だった。
「よっ」
「塔屋・・・どうしたんだ。用事はもう良いのか?」
「ああ・・・一応お前に言っておきたいことがあってね。」
「言っておきたいこと?何だ・・・」
手で自分の目の前のソファーを示してそこに座るように指示する。
さんきゅ。そう言って塔屋はソファーに座って徐に話し始める
「ほら。この数年俺達の周りをうろうろしてたあいつ・・・の事についてね・・・」
「・・・ああ・・・それで・・・?」
どこか心がそわそわとして落ち着かない。日本に戻ってきたせいか?それとも塔屋の何時にない楽しそうな気配のせいか?
「あいつと何度か接触してね。一度・・・命を助けられた。」
「・・・聞いてないな・・・」
「だから、言いたいことがあるって言っただろ?」
ふふん、と余裕たっぷりに笑う塔屋に壬生は軽く睨み付ける。
「それで・・・?」
「でだ。ホントは彼に伝言を頼まれていたんだ。」
「伝言?僕にか?」
「ああ。壬生紅葉、お前にだ。"絶対捕まえてやるから覚悟してろ"ってさ。」
「・・・・・・・・・・・・・??捕まえる?・・・敵か?」
「いいや・・・。緋勇龍麻って・・・・・・・・奴さ・・・・・・」
「!!!」
一瞬息が止まる・・・
何?何だって??いま・・・誰だと言った??
そんな・・・龍麻が?龍麻が自分を捜してくれていたのか?僕を??裏切ったはずの僕を?
彼が探しているのか?
ああ・・・裏切った僕に対する復讐か?
一番あり得る気がして・・・心が苦しくなる・・・

明らかに初めて見せる壬生の動揺っぷりにあきれながらも塔屋は静かに見つめていた。
「壬生・・・一応コレでもお前の片腕になる"副館長"何でね。悪いが、知っておかないと行けないことも多いから、鳴瀧前館長に話を聞いてきたのさ。」
「・・・・・・」
混乱したまま塔屋の話を聞いて壬生はどうすることも出来ず、只深々とソファーにその身を沈めた。
「じゃ、取りあえず、用は済んだし。俺は失礼するよ・・・」
そのまま自分の世界に浸っている壬生を置いて塔屋はその部屋を後にした。

・*・*・*・*・

「鳴瀧館長・・・お話しが在るんですが・・・」
「ん。塔屋か・・・もう、私は館長ではない。館長はいらん。・・・壬生とは上手くやっているようだな・・・」
「分かりました。鳴瀧さん・・・と呼ばせていただきます。壬生ですか?・・・苦労してますよ。」
「ははは。壬生も苦労してそうだな。」
「・・・実はお聞きしたいことがありまして・・・緋勇龍麻・・・彼についてです」
鳴瀧の目が少しばかり見開かれる。
「何故その名を?」
「ここ数年何度も彼の姿を自分達の周囲で見かけましてね・・・その内あっちの方からこっちに接触してきたんですよ。」
「そうか。壬生は知っているのか?」
「いいえ。不思議なことに彼、龍麻は壬生とは全然会えないらしいですね。もっぱら姿を見るのは俺だけでした。」
「相変わらず、かみ合ってないな・・・」
ふぅーっと深いため息を鳴瀧は吐きながら言った。
「彼は壬生を捜してました。一体・・・何でです?」
「・・・まぁ、その内・・・分かるだろうが・・・龍麻は少し特殊でね。彼は強かっただろう?」
「ええ・・・貴方に似た武道を修めていましたね。」
「高校の時彼に武道を教えたのは私だ。彼の父親が修めていた武道を・・・ね。まぁ、それだけではないがね・・・」
彼の強さは・・・と口の中で鳴瀧は呟いて塔屋目を細める。
「やはり・・・似ている・・と思っていたんです。」
鳴瀧は高校時代の龍麻や壬生についての話を大まかに話した。それに対して、塔屋は驚きに目を見開いて言葉も出ない。
鬼?龍脈?黄龍の器??
信じられない話を聞かされてすぐには納得できない。
「まぁ、おいおい、分かるだろう・・・側にいれば・・・な。」
「そ・・・れで・・・彼は、緋勇は何で壬生をあんなに追っかけてるんです?」
「・・・ソレこそ私の口から言うことではないな・・・すぐに・・・分かる。・・・・・・・言えるのは・・・彼は光、壬生は陰・・・魂の表裏の関係・・・他の誰とも違って強い絆が在る。」
「表裏の関係・・・絆・・・・・・ですか?」
「そうだ。かつて私と龍麻の父親・玄麻がそうであったように・・・」
「武道の・・・表と裏・・・」
「・・・・・・」
「もし・・・良ければ龍麻の連絡先を教えておこう。コレが彼の携帯の電話番号だ。」
メモをじっと見つめて塔屋はソレを受け取った。

・*・*・*・*・

・・・鳴瀧から受け取った龍麻の携帯の電話番号の書かれたメモを握りしめる。
何となくだが気づいていた。遠く離れて、その姿すらお互いに見ることがない癖に。どこかつながり深い二人の絆に。ソレと気づけばああ、そうかもな・・・と自然と納得できた。だから・・・

壬生・・・お前・・・・・・本当に不器用で・・・どうしようもないよな。
お前に・・・館長就任プレゼントだ。

壬生・・・頑張れよ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・end