『春が来ても…』
紅葉が俺を避けている・・・
そう気が付いたのはかなり経ってからだった・・・
春の始め
早春の桜の咲く中で約束をした・・・
『共にいると・・・』
でも―――
やけに浮かれきっていた自分が後で思い返せばなんと愚かなことかっ。
自分で自分をはっ倒してやりたくなる程に!!
彼と連絡が取れなくなったのはそれから暫くして・・・
最初は仕事のせいかと諦めた。
最初の数週間はずっと携帯を毎日睨んでいた。
何時でも受信できるように・・・受信できる場所ばかり選んで行動していた。
すぐ出れるように、何時だって身近に置いていた。
それでも、鳴ることがあっても、壬生紅葉の名前が表示されることは決してなかった・・・
いい加減行動に移したときにはもう既に遅かった。
鳴瀧さんに会いに行った。
彼は相変わらずで、海外へ出張していた。
連絡を取る。
連絡が付かない・・・
思わず使い物にならない携帯を握りしめてバキッと言う音と共に、慌てて新しい携帯を買いに出掛けた。
以前機種替えしてから10ヶ月以上経っていて良かったと本心から思った。
結局鳴瀧さんと連絡取れたときにはさらに数週間経っていた。
日本に戻ってきた鳴滝さんと会って話をする。
「・・・・・・壬生は・・・君に何も言っていないのか?」
「何のことです?」
訝しく思って眉根を寄せる。
「・・・・・・拳武の仕事は日本に限られたモノではない。分かるかい?」
「・・・・・・武道を教えて貰った後、貴方は海外に行っていましたね・・・・・・」
「・・・つまり・・・・・・そう言うことだ。」
「・・・・・・・・」
「本来海外での仕事はかなり難しく、日本で遂行するより実力が必要とされる。いつもは私が行っていたんだが・・・」
・・・何時も通りお前が行っていろよっっっ
思わず心の中で叫んだ龍麻に罪はないだろう・・・
「今回は・・・壬生からの希望でもあったし、何より・・・次期館長候補として彼は結果を求められている。どうしても・・・必要な事だった。」
「あいつ・・・館長に・・・なるんですか?」
「いずれ・・・このまま行けば・・・私としてはそうなって欲しいと思っている。」
「・・・・・・・・」
「しかし・・・・・・壬生に確認した時・・・龍麻。君には話してあると・・・そう言っていたが・・・」
「・・・聞いてないですよっっ」
龍麻はバキっと大きな音を立てて、目の前にあった高そうな机に拳をめり込ませていた。
結局現在壬生は海外にいて、戻ってくるのは何時になるか分からない・・・と言うことで・・・
しかも、海外。連絡はあまり取れないそうだ。
元々あまり携帯などをガンガン掛ける事の出来る仕事でないのは確かだ。
仕事中鳴っても困るだろうし、バイブにしても、その一瞬のスキで敵につけ込まれるなんてもってのほか。
なんと言っても紅葉が怪我するなんて嫌だし・・・
と言うことで、決まったときに連絡する事になっているのを護らざるを得ない。
次は何時・・・と決めて。
都合が悪ければ、向こうから連絡があるまで待つしかないらしい。
この春・・・壬生は唯一の肉親を失っていた。
もう、緊急の連絡を受ける事もない・・・
彼は・・・全てを・・・この日本に置いていったのか・・・?それとももう"何も残っていない"のか?
ムカムカした想いを胸にブツブツと紅葉への文句を言い続ける。
だからって・・・俺まで置いていくのかっ?
俺はお前にとって必要ないのか?
考えれば考えるほど・・・沈鬱に気分は沈み込んでいく。
結局その後鳴滝から「壬生と連絡取ったときに龍麻、君に連絡を入れるようにと言っておいた」と電話を貰ったが、一度として紅葉から電話が掛かってくる事はなかった―――
時が流れる――――
まるで流れが止まったかのような澱みをもたらしながら・・・
直接自分から連絡取れないのが一番きつかった。
かといって海外。
何処にいるのかも分からない。
すぐに移動することも多かった・・・それはきっと龍麻から逃げるための紅葉の行動。
紅葉を失って・・・全てが止まった。
最初に怒り、次に哀しみ・・・何時しか自分への怒りに煩悶した。
あの時・・・もっと紅葉の様子をしっかり見ておけばっ
あの時・・・もっと紅葉の気持ちを理解しておけばっ
浮かれあがって紅葉の本当の心を見えなくなっていた自分に唾棄する程に怒り・・・そして無になる―――
自暴自棄な生活。
怠惰で自堕落な生活。
それでも・・・紅葉は戻ってこない・・・あいつは戻らない・・・
酒を浴びる程飲み静かに涙した。
行きずりの女性と快楽のみの腐った生活。
何もかもが・・・狂っていた。
結局、体を壊した。
あれから・・・5回目の桜の花びらを病室から見上げる。
思い出されるのは・・・あの時の紅葉の幸せそうな微笑み。
初めて見せてくれた・・・本心からの・・・
コンコン・・・
扉がノックされる音に気が付きながらも無視する。
答える気力もない・・・
ガチャ・・・
そのまま誰かが入ってくる。
どうせ、医者か看護婦か・・・そしてかつての仲間達・・・
最近ではみんなも来ることが少なくなった・・・
いい加減見捨てられたのだろう・・・そう思いながらも、ソレすらもどうでも良いと・・・思っていた。
ツカツカツカ・・・
自分に近寄ってくるその足音よりも、やけに懐かしく暖かい・・・と言うには灼熱の如き熱さを持った氣に振り向く。
そこに佇むのは・・・5年前別れたきりの親友。
赤茶色の髪の毛はそのまま。・・・だが・・・変わった。
かつてとは比較にもならないほど清冽で大きな氣が・・・鍛えられ、以前より大分大人びた京一の体から発せられていた。
「きょ・・・京一・・・?」
「・・・・・・」
京一は変わり果てた龍麻の姿に一瞬目を見開く。
病的なほどに色白い肌。
かつて自分と同じかそれ以上に鍛え上げられた体はスッカリ酒と自堕落な生活に蝕まれ、まるで欠食児童か何かのように細い・・・
共に一年を戦い抜き、自分の背中を預けた相棒の姿とは思えなかった。
「・・・は・・・はは。あはははは。とうとう京一の幻まで見えるようになったのか?ククク。なのに・・・紅葉は来てくれない。幻でも、只の夢でも・・・あいつは俺の所には・・・来・・な・いっ・・・」
龍麻は自虐的な嗤いをして、そのまま静かに京一の姿を遠い眼差しで見つめる。
「・・・ひーちゃん・・・」
重い口を開く。
何とか声を出す。
どうしてこんな事になった?
これは誰だ?
信じられない現実を目の前にして京一は呆然とした。
京一の声を聞いて龍麻はビクリと体を震わせる。
「龍麻。何やってるんだよ。」
「・・・・・・京・・・一?」
龍麻の表情が驚きの表情に変わる。
「わかんねぇーのか?龍麻っ!しっかりしろよっっこんなの・・・違うだろ?何で・・・こんな所で・・・ボケーッとしてんだよ。」
「・・・まさか・・・本当に・・・京一か?」
「まだ分かんないのか?相棒である俺の氣も?ほらっ」
そう言って京一は龍麻の腕を掴む。
腕から流れ込む熱い氣・・・
まるで全てを焼き尽くすように熱い灼熱の・・・
不思議と体が熱くなる。
体に今まで濁り溜まっていた澱みのようなモノが少しづつまるで蒸発するかのように消えていく。
「あ・・・ああ・・・」
少しづつ・・・今まで常にあった霧が晴れるように頭がハッキリし始めた。
「ひーちゃん・・・分かるか?」
「・・・・・・あ・・ああ。ああ。ああ、分かる・・・よ。京一っ!」
今まで濁り光を失っていた龍麻の漆黒の瞳に光が宿る。
京一はニカリと笑う。
「ほれっっ!」
そう言うと京一は龍麻を引き寄せて胸に抱き締めた。
「思いっきり泣いちまえよ・・・」
なんだかんだと結局仲間の前では泣くことの出来なかった龍麻は初めて思い切り泣ける場所を手に入れた。
みんなの前で龍麻が弱音を漏らすことは無かった。
出来るのは・・・只一人の相棒だけだった。
「京一・・・」
そのまま龍麻は京一の胸に顔を埋めるようにして声を殺して泣き始めた。
5年経って今・・・初めて・・・思いの全てを吐き出すように泣き続けた。
「ひーちゃん・・・」
嗚咽を漏らして泣き続ける龍麻の背中を撫でながら、ずっと京一は龍麻に清浄なる氣を送り続けていた。
どれ程の時が経っただろうか・・・
泣き疲れたのか体力のない龍麻はそのまま眠ってしまっていた。
京一は龍麻をベッドに寝かせると、側にある椅子に座り込んだ。
変わり果てた・・・相棒の姿に切ない光をその瞳に宿しながら・・・こんな龍麻は見ていたくないと・・・
それでも、龍麻が目を覚ましたときに側にいてやりたくてそのままそこに落ち着く。
日本に帰って・・・真っ先に真神学園に行った。
美里が居た。
みんな居た。
元気そうだった。
でも、龍麻だけが・・・居なかった。
誰も彼について話そうとはしなかった。
何とか話を聞きだして・・・ここに来て・・・
後悔した・・・
中国へ渡ったことを。
龍麻の側を離れたことを!
窓から少し冷たい春の風が入ってくる。
桜の欠片も一緒に流れてきた。
それを差し出した右手で取り、ぎゅっと握りしめる。
龍麻と初めてであった春。
あの頃を思い出して・・・目を閉じる。
「・・・京一?」
龍麻の小さい声が京一を呼んだ。
「ん?何だ、ひーちゃん・・・目が覚めたのか?」
「京一・・・済まない・・・」
「なーに言ってるんだよっ!」
昔と変わらない暖かい笑顔。
つられるようにして龍麻も笑う。
「なぁ、龍麻。何で・・・お前此処に居るんだ?」
真剣な京一の表情。
「・・・何でって・・・」
「行けよ。此処は・・・俺が見張っててやるよ。あいつが戻ってきたら・・・とっつかまえて、お前が戻ってくるまで、しっかりと監禁でも何でもしておいてやるよ。・・・<東京>には俺が・・・居るからよ。」
「・・・・・・京一。」
「お前らしくないぞ?何でこんな所でウジウジしてんだよっ!さっさと追いかけて、捕まえればいいだろ?」
「だって・・・あいつは逃げ回ってて・・・そ、それになかなか何処にいるのかも・・・っっ!」
「それだって良いじゃねーか。こんなとこで体壊してるより・・・よっぽどマシだぜ。置いて行かれたって言っていじけてるようなタマじゃないだろ?」
「・・・・・・」
「みんな・・・お前があいつを追いかけるって言うなら・・・みんなお前を応援するぜ?」
「でも・・・みんなは・・・」
苦いモノをかみつぶしたような顔をする龍麻に京一は嘆息した。
「そりゃ、おまえ。そんだけ落ち込んでなーんにもしない奴の応援なんて誰が出来るよ?以前のお前は前を見て、どんなに苦しくても前に進むのを止めなかった・・・だからみんなお前を助けたかった。力になりたかった。今のお前じゃーない。でも、お前が再び歩き始めるって言うなら・・・みんな力を貸すって。当然だろ?仲間なんだからさっ」
最後に明るい笑顔で京一は断言した。
「京一。」
「絶対あいつ、お前にとっつかまえられたら逃げらんないって。それが分かってるから逢わないようにしてるんだろうさ。相変わらず・・・あいつもまぁ、なんてぇーか暗い奴だよな。さっさと見つけて、ふんじばっちまえよ。それに・・・あいつを捕まえることが出来るのは・・・お前だけだ・・・違うか?」
京一は飄々と言う。
「不安・・・何だ・・・やっと見つけて・・・それであいつの側に誰か居たら?俺は・・・どうすればいい?」
不安げに龍麻の瞳が揺れる。
「そんときゃそん時だろ?約束破ったあいつが悪いんだし、なにされても文句言わないだろうし。ま、黄龍でもかまして、思い切るも良し。それでも忘れらんなけりゃー・・・そんときゃー慰めてやんよ。」
そんなことを言いながらも京一はソレがあり得ないことだと知っている。確信がある。
だからこそ突き放すように言う。あり得ないと・・・
冗談なのか本気なのか・・・悪戯っぽく光る京一の瞳を見ながら・・・龍麻はふっと笑顔を見せる。
「そうだな。お前に慰めて貰うか。また、ラーメンか?」
美里に振られたと言って一緒にラーメンを食べたクリスマスを思い出す。
あの時は・・・実際には既に紅葉が心にいて、対して辛かったわけでもなかったのだが・・・
「なんだよ。ラーメンに文句があるのか?」
二人して目を見交わして笑う。
まるで刻が5年前に戻ったかのように・・・
何故・・・自分は・・・自分を責めて、詰り、動くことを忘れてしまっていたのだろう。
何故・・・自分は・・・この東京に執着し、残り、待ち続けたのだろう。
縛られ続けていた。
紅葉が捨てていった全てのモノがあるこの<東京>に。
自分達全ての思い出のあるこの場所に―――
此処を離れれば全てが完全に消え失せる気がしてどうすることも出来なかった。
他の誰も言ってくれなかった言葉。
―――俺が此処にいてやるから―――
手に入れた・・・解放への鍵。
京一が居てくれる。ここ<東京>に・・・
扉は開かれた。
ならば、行けばいい。何処までも・・・
紅葉が逃げるならば・・・地の果てまでも追いかけて捕まえればいい。
どんなに世界が広くても。
まずは動かなくては・・・何も始まらない。
そう、此処でいじけていても何も起こらない。
さぁ。一歩を踏み出そう。
新しい勇気をくれたのは京一。
昔の勇気を思い出させてくれたのは京一。
龍麻を後ろから背中を押してくれたのは京一。
懐かしい、5年前の優しさそのままで。
にっこりと微笑む。
此処に他の仲間がいたら、こんな龍麻の笑顔を見るのは数年ぶりだと・・・きっと喜んだだろう。
「そうだな。あいつを・・・見つけたら黄龍の一発じゃ・・・済まないけどな。」
そう言って龍麻はニヤリと不敵に微笑む。
京一もニヤリと一緒に笑う。
穏やかな風が爽やかな空気をもたらす。
澱み濁った空気を押し流して、一気に動き始める。
艶やかな微笑みを浮かべて龍麻は微笑む。
「まずは・・・体・・・治さなくちゃな。それで鍛えて・・・・・・・・・なぁ、京一。」
「ん?なんだ?」
「体怠けちまってるんだけどさ、つき合ってくんない?トレーニング。」
「おう。いいぜ!ただし以前の京一様とはひと味違うぜ?ビシビシ鍛えてやるから覚悟しとけよっ。」
昔より強く大きくなった京一に眩しそうに龍麻は目を細めて見上げる。
一回り以上大きく鍛えられた体。
氣もより深く強く清冽になって・・・
きっと京一にとって今の自分は足手まといでしかないだろう。
それでも快く引き受けてくれる京一に感謝しつつ思わずあふれ出しそうな涙を隠す。
「望むところだっ。すぐに追い越してやるからな!」
「ホー。中国5年修行の蓬莱寺京一様を追い抜くって?何年掛かるんだ?・・・・・・」
最初笑いながら言っていた京一は表情を急に改めて真摯な眼差しで続ける。
「頑張れよ。龍麻っ」
「ああ。」
京一の優しさが胸に染みる。
暖かい想いに満たされて・・・心に決める。
必ず紅葉を見つけてみせる・・・と。
紅葉の居ない春・・・
5度目にしてやっと自分は歩き出せる。
春が来ても・・・お前は側にいないけれど・・・それでも・・・俺は・・・
京一が戻ってきた今までとは違う春。
背中を預けることの出来る存在。
彼が居るから・・・此処を離れることが出来る。
そう。
今やっと俺は<東京>(ここ)を離れることが出来る・・・
俺は・・・お前を捕まる・・・必ず・・・!
――――――――――――――――――――――――――――――To Be Cuntinue...