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『一番の理由』

久しぶりにお互いの休日か重なり、買い物に出かけた小蒔と葵は新宿の街を久しぶりに歩きながら、前方から近づいてくる人物に気が付いて動きを止めた。
「ねぇ、葵。アレって……」
「え、ええ……。あの氣は………」
ジーンズ姿のラフな格好をしていながらも、体のラインが綺麗で、歩く姿も美しい。
肩に付くか付かないかの黒髪が風に時折靡いては揺れる。切れ長で美しい漆黒の瞳がショーウィンドウをチラチラと移動しながら優雅に歩いている。まるでモデルかなにかだと思ってしまえるその容貌に周囲の者の視線が集中しているというのに本人は全く気付いていないのか気にしている風もない。逆に其処まであっけらかんとされると周囲の方が騒ぐに騒げず、名残惜しそうな視線を向けながら通り過ぎていく。
一人だけ周囲から浮いている。
白黒写真の中でそこだけ鮮やかな色彩を纏っているかのようだ。
「龍麻、だよねぇ?」
恐る恐るそう呟いた小蒔に葵は少しばかり不安げに頷くことしかできなかった。
だんだん近づいてくるその人物がふと立ち止まって自分を見つめる視線に気付いて、微笑みを浮かべた。
懐かしい笑顔。
確かに二人の良く知っているその笑顔。
でも。
何処からどう見ても女にしか見えなかった。

駆け寄ってきた龍麻に小蒔と葵が驚きに言葉をなくす。
「久しぶりだね!!みんな元気だった?」
そう言う声もかつて聴いた声とは微妙に異なる。それ程高いわけではないが、透き通って張りのある響きのいい声。女性特有の甘さを何処か秘めた…。
「た、龍麻?」
「ひーちゃんなの???!!」
「あっ…。うん、緋勇龍麻。でも、今は桜…かな?」
少し照れながら笑った龍麻に小蒔と葵の二人はお互いの顔を見合わせた。
「取りあえず何処かのお店に入らない?龍麻、時間は大丈夫?」
先に立ち直った葵が龍麻に提案した。
頷いた龍麻と未だに動けないで居る小蒔を連れて葵は近くにあった喫茶店に入ることにした。

「それで、どうしたの?」
すわって注文を取るなりそう穏やかに聞いてきた葵の眼差しは真剣なものだった。
「ん。私…、さ。元々女だったんだ。」
「えぇっ…!」
「小蒔っっ!!」
叫んだ小蒔をとっさに抑えて葵は龍麻に続きを促した。
「『黄龍の器』を自分で選んだんだ。女だった場合『菩薩眼の娘』と『黄龍の器』双方の資格と言うのかな。素質を持って居るんだ。どちらかというと『黄龍の器』が上位であって、その中に『菩薩眼の娘』としての素養があるんだけどね。どちらかを選ぶ時に、私は『黄龍の器』たることを選んだ。そのせいで葵が『菩薩眼の娘』として覚醒することになって…。あんな宿星に巻き込んじゃって本当に申し訳なかったんだけど。」
「そんなこと…気にしてないわ。ううん。良かったと思う。本当に色々あった。哀しいことも楽しいことも。でもきっとアレは私の中で一生を生きるに大切な力となる。あの思い出がある限り私はきっと負けない。生き抜くことができる。だから…そんなことは思わないで?」
「ありがとう。」
そう言って微笑んだ龍麻に葵は同じく微笑んだ。
妙に置いてけぼり状態の小蒔だが、そんな事に気づく余裕はまだなかった。
「で、でもそれでどうして…!」
「『黄龍の器』を選ぶとその【力】に相応しい体に変化するんだ。巨大な力を行使することの出来る体に。」
「そ、それで男になっちゃうの?!」
一応先ほど葵に怒られたのを覚えていたのか小蒔は小声でそう叫んだ。
「そう。必要のない過去の記憶とかも消えちゃったし。『黄龍の器』として必要な事は何でも知っているけど、それ以外は全く知らない…そんな風に…変化するんだ。」
「そんなの…そんなの酷いじゃないか!!」
「小蒔…ありがとう。でもいいんだ。それを承知で私は選んだんだから。」
苦笑を浮かべつつも、曇りのない表情の龍麻に小蒔がくしゃりと顔を泣きそうに歪めた。
そっと横に座った葵が小蒔の肩に手をのせて軽く抱き寄せた。
「小蒔…。」
「………。葵ありがとう。もう…大丈夫。」
少し葵の肩に額を押しつけるようにしていた小蒔は暫くして顔を上げると涙目の笑顔を見せた。
「ごめん、もう大丈夫だよ!」
無理に笑顔を作って見せてくれた小蒔に龍麻は一つ小さく謝ると柔和な笑みを見せた。
思わずドキリとしてしまうほど綺麗な微笑みだった。
何処か高校時代見慣れたはずの龍麻の笑顔とは違う。前より一層優しい。
「私は…昔『桜』って名前だったんだけど、その頃紅葉に会って、好きになった。でも、男になって、もう逢うこともないそう思っていたのにまた出逢った。そして再び恋をした…。記憶だってないのにね?皮肉な運命なのかな?それとも粋なのかな。」
ふふふ、と笑うその姿は何処からどう見ても女性で、二人は戸惑った。
でも、葵はその動揺を押し隠して見せた。
「そう、壬生くんに…。」
「記憶なくなってる癖に。紅葉への想いだけは残ってたんだ。紅葉とした約束を果たしたいっていうね。で、自分の想いと桜の想いと、両方の想いが絡まり合って体が元に戻り始めた。これが卒業するちょっと前くらいかな?」
「だから、あの頃急にどことなく女性っぽく見えたのね?」
「そう言うこと。実際あの時は男で女だったんだ。なんか変な言い方だけどね★」
こんな喫茶店でして言い話題ではない。
こんなに明るく言ってはいるが、当時どれほど龍麻は苦しんだだろう。突然変化するからだ。過去の自分と現在の自分の想い。きっと何度も傷ついて泣いたのだろう。
だと言うのにことさら軽く龍麻は言い放つ。大したことではないのだと。もう過ぎ去った過去のことなのだと。気にすることはないのだと。
その強さがまぶしく感じられる。
「まぁ、壬生が…桜でも龍麻でもどっちでもいい、と言ってくれてさっvvv」
少し頬を赤らめて嬉しそうに語る。
ほわほわぁ〜とそれこそ恋する乙女!!と言ういかにもなオーラを身に纏う龍麻に、結局二人は笑った。
幸せならばいい。
それが二人の本音だから。
「男でも女でも好きだって言ってくれたんだよ〜〜っっっvvvv」
そう言って、片手を頬に当て、残り片手をパタパタと前後に振って顔を赤くする。
ああ、もう、のろけ?
「ふふふ…幸せなのね…?」
「え?うん!」
元気に応えた龍麻に葵は柔らかい笑みを浮かべた。
「じゃぁ、それからずっと、そのぉ…女なの?」
少し声を小さくして聴いてくる小蒔に龍麻も同じように声を潜めた。
「ううん。紅葉がどっちでもって言ってくれて、男で定着してたんだけど…。」
「え?だって…じゃぁ??」
龍麻は「えへへ♪」とまたまた頬を赤らめて照れくさそうに手をもじもじさせた。
「だって、だってさ!やっぱり紅葉は私のもんよ!!って大きな声で言いたいじゃない!一緒に出かけたいし、手を繋ぎたいし、腕だって組みたいし!!好きな人とならそう思わない?」
「そりゃそうだけど…。」
少し頬を染めて頷く小蒔に葵はクスリと一つ小さく笑った。
「でも、それだけで?」
「…だってさぁ…不安なんだよ、紅葉に会えば分かるけど…。」
「不安って…。」
どうして?と続けようとして葵はコンコンと叩かれたすぐ横の窓に視線を向けて、言葉を止めた。
其処に立っていたのはかつて仲間として一緒に戦い、今龍麻が話していた壬生紅葉だった。
拳武館のナンバー1の暗殺者として、その罪の意識を背負っているせいか、彼は常に自分を厳しく律していた。端から見れば、近寄りがたい雰囲気を身に纏って決して容易に他人を近づけない、そんな人間だった。
それは彼の仕事柄のせいもあっただろう。
今、彼はフレームレスの眼鏡を付けて、穏やかな瞳をしている。昔からは信じられない程の光を宿して。
同一人物とは思えない程の変わり様だったかも知れない。
身に纏う気配が優しい。眼差しが優しい。口元が優しげに笑みを浮かべている。
「紅葉!」
にこり、と龍麻と視線を交わすとより一層愛おしげに優しい笑みを浮かべて壬生はその場で、携帯を取り出すとボタンを押した。
龍麻のバックから着信音が響いて、龍麻はとっさに携帯を取り出す。
「紅葉?何?入っておいでよ…。」
おいで、おいでと壬生からの電話に出ながら窓の外の壬生に手招きしている。
『いや、遠慮しておくよ。折角のおしゃべりを邪魔するのも悪いし。代わりに家で君を独占するからね。』
「ば、馬鹿っっ★」
顔を真っ赤にした龍麻に小蒔と葵は二人を交互に見交わした。
『…今日は少し帰りが遅くなりそうだから。』
「え?遅くなるの?」
壬生が手を窓にそっと触れさせる。
『ああ。今ちょうど電話を掛けようとしていたんだけど、君たちの姿を偶然見つけてね。いいタイミングだったよ。クスクスクス…』
「そっかぁー。じゃぁ、時間ないんだ?」
龍麻は壬生の言葉からこれから仕事なのだろうと推測して、だから中へ入ってこないんだと納得した。
『そう言うこと。』
少し寂しそうに微笑んだ壬生の顔を見ながら携帯を通した声に耳を澄ます。
耳元。すぐ側で聞こえる大好きな人の声。
でも。
出来るならやはり直接本当の声が聴きたかった。
そう、思いつつ窓におかれた壬生の手に合わせるように龍麻も手をおいた。
窓越しにお互いの手が重なり合う。
「しょうがないな。じゃぁ、私も同じく家で独占しよう!」
『プッ!』
「あ、笑ったわねぇ〜!」
『そんな可愛いことを言ってくれる何てね。覚悟は良いの?』
「望むところよ!」
冷たいはずの硝子が暖かい。
感じるはずのない愛しい人の温もりが感じられて、切ない。
「気を付けてね……」
『ああ。じゃぁ、お二人にも宜しく言って置いてくれ。…………又後で…』
プツッ。
「あ、紅葉っっ!」
物寂しくて電話が切れると同時に呼びかけた。
窓の外を見れば壬生が目を細めて一つ微笑むとさっと踵を返して人混みの中へと姿を消した。
「紅葉…。」
キュッと唇をかみ締めた龍麻に葵が声を掛けた。
「龍麻ったら、凄く可愛いのね。うふふ。」
「本当だよ!ちょっとあんまりにもラブラブなんで吃驚しちゃったけど…。しっかし、男前になったねぇ〜★」
小蒔が後を続けた。
それは葵も思ったこと。
前から顔は端正で背も高く、格好良かったわけだが、如何せんその瞳が何かに餓えているような、冷たい凍えるような哀しみを写していて、決して他人を近寄らせなかった。
近寄れば、触れれば切られる、そんな雰囲気を持っていた。
なのに。
彼は変わった。恐らくは龍麻と一緒にいたから。
「でも、龍麻の気持ちが分かったような気がするわ。」
「えーっっっ!どうして!!」
教えて!と小蒔は葵に詰め寄った。
「だって、昔からあんなに格好良かったのに、今じゃもっと格好良くなってるのよ?小蒔だって『男前になった』って思ったんでしょう?」
「うん、そうだけど…。」
「龍麻も同じ。前から好き。でも、今は昔よりもっと格好いい。となればやっぱり不安じゃない。誰が近寄ってきても不思議じゃないもの。」
「あっ…そっか……★」
やっと小蒔は納得できたらしい。うんうん、と頷いている。
「それで『不安』なんだ。」
「今だって外の女達がチラチラずっと紅葉のこと見てたでしょ!すっごくむかつくぅ〜!!」
握り拳で主張する龍麻に二人は思わず笑みを零した。
「そんなのひーちゃんだって同じだよ。」
「そうね。ほら、店の男の人たちだってみんなチラチラと龍麻を見てるわ。」
「え?葵とか小蒔を見てるんじゃないの?」
「………相変わらず自分の事となると鈍いんだー。」
「何か小蒔には言われたくないなぁ。」
「あ、酷い!」
そう言って三人で笑いあう。
「でも、きっと壬生君も同じように不安に思ってるわ。」
「そうかな?」
「きっとそうだよ!」
二人に言われて龍麻は嬉しそうに笑う。
女三人集まればおしゃべりはつきない。
もう二人には龍麻が男とか女とかどうでも良くて。嫌、どうでもいいわけではなく、かつて共に戦った掛け替えのない仲間であることには変わりがない、それが全てだったから。彼が彼である限り、そして幸せである限り、それで十分だと思えるから。
楽しい時が瞬く間に過ぎていく。

結局この後、予定のない龍麻につき合って三人で夕飯を食べた。
店を出ると春とは言えまだまだ夜になると冷たい風が吹き付けて、三人はフルフルッと体を縮めた。
「うっっ…寒いっっ★」
「夜にこの格好は辛いね!」
「ふふ。風邪を引くわけにも行かないし、早く帰りましょう。」
駅に向かって並んで歩く。
「そう言えば葵は今年卒業したんだよね?」
「ええ、この春から…真神学園に赴任することになったわ。」
「うわっっ♪凄い〜おめでとう!!今度遊びに行くよ、いい?」
「ええ。犬神先生もいらっしゃるわよ。」
「なつかしぃ〜っっ」
切符を買って、改札口を通る。
各々が乗るべき路線のプラットホームへと別れる。
「ねぇ、最後に一つ良いかしら?」
「何、葵?」
「本当に理由はそれだけ?」
「え?」
「葵?」
小蒔も龍麻と一緒に首を傾げた。
「今龍麻が『女』である、その理由。」
一つ龍麻は目を見開くと「流石葵だなぁ〜」と言うと口元に人差し指を当てて小さく呟いた。
「自分のものよ!って独占したいって言うのも本当だよ。でもさ、独占する最終形態って、絶対結婚だよね!そう思わない?」
「け、形態って…ひーちゃん、それ変だよぉ…」
情けない顔をした小蒔に龍麻は胸を張って言い張った。
「だって、指輪付けてこれ私のものよ!手出さないでね!って事じゃない★」
「そうだけど〜っっ」
「ロマンがないわよ、龍麻。」
小蒔に続いて、クスクスッと葵は笑いながらいった。
「いいの、この際ロマンより実よ!!花より団子!!!………でもさ………」
きっぱり言い切った龍麻にガックリと項垂れた小蒔に、楽しそうに微笑む葵はその後に小さく囁かれた龍麻の言葉を聞いて、一瞬黙り込んだ。
「うふふ…確かにその通りだわ。」
「でしょ?」
小蒔は顔をうっすらと赤らめて何も言わない。
「だから。本当にそう思ったから。強く願ったの。」
「良かったわね、龍麻…いえ、桜。」
「ありがとう、葵。」
龍麻が女だと完全に認めた証に。名前を呼んだ葵に龍麻はふわりと笑みを浮かべた。
「その時には絶対見に来てね!」
「ええ、勿論。」
「うん、楽しみだね!!」
やっと応えることの出来た小蒔に龍麻は約束だよ、そう言って手を振ると「じゃーまたね!!」と挨拶を告げて背を向けてその場から立ち去った。
人混みに消えていく後ろ姿を見ながら、龍麻の言葉が響く。
それはきっと殆どの女性の願い。

―――やっぱり好きな人とは結婚したいし、何より赤ちゃん…欲しいじゃない!―――

@01.02.09/