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『闇桜―陰―』

櫻・・・櫻・・・薄淡い花弁が月夜にヒラヒラと・・・

櫻櫻・・・

淡い色はいつの間にか紅く染まる

ヒラヒラ・・・ヒラヒラ・・・と舞い落ちる

櫻の木は人の血を啜って美しい華を咲かせるという・・・

チラリ、チラリ・・・風に舞う・・・

 

闇の中に赤光を帯びた紅の櫻に視線を向ける。
月光の下、春の柔らかい風にさわりと華を付けた枝が揺れる。
周囲の櫻とは異なる紅い櫻。
その華の見事さに目を奪われるが・・・何処か哀しい色を帯びている。
ふと気がついて視線を下に向ける。
樹の幹・・・
華の盛りも全盛とばかりに零れ落ちる紅い花弁を舞い散らせている樹の幹とは思えない程酷く傷ついている。
少しその痛ましさに目を細める。
『君には・・・僕の姿が見えるんだね・・・』
誰もいない夜のしじまに声が響く。
さっと周囲の確認をするが人の気配は感じられない。
キッと目の前の紅い櫻に視線を向ける。
『別に・・・何もしないよ。』
「・・・櫻か・・・」
『君は僕と同じ“闇”を抱えている人・・・だから見えるんだね。』
「・・・・・・」

ひらり、ひらり・・・風に舞う紅い欠片。
月光に何故か美しい程に淡く紅い光を煌めかせながら降り続ける。

『一緒に行く?・・・僕は“血”を糧に華を咲かす。“哀しき想い”を華にする。・・・君も・・・解放されたいの?』
ふわりと花弁が壬生の上に降り積もる。その全てを覆い隠すように。
「・・・・・・遠慮する・・・」
ざわり・・・ざわり・・・櫻の木が揺れる。
『その紅い掌で・・・苦しみながら?』
その言葉についっと自分の掌を見る。
紅く濡れた掌。
罪に汚れたこの体。
全てを終わらせて・・・消えることが出来ればそれはどれ程の幸せだろうか・・・
でも・・・・罪なればこそ安易な安らぎを求めることなどできはしない。
そして・・・
「・・・それでも。僕は死ぬわけにはいかない。」

ひらひらひらひら・・・櫻の花弁が舞う。柔らかく暖かく壬生を包み込むように傷を癒すように・・・

壬生は腕を大きく振って、自分に安らぎを与える櫻を拒絶する。
「いらないっ・・・」
強い意志の光を放つその眼差しに、櫻が揺れる。
『何故?』
「お前の・・・癒しなどいらない・・・僕には・・・僕の“光”がある。死ぬわけにはいかない。そして・・・彼以外のものからの“癒し”などあり得ない・・・」
『光・・・?』

はらり、はらり・・・寂しげに櫻の華が舞う。

『光は・・・君を抱き留めてくれるの?君を・・・癒してくれるの?闇を・・・知る人?』
「・・・彼は・・・強い・・・」
『・・・・・・・・・僕を・・・解放してくれる?』
「分からない。だが・・・」

ふわりふわりと華が咲く。美しく紅い華が咲く。
ひらりひらりと花が散る。舞い散る花弁が風に踊る。
決して降り積もることのない花弁・・・

『僕は・・・もう保たない。君では駄目・・・君は僕を見ることが出来るけど・・・駄目。君は闇を知る人。光を知る人。でも・・・僕を解放することは出来ない。・・・ねぇ・・・その“光”は・・・僕を助けてくれる?』
「駄目だ・・・会わさない。」
龍麻ならきっとこの哀しき櫻を開放することが出来る。
でも・・・彼は泣くだろう。その優しき心を痛めて、真珠の如き美しき滴を零すだろう。
彼に傷ついて貰いたくはない・・・
『何故?僕を・・・助けて・・・』
櫻の哀しみを帯びた音が響く。
頭の中に。心の中に。直接魂を揺さぶるように響く・・・
『僕の中で“彼ら”が苦しんでる。お願いだから・・・“彼ら”を助けてっ・・・』
ぐっと掌に力を込めて拳を強く握りしめる。
『君には・・・分かる筈だから・・・この“苦しみ”が・・・』
そう。龍麻を傷つけたくないと言いながら、龍麻の優しさを一人で独占している。
一人だけその優しさに救われている。
それもまた・・・罪・・・か?

ふっと苦笑を浮かべる。自嘲的な笑みが闇の中に消える。
『大丈夫・・・君が居るから・・・大丈夫・・・』
僕が居るから大丈夫?そんな事がどうして言える??
何度も龍麻に救われた。心を。魂を!でも・・・闇に沈む僕が彼に何をしてあげれると言うんだ?
僕に出来たのは・・・彼を闇に染め上げることだけ。
まるで純白の翼を漆黒の闇色に染めるように・・・
『大丈夫・・・“光”は穢されることはないから・・・』

―――それは許し。

闇を抱えた自分が龍麻の側にいてもいいのだという・・・心底何よりも望んだもの。
「・・・・・・」
なんて、脆く弱いんだろうか・・・
嗤い声が闇の中に響く。
ポトリと壬生の頬を伝う一滴が落ちた。
それは証し。
櫻との・・・契約。
『君が側に居れば大丈夫・・・』
ふわりと最後に櫻が揺れる。
「・・・礼などっ」
激高しそうな自分を抑えて目を伏せる。
龍麻は・・・そのつよさできっと傷ついても真っ直ぐに前を見るだろう。
そのまま櫻に背を向ける。

ひらり、ひらひら・・・ひらひら・・・
闇夜に桜の花弁が・・・淡く輝いては舞い踊る。
喜びに溢れたその舞は・・・美しくも儚く哀しい・・・

 

チラチラ、チラチラ・・・チラチラ・・・
先程までの鮮やかな色を纏った華の舞は最後の一振り。
これで最後・・・二度と舞い落ちることはない・・・

背中を震わせるようにして闇の中佇む龍麻に後から声を掛ける。
「龍麻?」
急に話しかけられてビクリ、と体を震わせる。
「遅くなって済まない・・・どうしたんだい?」
壬生は龍麻に近づくとまだわずかに残る涙に口づける。
「くれっ・・・」
そのまま壬生に抱きついて・・・ぎゅっとその体にしがみつく。
壬生も同じように龍麻を抱く腕に力を込める。
自分のせいで傷ついた彼への罪悪感からか?
櫻の『君がいれば大丈夫』と言う言葉を試している罪悪感からか?
それとも純粋な愛しさゆえか?
分からないまま・・・涙を浮かべる龍麻を抱きしめて、顔を上げさせるとふわりと軽い口づけをした。
櫻はアレで良かったのだと・・・微笑む壬生に龍麻は少し目を見開いて涙をぽろぽろと零す。
「どうしたんだい・・・泣き虫だね・・・」
そう言うと壬生は龍麻の体に着いていた一枚の紅い花弁を手に取った。

細く長い指が小さい一枚の欠片を持つ。
「綺麗な・・・花弁だね・・・でも・・・・・・・・・やけに紅い・・・」
そう言って壬生はその花弁を口に含んだ。
「紅葉っっ」
不安に突き動かされたような叫び。
「いやだっっやだっっ!出してっ出しっっ・・・・」
そのまま声に詰まって只壬生の服をぎゅっと握りしめてくる。
自分を求めて・・・いかせまいとする龍麻の握りしめる手が嬉しい。
「龍麻・・・」
壬生は龍麻を呼んで上を向かせるとそのまま深く口づけた・・・
熱く強い想いで・・・
龍麻はそうっと自分の口に手をやった。
「一緒だね・・・」
何時までも・・・と、にこり微笑む。
「紅葉・・・一緒・・・・・・うん・・・何処までも・・・一緒だ・・・」
先程のキスで口渡しされた紅い花弁の一欠片。
コクンと飲み下した龍麻の笑みを真っ直ぐに見つめる。

ふわりっふわりっ

美しく淡い花弁が二人を覆い隠すように舞い踊る。
月の儚い光が櫻の華を妖しく彩る。
それでも・・・薄紅色の汚れを知らぬ櫻の花弁・・・
ひらり、ひらりと二人を護るようにただ・・・・・・・舞い落ちる

 

ひらひら、ひらひら・・・

櫻・・・櫻・・・・・・

ひっそりと着いていた紅い一欠片が・・・壬生の体から淡く光って・・・罪と共に消えた―――

『これぐらいは・・・いいでしょ?ふふふ・・・』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・end.