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『冬の蜻蛉』

旧校舎での戦闘を終えて、みんなで傷を癒しながら外へと出る。
ふと、壬生の姿がないことに気付いて由羽は辺りを見回した。
何だが姿が見えない…只それだけなのに、無性に不安をかき立てた。
自分のすぐ側には恋人がいると言うのに。
本人はそのことに気付いていない。そのことに疑問を抱いていない。

何故壬生が居ないことに気付いたのか。
何故壬生が居ないと気になるのか。

答えなんて簡単なことなのに。
そして、辺りを見回してみんなの顔を確認する内に、もう一人抜けているのに気付いて知らず知らずのうちに眉を顰めた。
「壬生……どこ?」
まるで頼りない幼子のように、今にも泣きそうな顔で呟いた。
そんな由羽を遠くから京一が翳りを含んだ眼差しで見つめていた。

―・◆・―

「如月さん…?」
一番最後尾でぐずぐずとしている如月に気付いて壬生は声を掛けた。
「どうしたんです?怪我でも?」
そう言いながら近寄ってきた壬生の腕を如月はグッと掴んだ。
「っっ…。」
息を詰めるようにして微かに表情を変えた壬生に如月はため息を吐いた。
「やっぱり怪我していたんだな。………さっき…最後の…あれだろう?」
「見てたんですか?流石ですね。」
ほんの一瞬。
きっと彼女は気付いていない。

最後の敵をかたづけるとき、彼女が奥義を放ち、その全ての動きが止まったまさに一瞬。地中から飛び出るようにして、彼女の首元に飛来した小さな敵。
まさに一瞬の事でその小さな敵の存在に気付いているものは他にいなかった。
とっさに壬生が自分の腕を振り上げるようにして彼女と敵の間につきだした。
結果、敵は壬生の腕に噛み付く形となったのだが、その直後壬生に地面へと叩きつけられて、生命活動を停止させていた。

流石も何もない。
『お前のことだからだ。』
そう心の中で答えながら如月は黙っていた。
「腕を…。」
「別に良いですよ。」
「壬生。」
治療するのを拒んだ壬生に強い口調で腕を出すように促した。
「済みません。」
濃紺の学生服を片腕脱いだ形で、腕の傷を露わにする。
まるで噛み千切られたかのような傷跡から鮮やかな血が滴り落ちてくる。
「……結構酷いな…。無理矢理引き剥がしたな?」
丈夫な学生服は多少裂けている程度だったが、体の方が酷い裂傷となっていた。
ツゥ…っと腕を伝い流れる血を見ながら如月がそっとその血を嘗めとった。
「如月さん……。」
少しばかり驚きと拒絶を示す壬生を無視して舐め上げる。
そのまま傷口に舌を這わせれば、壬生の体が痛みのせいかビクリと震えた。
懐からクスリを出すと、さっさと治療を施して、包帯を巻き付けた。
その鮮やかな手並みを壬生は黙ってみていた。

本当は、心の中で謝っていた。
きっと。こんな治療をするよりも、さっさと地上に連れて行って、回復治療が出来る者の所へと連れて行くべきなのだ。傷跡も残らず一瞬で癒えるだろう。こんな傷は。

『触れて良いのは自分だけだ。』

その我が侭さに自分自身で辟易とする。
壬生の顔を見ることが出来なくて俯いていると、「ありがとうございます。」と静かに告げられて、更に居心地の悪い気持ちになって首を振った。
「……いや。」
「如月さん?」
様子のおかしい如月に壬生は少しだけ首を傾げるとそっと頬に手を添えた。
その温かさに如月は涙が出そうになった。
ふと顔を上げて壬生の方を見れば。
壬生の背後に彼女の姿を見つけた。

―――由羽っ。

瞬間心を占めたのは拒絶。
邪魔をされたくない。
奪われたくない。

壬生は気付いていない。そのまま少し心配そうな顔で覗き込んでくる。
「血が…。」
如月の口元にさっき嘗めとった壬生の血が付いていた。
壬生がペロリと口元の血を嘗めた直後に、如月は自ら舌を出すようにしてその舌を絡め取った。
そして、少し驚く壬生の背中に腕を回して、更にキスをねだった。
見られていることを承知で。
まるで見せつけるように。

「…っえ……?」
「んっ…壬、生……。」

彼女の顔が一瞬にして引きつった。
くるりと反転して、走り去る彼女の背中を見つめながら。

一人嗤った。

彼女を。
彼を。
そして自分を。

みんな…なんて愚かなんだろう……。

―・◆・―

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ…。」
無我夢中で走って走って走って、苦しくなった呼吸に由羽は足を止めた。
胸に手を当てる。

苦しい。

苦しいよ。

どうして?

ついさっき見てしまった二人のキス。
何でこんなにも心に痛い?
何でこんなにも張り裂けそうに切ない?

瞬間「嫌だ」と叫んで、二人を引き離してしまいたかった。
とっさに一歩、逃げる為に「後ろ」ではなく「前」に進んだのに気付いて、自分で自分に驚いた。

自分は何をしようとしているんだろう?

冬の冷たい風が吹き付けてくる。汗をかいた体は急速に冷え始めている。
「さむっ…。」
体を震わせて自分で自分の腕を抱えるようにした。そして俯いた自分の頬を滑り落ちる涙に気が付いた。

「なんで?何で私…別に壬生が誰とキスしてたって構わないじゃない。そうよ、関係ないんだもん。関、係…。」
自分で告げた言葉に酷く心が痛くなって驚いた。
涙はぽろぽろと止まることなく零れ続ける。

「わ、私?」

信じられない想いに目を見開いた。
自分と彼は関係ないのだ、そう思ったら、堪えきれないように心が悲鳴をあげた。

「嘘、よ。だって…私には京、一…。」

呆然と呟きながら、でも頭に浮かぶのはさっきの風景。京一の笑顔がチラリと頭を掠めたけれど、何の慰めにもならなかった。

「だ、って。……だって、だって、だってっっ!そんなのっっ!!」

ホンの一瞬。

『自分は壬生のことが好きなのだろうか?』

そう思ったら顔がカァーッと熱くなった。
隠しようもない程に、心と体は正直で。
理性だけが。
抵抗していた。

「馬鹿…みたい…。こんなの…最、低………。」

由羽はその場にしゃがみ込んで再び涙を零した。

好きな人が居るのに。居たはずなのに。何?今自分は他の人を好きなの?やだ、最低。自分で自分が信じられない。
こんな人間だったなんて。仲間達に。みんなに知られたらなんて言われるだろう、なんて想われるだろう。

「ふふ…ふふふ…………。」
言葉は嗚咽に飲み込まれて消えた。

馬鹿みたい。
恋人がいるのに、他の人に恋をして。
でも、壬生は他の人を好きで。
みんな仲間なのに。
そして何より。

―――私は嫌われている。

ギュッと心臓を鷲掴みにされたかのようで、胸の痛みに目を固く瞑って耐える。
初めてあった時。
それから今までずっと。
彼は決して自分に笑いかけては来なかった。
話しかけても来ない。近づいても来ない。今までは余り気にもしていなかった。
なんでだろう?とか、仲良くなりたいな、とか。
想いはあったけれど。

そして気付いて顔を赤く染めた。

何時だって自分が壬生を見ていた事に。
壬生の存在を探していた事に。
なんで?と想いながら、常に彼の後ろ姿を見ていた。
“気にしていない”なんて大嘘だった事に。
本当は寂しくて哀しくて堪らなかった事に。
真実を認めるのが怖くて目をそらしていただけ。

さっきだってそう。
“壬生”が居ないことに気が付いた。
―――何故壬生がいないと気づいたの?
“壬生”が誰かとキスしているのが嫌だった。
―――何故如月ではなく壬生がキスしてると嫌なの?

壬生が、壬生が、壬生が…。

全ては…壬生…。

「やだ、ほんと………最悪…。」

あの時、一瞬如月と目があった。
彼は。
そう、如月は自分が見ていることを承知していた。
それでも尚。
彼は行為を止めなかった。
見せつけるように。
これは僕のものだ。僕だけのものだ、とでも宣言するかのように。

「そんな必要もないのに…ねぇ?」

ポソリと呟いて寂しそうに笑った。

「嫌い…だもん。私だって嫌い…だもんっ。」
力無く由羽は呟いて空を見た。
「嘘。やっぱり…好き…。」
乾いた笑いを唇に張り付かせて、力無く言葉を零す。
「即失恋…?」

クスクスクスクスと哀しげな笑い声が小さく響く。
「隠さなくちゃ…誰にも気づかれないように…隠さなくちゃ……。」
こんな想いみんなには知られたくないから。
こんな想いきっと壬生にとって迷惑だろうから。
これ以上壬生に嫌われたくないから。
激情を抑えたような、何処か狂気を孕んだ嗤い声をたてれば、冬の風がふわりと吹いて掻き消した。

 

まるで儚い一瞬の。
―――蜻蛉。

真冬に舞い降りた。
―――誰の元に?

ふわりと。
―――飛んだ。

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